2023年09月27日

改正ベトナム保険事業法(2)-契約総論(その1)

保険研究部 専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長 松澤 登

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1――はじめに

今回もベトナムにおいて大改正(2023年1月より施行)された保険事業法(Law on Insurance Business)の続き(2回目)を解説したい。

2022年保険事業法の英語版はベトナムの国会あるいは監督官庁である財務省としては出していないので、本稿は翻訳ソフトを使用してベトナム語を英語に翻訳したものをベースとしている。したがって正確に翻訳できていない可能性がある。これは前回同様である。

本稿ではシリーズ2回目として保険事業法第2章保険契約(Insurance policy)の第1節保険契約一般規則(General policy regulations)の前半部分について述べることとする。本稿でも重要な条文のみに触れることとし、技術的な条文などは割愛する。

今回の解説部分は日本の保険法の取り扱う分野であり、ベトナム保険事業法と日本の保険法を比較しながら論じていきたい。なお、以降ではベトナム保険事業法を単に保険事業法と記載し、日本の保険法を単に保険法、日本の保険業法を単に保険業法と記載するのでご留意願いたい。また、保険事業法の該当部分と保険法等の該当部分は保険会社と外国保険事業者の国内支店が対象となる条文だが、保険会社と外国保険事業者の国内支店を併せて保険企業等と呼称する。

2――保険契約一般(15条~21条)

2――保険契約一般(15条~21条)

1保険契約の種類・保険の原則
(1) 保険契約の種類
保険事業法15条は保険契約の種類を列挙している。すなわち、1)生命保険契約(life insurance policies)、2)医療保険契約(health insurance policies)、3)財産保険契約(property insurance policies)、4)賠償責任保険(failed insurance policy)、5)保証責任保険(contract of liability policy)である。うち3)~5)は損害保険に属する(15条1項)。4)と5)については、英文訳の正確性に確信がないが、4)が他人への責任を負った際の賠償責任保険で、5)は保険の形態をとった債務保証契約、すなわち保証保険商品を指すものと思われる。
(2) 保険の原則
保険事業法16条は保険契約の締結と履行は民法(civil law)の原則と下記の原則に従わなければならないとする。すなわちイ)最大誠実原則(absolute honesty principle):保険契約に加入し、履行される過程において相互への信頼をもととして、保険者と保険契約者は最も真摯な形で情報を提供し、権利及び義務を実行しなければならない(保険事業法16条1項)。ロ)利益補償可能原則(principle of interest can be covered):保険契約者は法律で定められた保険の種類に応じて、保険から利益を得る権利を有する(同条2項)。ハ)補償原則(利得禁止原則):保険金受取人が受け取る補償額は、別途保険契約で定めていない限り、保険事故により生じた実際の損害額を超えないものとする(同条3項)。ニ)権限の原則(principle of power):被保険者は保険企業等に対して、第三者の損害行為について質問する権利を委任する責任があり、および加害者は保険金額の範囲内で保険企業等に支払責任を有する。ただしこの原則は生命保険、医療保険には適用されない(同条4項)。ホ)リスクの偶然性原則(random risk principle):保険対象となるリスクは、予期、予見されないものでなければならない(同条5項)。
(3) 保険の原則についての解説 
イ) 最大誠実原則とは、特に英米法において保険の最高信義 (utmost good faith)性と呼ばれているものを条文化したものと思われる1。これは保険給付が偶然の出来事によって行われるという、いわゆる射幸契約性を有することから、契約の締結等にあたっては契約両当事者に対して最高信義(最大誠実)が求められるとする原則である。保険法にはこのような条文は存在しない2が、学説では保険契約者の告知義務(保険法4条、37条、66条)の根拠であるとして論じられることがある。

ロ) 利益補償可能原則とは被保険利益のことを指していると思われる。被保険利益は、保険法では「保険事故が発生することによる被ることのあるべき経済的利益」3とされる。簡単に言えば、建物の所有者は建物という経済的利益を有しており、火災によりその価値(利益)が失われるがゆえに、火災保険に加入できるということである。日本における議論としては、特に損害保険においてこの被保険利益があることが、その契約成立の不可欠の要素とされる。より具体的には、保険法3条では「損害保険契約は、金銭に見積もることができる利益に限り、その目的とすることができる」としており、被保険利益のない損害保険契約は無効であることが示されている。

ハ) 補償原則とは利得禁止原則のことと考えられる。保険契約によって、不当な利得を得ることを禁止する原則のことである。日本でも保険の目的物の価額が設定保険金額を下回っている場合でも損害額(≦目的物の価額)しか支払われないのが原則4である。そして、そのうえで保険法9条(超過保険)では、設定保険金額が保険対象物の価格等を超過していることについて善意無重過失の保険契約者は超過部分を取消す請求権を付与されており、その請求権を保険契約者が行使した場合には遡って超過部分が無効になるとの規律が入れられている。日本の場合は一律に禁止せず、建物の再築費用を保障額とするような正当な理由がある場合は有効とすることにしている。

ニ) 権限の原則は、英訳文が非常にわかりにくい。条文の前半は保険事故の加害者に対して、被害者に代わって質問する権利を保険企業等に与えること、および条文の後半は加害者が保険金額の範囲で保険企業等に支払責任を負うこと、すなわち請求権代理のことを指していると思われる。日本における請求権代理に関する条文としては、保険法25条が、保険企業等が損害保険において保険金を支払ったときは、被保険者が取得した債権(たとえば被害を受けた財産に関する損害賠償請求権)を、保険企業等が被保険者に支払った保険金の範囲内で行使(=代位)するものとしている。条文の前半の質問権は保険事業法の特徴的なものと思われる。

ホ) リスクの偶然性原則とは、保険事故が発生済であるとか、特定の日時に事故が発生することが確定しているものには保険を付すことができないことを指す。日本の通説では「他方当事者の偶然の事実の発生による経済的損失を補てんする給付」が保険契約の要素とされている5。法律上では、保険法2条6号によって、損害保険を「保険者が一定の偶然の事故によって生ずる損害」をてん補するものと定義している。
 
保険事業法17条は約款に記載すべき事項が列挙され、18条は書面で保険証券を発行しなければならないという規定がある。また19条は保険担保から除外するケースに明示しなければならないという規定であるが、いずれも論点が少ないため省略する。
 
1 山下友信「保険法」(有斐閣、2005年2月)p284参照。
2 このような原則が法律に入らなかった経緯については、萩本修「一問一答保険法」(商事法務、2009年5月)P37参照。
3 前掲注1 p247
4 なお、火災保険では新価保険という、建物の時価(経年劣化により下落)ではなく、建築時の価格(=新価)で契約するケースが日本では多い。合理性のある場合には超過保険を認めるという趣旨である。
5 前掲注1 p6参照。
2|保険企業等の権利義務
(1)保険企業等の権利
保険企業等の権利は以下の通りである(保険事業法20条1項)。「―」以下は保険法・保険業法と比較した解説である(以下、3|も同様)。

a) 保険契約で約定した保険料を収受すること:
―保険法2条1項は保険契約そのものの定義を「保険料を支払うことを約する契約」と規定していることから、保険企業等の権利として保険事業法は保険法と同一趣旨が定められていると考えられる。

b) 保険契約の締結と履行に必要なすべての情報を、十分かつ誠実に保険契約者に聴取すること:
―保険企業等の情報収集については保険法4条、37条、66条に「告知義務」として規定されている。保険法における「告知義務」はイ)「危険に関する重要な事項」であって、ロ)「保険者になる者が告知を求めたもの(=質問応答義務)」について生ずるとされている。保険事業法ではこのイ)に相当する文言が「必要なすべての情報」となっているので「告知義務」より広いようにも見うる。しかし、下記(2)a)にある通り、保険企業等はリスク等について書面で回答を求めることが義務とされている(=ロ)に相当する部分)。これは保険法同様の「質問応答義務」であり、保険企業等が質問した事項に限って回答義務が生ずることから、保険企業等の質問の設定の仕方にもよるが保険法と保険事業法の相違はさほど大きくないものと想定される。

c) 告知義務違反による契約解除、保険料未払い等による契約履行の一方的解約をすること:
―日本では告知義務による契約解除は保険法28条、55条、84条に規定されている。保険料未払いによる解除は民法541条に基づく。ただし、特に生命保険契約に関して、日本では失効制度という制度を取る生保会社が多い。保険の効力を失わせるが、後日、一定の条件をもとに保険契約をもとに戻せる(復活という)というものである。このような制度がベトナムに存在するかどうかは不明である。

d) 保険契約で保険責任から除外された事故について保険金支払いを拒絶すること:
―保険法では特段の規律はないが、これは保険契約締結にあたって不担保としたものに事故が発生しても保険金が支払われないことが当然であるためと考えられる。

e) 保険契約者に法律で要請される損害を防止又は限定する方策を取るべきことを要求すること:
―保険法13条では保険契約者等の損害の防止義務が規定されている。ただし、この条文は損害防止義務を「保険事故が発生したことを知ったとき」に限定しており、保険事故発生以降の義務となっている。保険事業法は損害防止義務を制限なしに課しているため、条文のみの比較では保険事業法の方がカバー範囲は広いと考えられる。

f) 保険契約履行による財産損害、経済的利益や義務または法による義務により被保険者に補償を行ったときに第三者に対して補てんを要求すること:
―保険法25条の請求権代位と同じものと考えられる。損害保険会社が被保険者に支払った保険金の範囲内で加害者に補てんを要求できるとするものである。あわせて上述1|のニ)を参照。

g) 法律で定められた他の権利
 
(2) 保険企業等の義務
保険企業等の義務は以下の通りである(保険事業法20条2項)。

a) 保険契約者に書面による保険金請求書を提供し、また保険のリスク、目的、規則、条件についての質問書(questionnaire)を提供すること:
―英訳文の意味が非常にあいまいであるが、筆者としては、おそらく保険企業等が保険契約者に対して、契約上のルール、契約条件に照らして、保険のリスク、保険の目的物について書面で問い合わせることを目的としたものと理解しておきたい6。上記(1)b)に対応するものと考える。日本で該当するのは告知義務であるが、保険法では告知のやり取りは書面でなければならないという法的制限はない(電磁的方法でもよい)。ただし、保険企業等が質問し、保険契約者が回答するということは、ネット保険事業者等を除けば通常は書面によって行われると思われる。

b) 保険契約者に対して明確かつ十分に、保険金、保険の免責、保険契約加入による保険契約者の権利と義務に関して説明すること:
―保険法には定めがないが、保険業法294条に保険企業等から保険契約者等への情報提供義務が定められており、これと同趣旨の規定と考えられる。

c) 保険事業法18条に定める保険証券を保険契約加入の証拠として保険契約者に提供すること:
―保険法8条、40条、69条は保険企業等が保険証券を保険契約者に提供すべきことを定めており7、これらと同趣旨の規定と考えられる。

d) 保険証券と該当法令にしたがって保険契約者に保険料請求書を発行すること:
―保険料の請求書交付を義務することは保険法では定められていない。保険事業法に特徴的な条文である。

e) 保険事故発生時に補償し、あるいは保険金を支払うこと:
―保険法2条1号は保険契約の定義として「財産上の給付を行うことを約」するものであるとしていることから同様の義務を規定していると考えられる。

f) 補償または保険金の支払いを拒絶した際に書面で説明すること:
―この点については保険法に規定がない。ただ、実務では、保険事故に相当する事案があって、保険金支払いを拒絶する場合は、後日の証拠という意味も含めて書面あるいは電磁的にその理由を示すだろうから、結果的に違いはないと言えそうである。

g) (英訳文意不明)

h) 法律に則り保険契約の記録を保管すること:
―この点について、保険法に同様の規定はない。ただし、保険法では保険契約の請求権の時効が3年間(95条1項)であり、また請求書などの税務上の保管期限が7年(法人税法施行規則第67条の2)なので、日本では少なくともこれらの期間は保管されているものと思われる。

i) 政府からの要請または保険契約者・被保険者の同意がある場合を除き、保険契約者と被保険者から提供された情報の秘匿:
―日本における情報の秘匿は個人情報保護法27条(第三者提供の制限)、および保険業法施行規則53条の8(個人顧客情報の安全管理措置等)に定められている。なお、保険事業法で政府からの要請で情報を提供できるとされている点に関連して、ベトナムにおいてどのような政府要請がなされるのかが不明である点に留意が必要である8

j) (英文訳に記載がない)

k) 法律で定められた他の義務
 
6 別の翻訳ソフトでベトナム語⇒日本語に訳した内容も踏まえて約している。
7 ただし、保険法の規定は任意規定である(=発行しなくてもよい)。
8 日本では「国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき」に限定されている(個人情報保護法27条1項4号)。
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保険研究部   専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長

松澤 登 (まつざわ のぼる)

研究・専門分野
保険業法・保険法|企業法務

経歴
  • 【職歴】
     1985年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所 内部監査室長兼システム部長
     2015年4月 生活研究部部長兼システム部長
     2018年4月 取締役保険研究部研究理事
     2021年4月 常務取締役保険研究部研究理事
     2024年4月より現職

    【加入団体等】
     東京大学法学部(学士)、ハーバードロースクール(LLM:修士)
     東京大学経済学部非常勤講師(2022年度・2023年度)
     大阪経済大学非常勤講師(2018年度~2022年度)
     金融審議会専門委員(2004年7月~2008年7月)
     日本保険学会理事、生命保険経営学会常務理事 等

    【著書】
     『はじめて学ぶ少額短期保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2024年02月

     『Q&Aで読み解く保険業法』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2022年07月

     『はじめて学ぶ生命保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2021年05月

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【改正ベトナム保険事業法(2)-契約総論(その1)】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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