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2024年度トリプル改定を読み解く(上)-物価上昇で賃上げ対応が論点に、訪問介護は不可解な引き下げ

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳
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1――はじめに~2024年度トリプル改定を読み解く、物価上昇で賃上げ対応が論点に~
さらに、今回の改定では、物価上昇に伴って現場の専門職の賃上げ対応も大きな論点となり、近年よりも高いプラス改定率になった。これは長く続いたデフレ下では見られなかった事象であり、「潮目」の変化と理解できる。このほか、急性期病床の見直しなど医療提供体制改革とか、訪問介護の基本報酬カットなど、トリプル改定には多くの論点がある。
そこで、本稿では3回シリーズで、トリプル改定の論点を読み解く。第1回の今回は医療、介護、障害福祉の横断的なテーマとして、賃上げ対応が話題になった点を取り上げた上で、その結果や意味合いを考える。具体的には、賃上げに関する財源確保や方法などについて、与党や財務省、日本医師会による激しい攻防が交わされたため、その経緯を振り返る。さらに、診療報酬本体の改定率がプラスになった「見返り」のような形で、生活習慣病関係の加算見直しも決まったため、その内容も検討する。
このほか、訪問介護の基本報酬を引き下げる不可解な決定に対し、現場や業界団体の不満が渦巻いており、その経緯なども考察する。(中)では急性期病床や高齢者救急の見直し、多職種・多機関連携の促進など提供体制改革を医療、介護、障害福祉に渡って横断的に検討する。(下)では医師の超過勤務削減を目指す「医師の働き方改革」などの論点とか、審議会の議論をバイパスする動きが継続した点などをピックアップする。
2――トリプル改定の全体像
「全部が難しかった」――。トリプル改定の決着を受けた記者会見で、このように武見敬三厚生労働相は振り返った1。確かに今回の改定では、2年に1回の頻度で変更されている医療機関向けの診療報酬改定と、3年周期の介護報酬、障害福祉サービス報酬の見直しが6年ぶりに重なったことで、多様な論点が見直しの俎上に上った。さらに、改定率の調整に際しても、プラスに向かう流れとマイナスに繋がる議論が同時に展開され、複雑な様相となった2。
まず、プラス改定に向かう流れとしては、物価上昇に対応する賃上げが重要な論点になった。医療機関や介護・福祉事業所の場合、賃金や物件費は市場実勢の影響を受ける一方、収入の多くを公定価格である診療報酬、介護報酬、障害福祉サービス報酬に頼っており、他の産業のように価格に転嫁できない。その結果、インフレ局面では一種の逆ザヤ状態が生まれやすい。特に人手不足が顕著な介護・障害福祉でのテコ入れ策が課題となり、これは従来のデフレ下での改定とは大きく異なる展開だった。
言い換えると、長らく続いたデフレの下では、名目と実質が同じか、実質が名目を上回っていたが、物価上昇の長期化に伴い、実質が名目を下回る状況となり、実質ベースの賃上げ幅が論点になったわけだ。費用抑制を重視する健康保険組合連合会(以下、健保連)の松本真人理事は「我々が想定した以上に、賃上げや物価高騰に対応するべきという『風』があり、それは我々にとって向かい風で、診療側には追い風だった」と振り返っている3。
一方、財政健全化の観点に立ち、国の社会保障費の伸びを毎年5,000億円程度に抑制する方針が継続していたため、その整合性が問われた。さらに、岸田文雄政権が掲げる「次元の異なる少子化対策」で、「実質的な国民負担を増やさない」という方針が繰り返し強調された4ため、こちらの観点でも社会保障費を抑制する流れが強まった。つまり、プラス改定となる要因と、マイナス改定に向かう話が交錯し、全体としては「右向け左」と言わんばかりの難しい対応を強いられたわけだ。
こうした中、最終的に診療報酬本体はプラス0.88%、薬価は▲0.97%、材料価格は▲0.02%となった。さらに、本体部分では賃上げ分として、看護職員、病院薬剤師その他の医療関係職種について、プラス0.61%分の改定財源が確保されたほか、40歳未満の勤務医師、勤務歯科医師、薬局の勤務薬剤師、事務職員、歯科技工所などで従事する者の賃上げとして、プラス0.28%分も確保された。こうした改定に加えて、賃上げ促進税制などの活用も加味すると、ベースアップが2024年度でプラス2.5%、2025年度でプラス2.0%になると説明されている。このほか、インフレ対応の一環として、入院時の食費基準額を1食当たり30円引き上げるための財源として、プラス0.06%が増額された。食費基準額の引き上げは1997年度以来となる。
一方、介護報酬改定はプラス1.59%となった。このうち、介護職員の処遇改善でプラス0.98%、その他の改定率がプラス0.61%とされており、処遇改善加算の簡素化による賃上げ効果などを加味すると、プラス2.04%の増額になると説明されている。
障害者総合支援法に基づく障害福祉サービスの報酬に関しても、プラス1.12%となり、同じく処遇改善加算の見直し効果などを加味すると、プラス1.5%を上回る水準が確保されたとされている。
なお、上記の引き上げに要する必要な国費(国の税金)の概算は診療報酬で822億円、介護報酬で432億円、障害福祉サービスで162億円と見込まれている。
1 2023年12月22日、厚生労働省ウエブサイト「武見大臣会見概要」を参照。
2 トリプル改定の予算編成に関しては、2024年1月25日拙稿「2024年度の社会保障予算の内容と過程を問う(上)」を参照。
3 2024年6月1日『社会保険旬報』No.2929におけるインタビューを参照。
4 2024年度予算における少子化対策の財源確保に関しては、2024年2月14日拙稿「2024年度の社会保障予算の内容と過程を問う(下)」を参照。
今回の改定から診療報酬と介護報酬の一部について、改定時期が6月に切り替わった。これまで新体系は毎年4月からスタートしていたが、移行期間が短く、システム改修などに関する医療機関やベンダー会社の作業負担が重かったため、現場では「デスマーチ」(死の3月)などと呼ばれていた。
そこで、薬価を除く診療報酬は6月改定に切り替わった。介護報酬に関しても、医療との関係が深い訪問看護、訪問リハビリテーション、通所リハビリテーション、居宅療養管理指導に関しては、薬価を除く診療報酬と同様、6月に施行されることになった。
今回の注目点として、報酬改定の財源に「ミシン目」が入ったことである。特に複雑なのは診療報酬であり、そのイメージは図表1の通りである。具体的には、看護職員やリハビリテーション専門職などの賃上げとして0.61%、入院時の食費の値上げで0.06%が充てられることになった。このほか、上記を除く「改定分」と説明されている0.46%のうち、0.28%分については、40歳未満の勤務医や薬局勤務薬剤師、事務職員の賃上げ財源として見込まれている。つまり、賃上げは計0.89%分が確保されたことになる。
さらに、既述した通り、介護報酬や障害サービス報酬も、処遇改善の部分と、それ以外の財源が切り分けられた。
では、図表1のような形で複雑に改定財源が入り組んだのはなぜだろうか。これを理解する上では、改定率決着を巡る利害調整の過程を見る必要がある。以下、少し迂遠になるかもしれないが、昨年の政策決定過程を振り返る。
3――改定率を巡る攻防
賃上げ対応を巡る利害調整の難しさについては、2023年6月に閣議決定された「骨太方針(経済財政運営と改革の基本方針)」の検討過程に現れていた5。経済財政政策の方向性を示す骨太方針は経済財政諮問会議を中心に毎年6月頃に閣議決定されており、予算編成の「前哨戦」として、文言を巡って複雑な利害調整が交わされる。その過程では、経済財政諮問会議に提出された原案段階の文言が閣議決定の段階で修正されることがあり、2023年版でも文言の変化が見られた。
まず、6月7日の経済財政諮問会議に提出された原案では、「次期診療報酬・介護報酬・障害福祉サービス等報酬の同時改定においては、物価高騰・賃金上昇、経営の状況、支え手が減少する中での人材確保の必要性、患者・利用者負担・保険料負担の抑制の必要性を踏まえ、必要な対応を行う」と書かれていた。
要するに、前半ではインフレ対応や人材不足への配慮の観点で、診療報酬、介護報酬、障害福祉サービス報酬を引き上げる必要性が示された一方、医療・介護・福祉サービスの報酬を引き上げると、患者・利用者負担や保険料の増額に跳ね返るため、後半では「抑制の必要性」が言及されていたわけだ。
しかし、6月16日に閣議決定されたバージョンでは、トリプル改定に関して、「次期診療報酬・介護報酬・障害福祉サービス等報酬の同時改定においては、物価高騰・賃金上昇、経営の状況、支え手が減少する中での人材確保の必要性、患者・利用者負担・保険料負担への影響を踏まえ、患者・利用者が必要なサービスが受けられるよう、必要な対応を行う」という文章に変更された。
ここでの注目は「抑制の必要性」という文言が消え、「影響を踏まえ」という表現に変わった点である。つまり、費用抑制のニュアンスが少しトーンダウンした形となった。恐らく与党や関係団体の間で、物価上昇の影響に対する危機感が強く、費用抑制に繋がるような文言が修正されたと推察される。この辺りの経過を通じて、賃上げ対応に関する「風」の強さを見て取れる。
その半面、閣議決定版の文章では「令和6年度予算編成に向けた考え方」に沿って、歳出改革を進める旨も追記されており、歳出拡大を懸念する財務省の意向に沿う文言も盛り込まれていた。
要するに、骨太方針の検討過程では、引き上げを望む厚生労働省や与党、関係団体と、抑制を望む財務省の間で、トリプル改定に関して激しい攻防が水面下で交わされた結果、事実上の両論併記になったと言える。さらに、こうした意見対立は予算編成過程で表面化し、財務省と日本医師会(以下日医)の間で激しい攻防が交わされた。
5 骨太方針の記述から見える論点については、2023年10月24日拙稿「どうなるダブル改定、インフレ下で難しい対応」でも取り上げた。
その「号砲」となったのが2023年11月の財政制度等審議会(財務相の諮問機関、以下は財政審)に提出された資料だった6。この時の財政審で、財務省は「診療所の利益剰余金が積み上がっていることを踏まえ、診療所の報酬単価を引き下げ、保険料負担減・窓口負担軽減に繋げる必要がある」とする資料を提出した。
具体的には、新型コロナウイルス関係の補助金や診療報酬の加算による影響で、診療所の収益は過去2年間で12%増加する一方、経常利益率は3.0%から8.8%に急増していると指摘し、賃上げには利益剰余金を充てるように主張した。その後、同年11月の財政審建議(意見書)でも、「診療所の経常利益率(8.8%)が全産業やサービス産業平均の経常利益率(3.1~3.4%)と同程度となるよう、5.5%程度引き下げるべき」と踏み込んだ内容が盛り込まれた。
管見の限り、財務省は財政審に「高めのボール」を投げ込むことで、その後の利害調整を有利に運ぶ戦術を好む。このため、世間の耳目を集めるような内容のペーパーが財政審に提出されたこと自体、それほど意外とは言えない。
むしろ、関係者の注目を集めたのが「機動的調査」だった、これは都道府県に報告される決算データを集計した独自の調査であり、財務省の出先機関である財務局のネットワークを使って収集された。しかも、厚生労働省が診療報酬改定の際に用いる「医療経済実態調査」よりも多くのサンプル数を集め、診療所の経営を分析するとともに、暦年の変化も把握することで、上記の主張の裏付けとして使われた。その際、一部の都道府県では医療機関の決算データがオンラインで公開されておらず、財務局職員が「人海戦術」で紙ベースのデータを収集したようだ7。
6 2023年11月1日、財政制度等審議会財政制度分科会資料を参照。
7 機動的調査の進め方などについては、土居丈朗(2023)「『診療所の儲けは8.8%』と示した財務省の人海戦術」『東洋経済ONLINE』2023年12月4日に詳しく紹介されている。
(2024年06月12日「基礎研レポート」)
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- プロフィール
【職歴】
1995年4月~ 時事通信社
2011年4月~ 東京財団研究員
2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
2023年7月から現職
【加入団体等】
・社会政策学会
・日本財政学会
・日本地方財政学会
・自治体学会
・日本ケアマネジメント学会
【講演等】
・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)
【主な著書・寄稿など】
・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数
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