2023年09月15日

WHOの健康の定義から「消費」を考える-「必要不可欠ではない消費」に関する覚書

生活研究部 研究員 廣瀨 涼

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5――「必要不可欠ではない消費」

現代消費社会においては、生命維持のための消費は当然のように実現しているが、ただカロリーを摂取することではなく、食事から喜びや美味しいと言う感情、好きなモノから得る幸福感など精神的に満たされることで人間らしい健康な生活を送ることも重要である。
図6  1948年の設立における世界保健機関憲章の前文にある健康の定義
冒頭でも触れたが、WHO(世界保健機関)の世界保健機関憲章の前文にある定義によれば、健康とは、怪我や病気といった肉体的なことだけでなく、精神的にも、社会的にも、満たされている状態と定義されている。この定義によれば、生存維持4を目的とする生理的欲求を満たす「必要不可欠な消費」だけではなく、「必要不可欠ではない」消費も健康な状態でいるための要素に含まれることになる。消費することで快楽を追求することが一般的になり、消費することが社会における関心事の中心になった大衆消費社会においては、我々は生理的欲求を満たすための「必要不可欠な消費」は十分に実現しており5、自分の好みの食べ物をおなかいっぱい食べ、寒さ暑さを凌ぐといったことよりも、のども乾いてないけどスタバで新作のフラペチーノに舌鼓を打ったり、デザイン性やブランドを重視して服を選んでいる。つまり、我々の消費における関心事は、今や生命維持を目的としない「必要不可欠ではない消費」の追求にあるのである。この「必要不可欠ではない消費」だが、筆者は2つの側面があると考えている。

まず、①外部刺激を受けて必要に駆られる消費である。WHOによれば、社会的に満たされることが健康な状態を満たす要件のひとつとなっているが6、これは対人関係においても、社会と自身の接点においても、満たされた状態のことであり、我々の健康は人々と良好な関係を築いたり、世間に取り残されているという感覚を抱かないことで成立するといえる。消費は、社会的に満たされた状態を追求する手段という側面を擁しており、例えばコミュニティの協調や繋がり意識を求めて消費されるコンテンツや人と交流するために設けられる場への消費などが挙げられるだろう。

我々のコミュニケーションはコンテンツをベース(媒介)に行われている事がほとんどだ。自分に興味がなくとも他人と良好な関係を築くためにコンテンツや時事ネタ、流行をタスクのように消費する必要がある。また、他人との差異化や帰属意識を求めて消費されるステータス消費やブランド消費、実際はどこでも会話できるのにわざわざカフェに入ったり、レストランでドリンクバーを注文してその場に居座るための権利を得る消費など、そこで消費されているモノは、物であると同時に、場所であり、機会であり、時であり、他人との「交流」なのであって、他人を意識しなければ発生し得ない消費といえる。つまり、交流的価値を目的とした消費というのは、その使用価値から得られる効用を期待しているわけではなく、その消費をきっかけに生まれる人々とのコミュニケーションや他人へのメッセージなのである。そのため、その消費は、自身の精神的充足に起因している訳ではなく、外部刺激(他人・社会)を受けて必要に駆られた社会的満足感を充足するための消費なのだ。

消費による直接効用(使用価値)が自身の精神的充足に繋がるのならば、消費は主体性を持って消費されるが、他人との交流といういわば副次的な効用自体が期待される消費は、主体性を持って消費されるのではなく、昨今で言うタイパやコスパを追求した何か省けるところは省きたいという合理性追求の消費になる一方で、社会的に満たされることに大きな関心があるため、このような「交流的価値」と呼ばれる他者とのつながりを生む消費(こと)に対して熱心になるのである。

2つ目の「必要不可欠ではない消費」は、②使用価値や体験価値が直接精神的充足に繋がる消費である。例えばオタクは、自身の好きなモノを消費することが、自身にとっての大きな関心事となり、それを消費している時や所有しているという事実が安寧感や居心地の良さを生み、精神的な満足や幸福感を感じている。まさに消費した使用価値が直接精神的充足に繋がっている訳だ。オタクのようなコンテンツ消費に限らず、食一つとっても、生きるために食べるといういわば最低限の目的が実現されると、よりヘルシーなモノを、より珍しいモノを、よりオシャレなモノをと、食べることに付随する「何か」が目的となり、それを達成することが精神的充足に繋がる者もいるのである。

また、人とのつながりそのものが精神的充足に繋がる消費も存在する。例えば大切な人との食事や外出はその人と過ごす時間そのものが精神的充足につながる。人とのつながりを目的とした交流的価値の追求が精神的充足に繋がることもあると言えるだろう7

併せて自身にとってのライフイベントや人生の転換期など、人は何かを達成したり、思い入りがある事柄に対して、慈しみや愛しさなどの自分にしか見出すことができない価値を見出す。それに伴う支出や計画にかける時間も自分にとって精神的な充足に繋がる消費となることもある。

いずれにしてもこれらは、自分自身の存在が消費動機の中核にあり、だからこそ消費したことによるモノやサービスから得られる直接効用や消費された時間は精神的充足に繋がるのである。前述①のように、交流的価値は充足するが必ずしも精神的充足に繋がるわけではない消費は、「じゃないモノ消費」と言ってもいいかもしれない。

もし我々が合理的に行動するのであれば②の精神的充足に繋がる自身を満たしてくれる消費のみが追求されるはずではあるが、自分だけの殻にこもっているだけでは孤独になってしまう(社会的に良好な状態でない)ため、実際はそれを回避するために「じゃないモノ消費」に対する関心度も高まることになる。
図7 「必要不可欠ではない消費」の2つの側面
 
4 孤独や生きていくことへの疲れによって死に追い込まれたり、健康を害することもあるため、精神的、社会的な充足感も厳密に言えば生存維持にとって必要ではあるが、必ずしもケガや病気の様に直接身体への影響に繋がるわけではないため、生理的価値を生存維持のための消費としている。(ストレスや孤独感が身体に症状として現れる事が生存維持に影響を与えないという意味ではなく、そのような症状を軽視しているわけでもないことは留意したい。)
5 日本においても全ての消費者が実現できているわけではなく、一部では生存維持を目的とした消費が行われている事も留意したい
6 social well-beingを「社会的福祉の状態」と訳されることもあるが、本レポートでは人間関係に対する幸福という側面で掘り下げていく。
7 関係的価値には、孤独を回避するために追求される社会的充足感を目的とした関係的価値と、その人と過ごすことが精神的充足につながる精神的充足感を目的とした2つの側面があると言えるだろう。いずれも生存維持を目的とした生理的価値の追求ではないため、(生存維持においては)必要不可欠ではない消費と言えるだろう。

6――なぜ「必要不可欠ではない消費」なのか

6――なぜ「必要不可欠ではない消費」なのか

前述した通り現代消費社会において、生理的欲求(生命維持)を満たすだけではなく併せて「必要不可欠ではない」消費をすることで人間らしい生活に繋げることも含まれることになる。自分自身の価値も大事にしたいし、社会とのつながりもお座なりにしたくない。従って消費対象や我々の嗜好も多様化していく。だからこそ消費による依存性や浪費が生まれたり、不純な形や不道徳な形で消費を媒介にコミュニケーションが生まれてしまうこともある。敢えて筆者がこのような消費を「必要ではない消費」ではなく「必要不可欠ではない消費」と呼ぶ理由はここにある。必要でない消費なら、そもそも消費というアクションは起こされないし、仮に必要でないと思いながら消費されているのならばそれは非合理的な行動である。一方で「必要不可欠ではない消費」は「生存を目的とした消費に対する消費」であって、個人にとっては意味があったり、必要に駆られて行われている消費であり、仮に他人が理解できなくとも当人にとってその消費は合理的な行動なのである。

その消費が必要か否かという分類に関しては総務省統計局が食料、家賃、光熱費、保健医療サービスなどの基礎的支出(必需品的なもの)と教育費、教養娯楽用耐久財、月謝選択的支出(贅沢品的なもの)で詳細に分類されているが、筆者自身は何が必要で必要不可欠でないかという外形的な分類分けよりも、その消費活動が当人にとってどのような意味があるのかという消費欲求の源泉が重要と考えており、特に本レポートで挙げたような人々の「(必ずしも)必要不可欠ではない消費」に大きな関心を寄せている。この筆者の言う「必要不可欠ではない消費」の消費活動全体における位置づけを共有するため、WHOの“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."という健康の定義に従って、消費者が健康を追求する上での「消費」の必要性を軸に枠組みを検討しているところである。

7――消費者が健康を追求する上での「消費」の必要性

7――消費者が健康を追求する上での「消費」の必要性

それでは、改めて冒頭で取りあげたWHOの健康の定義を基に分類した「消費」の図(図8)を見てもらいたい。筆者の考える枠組みにおいて消費は、「(1)必要不可欠な消費」、「(2)必要ある消費」「(3)必要不可欠ではない消費」「(4)必要なかった消費」「(5)必要ない消費」の5つに分類できる。
図8 健康を追求する上での「消費」の必要性
「(1)必要不可欠な消費」は、健康維持のための最低限の消費=衣食住環境の維持のための「必要不可欠な消費」と、前述した洗濯機のように手洗いで洗濯はできないわけではないが、その労働を軽減させる洗濯機の普及率が概ね100%であるように、a.文明の発展と共に生活様式として定着した生活必需品に対する消費と、 前述した一人暮らしの電子レンジや花粉症に悩む消費者のプラズマクラスターの様に、b.大衆的に生活必需品とまでは言えないが当人が不便なく生活する上での「必需品に対する消費」とに分類できると考えている。

「(2)必要ある消費」は必需品とまでは言わないが、生活する上で使用価値や機能的価値によって利便性を図る為の消費を意図している。使用価値によって精神的充足感を達成できるエンターテイメントやコンテンツ消費といった類のものではなく、そのモノの使用価値や機能価値を通じて身体的疲労の軽減、労働時間の削減、費用の節減、困難の達成などが目的に消費される。我々の身の回りにある娯楽性を帯びない例えばベッドや机など、ほとんどのモノがこれに当たるだろう8

そして「(3)必要不可欠ではない消費」は、本レポートで論じた通り、交流的価値の追求による社会的な充足感や、自身の好きなモノを消費することで安寧感や喜びを追求する精神的充足の側面を有する消費である。現行のWHOの健康の定義では精神的、社会的に完全に良好な状態が求められており、消費者各々が狭義の健康(生理的欲求の充足)ではなく、広義の健康を追求する上での消費と言える。また、この「必要不可欠でない」という言葉の裏には、狭義の健康を達成する上では必ずしも必要不可欠ではないが必要のある消費という意味がある。マズローの欲求五段階説においても社会的欲求や承認欲求、自己実現欲求などは生理的欲求や安全欲求の上に成立するモノとされており、他人との交流や娯楽性の消費は、生存維持に繋がる必需品よりは、必要性は高くない。

なにより、間々田孝夫の消費社会の定義に従えば「消費社会とは人々が消費に対して強い関心をもち、高い水準の消費が行われており、それにともなってさまざまな社会的変化が生じるような社会」9と定義でき、生理的価値追及が困難な発展途上国や貧困地域においては見られない高次の欲求を満たせる社会、つまり健康にも、消費社会が達成された地域で追及される高次の健康と、そうでない地域での低次の健康があり、消費社会において達成できる健康は高次化のものと言える10
図9 消費社会の3要素とその具体的内容
次に「(4)必要なかった消費」である。これは当人及び他人が広義の健康を追求する上で必要だと評価し、合理性をもって消費されたが結果的に必要性が見出されなかった消費を意味する。「(5)必要ない消費」でも触れるが、我々は必要性を見出していないモノを消費することはほとんどない。無駄遣いに繋った、本当は必要なかったなど、浪費や消費の失敗はあるかもしれないが、少なからず消費段階では必要性を見出していたモノであり、結果的に必要なかったという消費でも広義の健康を追求するために合理的に消費されたモノであると筆者は考える。例えそれがギャンブルであっても、消費者本人にとっては、その時必要を感じた消費であるため、それを他人が必要なかったと評価することはできないはずである11

最後に「(5)必要ない消費」である。これは当人及び他人にとって必要性がない非合理的な消費である。結果はどうあれ、どんなものでも動機があって消費されており、必要ない消費のほとんどは、消費行動にすら移されていないはずであるが、本来起こす必要のない事故を起こしてしまった際の賠償金、まったくメリットのない相手に食事を奢るなど、本人の意思や意欲とは別に発生してしまう、精神的にネガティブな結果を生み出す消費がこれにあたるだろう。尚、病気や自身のケガなどで発生する本人の意思とは別に発生する費用は、身体的な良好、生存維持に関わるため「(1)必要不可欠な消費」と分類できる。
 
一方で、この分類が完全かというと必ずしもそうではない。というのも、精神的充足や社会的充足感を追求しすぎることによって生まれるマイナス要素が考慮されていないからだ。推し活のために食事を抜く、酒を浴びるように飲み健康を害する、好きなモノに依存しすぎて過度に消費を行い多額の負債を抱えるといったことや、過度な孤独感や一過性の収入を得るという事が起因となって、不純な交友関係を築き、一時は精神的に(場合によっては経済的にも)満たされるが、後々後悔するといったこと、また、仲間たちとバイクの暴走運転で結束感や帰属欲求を満たしたり、飲食店での迷惑行為で仲間内で盛り上がるといったことは、精神的にも社会的12にも負の影響を及ぼす。握手券付きのCDを大量に購入し、それらを破棄するといった行為も過剰消費・過剰処分による環境破壊に繋がる13,14

とはいえ、この分類は我々消費者が「必要不可欠ではないモノ」をせっせと消費している理由を読み解く手立てになると筆者は考えており、今後も基礎研究を通して、「必要不可欠ではない消費」の必要性について考えていきたいと思う。
 
8 テレビなどのハードはコンテンツを投影させることで娯楽を生むが、テレビという機械そのものからは娯楽性を生みださないため、ここに分類されると想定している)
9 間々田孝夫・藤岡 真之・水原 俊博・寺島 拓幸(2021)『新・消費社会論』有斐閣
10 「(2)必要ある消費」の方が必要性を高く見積もっている理由は交流的価値の追求や精神的充足になり得る財やサービスは代替が利くという点や、仮に映画から精神的充足を得ているとしたら、そこから娯楽を得るためにはテレビ、DVDプレイヤーなど生活を効率化、利便性に繋がるハードが不可欠だからである。他人との交流にしても、精神的充足にしてもそれを行うため地盤(ツール)が必要なのだ。
11 特定のキャストに入れ込んだホストクラブなどでの散財やYouTuberなど著名人に対する高額な投げ銭など、他人の存在に自身の存在意味を見出し、依存することでその依存心を充足するために消費するモノもいる。消費は、自身の精神的支柱である依存対象から自身の存在を認識してもらう手段にもなるため、依存対象のみならず、消費そのものに対しても強い依存性が生まれるのである。依存性を充足するために行われる過度な消費は、関係的価値の追求によって実現されることが多い。対象のホストや著名人を独占することは難しく、消費を媒介に接点を持つことが強いられてしまうため、結婚や交際をしていれば本来必要ではない「会うために必要な消費」「反応を受けるための消費」など「じゃないモノ」を消費することが精神的な充足感を得るために必須なのだ。その上で、そのようなじゃないモノを消費することで得られる精神的充足感が生きるための糧になっているため、本人にとっては必要不可欠な消費として熱心に消費が繰り返されるわけである。このような消費は本人にとっては合理的な消費として評価されるが、本文で論じた通り、その資金を捻出するために、不純な交友関係をもちそのことを後悔したり、闇バイトなどに手を出すといった行為、ホストクラブで浴びるように酒を飲んで体を壊したり、推しに貢ぐために食費を削り健康を害すといった客観的に見て非合理的な部分を享受しながら行われてしまう「必要不可欠ではない消費」は現代消費社会における問題であると同時に、個人の消費に対する志向の問題でもあるため、他人が介入するには難しい側面も擁している。
12 ここでの社会的とは、個人の人間関係という交流の側面のみならず、騒音や公害などの社会環境も含まれる。
13 もとより、生理的価値追及である食においても、バイキングなどで必要以上に食したり、ジャンクフードによって過剰にカロリーを摂取し、太ったり、健康を害することもあり、精神的充足や社会的充足に限らず過剰に消費・浪費することによる健康への弊害についても加味する必要があると筆者は考えている。
14 このように、健康を追求するはずが、不健康になってしまったり、社会的にも環境的にも負の影響が及ぶという消費によって生み出されるネガティブな側面をどう加味するかが課題である。その様な消費者本人、もしくは社会に負の影響を及ぼすような消費行動や浪費、過剰消費は本人にとっては(その時)必要な消費であって合理的な消費であると考えているため、それが無駄である、社会にとって迷惑であると評価するのは当事者ではなく他人である。また、それらの消費に対してネガティブな結果を生み出した消費であったと当事者が評価するのは他人からの評価を顧みたり、健康診断に引っ掛かったり、着れた服が着れなくなるなど、概ね外部的要因が起因となっている。
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生活研究部   研究員

廣瀨 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化、マーケティング、ブランド論、サブカルチャー、テーマパーク、ノスタルジア

経歴
  • 【経歴】
    2019年 大学院博士課程を経て、
         ニッセイ基礎研究所入社

    ・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員

    【加入団体等】
    ・経済社会学会
    ・コンテンツ文化史学会
    ・余暇ツーリズム学会
    ・コンテンツ教育学会
    ・総合観光学会

(2023年09月15日「基礎研レポート」)

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【WHOの健康の定義から「消費」を考える-「必要不可欠ではない消費」に関する覚書】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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