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2024年度トリプル改定を読み解く(上)-物価上昇で賃上げ対応が論点に、訪問介護は不可解な引き下げ

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳
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さらに、専門媒体を見ても、事業所経営者や事業者団体の不満が多く紹介されており、「発注者(筆者注:国を意味する)の要求、現場の仕事はどんどん増えるが、報酬はどんどん下がっていく。一般的な取り引きで価格交渉をする場合、発注者は費用の低減に向けた条件の緩和など運用方法の簡素化もセットで提案する。介護保険にはそうした配慮がないのではないか。まるで優越的地位の濫用」48、「加算拡充はありがたいが、なぜそれが基本報酬を引き下げる理由になるのか分からない。どうしても納得できない。これからサービスの重要性が更に増していくのに、その担い手の誇りを傷つける施策はやっぱり許せない」49といった厳しい批判が寄せられている。
国に比較的近い関係の全国社会福祉協議会の全国ホームヘルパー協議会でさえ、2024年2月に日本ホームヘルパー協会と連名で、「私たちの誇りを傷つけ、更なる人材不足を招くことは明らかで、このような改定は断じて許されるものではありません。このままでは、訪問介護サービスが受けられない地域が広がりかねません」という抗議文を武見氏宛に提出した。
こうした不満や抗議の背景には、訪問介護事業所の厳しい経営状況がある。周知の通り、介護現場は恒常的な人材不足に陥っており、中でも訪問介護の状況は深刻である。例えば、介護労働安定センターの調査では、職員の不足状況を職種ごとに尋ねており、最新の2022年度調査によると、訪問介護員を「大いに不足」「不足」「やや不足」と答えた事業所は83.5%に及んだ。全ての職種では「大いに不足」「不足」「やや不足」の合計が66.3%だったことを考えると、その深刻さを読み取れる50。
現場でも「ヘルパーの新規採用者は絶滅危惧種」という声を耳にするので、こうした数字は現場の感覚と符合しているし、基本報酬引き下げの影響に関して、地方紙では「苦しさ追い打ち」「事業継続、難しく」「中小事業所、持続に危機感」「存続の岐路に」といった見出しを付けつつ、訪問介護事業所の経営の厳しさが報じられている51。こうした現場の声を踏まえ、衆院厚生労働委員会では2024年6月、職員の処遇改善の検討とともに、報酬改定による影響の検証を促す決議が全会一致で採択された52。
46 2024年3月18日に開催された介護給付費分科会議事録における日本介護福祉士会の及川ゆりこ会長の発言を参照。
47 同上議事録における認知症の人と家族の会代表の鎌田松代理事の発言を参照。
48 2024年2月21日『JOINTニュース』配信記事におけるやさしい手の香取幹社長に対するインタビューを参照。
49 2024年2月19日『JOINTニュース』配信記事における及川氏に対するインタビューを参照。
50 訪問介護事業所の有効回答数は2,452件、全体は6,405件。
51 2024年4月1日『大分合同新聞』、同年3月28日~3月29日『河北新報』、同年3月28日『信濃毎日新聞』、同年3月21日『東奥日報』などを参照。
52 2024年6月5日『JOINTニュース』配信記事を参照。
では、こうした意見や不満に対し、どういう形で厚生労働省は説明しているのだろうか。武見氏は2024年3月の参院予算委員会で、下記のように述べている53。
訪問介護の基本報酬の見直しは、一つ目、その理由でありますけれども、今回の改定率のプラス〇・六一%分について、介護職員以外の職員の賃上げが可能となるよう配分することとされている中で、訪問介護の現場はそのような職員の割合が低いんです、規模が小さいから。それから二つ目は、訪問介護の事業所において、介護事業経営実態調査における収支差率、(略)七・八%、それから介護サービス全体平均の二・四%に比べて相対的に高いことなどを踏まえました。
ここでは、2つの理由が述べられている。1つ目の理由については、改定財源の分配が影響している。先に触れた通り、改定率の1.59%のうち、0.98%は介護職員の処遇改善で対応し、残りの0.61%については、ケアマネジャー(介護支援専門員)など処遇改善の対象にならない介護職員以外の給与引き上げに充当するように配分されている。
一方、訪問介護の事業所は小規模で、介護職員だけで構成していることが多い。このため、武見氏の説明に従うと、0.61%分の財源については、訪問介護に充当する必要がないというわけだ。
第2の点は「訪問介護の経営状況が良好」という説明である。ここでも述べられている通り、介護報酬のサービスごとの分配に際しては、「介護事業経営実態調査」の収支差が考慮されることになっており、訪問介護の利益率は2022年度決算ベースで7.8%だった。これは全サービス平均の2.4%を大きく上回っており、引き下げられる余地があったという判断のようだ。
第3に、引用した国会答弁の部分で明示的に述べられていない論点として、簡素化された処遇改善を使えば、最大で25%程度の収入増が図れると説明されている点も見逃せない。厚生労働省は処遇改善加算の簡素化について、「現行の階段状になっている隙間を埋め、介護事業所に処遇改善の財源を何とか流し込みたいという考え方」54としており、これを使えば基本報酬の引き下げによる影響を上回る増収や賃上げが可能になるという論理だ。
さらに、多くの事業所が処遇改善加算を取得できるようにするため、いくつかの手立てを講じた点も強調されている。例えば、2025年4月までの1年間限りの暫定措置として、図表4の(I)~(IV)の4パターンに加えて、新たな区分として(V)が創設された。その結果、現行3加算の取得状況に基づく加算率を維持した上で、今回の改定による加算率の引き上げを受けることが可能とされている。
このほか、厚生労働省は全ての加算未算定の事業所に対して個別相談に応じるとともに、取得促進事業を通じた周知なども徹底するとしている。
53 2024年3月8日、第213回国会参院予算委員会における答弁を参照。
54 2024年3月14日に開催された医療介護福祉政策研究フォーラムにおける厚生労働省の古元重和老人保健課長の発言。2024年4月21日『社会保険旬報』No.2925を参照。
しかし、こうした説明には多くの疑問符が付く。1つ目の説明については、確かに0.61%分の部分はヘルパー以外の職種の給与などに充てられることが想定されているが、それでも基本報酬を引き下げる理由にはならない。どうして引き下げではなく、最低でも現状を維持できなかったのか、十分な説明になっているとは思えない。
2点目の「訪問介護の経営状況が好調」という説明については、もう少し様々な側面から検討する必要がありそうだ。この問題が論じられているメディアの記事55を見ると、訪問介護事業所の約4割が赤字であることが強調されており、訪問介護の業界全体として「好調」とは言えない点が論じられている。実際、東京商工リサーチの発表56でも、2023年1月から12月15日までの「訪問介護事業者」倒産は60件に達し、前年を20.0%上回るペースをたどった事実が明らかになっている。さらに、2024年1~5月の「老人福祉・介護事業」の倒産も前年同期比75.6%増の72件で、既に最多だった2020年の58件を大幅に上回っており、訪問介護事業所は34件に及んでいた。同社は「基本報酬が想定ほど上がらず、事業継続をあきらめた倒産が押し上げている可能性もある。人手不足や物価高などの根本的な問題は単独では解決できないだけに、しばらくは倒産の増勢が続きそうだ」と予想している。
その半面、幾つかの調査57では、訪問介護の赤字に関して、大規模化が遅れている点とか、訪問回数が少ない点などが指摘されている。さらに、元厚生労働省幹部が高収益になる理由として、非正規雇用者に多くを頼る訪問介護業界の構造を指摘している58。具体的には、1事業所に14.8人のヘルパーが勤めているのに対し、非常勤職員が10.9人を占めているといった数字を示しつつ、低賃金の非正規雇用者を多く採用することで、相対的に訪問介護が高収益になりやすい構造を論じている。
このほか、訪問介護の数字が「好調」になった理由として、「7.8%」という数字には同一建物における訪問介護と、それ以外の訪問介護が混在している影響を指摘する意見も聞かれる。
以下、少し補足すると、訪問介護のビジネスでは、ヘルパーの移動時間を少なくすると、収益率が上がりやすくなる。言わば、空車時間を減らすと採算が改善するタクシーと同じ構造と言える。そこで、サービス付き高齢者向け住宅など同一建物に住む高齢者に対し、ヘルパーが短時間で数多くサービスを提供すると、それだけ収支差は改善する。
つまり、同一建物の訪問介護と、それ以外の通常の訪問介護では、収益構造が大きく異なる。このため、同一建物における訪問介護の報酬単価は通常よりも抑えられており、2024年度改定では同一建物に関するケアプラン(介護サービス計画)を作成する居宅介護支援事業所についても、同様の減額ルールが導入された。
しかし、統計上の分類は「訪問介護」で一括りされるため、実態以上に経営が好調のように見えたのではないか、という指摘であり、業界関係者からは「本来は(筆者注:同一建物に関して)対策済みなのに、さらに基本報酬を一律に引き下げてしまった点が問題」との声が出ている59。
実際、厚生労働省が2023年11月の介護給付費分科会に示した資料60に沿って、2021年の延べ訪問回数ごとに訪問介護事業所の収支差を見ると、回数が多い事業所の方が好調だった。具体的には、200回以下で▲1.5%、201~400回以下で2.3%であり、1,201~1,400回は6.7%、1,401~2,000回は6.9%、2,001回以上は8.8%という数字が示されている。
さらに、同じ日の審議会資料では、同一建物の減算を受けている事業者の収支差が8.5%であるのに対し、それ以外の事業者は5.3%という数字も出ていた。このため、同一建物の「好調」が影響した可能性は否定できない。
しかし、これでも「好調」という結果の理由付けとしては不十分である。一例を挙げると、全サービス平均の収支差が2.4%であるのに対し、同一建物減算を受けていない訪問介護事業所の収支差率も5.3%と高止まりしている。つまり、数字上に限れば、同一建物にとどまらず、業界全体として「好調」と言えなくもない61。
本稿は訪問介護を「好調」と見做す判断の是非とか、数字上は「好調」になっている原因を明らかにするのが目的ではないため、この程度で言及を留めるが、いくら訪問介護が「好調」だったとしても、それ自体が基本報酬引き下げに踏み切る理由にならない。例えば、財源の分配を考える時、基本報酬を維持しつつ、処遇改善の引き上げ幅を抑えることも可能だったはずである。
このため、厚生労働省の説明や理屈付けに納得できる面もあるが、それでも基本報酬引き下げに踏み切った理由が明快に説明されているとは到底、思えない。
55 例えば、2024年3月10日『朝日新聞デジタル』配信記事を参照。
56 2024年6月7日、同年5月13日、2023年12月20日の東京商工リサーチ『TSRデータインサイト』を参照。
57 例えば、高橋佑輔(2023)「2021年度(令和3年度)訪問介護の経営状況について」『WAM Research Report』、岡本真希子(2023)「訪問介護事業所の現状と課題」『JRレビュー』Vol.2 No.105を参照。
58 中村秀一(2024)「なぜ訪問介護は高収益か」2024年5月1日『社会保険旬報』No.2926を参照。
59 例えば、2024年2月23日『シルバー新報』における伊豆介護センターの稲葉雅之社長に対するインタピューを参照。
60 2023年11月6日、介護給付費分科会資料を参照。
61 もう一つの可能性として、恒常化する人材不足に伴って人件費の支出が減った影響を想定できる。実際、介護経営実態調査が公表された際、厚生労働省が「困難な人材確保による人件費の減少で支出が減少しているため、プラスになっているのではないか」と説明していた。2023年11月17日『シルバー新報』を参照。2023年11月16日の『ケアマネジメントオンライン』配信記事でも、厚生労働省の担当者に対する取材として、同様の見方が紹介されている。しかし、介護事業経営実態調査を基に、施設・事業所当たりの給与を見ると、2022年度決算ベースで217万5,000円であり、前年度比1.2%減にとどまっている。以上を踏まえると、人材不足が一部の事業者の経営に影響を与えていることは間違いないが、全体的な傾向を説明する材料になり得るか、微妙と言わざるを得ない。
(2024年06月12日「基礎研レポート」)
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- プロフィール
【職歴】
1995年4月~ 時事通信社
2011年4月~ 東京財団研究員
2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
2023年7月から現職
【加入団体等】
・社会政策学会
・日本財政学会
・日本地方財政学会
・自治体学会
・日本ケアマネジメント学会
【講演等】
・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)
【主な著書・寄稿など】
・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数
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