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加速し複雑化する供給網再編を巡る動き-ウクライナ侵攻開始から1年を経た米欧関係の視点から

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり
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供給網強靭化では半導体について優先協議。補助金競争回避のための透明化メカニズムも完成
供給網で米欧共通の脆弱性が認識される領域は半導体以外にもある。22年12月の第3回会合で、大西洋両岸市場が、脱炭素化とグリーン移行の触媒となるべく協力するための枠組み「持続可能な貿易に関する大西洋横断イニシアチブ(TIST)」を立ち上げている。TISTを構成する4つの要素の1つが「クリーンエコノミーのための強靭で持続可能な供給網の構築」である。G7サミットでも確認された通り、重要鉱物について、限られた供給源に依存していることへの懸念を共有し、対応について、緊密に協力する方針を確認している。
第4回会合では、G7広島サミットで、主要なテーマとなった経済安全保障についても懸念を共有し、「輸出管理・制裁関連輸出規制での協力」、「対内直接投資審査」、「対外直接投資審査」、「非市場的政策と慣行への対応、経済的威圧への対処」について、政策を調整する方針も確認している。
懸案事項への対応進展の一方、浮上した米国のインフレ抑制法(IRA)を巡る対立
その一方で、22年8月に成立した「インフレ抑制法(IRA)」の補助金問題という新たな火種も生まれている。IRAは、2032年までに3690億ドル(1ドル=132円換算で48.8兆円)をクリーン・エネルギー技術と温室効果ガス排出量を削減するグリーン投資に振り向ける。EUは、IRAの米国政府による気候変動対策への具体的なコミットメントという側面を歓迎しつつ、「超党派インフラ投資法(21年11月成立)」、「CHIPS及び科学法」に続く、米国の製造業と雇用の支援策としての側面を懸念する。
EUの反発の背景には、ロシアからのガス供給の削減への対応として、米国産LNGへの依存を強めざるを得なくなっていることがある。米国との比較で見て、EUの産業の立地条件は、エネルギー供給の安定性とコストの面で大きく悪化している。それだけに、IRAの税額控除や補助金等が、米国製や北米製を優遇すること9が、欧州から米国への技術力のある企業の流出を招くことへの懸念が強い。
IRAを巡っては、22年12月のTTC第3回閣僚会議でも議題の1つとなり、米国はEUの懸念を理解し、建設的な対応を約束した。
8 「EU・米首脳会談開催、民間航空機への対抗措置の5年間停止に合意」JETROビジネス短信、2021年6月16日、「米国、EUと鉄鋼・アルミ貿易で合意、追加関税に関税割当導入」JETROビジネス短信、2021年11月02日
9 IRAのEV税額控除の対象車両の要件には、北米(米国、カナダ、メキシコ)での最終組み立て、電池材料の重要鉱物のうち調達価格の40%(27年以降は80%)が自由貿易協定を締結する国で採掘ないし精製されるか北米でリサイクルされること、電池用部品の50%(29年以降は100%)が北米で製造されることなどがある。他に、バッテリーや太陽光、洋上風力の米国産部品への税制上の優遇措置提供、基準値以上の米国産鉄鋼を使用した風力エネルギー計画への税額控除の引き上げなどがある。
IRAの対抗の性格を薄めた「欧州グリーンディール産業計画」
計画は、(1)規制環境の改善、(2)金融アクセスの迅速化、(3)労働者のスキルの強化、(4)公正な貿易の促進の4本の柱からなる。
うち、IRAとの関係で特に注目されるのが、(2)に盛り込まれた補助金をより積極的に活用する方針である。EUは、域内の競争を歪めるとして、加盟国による補助金を原則禁止してきたが、20年3月にはコロナ対応のためルールを緩和した。コロナ対応の緩和措置はすでに終了しているが、22年3月からは、ウクライナ侵攻による脱ロシア産化石燃料の加速やエネルギー価格高騰策への対応のためにルールを緩和している。さらに、「グリーンディール産業計画」では、25年末までの時限措置として、グリーン移行に必要な技術力や生産能力向上を目的とする投資のための補助金のルールを緩和する。
この他、国家補助の適用対象外とする「欧州の共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」10の認定基準を合理化、簡素化し、新規の投資プロジェクトの迅速化を狙う。
さらに、中期的な措置として、欧州委員会は23年夏までに、EUとして資金を調達し、加盟国がネットゼロ技術への投資需要を満たすための補助金として活用できる「欧州主権基金」を提案する方針である。
産業計画の公表に先立ち、フォンデアライエン欧州委員会委員長らがIRAへの懸念を表明していたことから、計画をIRAへの対抗措置として打ち出し、米欧間の補助金合戦がエスカレートすることが懸念されていた11。
結果として、政策文書では、パートナー国におけるネットゼロ産業支援を「心強い兆候」とするなど、IRAへの対抗措置というトーンは薄められ、「中国の不公正な補助金と長期にわたる市場の歪曲」への対抗措置という位置づけになった12。米国の善処への期待や米欧の対立は中ロを利するだけとの判断があったのかもしれない。
10 複数のEU加盟国が戦略分野の新技術に資金提供を行っている大規模プロジェクト。欧州委員会の政策文書(European Commission ‘A Green Deal Industrial Plan for the Net-Zero Age’ COM (2023) 62 final, 1.2.2023)によれば、これまでにマイクロエレクトロニクスで1件、バッテリーで2件、水素で2件の認可事例があり、バッテリー、水素での追加案件や太陽光、ヒートポンプなどの新規認可が見込まれている(10~11頁)。
11 米国の政策が誘発する補助金競争を懸念する論考として ‘The destructive new logic that threatens globalisation’ The Economist, Jan 12th 2023。ジャナン・ガネシュ「[FT]保護主義、西側の敗北招く 中ロと同じ土俵でよいか」(2023年2月1日、日経電子版)は、戦略的と位置付ける産業が拡大する可能性を指摘、西側が保護主義に傾倒することは、中国やロシアにイデオロギー面において譲歩することに等しいと指摘する。
12 前掲2ページによれば、米国のIRAの2032年まで3600億ドル以上の動員、日本の最大20兆円のGX経済移行債のほか、インドや英国、カナダなど計画に言及し、「これらすべてのパートナーとより大きな利益のために協力することを約束している」とする一方、「中国は長期にわたってEUの2倍の補助金を供与」し「5カ年計画の優先課題としてクリーン技術のイノベーションと製品に補助金を供与」しており、「2800億ドル相当のクリーン技術投資が予定されている」ため、欧州とそのパートナーは不公正な補助金と長期にわたる市場の歪曲と戦うために、より多くのことをしなければならない」とした。
加速し複雑化する供給網を巡る駆け引き
米EUは、TTCの枠組みを通じて、先述した半導体の「透明化メカニズム」の構築に続いて、今年3月からは、「クリーン・エネルギー・インセンティブ対話」を開始、それぞれのインセンティブ・プログラムが、大西洋間の貿易と投資の流れの混乱を引き起こすことを回避すべく動き出している。
米欧ともに、中国との対抗のために、中国が活用してきた規制と大規模な補助金を排除できない事情もある。さらに、それぞれ、国内・域内に、グローバル化の負の影響を受けた地域や人々を抱え、戦略産業の投資誘致、雇用拡大への取り組みが期待される政治的な事情を抱える。供給網が混乱したコロナ禍の経験もある。米国のイエレン財務長官が提唱する同盟国・同志国による「フレンドショアリング」は重要鉱物や半導体などの緊急時の相互融通などの仕組みとしては機能するとしても、産業政策は、国内回帰「リショアリング」や隣接する地域での供給網構築「ニアショアリング」に傾きやすいのが現実である。
規制と補助金を活用した産業政策が、期待通り実行され、成果を上げるかも不確かだ。コロナ禍からの回復過程では人手不足とインフレが深刻な問題となっている。EUの場合、「半導体法」はようやく政治合意に達したところ、米国のIRAも、債務上限問題を巡る対立で危機に瀕した。EUが進めようとしている「グリーンディール産業計画」は、必ずしも広く加盟国の支持を得ている訳ではない。計画は、単一市場の分断を回避し、共通の対応を追求する狙いがあるが、補助金規制の緩和に対して、中小国は、独仏の二大国の優位が固定化するとの懸念を抱く。今後、提案が示される「欧州主権基金」を巡っても、コロナ禍からの復興基金「次世代EU」が稼働していることもあり、補助金の効果に懐疑的で財政の健全性を重視する国々は異論を唱えるだろう。
ロシアによるウクライナ侵攻を境に、規制の強化、パートナー国間の協力の枠組みの深化、デジタルやクリーン技術を巡る研究や投資支援のための補助金を巡る競争など供給網の再編につながる動きは一層加速した。TTCのこれまでの成果が示すとおり、欧米間の企業活動には厚みがあり、規制・規格などで深い協力が可能だ。非効率な補助金競争回避への努力も確認できる。しかし、政治的な制約が、合理的な選択、妥協や協力の余地を狭めることになりやすく、先行きを楽観はできない。
供給網再編と戦略産業の投資誘致を巡る競争は、経済安全保障上、不可欠な狭い領域、民主主義対権威主義という単純な図式には収まらない複雑な様相を呈しつつある。表面的な事象や、合意文書の文言にとらわれず、現実の投資や政策の展開を注視する必要がある。
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(2023年07月11日「ニッセイ基礎研所報」)

03-3512-1832
- ・ 1987年 日本興業銀行入行
・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
・ 2023年7月から現職
・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
・ 2017年度~ 日本EU学会理事
・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
「欧州政策パネル」メンバー
・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員
伊藤 さゆりのレポート
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