2023年10月24日

改正ベトナム保険事業法(3)-契約総論(その2)

保険研究部 専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長 松澤 登

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1――はじめに

今回もベトナムにおいて大改正(2023年1月より施行)された保険事業法(Law on Insurance Business)の続き(3回目)を解説したい。

2022年保険事業法の英語版はベトナムの国会あるいは監督官庁である財務省としては出していないので、本稿は翻訳ソフトを使用してベトナム語を英語および日本語に翻訳したものをベースとしている。したがって正確に翻訳できていない可能性がある。これはこれまでと同様である。

本稿ではシリーズ3回目として保険事業法第2章保険契約(Insurance policy)の第1節保険契約総論(General policy regulations)の中盤部分(24条~27条)について述べることとする1

今回の解説部分は日本では保険法の取り扱う分野であり、ベトナム保険事業法と日本の保険法(一部は日本の保険業法)を比較しながら論じていきたい。なお、以降ではベトナム保険事業法を単に保険事業法と記載し、日本の保険法を単に保険法、日本の保険業法を単に保険業法と記載するのでご留意願いたい。また、保険事業法の本稿で取り扱う該当部分と保険法等のそれに対応する部分は保険会社と外国保険事業者の国内支店が対象となる条文だが、保険会社と外国保険事業者の国内支店を併せて保険企業等と呼称する。
 
1 前回のフォーカスで32条まで解説するとしていたが、内容が多くなりすぎるので今回と次回とで分割することとした。

2――保険契約の解釈 (24条~25条)

2――保険契約の解釈 (24条~25条)

1保険契約の解釈の原則(24条)
保険事業法24条は、保険契約に明確でない条項が含まれている場合には、異なる解釈が生ずる可能性があるため、その条項は保険契約者に有利な方向に解釈されると規定する。

―これはいわゆる「作成者不利の原則」というもので、ある契約条文の文意が不明確なため、条文の意味が一義的に定められない場合には保険契約者にとって有利に、保険者にとっては不利に解釈されるべきという国際的にみても一般的なルールである。このルールは保険契約に限らず一般的な契約においても適用される。日本では保険法あるいは民法にそのような規定は存在しないが、判例上言及されることがある2。なお、作成者不利の原則には文言の解釈以外の合理的な手段(制定の過程など)を勘案しても解釈が定まらない場合に適用するという考え方と、複数の文言解釈が可能であれば直ちに適用するという考え方がある3。保険事業法はその文言からみると後者であり、複数の文言解釈が可能であれば直ちに「作成者不利の原則」を適用するものと読むことができそうである4
 
2 山本哲生「作成者不利の原則について」(損害保険研究81巻4号)p2参照。
3 同上p5参照。
4 このことは米国における保険に関する判例と同じ立場である(同上)。
2|保険契約の無効(25条)
(1) 保険事業法25条1項は保険契約が無効になる場合を定めている。それは以下の通りである。なお、保険法では保険契約が無効とするといった条文の書き方を一般には行っていない(=取消や解除とする、あるいは条文解釈によって無効となる)ので、保険事業法に特徴的な規定となっている。

a) 保険契約締結時に保険契約者が被保険利益を有しないとき
―被保険利益とは「保険事故が発生することにより被ることのあるべき経済的利益」として定義される5。契約時点で被保険利益が存在することが要求されるのは、保険契約成立段階において、保険契約者に不当な利得が生ずる可能性を排除するための原則とされる。この原則は保険法3条の「損害保険契約は金銭に見積もることができる利益に限り、その目的とすることができる」という条文にあらわされており、日本でも保険事業法と同じ原則として規定されている。

b) 保険契約締結時に被保険者を有しないこと
―本条文の英訳文・和訳文ともに不明瞭で、上記a)と同様のことを異なる言葉で規定しているように見える。推測に過ぎないが、たとえば他人所有の財物に財産保険を付するようなケースを想定しているものと考える。したがってa)の一場面を規定していると思われ、日本法では上述保険法3条の規定がカバーしていると考える。

c) 保険契約締結時に保険事故が既に発生していることを保険契約者が知っているとき
―これは日本では遡及条項についての規定として説明される(保険法5条、39条、68条)。保険法では保険契約締結前の保険事故をも給付対象とする保険契約を締結する場合において、保険契約時点で保険契約者がすでに事故発生を知っている場合は、遡及して補償するという定めについては無効となるとされている。なお、遡及条項のない一般の保険契約では保険期間以前に発生した保険事故は保険契約者の知・不知にかかわらず、補償対象外である。保険事業法が遡及条項について規定しているわけではないとすると、日本とは異なる解釈を取っていると考えられる。

d) 保険契約の目的と内容が法に違反し、社会的倫理に反するとき
―たとえば保険金殺人を企図して他人を生命保険に加入させるようなことが考えられる。このような場合、保険法では重大事由による解除権を保険企業等は行使できる(保険法30条、57条、86条)。ただし、保険法では具体的に死亡させようとしたといった事情がないと適用できない点で保険事業法と異なる。ただ、そういった行動がなくとも加入時の状況等から死亡させようとする意図が明らかな場合は、日本では民法の公序良俗違反の契約として無効とすることも可能となる(民法90条)ので、法的な結論として日本とベトナムで相違はないものと考えられる。

e) 保険企業等と保険購入者が虚偽の保険契約を締結するとき
―保険法には該当する条文はないが、日本ではこのように保険者と保険契約者が通じて虚偽の法律行為を行うことは通謀虚偽表示として、民法94条1項により無効とされている。結論として日本とベトナムで相違はない。

f) 保険契約者が未成年、意思能力のない者、認知および行為能力の困難な者、行為能力に制限がある者が保険契約者であるとき
―これらの意思能力や行為能力に制限のある人の取扱いについては民法に規定がある(3条の2、5条、9条等)。保険法には該当する条文はないが、保険業法施行規則53条の7第2項では被保険者が15歳未満の場合は、保険金の限度額その他引受けに関する定めを設けなければならないとする。保険業法の規定は被保険者が未成年の場合の取扱いであるが、この場合に保険金額の設定に一定の基準を設けることを保険企業等に求めるものである。

g) 保険契約締結の目的を達成できない当事者により締結された保険契約。ただし、保険契約締結の目的が既に達成できた場合あるいは、当事者が直ちに事態を収束させて保険契約締結の目的を達成できるものとしたときはこの限りではない。
―目的達成が不能な場合の取扱いについては日本では民法542条に定めがある。この場合は、保険企業等あるいは保険契約者は、目的を達成できない契約相手方に対して催告を要せず、契約解除ができる。保険法には該当する条文はない。

h) 詐欺によって保険契約が成立したとき
―保険契約締結にあたって詐欺行為が行われた場合には、日本では民法96条によって詐欺の被害者は取消ができることとされている。他方、保険法では、保険金請求にあたって詐欺行為が行われた場合に契約解除できるとする規定がある(30条2号、57条2号、86条2号)。

i) 脅迫、威圧によって保険契約が成立したとき
―日本では保険契約者は民法96条によって取消ができることとなる。

k) 保険契約者が保険契約を締結することを知らず、かつ理解できていないとき
―これはそもそも保険契約者に契約意思が存在しないので、契約は不存在であると日本では解釈されるものと考えられる。

l) 保険証券が保険事業法18条(保険証券の発行)の要件を満たさないとき
―保険法では保険証券の発行は任意規定であるため、保険証券が保険契約の成立の有無には影響を及ぼさない。法定要件を満たさない保険証券の発行(あるいは未発行)が保険契約の無効事由となるのは保険事業法の特徴と言える。
 
(2) 保険事業法25条2項では、保険契約が無効の場合は、保険企業等は受領した保険料を払戻しなければならない。また、損害を生じさせた当事者はその損害を賠償しなければならないとする。

―保険事業法では取消や解除といった契約当事者の意思表示を必要としないような書きぶりになっている。ただ、実務的には保険企業等または保険契約者からの無効主張により、手続が進むことになると思われる。無効になった場合は、日本でもそれぞれの制度の趣旨に基づき払込済保険料の返還あるいは解約返戻金などの支払が行われるので、日本と大きな相違はないと考える。
 
5 山下友信「保険法」(有斐閣、2005年)p247参照。

3――保険契約の効力(26条~27条)

3――保険契約の効力(26条~27条)

1|保険契約の一方的終了(26条)
保険事業法26条1項では、以下の場合、保険企業等または保険契約者は保険契約を一方的に終了(=日本の民法における解約または解除)させることができるとする。

(1) 保険契約者が合意された期間内に保険料を支払わず、または更新された期間内に保険料を支払わないとき(1項)
―保険料支払いが行われなかったときの保険企業等からの解約権である。日本では民法541条によって債務不履行による解除が認められている。日本における一般的な保険約款では、月払い契約において、保険料払込期月に続き、猶予期間である翌月いっぱいまで保険料支払いがない場合に「失効」という制度により保険契約の効力を失わせるのが通常である。失効した場合、3年以内に一定の条件の下で復活できる制度が日本の保険会社にはあるが、そのような定めがベトナムに存在するかどうかは保険事業法からは明確でない。

(2) 保険企業等が保険事業法23条に定めるリスク変動に関する定めに従わなかったとき(2項)
―この条項はリスクが減少した場合に、保険契約者からの保険料減額等の要請に対して保険企業等が応じなかった場合の解除権を付与したものと考えられる。日本の保険法では著しいリスクの減少について保険料の減額に関する請求権がある (11条、48条、77条)ので、保険企業等が応じなかった場合には同様の結論(債務不履行による解除)になると考えられる。

(3) 被保険者が保険事業法55条(火災防止、労働衛生)に定める被保険者の安全対策を実施しなかったとき(3項)
―この条文は保険事業法独特のものであり、日本に同様の規定は存在しない。一般的には、日本で危険な状態を放置したことにより保険金が支払われないのは保険契約者等の故意・重過失があった場合に限られる(保険法17条等)ので、安全対策を実施しなかっただけで保険契約を終了させることは難しいと考えられる。

(4) 保険契約の移転が行われる場合に、移転に同意しなかったとき(4項)
―日本では、保険業法137条により保険契約移転にあたって保険契約者は契約移転に異議を述べることができ、実際に移転がなされた場合においては解約をする旨を申立てた保険契約者に対しては、移転時に積み立てた金額と未経過保険料を支払うこととされている。
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保険研究部   専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長

松澤 登 (まつざわ のぼる)

研究・専門分野
保険業法・保険法|企業法務

経歴
  • 【職歴】
     1985年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所 内部監査室長兼システム部長
     2015年4月 生活研究部部長兼システム部長
     2018年4月 取締役保険研究部研究理事
     2021年4月 常務取締役保険研究部研究理事
     2024年4月より現職

    【加入団体等】
     東京大学法学部(学士)、ハーバードロースクール(LLM:修士)
     東京大学経済学部非常勤講師(2022年度・2023年度)
     大阪経済大学非常勤講師(2018年度~2022年度)
     金融審議会専門委員(2004年7月~2008年7月)
     日本保険学会理事、生命保険経営学会常務理事 等

    【著書】
     『はじめて学ぶ少額短期保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2024年02月

     『Q&Aで読み解く保険業法』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2022年07月

     『はじめて学ぶ生命保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2021年05月

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