2024年03月15日

脱炭素と株主資本コスト-カーボンニュートラルの実現に向けた取り組みに対する評価

金融研究部 主任研究員・年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室・ESG推進室兼任 高岡 和佳子

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3当研究における株主資本コストの推計方法
当研究の目的は、株主資本コストを尺度に用いて、電力会社間のカーボンニュートラルに対する取り組みの差を投資家がどのように評価しているのかを確認することである。グリーン成長戦略において重要な役割を担う電力業界は、将来が過去とは大きく異なると見込まれるため、CAPMを用いて株主資本コストを推定することは不適切である。一方、2015年度頃から電力会社のPBRが常態的に1を下回り、2019年度頃からはROE(予想)の減少に呼応して一層下落している(図表4)。理論上PBRが1となる株価が清算価値なので、継続価値が清算価値を下回り、継続価値だけではなく清算価値も意識した価格で株式が売買され得る状況である。このため、継続価値の評価式である(式2)や(式3)を用いて推計した株主資本コストも不適切で、過小評価になる可能性高い。
【図表4】TOPIX-33 電気・ガス業インデックスのPBRの推移
そこで、PBRが1を下回る状況下では、清算価値も意識した価格付けが行われていることを前提に、(式2)を拡張したモデル(以下、拡張モデル)を用いて電力会社の株主資本コストの推計を試みる(図表5)。ROEが株主資本コストを上回る領域では拡張モデルは(式2)と全く同じだが、株主資本コストを下回る領域では、PBRとROEとの間に(式2)とは異なる関係式(以下、補助式)を用いる。なお、補助式は、以下の3つの条件を満たすよう設定した。

(1) 株主資本コストとROEが一致する時、補助式と(式2)は、水準・傾きともに一致する。
(2) 補助式はROEに対して単調増加である。
(3) いかなるROEに対しても、PBRは0を上回る(株価は負の値にならないため)。
【図表5】電力会社の株主資本コスト推計に用いる拡張モデルのイメージ
TOPIX及びTOPIX-33 電気・ガス業インデックスを例に、CAPMに基づく方法で求めた株主資本コスト、残余利益モデルを用いて推計した株主資本コスト、さらに拡張モデルを用いて推計した株主資本コストを比較する(図表6)5

まず、市場ポートフォリオに連動する部分に限りリスクに見合ったリターンが得られるという考えに基づき、過去データを用いて推計するCAPMでは、電気・ガス業の株主資本コスト(灰色の実線)は、全期間通してTOPIXの株主資本コスト(灰色の破線)より小さい。一方、投資家が将来のリスクとリターンを考慮して取引した結果である株価を基準に推計すると、2013年度は電気・ガス業の株主資本コスト(青色・赤色の実線)はTOPIXの株主資本コスト(青色・赤色の破線)より小さいが、2014年度はほぼ同水準になり、2015年度以降は、電気・ガス業の株主資本コストがTOPIXの株主資本コストを上回る。なお、2015年度の早い時期に、経済産業省は2030年度のエネルギー需給構造の見通しを含む「長期エネルギー需給見通し」を公表し、電気事業連合会等は2030年度に排出係数0.37kg-CO2/kWh程度とする目標を掲げる「電気事業における低炭素社会実行計画」を策定している。
【図表6】推計モデル別、株主資本コストの推移
次に、残余利益モデルを用いて推計した株主資本コスト(継続価値)と、拡張モデルを用いて推計した株主資本コスト(PBRが1を下回る状況下では、清算価値も考慮)を比較する。TOPIXの場合、概ねPBRが1を超えるため、推計結果に大きな差は生じない(青色の破線及び赤色の破線)。一方、近年PBRが常態的に1を下回る電気・ガス業の株主資本コストは、PBRが一層下落した2019年度以降に大きな差が生じている(青色の実線及び赤色の実線)。残余利益モデルを用いて推計した株主資本コストも2019年度に上昇しているが、上昇は限定的でかつ2019年度をピークに減少している。一方、拡張モデルを用いて推計した株主資本コストは、2019年度に大きく上昇し、僅かだが2021年度まで上昇し続けている。
 
5 CAPM及び残余利益モデルを用いた株主資本コストは、図表2と同様の方法で算出。拡張モデルを用いた株主資本コストは、推計対象年度内の月末毎時点のPBRの実績値と、その時点の予想ROEに対応するモデル上のPBRと乖離の合計が最小となる値を用いた。なお、期待収益率(g)は0%とした。

3――個社別推計株主資本コストの上昇と取組の分析

3――個社別推計株主資本コストの上昇と取組の分析

1分析の概要
本章では、大手電力会社を対象に拡張モデルを用いて個社の株主資本コストを推定し、その変化(被説明変数)を各社のカーボンニュートラル実現に向けた取り組み(説明変数)を回帰分析することで、それらの関係性の分析に努める。推計対象年度は、前章の分析で株主資本コストが大きく上昇した2019年度とその後2~3年経過した2021年度と2022年度とした。大手電力会社10社のうち1社は分析対象年度において一株当たり予想利益が把握できない期間があったため、それ以外の9社を対象に、それぞれ3年度分の株主資本コストを推計した。

各社のカーボンニュートラル実現に向けた取り組みとして、将来の取り組み(目標の高さ)と過去の取り組み、及び近年の取り組みの3つの軸で評価する。まず、将来の取り組みの代替変数として、各社の統合報告書等(2020年度)に記載される再生可能エネルギーの新規開発目標(対数変換値)を用いる。次に、過去の取り組みの代替変数として各社の2017年度排出係数(2018年度12月公表)を用い、近年の取り組み結果の代替変数として分析期間における排出係数減少幅を用いた。
2分析結果
まず、株主資本コストを推計した結果、株主資本コストの変化幅は、同じ大手電力会社であっても会社によって大きく異なることが分かった。2019年度と比べてほとんど変化していない会社もあれば、10%以上上昇している会社もあり、カーボンニュートラル実現に向けた取り組みに対する投資家の評価が影響している可能性がある。

大手電力各社の株主資本コストの変化幅とカーボンニュートラル実現に向けた取り組みの関係を分析した結果は、図表7の通りである。左半分が2年間(2019年度から2021年度)、右半分が3年間(2019年度から2022年度)の株主資本コストの変化幅と、カーボンニュートラル実現に向けた各社の取り組みとの関係を回帰分析により確認した結果である。上段の「〇」と「×」は、回帰係数の符号と積極的な取り組みとの整合性を表しており、積極的に取り組んでいるほど株主資本コストの増加幅が小さくなる場合は「〇」、そうでない場合は「×」とした。下段の星の数は回帰係数の統計的有意性を表しており、有意水準が1%、5%、10%、15%を下回る場合に、それぞれ4つ~1つの星を付与している。なお、星の数が多いほど、信頼できる結果である。

まず、回帰係数の符号と積極的な取り組みとの整合性については、3年間の株主資本コストの変化幅を将来の取り組みと近年の取り組みの二つの説明変数を用いて分析した場合を除き、すべて一致している。また、3年間の変化幅に対する分析では回帰係数の統計的有意性も高い。2022年度はロシアによるウクライナ侵攻による影響を受けている可能性があるが、その影響をほとんど受けていない2年間の変化幅に対する分析でも、一定程度の統計的有意性が確認できる。これより、やはりカーボンニュートラル実現に向けた取り組みに対する投資家の評価が、個社別の株主資本コストに影響していると考えられる。

次に、将来の取り組みと過去の取り組みに比べて、近年の取り組みは説明力が弱いことが分かる。カーボンニュートラル実現に向けた各社の取り組みは長期的に取り組むべき課題なので、当たり前の結論ともいえる。
【図表7】株主資本コストの変化と各社の取り組みとの関係

4――最後に

4――最後に

本稿では、グリーン成長戦略において重要な役割を担う電力業界に着目し、カーボンニュートラルの実現に向けた取り組みと投資家による評価の関係性を確認した。投資家による評価の尺度として、株主資本コストを用いたが、残念ながら、株主資本コストは直接観測することができない上、電力業界のPBRは1を大きく下回り、一般的な株式の価値評価において使用される継続価値を前提とした方法で、株主資本コストを推計することは不適切と考えられる。このため、PBRが1を下回る状況下では、清算価値も意識した価格付けが行われていることを前提に、拡張したモデルを用いて株主資本コストを推計した。

これを前提に大手電力会社を対象に、近年の株主資本コストの変化と各社のカーボンニュートラル実現に向けた取り組みとの間の関係性を確認したところ、分析対象企業数も限られるものの、統計的に有意な関係が有り、かつ短期的な成果よりも過去の長期的な取り組み及び将来に向けての目標の高さが投資家に重視されていることが分かった。まだ実現していない長期的な目標の高さが評価されている点は特筆に値する。多くの人がカーボンニュートラルの実現に向けた取り組みが必要だと考えている状況において、グリーン成長戦略において重要な役割を担う電力業界に対する期待の表れであろう。短期的に成果を上げる必要はないが、目標に向けた着実な取り組みに期待したい。
 
 

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金融研究部   主任研究員・年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室・ESG推進室兼任

高岡 和佳子 (たかおか わかこ)

研究・専門分野
リスク管理・ALM、価格評価、企業分析

経歴
  • 【職歴】
     1999年 日本生命保険相互会社入社
     2006年 ニッセイ基礎研究所へ
     2017年4月より現職

    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

(2024年03月15日「基礎研レポート」)

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