2023年09月26日

気候変動とダニ媒介感染症-極端な気象は、感染症にどのような変化をもたらすのか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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3――IPCC報告書に見るダニ媒介感染症等

IPCC報告書では、ベクター媒介感染症として、蚊による媒介とともにダニによる媒介の感染症が取り上げられている。“ベクター”は、それ自身は病原体ではないが、病原体をある宿主から他の宿主へ運んで感染症を媒介する生物を指す。ダニ媒介感染症の多くは、人がダニに咬まれることで感染する。ダニを齧歯類が運ぶ(齧歯類がベクターの媒介をする)ケースもあり、気候変動との関係は複雑化している。IPCC報告書等を参考に見ていこう。
1|ダニ媒介感染症の拡大は気温上昇との関係が見出されている
(1) ライム病
IPCC報告書では、気候変動はライム病ベクター蔓延に寄与しており、北米でのライム病の増加(確信度は高い)や、ヨーロッパでのライム病およびダニ媒介脳炎の蔓延 (同中程度)が生じているとしている。

カナダのオンタリオ州で2014~16年に行われた気温とクロアシマダニや病原体の地理的範囲に関する調査によると、最近の地理的広がりの間に強い相関関係が確認されているという。具体的には、地理的範囲の前線が1年に46キロメートルのスピードで北上している。ダニのコロニー形成は、より遅く不均一なスピードで移動しているという。9
 
9 Clow, K.M., et al., 2017: Northward range expansion of Ixodes scapularis evident over a short timescale in Ontario, Canada. Plos One, 12(12), doi:10.1371/journal.pone.0189393.
(2) ダニ媒介脳炎
また、チェコで2001~06年に報告された4044件のダニ媒介脳炎の分析によると、媒介生物であるIxodes ricinusというマダニ(主に幼虫)の活動は、気温が高いときに活発であったという。実際に、地上付近の温度が 5℃超で、標準的な日平均気温と週間平均気温が15℃超の場合、幼虫の相対的な割合とそれらが発見された週数は、春から夏に比べて夏から秋の方が多かった。10 北欧で1950~2018年の気温とIxodes ricinusのライフサイクルを比較した調査もある。それによると、スウェーデン中部、バルト諸国およびフィンランドの一部で気温の上昇とともに、産卵と孵化の速度が上がっていた。また、同地域やノルウェー西部の広い地域で、脱皮速度が上昇することが観察されたという。11
 
10 Daniel, M., et al., 2018: Increased relative risk of tick-borne encephalitis in warmer weather. Front. Cell. Infect. Microbiol., 8, doi:10.3389/fcimb.2018.00090.
11 Estrada-Peña, A. and N. Fernández-Ruiz, 2020: A retrospective assessment of temperature trends in Northern Europe reveals a deep impact on the life cycle of Ixodes ricinus (Acari: Ixodidae). Pathogens, 9(5), doi:10.3390/ pathogens9050345.
2|齧歯類による媒介感染症にも気候変動が関係している
(1) ピロプラズマ症 (家畜伝染病)
主に牛などの家畜に感染するピロプラズマ症の病原体であるタイレリア原虫は、マダニによって媒介される。この病原体のトガリネズミ等の齧歯類への感染動向を調べたものもある。ケニアのライキピア郡で2011年に行われた調査によると、降水が多い時ほど病原体のタイレリア原虫に感染した齧歯類の数が多かった。ただし、その関連は、農村の土地利用タイプによって異なっていたという。12
 
12 Young, H.S., et al., 2017: Interacting effects of land use and climate on rodentborne pathogens in central Kenya. Philos. Trans. Royal Soc. B Biol. Sci., 372(1722), doi:10.1098/rstb.2016.0116.
(2) (参考) 腎症候性出血熱(HFRS)
ダニ媒介感染症ではないが、ラットなどの齧歯類が媒介するハンタウイルスに起因する腎症候性出血熱(HFRS)13の伝播にも、気候変動が関係しているとの研究が数多くなされている。中国で、1998~2013年に公表された21の調査のメタ分析によると、気温、降水、湿度は作物の収量、齧歯類の繁殖パターン、病気の伝播に影響を与える可能性があるという。14 また、モンテネグロで、2004~14年に報告されたHFRSの106件の症例研究によると、気温の上昇や降水の減少と感染数の間に相関が見られたという。15
 
13 HFRSは、Hemorrhagic Fever with Renal Syndromeの略。HFRSには、軽症から重症まで様々な段階があるが、重篤な症状としての腎不全の存在に注意する必要がある。軽症型では上気道炎症状と微熱、軽度の蛋白尿と血尿が見られる程度で終わることが多いが、重症型では、有熱期、低血圧・ショック期(4-10日)、乏尿期(8-13日)、利尿期(10-28日)、回復期に分けられる。HFRS患者の約1/3は、出血傾向を伴う。重症型の致命率は3~15%である。日本では、1980年代まで、感染者や死者が出ていた。感染症法の施行された1998年12月以降は、国内での患者発生は確認されていない。(「腎症候性出血熱とは」(国立感染症研究所HP)をもとに、筆者作成)
14 Hansen, A., et al., 2015: Transmission of haemorrhagic fever with renal syndrome in china and the role of climate factors: a review. Int. J. Infect. Dis., 33, 212–218, doi:10.1016/j.ijid.2015.02.010.
15 Vratnica, Z., et al., 2017: Haemorrhagic fever with renal syndrome in Montenegro, 2004–14. Eur. J. Public. Health., 27(6), 1108–1110, doi:10.1093/ eurpub/ckx149.

4――おわりに (私見)

4――おわりに (私見)

本稿では、ダニ媒介感染症を概観するとともに、気候変動問題がその感染拡大に与える影響について見ていった。現在、世界各国で、気候変動とさまざまな感染症の関係に関する調査、研究が進められているが、感染拡大への影響は複雑で未解明な部分も多い。しかし、気候変動と感染症の関係を解き明かすことは、今後の健康や病気の問題の大きなテーマになることが考えられる。

国内外のさまざまな研究の進展状況について、引き続き、ウォッチしていくこととしたい。

(参考資料)  [IPCC報告書における参考文献は、そのままの形で記載]
 
“Climate Change 2022: Impacts, Adaptation and Vulnerability”(IPCC WG2, 2022) (=「IPCC報告書」)
 
「ダニを知る」(アース製薬, 害虫駆除なんでも事典)
 
「マダニにご注意! ~マダニQ&A~」(東京都健康安全研究センターHP)
https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/kj_kankyo/madani/
 
「感染症の話-クリミア・コンゴ出血熱」(国立感染症研究所, 感染症発生動向調査週報, 2002年第31週(7月29日~8月4日(通巻第4巻 第31号)
 
「ダニ媒介感染症」(厚生労働省HP)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164495.html
 
「ライム病」(東京都感染症情報センターHP)
https://idsc.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/diseases/lyme/
 
「マダニ感染、最多ペース 死亡例も - 草むらに生息、北日本に分布拡大 肌露出控えて」(日本経済新聞, 2023年9月5日)
 
「発生動向調査年別一覧(全数把握) - 四類感染症(全数)」(国立感染症研究所HP)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/ydata/11529-report-ja2021-20.html
 
「IDWR感染症週報 2022年第51,52合併号」(国立感染症研究所)
 
Clow, K.M., et al., 2017: Northward range expansion of Ixodes scapularis evident over a short timescale in Ontario, Canada. Plos One, 12(12), doi:10.1371/journal.pone.0189393.
 
Daniel, M., et al., 2018: Increased relative risk of tick-borne encephalitis in warmer weather. Front. Cell. Infect. Microbiol., 8, doi:10.3389/fcimb.2018.00090.
 
Estrada-Peña, A. and N. Fernández-Ruiz, 2020: A retrospective assessment of temperature trends in Northern Europe reveals a deep impact on the life cycle of Ixodes ricinus (Acari: Ixodidae). Pathogens, 9(5), doi:10.3390/ pathogens9050345.
 
Young, H.S., et al., 2017: Interacting effects of land use and climate on rodentborne pathogens in central Kenya. Philos. Trans. Royal Soc. B Biol. Sci., 372(1722), doi:10.1098/rstb.2016.0116.
 
「腎症候性出血熱とは」(国立感染症研究所HP)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/416-hfrs-intro.html
 
Hansen, A., et al., 2015: Transmission of haemorrhagic fever with renal syndrome in china and the role of climate factors: a review. Int. J. Infect. Dis., 33, 212–218, doi:10.1016/j.ijid.2015.02.010.
 
Vratnica, Z., et al., 2017: Haemorrhagic fever with renal syndrome in Montenegro, 2004–14. Eur. J. Public. Health., 27(6), 1108–1110, doi:10.1093/ eurpub/ckx149.
 
 
(筆者の過去の関連稿)
 
気候変動と蚊媒介感染症-極端な気象は、感染症にどのような変化をもたらすのか?」篠原拓也(ニッセイ基礎研究所, 基礎研レター, 2023年9月12日) (=「前回の稿」)
 
気候変動と非感染性疾患(NCD)-極端な気象は、生活習慣病にどのような影響をもたらすのか?」篠原拓也(ニッセイ基礎研究所, 基礎研レター, 2023年8月25日)

 
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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

(2023年09月26日「基礎研レター」)

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