2023年09月01日

デリスキングの行方-EUの政策と中国との関係はどう変わりつつあるのか?-(前編)

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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4|対象範囲拡大のリスク
デカップリングとデリスキングの違いは、対象の領域を絞り込むか否かという点にある。安全保障を名目とするデリスキングは、「スモールヤード・ハイフェンス(高い壁で囲んだ狭い庭)」と表現される通り、対象領域を安全保障上必要不可欠な領域に絞り込んで、厳しく規制するという考え方と整合するものである。

EUの対外投資規制の叩き台となる米国の規制案は、対象領域が絞り込まれており、企業活動への悪影響を抑え込むデリスキングと整合的なものとなった。しかし、その分、規制の「抜け穴」があるとの見方も出来る。中国への強硬姿勢を支持する議会からは、対象領域を拡充すべきとの声が上がっている。

米国には、過去40年余りのグローバル化で企業が効率性の最大化とコストの最小化を追求する「底辺への競争」に陥ったことが、労働や環境保護の基準が低い国への生産の移転と供給網の脆弱化を招いたとの認識がある34。製造業の衰退の影響を受けた地域の梃入れという政治的な動機から、経済安全保障名目の規制の対象範囲が拡大するリスクは払拭できない35

米国は、中国向けの規制強化でリードする立場にある。デリスキングの効果を高めると同時に、米国企業の相対的な競争力の低下を防ぐために、同盟国・同志国に同調を求める圧力も強まることになる。
 
34 今年6月のキャサリン・タイ米通商代表部(USTR)代表の講演の内容は象徴的である(Ambassador Katherine Tai's Remarks at the National Press Club on Supply Chain Resilience)。効率性を優先するグローバル化が「底辺への競争」を招いたとの認識はEUにもあり、通商協定や各種の規制で、持続可能性を重視する姿勢となって表れている。
35バイデン米政権の対外投資規制、議会から法制化や規制拡充求める声」(ジェトロ『ビジネス短信』2023年08月16日)Martin Chorzempa “Biden's new outbound investment restrictions with China are a sensible compromise, but further tightening is likely” PIIE blogs Real Time Economics, August 10, 2023
5|供給網再編でも中国依存度は減らず、コストが上昇するリスク
中国リスクの軽減策として、EUの政策は「ニア・ショアリング」の指向が強いが、米国のイエレン財務長官が提唱した友好国に拠点を移す「フレンド・ショアリング」や、ASEANやインドなどに分散する「チャイナプラスワン」も関心を集めている。

日本企業も動き出している。植田日銀総裁は、8月下旬に開催された「世界経済の構造変化」をテーマとするカンザスシティ連銀主催シンポジウム(ジャクソンホール会議)のパネルディスカッションの講演で、「生産拠点を、中国からASEAN、インド、そして北米へと多様化する動きが生じている」、「国内の生産能力を増強する計画を持つ日本企業が増えている」と説明した36

中国における産業の集積と高度化に大きく貢献したのは、西側企業を中心とする外国からの直接投資(FDI)であり、日本などの西側企業が果たした役割は大きい。西側企業の姿勢の変化は、中国の産業集積に影響を及ぼすことになるだろう。

しかし、原材料や製品等の調達先の切り替えや投資姿勢の変化が、直ちに、中国リスクの軽減につながるとは限らない。Li, Meng and Wang (2019)が、中国の世界貿易機関(WTO)加盟以前の2000年と加盟後の2017年の国際産業連関表の比較分析から明らかにしたとおり、中国はグローバルなバリューチェーンで中核的な役割(ハブ機能)を果たすようになっている。ASEANと中国は、中間財供給のハブとして深く結びつく「ファクトリー・アジア」を形成している。中国は単なる「工場」ではなく、欧州のハブのドイツ、北米のハブの米国とともに、GVCにおける「スーパーパワー」としての役割を果たす、「ファクトリー・アジア」の中核である。中国リスクの軽減策としての「チャイナプラスワン」には限界があると思われる。

代表的な英米の経済メディアが、相次いで、米国の対中国戦略が狙い通りの成果を上げていないとの趣旨の記事を掲載37した。ジャクソンホール会議で、「グローバルサプライチェーン」に関する講演を行ったハーバード大のローラ・アルファロ氏も、供給網の「大再配置」は必ずしも中国リスクの削減にはつながらず、輸入価格の上昇につながり得ることを示唆した38

G7が対中国のデリスキングの方針で一致しても、ASEANなどを中国依存度の引き下げへと動かせる訳ではない。この点も、対ロシアでの経済制裁と類似する点だろう。米国が主導するインド太平洋経済枠組み(IPEF)に、ASEANからより多くの参加国を得るために、中国への対抗色の意味合いを帯びた「価値観の共有」というトーンを抑えたことが象徴するように、ASEANは米中対立で中立を維持したいと考えている39。米国は、半導体規制では製造装置メーカーを擁する日本、オランダの同調を得ることはできたが、同じ手法を同盟国ではないASEANにまで求めることには限界があろう40。まして、米国が離脱した環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)への復帰すら望めない状況では、ASEANは地域的な包括的経済連携(RCEP)でつながる中国に傾斜しやすくなる。

中国からインドを中心とする南アジアへの供給網のシフトにも限界がある。この問題を論じたWignaraja(2023)は、中国からのシフトを促す要因として、米中対立、西側の対中国デリスキング戦略、中国のコスト上昇や法律の適用や政策の不透明感を挙げた上で、現時点で生産拠点として中国のような条件が揃う国はなく、「供給網のシフトはコストが非常に高くなる」と断じている。中国の産業集積を支えるのは「高度に熟練した規律正しい労働力、大きなスケールメリットが享受できる巨大工場、殆どの中間財に対応できる下請け業者とサプラーヤーの緻密なネットワーク、沿海地域の現代的な経済特区、世界クラスの物流と効率的なコンテナ港、魅力的なインセンティブと補助金」41である。インドが、中国に替わる、あるいは中国に並ぶハブとなるためには、これらの要件を満たすような改革の推進で成果を上げることが必要と言う。中国の産業集積は、改革開放以来、長い時間をかけて形成されたものである。中国の成長が鈍化し、政策の不確実性が高まっているとは言え、南アジアが一気にキャッチアップし、受け皿となることは難しいと思われる。
 
(以下、「後編」に続く)
 
36カンザスシティ連邦準備銀行主催シンポジウムパネルセッション:「変曲点にあるグローバリゼーション」 における講演の抄訳(8月26日、於・米国ワイオミング州ジャクソンホール)」23年8月28日。ASEAN、インドへのシフトについては、地政学的考慮だけでなく、現地需要の増加も背景にあり、国内の生産能力増強も、海外生産能力を犠牲にした増強ではないと説明している。
37 「米中経済の「切り離し」 実行の難しさ浮き彫り」The Wall Street Journal 日本語版 2023年7月24日(原文は” Untangling the U.S. From China’s Economy Is Messy”及び「米の対中規制、想定外の負の影響(The Economist)」日経電子版2023年8月15日(原文は”Joe Biden’s China strategy is not working” The Economist, Aug 10th 2023)
38 Alfaro and Chor (2023)。米国の中国からの直接輸入は減少、ベトナム、メキシコなど代替先からの輸入が増加していることは、フレンド・ショアリング、ニア・ショアリングの進展を示す動きだが、これらの国々の中国からの輸入の急増、中国からの直接投資が増加している事実を挙げ、供給網の中国依存度の低減につながっていないことを示した。また、ベトナム、メキシコからの輸入価格は上昇しており、効率的な供給網を見直すことがコストの増加につながることが示唆された。
39 野木森(2023)
40 Poli (2023)では、半導体製造装置輸出規制に関わる米国の要請にオランダが同調したことについて、オランダとEUの「技術主権」を守る取り組みと位置づけつつ、貿易の協調への招待なのか、23年6月に最終合意した新たなEU規則(図表2)が定義する「経済的威圧」に相当するのかは不明としている。
41 Wignaraja (2023) p.15

<参考文献>
・伊藤さゆり(2022)「変わるEUの対中スタンス 2022年7月アップデート」『ニッセイ基礎研究所報』Vol.66 July 2022
・伊藤さゆり(2023)「加速し複雑化する供給網再編を巡る動き ウクライナ侵攻から1年を経た米欧関係の視点から」『ニッセイ基礎研究所報』 Vol.67 July 2023
・関志雄(2023)「常態化する米中対立で進むデカップリング-懸念される日本企業への影響-」野村資本市場研究所『野村資本市場クォータリー』 2023 Summer
・坂田和仁(2023)「米中デカップリングのASEANへの影響」Pwc Japan 連載コラム 地政学リスクの今を読み解く2023年4月24日
・佐橋亮(2023)「相互不信の米中関係 台湾問題と構造的対立を読み解く」岩波書店『世界』第973号2023年9月、pp.21-39
・日本貿易振興機構(ジェトロ)(2023)「ジェトロ世界貿易投資報告 2023年版
・野木森稔(2023)「脱中国に消極的なASEAN諸国-IPEFは機能せず、フレンド・ショアリング成功の鍵を握る日本-」日本総研 Viewpoint 2023年3月29日
・薬師寺克行(2023)「「デリスキング」を巡るG7の戦略と課題-広島サミットが動かした外交空間を読み解く」『外交』vol.80 Jul./Aug. 2023 
・渡邊啓貴(2021)「トランプ政権からバイデン政権の米・EU関係」須網隆夫+21世紀政策研究所編『EUと新しい国際秩序』日本評論社、第4章第2節 pp.292-325
・渡辺真理子(2023)「通商の「安保例外」規定が焦点 中国との距離感」日本経済新聞 経済教室 2023年7月4日
・Laura Alfaro and Davin Chor (2023) “Global Supply Chains: The Looming “Great Reallocation” Paper prepared for the Jackson Hole Symposium, 24-26 Aug 2023, Draft: 12 August
・Maria-Grazia Attinasi, Lukas Boeckelmann, Baptiste Meunier (2023) “The economic costs of supply chain decoupling” ECB working Paper series No. 2839, 3 August
・Carlos Góes and Eddy Bekkers (2022) “The Impact of Geopolitical Conflicts on Trade, Growth, and Innovation” WTO staff working Paper ESRD-2022-09, June
・IMF (2023a) “Geoeconomic Fragmentation and Foreign Direct Investment” World Economic Outlook, April 2023, Chapter 4. pp 91- 114
・IMF (2023b) “Geopolitics and Financial Fragmentation : Implication for Macro-Financial Stability” Global Financial Stability Report , April 2023, Chapter 3. pp 81- 101
・David Kamin and Rebecca Kysar(2023)“The Perils of the New Industrial Policy, How to Stop a Global Race to the Bottom” Foreign Affairs, May/ June 2023 (デビット・カミン、レベッカ・カイザー「新産業政策の恩恵とリスク-建設的な国際協調か補助金競争か」フォーリン・アフェアーズ・レポート2023年7月号, pp.44-56)
・Nam Lam and Laura Silver(2023)“Americans name China as the country posing the greatest threat to the U.S.” Pew Research Center, July 27
・Xin Li, Bo Meng and Zhi Wang (2019) “Recent patterns of global production and GVC participation”  Global Value Chain Development Report 2019 Chapter 1
・Niclas Poitiers Pauline Weil (2022) “Opaque and ill-defined: the problems with Europe’s IPCEI subsidy framework” Brugel Blog post, 26 January
・Jana Puglierin and Pawel Zerka (2023) “Keeping America close, Russia down, and China far away: How Europeans navigate a competitive world” ECFR Policy Review, 7 June
・Sara Poli (2023) “Reinforcing Europe’s Technological sovereignty through Trade Mearures : The EU and Member States’ Shared Sovereignty” European Forum, 27 Jury 2023, pp.429-425
・Laura Silver, Christine Huang, Laura Clancy and Moira Fagan (2023)  “Americans are Critical of China’s Global Role – as well as its Relationship with Russia” Pew Research Center, April 12
・Simone Tagliapietra, Reinhilde Veugelers and Jeromin Zettelmeyer(2023)“Rebooting the European Union’s Net Zero Industry Act” Bruegel Policy Brief Issue n˚15/23 , June
・Ganeshan Wignaraja (2023) “The Great Supply Chain Shift from China to South Asia?” Gateway House : Indian Council on Global Relations Paper No.34, July
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2023年09月01日「基礎研レポート」)

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