2023年09月01日

デリスキングの行方-EUの政策と中国との関係はどう変わりつつあるのか?-(前編)

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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(2)補助金を活用した産業政策が単一市場の競争力を損なうリスク
EUとしての共通財源の制約もあり、コロナ禍以降、本来は例外であるはずの加盟国の補助金活用を認める事例が増えており、金額も拡大している(図表4)。補助金を活用した産業政策には、競争を阻害するために、長期的に成長を押し下げてしまうという問題がある。加えて、EUの場合には、各加盟国による単一市場内での競争を歪め、単一市場の利益を損なうリスクになるという固有の問題がある。

補助金を活用した産業政策では、財政基盤が強固な、大国が優位となりやすい。欧州委員会の集計は2021年が本稿執筆時点での最新の実績であり、エネルギー危機対応は反映されていないが、金額ではドイツが最も多額、次いでフランスという構図に変わりがない。足もとでは、産業向けの電力補助金を巡る独仏の対立も伝えられており23、EU単一市場の競争を歪め、恩恵を損なうリスクをコントロールする調整のメカニズムが機能しているとは言い難い状況にある。

産業界は、NZIAを一定程度評価しつつ、米国のIRAに見劣りすることは否めず、資金調達支援の仕組みの不明瞭さや規制改革の踏み込み不足などに不満を呈している24。ブリュッセルのシンクタンク「ブリューゲル」の研究者らは25、NZIAは、グリーン技術への民間資金の動員によるネットゼロの達成、競争力の強化、強靭化、すなわち本稿で言うデリスキングという目標の達成にはつながらず、単一市場の断片化と、これに伴う競争力の低下を招くリスクがあり、抜本的な見直しが必要と厳しく批判している。この論考は、戦略的ネットゼロ技術のみを対象とすることが、却って技術革新を阻害するリスクや、本来、公的支援を必要としないプロジェクトが対象となり得るリスク、一律最低40%という目標達成の合理性の欠如など多くの問題点を指摘している。
図表4 EU域内の国家補助金
単一市場の調和のためのNZIAが、単一市場の断片化につながり得る問題点としては、プロジェクトを各国毎に選定すること、欧州委員会の監視と進捗状況の評価の拘束力が弱いこと、EUレベルの資金調達戦略を欠き、各国の補助金に依存することなどを指摘している。グリーン技術への民間資金の動員という面では、包括的なビジョンを示し、EUレベル、国レベル、地域レベルで多数の政策イニシアチブが存在する状況を改めるべく調整力を強化する必要がある。エネルギー市場や、金融・資本市場の改革など、単一市場の構造問題に取り組むことが重要という。

単一市場の断片化につながるリスクは、欧州の利益のための複数の加盟国が参加するプロジェクトが対象となるIPCEIの場合は低いと思われるが、透明性の欠如とガバナンスの脆弱性という問題点があるようだ26
 
23 The next Franco-German subsidy spree by Jakob Hanke Vela, Brussels Playbook from POLITICO, August 29, 2023 )
24欧州産業界、欧州委のネットゼロ産業法案に辛口評価も少なくなく」ジェトロ短信2023年3月23日、Christian Bruch, CEO of Siemens Energy, on EU Net Zero Industry Act presented "Europe needs a Complexity Reduction Act" March, 2023
25 Tagliapietra, Veugelers and Zettelmeyer(2023)
26 Pauline and Weil(2022)
2|同盟国・同志国間の政策協調に関わるリスク
(1)中国への脅威認識の差からくる足並みの乱れ
2-1項で紹介したG7の合意は大枠と方針の確認であり、具体的な政策に踏み込むものではない。薬師寺(2023)は、G7の合意は、「各国はそれぞれ自分の都合のよいように解釈することが可能」であり、その根本には、「米国と欧州の対中観の違い、中国のリスクに対する認識、リスク封じ込めのために何をしなければならないか」に違いがあるからと読み解いている。

米国のバイデン政権の対中姿勢は、佐橋(2023)によれば、「中国の成長を鈍化させてでもアメリカの優位を軍事的、経済的に確保し続けようとするもの」だという。EUの「多国間主義と多極主義を提唱」27し、「開かれた戦略的自立」を目標とする立場とは隔たりが大きい。米国にとっては、ロシアウクライナ戦争後も中国がもっとも戦略的に深刻な課題」であり、中国との軍事衝突の回避は「切実な目標」である。これに対して、欧州にとって安全保障上の最大の脅威はロシアであり、中国への脅威認識は、基本的に経済的な側面にある。

市民のレベルでも、欧米間の認識の差は大きい。米国のシンクタンクのピュー・リサーチ・センターが23年5月30日から6月4日までに実施した「将来、米国にとって最大の脅威になる国」などに関する調査によれば28、中国を挙げた割合が50%で、ロシアの17%を大きく上回り、中国とロシアは同率の24%だった2019年の調査から大きく変化した。ロシアについては、「大いなる脅威」と「かなりの脅威」と答えた割合が、国家安全保障の合計97%を、経済面は同77%と大きく下回る。これに対して、中国は、「大いなる脅威」と「かなりの脅威」と答えた割合が国家安全保障96%と経済面98%と両面で強い警戒感を抱いていることがわかる。また、同センターが、3月20日から26日に実施した別の調査29では、中国を「敵」と見なす割合が38%と、図表3で紹介した欧州諸国を対象とする調査よりも遥かに高く、「競争相手」が52%、欧州で最も割合が高かった「パートナー」は僅か6%に留まっている。

米欧間の国家安全保障上の脅威としての中国に対する認識のギャップは、中台関係に関しても観察される。米国民の間では、中台関係の緊張を「とても深刻な脅威」と考えている割合は47%まで高まっている30。欧州について、同様の調査はないが、ECFRの調査では、米国を「必要なパートナー(43%)」と「盟友(32%)」と答える割合が合わせて7割を超えていながらも、「台湾有事の際、自国が米中のどちらを支持するか」という設問に対する最多の回答は「中立」の62%で、「米国支持」は23%に過ぎない。台湾有事を切実な問題とは受け止めていないことも一因と考えられる。
 
27 渡邊(2021)p.313
28 Lam and Silver(2023)
29 Silver, Huang, Clancy and Faganmn(2023)
30 同上
(2)産業政策での踏み込んだ協調の困難さ
同盟国・同志国間での非生産的な補助金競争を回避し、経済的な悪影響を抑えつつ、対中国のデリスキングを実現できるのかは不透明である。対中国でのデリスキングのツールは、図表1で示した通り、産業政策や規制強化とともに、同盟国・同志国との政策協調が柱を構成している。欧州半導体法は、米国の「CHIPS及び科学法」、グリーン・ディール産業計画は米国のIRAを受ける形で提案されたが、こうした動きは、対中国のデリスキングでの米欧の協調を示すものではない。EUの観点では、対中国以上に米国への対抗という意味合いも強い。「グリーン・ディール産業計画」は、EUが、ロシアの侵攻でエネルギーの安定供給とコストに不安を抱えるようになったことで、米国の大規模なインセンティブとエネルギー供給の安定性が誘因となって、米国への企業移転が加速するリスクへの危機意識が強く働いたことは明らかである。

他方、産業政策での調整は、前項で触れた通り、国家主権の一部を共有するEU内ですら十分とは言えず、米欧間での本格的な協調も期待できない。トランプ政権期に戦後最悪となった米国とEUの関係は、バイデン政権の誕生後、改善の方向にある。「欧州グリーン・ディール産業計画」も、最終的にはIRAへの対抗というトーンを控え、「中国の不公正な補助金と長期にわたる市場の歪曲」に対抗する相互補完的な計画と位置づけ、協調の姿勢を保った31。TTCを通じた政策対話・規制協力も一定の成果を挙げている。とは言え、24年の大統領選挙の結果次第で、米国とEUの関係の潮目は再び変わる可能性がある。

産業政策を巡る米欧間の競合について論じたKamin and Rebecca Kysar(2023)は、「新たな競争を生みだすことなく、脆弱な供給網を代替・強化」するには、「特定国での生産に協調して補助金を提供」することが有効策となる。「理論的には魅力的」だが、政治的に実現が困難であることを認めている。
 
31 TTCを通じた政策対話や規制協力、IRAと「欧州グリーン・ディール産業計画」との関係については、伊藤(2023)をご参照下さい。
3|中国からの対抗措置による影響拡大のリスク
西側による対中国でのデリスキングの動きは、ウクライナを侵攻したロシアに向けて発動されている経済制裁と類似する側面がある。

経済的な相互依存関係が強い場合、経済制裁は発動国も市場を喪失するなどマイナスの影響を被るが、その影響は対象国による対抗措置によって増幅される。ロシアへの経済制裁では、EUはロシアに依存してきた天然ガスを制裁手段とはしなかったが、ロシアが対抗措置としてガス供給を削減したことで、EUのエネルギー市場は混乱に陥った。

西側のデリスキングも、制裁と同じく、一方向の動きとはなり得ない。もともと中国は、対内直接投資の活用などグローバル化の恩恵を享受する一方、資本規制の緩和は部分的に留めるなど、リスク管理を重視する運営をしてきた。さらに、近年では、米国との対立と競争に備え、産業政策、規制強化に対抗するための管理強化と対抗措置を可能にする法を整備(図表5)し、欧米等の措置に適時対抗措置を打ち出している。

西側のデリスキングが向き合う中国の「リスク」を、渡辺(2023)は、「中国の「特異な体制」に起因する法的不安定性・予見不可能性が中国の取引相手に一方的にゆがみをもたらす可能性」と定義している。「特異な体制」とは、「共産党のみが憲法を制定する権力を持つ国家体制をとり、その結果政治が法を超越」すること、社会市場主義経済の下、企業は「所有による差別」を受け、その待遇は「政治状況により変化する」ことを挙げる。さらに、習近平体制は「国家安全」を最優先し、その対象範囲を非常に広く定めた」という。

中国のスタンスについて、関(2023)は、「長期戦に備えて経済安全保障の強化を図っている」、ジェトロ(2023)は、中国の対抗措置が、供給網の混乱をもたらすような規模ではないという点で、「運用は抑制的」と評価している。

米中関係は、この3カ月で4人の米国の閣僚が訪中32するなど改善の動きもあるが、デリスキングの応酬が続くリスクは意識せざるを得ない。佐橋(2023)で詳しく論じられているとおり、米中間は相互不信が根深い上に、米国が2024年に大統領選挙を控える事情もある。足もとの中国経済の低迷が、西側への歩み寄りにつながるのか、反発を強めることになるのかも不確かだ。

供給網のデリスキングのうち、EUのCRMAが目標とするような重要原材料の供給安定化と持続可能性の向上は、実現するとしても時間が掛かる。CRMAの制定で、長期的には目標が達成されるとしても、供給網の再構築が実現するまでの間は、中国の対抗措置によって供給ショックが誘発される可能性がある。実際、中国は、米国が主導する半導体輸出規制への対抗措置として、8月1日から半導体の材料などに使われる希少金属、ガリウムとゲルマニウムの関連品目の輸出を規制、資源の武器化に動いている33
図表5 西側の対中国デリスキングに対抗するための中国のツール
西側のデリスキング策と中国の対抗措置の拡大のリスクは、西側企業にとって中国ビジネスに関わる不確実性を高める要因となっている。欧州が求めてきた市場アクセスの改善や競争条件の公平化に向けた中国の対応を期待することは一層難しくなる。
 
32 6月にブリンケン国務長官、7月にイエレン財務長官とケリー大統領特使(気候変動担当)、8月にレモンド商務長官が訪中した。
33 EU加盟国では、半導体製造装置で世界2位のASMLを抱えるオランダが、米国の半導体輸出規制(22年10月~)への同調を求める働きかけにより、23年3月に国家安全保障と国際安全保障を理由とする半導体製造装置の輸出規制を決めた。中国が輸出を規制したガリウムとゲルマニウムは、EUのCRMAのSRMリストに掲載されている16品目に含まれる。
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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