コラム
2024年03月05日

先端技術・品目流出の古今東西~国家の覇権争いと経済安全保障~

総合政策研究部 取締役 部長 清水 勘

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経済安全保障に注目が集まっている。近年、企業の保有する先端技術や先端品目が国外に流出したという報道をよく耳にするようになった。この背景には覇権を巡る国家間の攻防が関わっていることは一連の報道の通りである。その時々の先端技術、先端品目を手中に収めるか否かによって国家間の優劣が大きく変わることは、これまでも歴史が幾度となく証明してきた。

かつての覇権国家と聞いてまず思い浮かぶのは重商主義下の大英帝国、イギリスだろう。イギリスはその勅許会社であるイギリス東インド会社を通じて支配下にあったインドから宝石、香辛料や綿など様々な物資を手に入れたが、中でも綿はイギリスを第一次産業革命に導く上で重要な役割を担った1。当時のイギリスで衣類といえば、荒天から身を守るだけのごわごわとした羊毛製が中心であったが、そこに柔らかくデザインも自在なインドの綿が持ち込まれ、たちまち人気を博する。ただ人件費が高いイギリスではインドの様な人力機織りでは安価に綿布を生産できない。この壁を打ち破ったのが1784年にイギリスで発明された力織機である2。当初は水力、後に蒸気機関で稼働した力織機は、綿布の大量生産を可能とするイノベーション、先端技術であり、その後19世紀まで続くイギリスによる世界の繊維市場の寡占を支える原動となる3。インドはというと自らが供給した綿がきっかけで生まれたイギリスの先端技術によって自国の家内工業的な綿織物産業が衰退し、国としても綿布の輸出国から輸入国に転落し、イギリスとの貿易では赤字が続くという皮肉な顛末を迎えることになる4

一方、イギリスは中国との関係では恒常的な貿易赤字が続いていた。欧州の旺盛な需要を背景に中国から質の高い茶、磁器、絹を一方的に買い続けたためだ。16世紀頃に欧州に持ち込まれたこれら品々は上流階級にもてはやされたが、高価な上、調達は中国などからの輸入に頼らざるを得なかった5

当時、中国の磁器は欧州の技術では真似ができないほど質が高く、茶も中国など限られた地域でしか生育していない先端品目であり、厳しい輸出管理が敷かれていた。なかなか解消しない赤字に業を煮やしたイギリスはアヘン戦争(1839~42年)の発端となる三角貿易を興し、最終的に貿易相手国であるインドと中国に対して一人勝ちする。この時期に中国に渡り、外国人の立ち入りが禁じられている生育地から茶を持ち出したのがロバート・フォーチュンというプラントハンターだ。1848年にイギリス東インド会社に雇われた彼は茶の種や苗木を中国から持ち出し、イギリス東インド会社はそれをインドで栽培することで中国が牛耳る茶の牙城を崩すことに成功する。“The Great British Tea Heist”(イギリスの茶大強奪事件)と呼ばれる先端品目の流出で、中国はその手中にあった茶の権益の一部を失うことになる6,7

この様に他国から得た先端品目と独自のイノベーションにより覇権を掌握したイギリスは、とりわけ独自で開発したイノベーション、先端技術の漏洩には敏感で、様々な法律を制定して国外への技術流出を阻止し、自国の利権と優位性を守ろうとした。規制の範囲は外国への技術、製品の輸出や製図の持ち出し、更には職人の海外渡航にまで及んだという8

だが、農耕社会から抜け出せていない欧州大陸諸国も負けてはいられない。話は力織機が発明された18世紀後半に戻るが、その当時、どの国もイギリスから技術を手に入れようと躍起になっていた。中でも当時イギリスとライバル関係にあったフランスは、学術交流や技士派遣など様々な形でイギリスの先端技術を自国に持ち込んだ9。1776年にイギリスからの独立を勝ち取ったアメリカも同様にイギリスの技術を喉から手が出るほど必要としていた。1791年にアメリカ議会に提出された「製造業に関する報告書」では、「自国における新しい発明や発見を奨励し、他国でなされた発明や発見、特に機械に関する発明をアメリカに導入する」ことを目指すとして、著作者、発明者のみならず、それをアメリカに持ち込んだ紹介者も金銭的な報酬や一時的な独占的特権で報いることを表明している10。この報告書を作ったのは建国の父のひとりで初代財務長官のアレクサンダー・ハミルトンで、その内容は初代大統領ワシントンの意向を強く反映していたと言われる。ワシントンの知人であるトーマス・ディッジスは、この報告書の写しをイギリスの工場町にばら撒き、優秀なイギリス人技術者の引抜きに成功している。報告書提出のわずか2年後に制定された1793年特許法は、まだアメリカにおける非居住者の特許を認めておらず、海外の特許はその保護の対象外にあった11。これにより、特許料の支払いなど様々な特許権の縛りを気にせずに外国の発明を国内に持ち込むことができ、加えて同法で行われた特許審査の簡便化により、外国に帰属すると思わしき技術であってもアメリカの特許として通ってしまいやすい状況にあった12

進んでアメリカに渡ったイギリス人もいる。サミュエル・スレイターもそのひとりだ。水力紡績機の技術者に弟子入りして技術を学んだスレイターは、1789年にイギリスの渡航規制を逃れるために身分を偽ってアメリカに渡り、その翌年1790年にはイギリスで得た知見を用いてアメリカで初となる水力紡績工場をアメリカ北東部のニューイングランドに立ち上げて一代で財を築いた13,14。スレイターの死の数年前に本人を訪れた第7代大統領アンドリュー・ジャクソンは、スレイターを「アメリカ産業革命の父」と称賛したが、母国イギリスは"スレイターはトレイター(裏切者)/Slater the Traitor"と蔑んだ15。ボストンから車で1時間ほどのウェブスターという町には今もスレイターの記念碑があり、彼がアメリカで制作した紡績機は首都ワシントンのスミソニアン博物館に保管されている。余談だが、著名投資家ウォーレン・バフェットのバークシャー・ハサウェイ社も元はスレイターの同僚が興したニューイングランドの繊維会社だった16

アメリカは、技術を盗むだけではなく独自のイノベーションも生み出しながら繊維産業の発展を推し進めた。そのひとつが、機械で綿花から繊維を取り出す自動綿繰り機である。1793年にアメリカ人イーライ・ホイットニーが発明しその翌年に特許を得たこの機械により、従来、人の手で行っていた作業が機械化され生産性が10倍近く向上したという17。これにより南部沿岸に限られていた綿花プランテーションが西に拡がり後世のコットンベルトにつながる。1800年に年2万トン弱だったアメリカの綿花生産は50年後の1850年に年48万トンまで飛躍的に増加し、アメリカは世界最大の綿花生産国に登りつめる18,19。北東部ニューイングランドの紡績産業もこの勢いにのって大きく発展し、アメリカの更なる産業革命の進展に貢献した。

遥か昔の重商主義時代のできごとを現代になぞらえても当てはまることは多くない。ただ、こうして歴史を振り返ると、いつの世も大国の覇権の裏にはそれを支える先端技術や先端品目があるということ、それらを巡る争奪戦が追う側と追われる側で繰り広げられることが分かる。かつての茶を現代のレアアースや黒鉛に、或いは力織機を現代の半導体や半導体製造装置に置き換えて考えるとどうか。なぜアメリカは中国に制裁を課し、中国はアメリカの包囲網を掻い潜ってでも技術を手に入れようとするのか。

大国の狭間に立つ日本も他人事ではない。日本は羨望の的となるような先端技術や産品で溢れ、それらを虎視眈々と狙う勢力もいる。対策を打たなければ、技術、産品のみならず国富そのものが国外に流出することは歴史が証明している通りだ。

他に追い抜かれない為にも先ずは強固な守りが不可欠となる。2022年に経済安全保障推進法が成立し、今国会ではセキュリティ・クリアランス制度を創設する法案が閣議決定される等、先進諸国の中で遅れをとっていた日本の機密保護体制もいよいよ本格的に始動することになる。(セキュリティ・クリアランス制度については弊社鈴木智也准主任研究員著「日本のセキュリティ・クリアランス-求められる企業の経済安全保障対応」を参照頂きたい。)

ただ如何に強固な守りを以てしても一部の先端技術・品目は流出する。かつてイギリスや中国は流出防止に腐心したが、どちらも成功したとは言い難い。いずれ技術は真似されたり持ち出されたりすると考えるのであれば、その技術を踏み台にして相手が自分に追いつき追い抜く前に自らが更にその上を行く技術を発明、開発するしかない。先端と言われる技術もいつかは陳腐化し、より良い技術に代わる。この新陳代謝の流れで「新」が「陳(古い物)」となった時、それに代わる次の「新」を絶え間なく生み続けることこそ真の防御となる。その鍵を握るのが持続的なイノベーションの創出だ。

岸田政権は成長戦略の4本柱として、(1)科学技術・イノベーション、(2)「デジタル田園都市国家構想」などによる地方活性化、(3)カーボンニュートラルの実現、(4)経済安全保障を掲げる20

この取り組みを通じて、今あるイノベーションを持ち出されないように守りぬくこと(経済安全保障の強化)と、仮にそれが持ち出されても困らないように次のイノベーションを絶え間なく作り続けること(科学技術・イノベーションの推進)のふたつが表裏一体となって国富が守られ安定的に増え続けることを期待したい。
 
1 Cartwright, M. (2022, September 29). ‘Trade Goods of the East India Company World History Encyclopedia.’ Retrieved from https://www.worldhistory.org/article/2078/trade-goods-of-the-east-india-company/
2 Broadberry, Stephen and Gupta, Bishnupriya May, 2009 ‘Cotton textiles and the great divergence: Lancashire, India and shifting competitive advantage, 1600-1850’
3 Elias Beck March 2022 'Power Loom Invention in the Industrial Revolution' https://www.historycrunch.com/power-loom-invention-in-the-industrial-revolution.html#/
4 Roberto Bonfatti and Björn Brey August 2020 ‘Trade, Industrialisation, and British Colonial Rule in India’
5 Charlie Harris, Jamie Haworth, Christopher McKenna and Sai Mirthipati February 2023 ‘For all the Tea in China: The English East India Company’
6 Sarah Rose March 2010 ‘The Great British Tea Heist’
7 John Godfrey May 2017 ‘A Brief History of the British Plant Hunters’
8 Morgan Kelly, Kevin Hjortshøj O’Rourke November 2023 ‘Industrial policy on the frontier: lessons from the first two industrial revolutions’
9 Margaret Bradley January 2010 ‘Examples of industrial and military technology transfer in the eighteenth century’
10 Page42, ‘Report on Manufacturers’ https://en.wikisource.org/wiki/Page:Report_on_Manufactures_(Hamilton).djvu/42, https://en.wikisource.org/wiki/Page:Report_on_Manufactures_(Hamilton).djvu/43
11 Sarah R. Wasserman Rajec 2014 ‘Free Trade in Patented Goods: International Exhaustion for Patents’
12 Howard Bromberg 2009 ‘Patent Law, U.S., History of.’
13 Encyclopedia Britannica, https://www.britannica.com/biography/Samuel-Slater
14 The Smithsonian Institution, https://americanhistory.si.edu/collections/nmah_675085
15 Christopher Klein, January 2019
16 Douglus County Historical Society April 2019 ‘Berkshire Hathaway: The Company’s Origin’
17 The National Cotton Council, ‘The Story of Cotton’, https://www.cotton.org/pubs/cottoncounts/story/
18 Federal Reserve Bulletin May1923 https:/fraser.stlouisfed.org/files/docs/publications/FRB/pages/1920-1924/26396_1920-1924.pdf
19 Martin Kelly, July 2019 ’Historical Significance of the Cotton Gin’
20 首相官邸ホームページ https://www.kantei.go.jp/jp/headline/seisaku_kishida/seichousenryaku.html
 
 

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総合政策研究部   取締役 部長

清水 勘 (しみず かん)

研究・専門分野
経済政策研究担当

経歴
  • 【職歴】
    1987年に日本生命保険に入社。リーマンブラザーズ派遣、外務省派遣を経て国際投資部、ニューヨーク、シンガポールの各投資現地法人にて外国株式投資、外国債券投資、外国為替取引に従事。
    08年より米国保険現地法人CIOを担当した後、11年より特別勘定運用部長、14年より金融投資部長を歴任し、16年より現職。

(2024年03月05日「研究員の眼」)

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