コラム
2024年05月07日

成長と分配の好循環に不可欠な中小企業の復活

総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也

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1――好循環の実現に不可欠な前向き感

1岸田政権の看板政策
「成長と分配の好循環」は、2021年10月の政権発足以来、岸田首相が掲げてきた重要政策である。この政策の実現メカニズムは、(1)家計所得の増加、(2)個人消費の拡大、(3)企業の適切な価格転嫁、(4)企業の収益拡大、(5)設備投資の増加であり、これが更なる賃金上昇につながり家計所得が増加し、新たな循環が始まるという経路となる。
[図表1]消費者物価(生鮮食品を除く総合) 2好循環の成否が掛かる正念場
マクロデータをみると、日本経済は好循環の輪の中には、まだ入り切れていない。
[図表2][図表2]賃金 まず、日本経済の基調を変える原動力となっているインフレを確認すると、消費者物価(生鮮食品を除く総合)は、2023年1月にピークを付けたあと緩やかに低下しつつも、日銀の物価安定目標2%を上回る水準で推移している[図表1]。日銀の植田総裁は、2024年2月22日の衆議院予算委員会に出席した際、現状を「デフレではなくインフレの状態にある」と表現し、3月19日の金融政策決定会合で17年ぶりの利上げに踏み切っている。日本経済の基調は明らかに変化して来たと言える。
[図表3]実質消費支出 一方、家計については、名目ベースの所得は増加しているものの、その増加ペースは物価の上昇ペースに追いついていない。実際、物価を加味した実質賃金は、2022年4月以降23ヵ月連続で前年を下回っている[図表2]。
[図表4]経常利益 これは、所得の実質的な目減りを意味しており、家計が生活防衛の意識を強める中、二人以上世帯の実質消費支出は、2023年3月以降12ヵ月連続で前年を下回っている[図表3]。今後は、物価上昇が一段落する中で、これまでの賃上げが徐々に効いて来ると期待されるが、現時点では、(1)家計所得の増加、(2)個人消費の拡大という好循環は、実現の途上にあると言える。
[図表5]設備投資(ソフトウェアを含む) 他方、企業については、法人企業統計ベースの経常利益(金融業・保険業を除く全産業)は、2023年4-6月期に過去最高を記録し[図表4]、国内企業の設備投資も、10-12月期の比較で過去最高を記録するなど、一見すれば好調にも見える[図表5]。
[図表6]価格転嫁率 しかし、好循環の持続性を左右する、企業の価格転嫁の状況を見てみると、必ずしもそうではないことが見えてくる。実際、帝国データバンクの調査によると、国内企業の価格転嫁率は、物価上昇が始まった2022年前半の4割程度から変わっておらず、これまでのコスト上昇分の大半は、企業の自助努力によって吸収されてきたことが分かるものとなっている[図表6]。
今後、経済のインフレ転換で、コストが継続的に上がるようになると、いま利益を出している企業も、いずれ業績面で困難に直面することが予想される。それまでに、(3)企業の適切な価格転嫁、(4)企業の収益拡大、(5)設備投資の増加といった、企業サイドの好循環を回すことが必要となるが、現時点では、こちらの好循環も十分に機能しているとは言い難い状態である。

全体として見れば、好循環に向けた環境は整いつつあるものの、その成果が感じられるまでには、あと一歩が足りていない。
3中小企業が 『カギ』 と言える理由
この不足する一歩を進めるには、日本全体にポジティブな雰囲気が醸成される必要がある。多くの家計や企業が、先々の明るい未来を描けるようになれば、家計は増えた所得を消費に回し、企業は力強い需要を背景として、賃上げや価格転嫁に応じやすくなると考えられるからである。

そのようなポジティブな雰囲気を全国に広げていくには、限られた人や企業が好調なだけでは十分ではない。戦後最長の好景気を作り出したアベノミクスでは、好景気の恩恵が大企業や都市部に留まり、中小企業や地方への恩恵が行き渡らなかったとの批判が多く聞かれたが、いま好循環の一押しに求められているのも、まさにこの地方からのボトムアップである。
[図表7]中小企業のプレゼンス このボトムアップを考えたとき、地方に広く存在し、多くの雇用者を抱え、地域社会の基盤となっている中小企業は、まさにうってつけの適任である。実際、中小企業が国内に占める割合は、企業数では99.7%、従業者数(臨時職員を含む)では69.7%、常用雇用者数では65.6%、付加価値では54.1%であり、「成長と分配の好循環」実現において中小企業が果たす役割は大きいと言える[図表7]。このボリュームゾーンの復活無くして、日本全体にポジティブな雰囲気が広がることはないだろう。

2――ボトムアップを図る中小企業政策

[図表8]労働分配率 1中小企業の現状
ただ、中小企業が置かれている環境は厳しい。法人企業統計から試算される中小企業の労働分配率をみると、製造業83.4%および非製造業75.9%と、全規模平均67.5%に比べて高くなっている[図表8]。労働分配率は、企業が生み出す付加価値が、どれだけ労働者に分配されているのかを示す指標であり、この数値が大きいほど労働者に対する分配が多いことを意味する。中小企業の場合、すでに稼いだ付加価値の多くは労働者に分配されている。ここから更に分配(賃金)を増やしていくには、原資となる利益の拡大がなければ始まらない。
[図表9]売上高営業利益率(全産業) しかし、中小企業の利益は、大企業に比べると薄く、長期的にも拡大していない。2023年第4四半期の売上高営業利益率(本業の儲け)は、資本金10億円以上の大企業が7.4%であるのに対し、資本金1千万円以上1億円未満の中小企業は3.1%に留まっている[図表9]。その推移を見ても、コロナ禍以降の上昇トレンドは、大企業ほど明確にはなっていない。このような中小企業の利益の押上げは、好循環の実現に欠かせないものとして大きく取り上げられるようになっている。
2価格転嫁 と供給改革の重要性
中小企業の利益率の改善は、好循環の実現を目指す政府にとって命題である。この課題に対して、政府は中小企業の価格転嫁を重視している。

政府は2021年9月、中小企業の価格転嫁の状況を把握するため、毎年9月と3月を「価格交渉促進月間」と設定し、主な取引先との価格交渉・価格転嫁の状況について、中小企業30万社を対象とした調査1を始めている。直近2023年9月の調査では、中小企業の直近6ヵ月間の全般的なコスト上昇分に対して、発注側がどれだけ価格転嫁に応じたかを算出した価格転嫁率が、前回調査比▲1.9%となる45.7%となった。その中で、とりわけ労務費の価格転嫁が進んでいない状況が明らかとなり、2023年11月には、内閣官房と公正取引委員会が連名で「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を公表し、発注側に労務費の転嫁協議を積極的に行うよう対応を求めている。

さらに、2024年4月には、公正取引委員会から「下請代金支払遅延等防止法(下請法)」の執行を強化する改正案が提示されている。同改正案では、労務費、原材料費、エネルギーコスト等が著しく上昇していることが明らかである場合、取引先が取引価格を据え置けば、同法が禁じる「買いたたき」に該当し得ることを明記している。これは、労務費の上昇分は、受注側の企業努力で吸収すべきとしてきた商習慣を大きく変えるものと言える。これらの取組みにより、どこまで価格転嫁が進んでいくかは定かでないが、賃上げの継続性が問われる来年に向けて、中小企業の取組みをサポートするものとなることは間違いないだろう。

ただ、労務費の転嫁は、生産性向上の取組みとセットで進めなければならないことに変わりはない。省力化や合理化の努力が伴わないコスト転嫁は、いずれ競争力を失ってしまう。そうでなくても中小企業には、人手不足、後継者問題、ゾンビ企業による過剰供給など、多くの課題が残されている。とりわけ将来の人口減少を踏まえれば、供給改革は不可避であり、DXや大規模化などにより生き残りを図っていかなければならない。最近では、政府の支援策も全体に広く薄くという在り方から、成長を目指す企業を重点的に支援する方向に移りつつある2。好循環の実現に向けては、公正な取引環境の整備と、中小企業による生産性改善の行方が、好循環の始まりや持続性を左右するカギとなりそうである。
 
1 中小企業庁「価格交渉促進⽉間(2023年9⽉)フォローアップ調査の結果について」(2024年1⽉12⽇)
2 小原一隆「中堅企業とは何なのか?~新たに始まる改正産業競争力強化法の支援~」ニッセイ基礎研究所(2024年2月29日)
 
 

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総合政策研究部   准主任研究員

鈴木 智也 (すずき ともや)

研究・専門分野
経済産業政策、金融

経歴
  • 【職歴】
     2011年 日本生命保険相互会社入社
     2017年 日本経済研究センター派遣
     2018年 ニッセイ基礎研究所へ
     2021年より現職
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

(2024年05月07日「研究員の眼」)

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