コラム
2023年05月30日

「106万円の壁」だけではない主婦の就労を妨げるもう一つの壁~働いても老後の年金には男女格差

生活研究部 准主任研究員・ジェロントロジー推進室兼任 坊 美生子

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歴史的な物価高を受けて、賃上げの波が、正社員から、パートや契約社員などの非正規労働者にも広がっている。労働組合の中央組織「連合」によると、今年の春闘(5月8日時点)では、非正規労働者の賃上げ率は5.35%(時給、加重平均)に上っており、同時期における正社員の賃上げ率(3.67%)を上回った。この後、非正規労働者の待遇を底上げする最低賃金についても、厚生労働省の審議会で審議が始まるが、岸田首相は引き上げに強い意欲を示しており1、今年も高水準の賃上げが予想される。そうなれば再び、主婦たちが配偶者の扶養に留まるために就業調整する「106万円の壁」が議論になるだろう。主婦がパート時間を延長したり、正社員を目指したりする上でこの扶養制度が壁になっていることは、従来から指摘されてきた。しかし、主婦の就労を阻む壁はもう一つあると筆者は考える。仮にフルタイムで働いて、自ら社会保険の被保険者となって保険料を納めても、老後に受け取る年金水準は男性に比べて低く、老後のメリットは限定的である。一方で、扶養に留まって夫と死別したとしても、老後は遺族年金の受給対象となるため、一定の収入を得られる。従って、主婦にとっては、わざわざフルタイムで働く動機が生じにくいという問題である。
ここで改めて「106万円の壁」を説明すると、賃上げで時給が上がれば、これまでと同じ時間働いても、年収が106万円を超過するケースが出てくる。そうなると、「平日のみ1日4時間」など、夫の扶養に収まるぎりぎりの時間で働いていた妻たちは、自ら社会保険料を支払わなければならなくなるため、反って手取りが減る場合が出てくる。そのため、多くの主婦たちが扶養の範囲に収まるように労働時間を減らすことになり、職場は人手不足が悪化するという問題である。筆者が新聞記者時代にも、最低賃金が上がると、中小企業の経営者たちから「扶養の範囲を超えないように従業員の労働時間を調整するのが大変だ」という苦労話を聞いた。
 
このような「手取りの逆転問題」はよく知られているが、それに加えて女性の就業を抑制するものとして筆者が注目しているのが、前述した女性の年金水準の問題である。

厚生労働省年金局の「厚生年金保険・国民年金事業年報(令和3年度)」によると、令和3年度の厚生年金保険(第1号)老齢年金の受給権者の平均年金月額は、男性は16万3380円、女性は10万4686円(図表1)。女性は男性の3分の2以下である。女性の方が低いのは、現役時代の賃金水準が低く、保険料を納めた期間が短いためである。また受給権者数も、男性1,083人に対して女性535万人と、女性は男性の半数にとどまる。

平均月額の分布をみても、男性のピークは「17~18万円」であるのに対し、女性のピークは「9~10万円」である(図表2)。正社員が加入する厚生年金の金額同士を比べても、このように女性の水準は男性よりも大幅に低い。
図表1 厚生年金保険(第1号)老齢年金の受給権者数と平均月額
図表2 厚生年金保険(第1号)老齢年金の年金月額階級別受給権者数(2021年度)
ここで、年金受給額の算出の基となる賃金の状況について男女別にみると(図表3)、正社員・正職員の場合、男性は年齢階級が上がるにつれて賃金が上昇し、退職前の55~59歳にピークを迎えて約43万円となるのに対し、女性は年齢階級が上がっても賃金上昇がなだらかで、ピークの55~59歳で約31万円である。正社員・正職員に限っても、ピーク時の賃金は、女性は男性の4分の3以下にとどまっている。非正規雇用については、男女ともに、より低水準だが、中でも女性の非正規雇用は最も水準が低い。このような現役時代の賃金格差が、老後の年金格差につながっている。
図表3 年齢階級別にみた男女別の賃金の状況
このような状況では、出産を機に退職した主婦が、例えば、子が成長した40歳代になって再びフルタイムで働き始め、自ら厚生年金等に再加入したとしても、トータルの加入年数が短い上に、賃金も抑えられ、老後の年金受給額も抑制される、という結果になりやすい。業種や雇用形態、労働条件によっては、年金受給額は、上述した平均月額よりもさらに少なくなるだろう。そうすると、せっかく家庭と両立しながらフルタイムや正社員として働いても、現役の間は賃金が伸びず、厚生年金保険料の支出が増え、老後の年金も大して増えないということになる。また、職場の規模等によって、厚生年金ではなく国民年金にのみ加入する場合には、老後の年金水準はさらに下がる2

それに比べて、夫の扶養に留まっていれば、現役世代のうちは保険料を納めずに老後、老齢基礎年金を受給できる。万が一、夫と死別しても、夫の老齢厚生年金の報酬比例部分の4分の3相当の遺族厚生年金を受給できる3。厚生年金保険・国民年金事業年報によると、令和3年度に遺族年金受給権者は約61万人おり、うち4割近くは遺族年金の受給額が月10万円を超えている。
 
このような状況では、主婦にとって、夫の扶養を外れてフルタイムや正社員として働き、自ら厚生年金等の被保険者となるよりも、就業調整をするなどして扶養に留まっていた方が、メリットが大きい、と考える人もいるだろう。

もちろん、主婦自らフルタイムなどで働いた方が、老後も、夫が健在の間は、夫婦それぞれに厚生年金まで受け取れるので、世帯収入は増えるが、「そこまでしなくても」と考える人は多いのではないだろうか4。既に、主婦は家庭で家事や育児、介護などの役割を抱えているからだ。多くの主婦たちにとって、家庭の仕事に支障をきたさず、目の前の社会保険料が免除され、老いても老齢基礎年金を受給でき、夫と死別しても一定の遺族年金が保障されている「第3号被保険者」に留まる方が、メリットが大きくなっていると言える。
 
一方で、既知の通り、国内では少子高齢化によって労働力不足が深刻化し、社会保険の担い手は減少の一途を辿っている。厚生労働省の「財政検証2019」によると、2020年から2050年までの30年間に、厚生年金の被保険者数は約1,100万人減少すると推計されている(出生中位、死亡中位、労働参加が一定程度進む場合)。保険料を納める人が大幅に減少すれば、将来、年金受給額が減少する可能性がある。加入者数の確保は、年金制度を持続可能にしていく上で、重大な課題であろう。
図表4 厚生年金の被保険者数の将来見通し(2019年財政検証)
勿論、女性個人に対して、出産・育児を経た後の「フルタイム就労」や「正規雇用」などを押し付けることはできないが、マクロで日本の経済と社会保障システムを維持し、将来にわたって、一人ひとりが安定した年金保障を受けるためには、労働力人口と社会保険の担い手を増やすことは必須だ。
 
そこで、貴重な人的資本である主婦たちにフルタイムや正社員として働き、家庭の担い手から社会の担い手へとシフトしてもらうための課題を考えると、大きく二つが考えられる。一つは、従来から指摘されてきた扶養制度と遺族年金の在り方である。報道によると、岸田首相は3月の記者会見で「被用者が新たに106万円の壁を超えても手取りの逆転を生じさせない取組の支援」を導入すると述べており5、現役期間の手取りの逆転問題については、対策が進むと期待される。しかし、就業調整する主婦たちの背中を押すためには、現役時代の手取りの逆転解消に取り組むだけではなく、老後の年金にも目を向け、遺族年金制度の在り方についても、バランスの取れたものに見直す必要があるのではないだろうか。
 
もう一つの課題は、そもそもの女性の年金水準を引き上げ、自ら社会保険に加入するメリットを拡大することである。それには、当然のことであるが、賃金水準を引き上げ、賃金カーブを男性に近づけることが何よりの条件である。すなわち、出産・育児などのライフイベントを経ても、安定した賃金水準で働き続けたり、キャリアアップを実現したりできるようにすることではないだろうか。そのためには、男女ともに育児しながら働きやすい職場環境整備、いったん退職した女性への再就職支援、家庭における性別役割分業の見直し、女性自身の意識改革などが必要であろう。
 
「人生100年」と言われるが、平均寿命は男性81.47歳、女性87.57歳と、女性の方が6歳以上長く、女性はライフコースの最終盤で単身となる可能性が高い。男性以上に、女性の方が、より安定した年金保障を必要としていると言える。女性が安心できる老後を送るためにも、若いうちから女性に安定的な就労とキャリアアップを促し、これまで当然視されてきた男女の賃金格差と年金格差を縮小していくことと、その結果として社会保険の担い手を厚くし、社会保障システムを安定させていくことが必要ではないだろうか。
 
1 2023年3月16日朝日新聞によると、岸田首相は、3月に開かれた経団連と連合とのトップ会談「政労使会議」で、最低賃金の全国加重平均を、現在の961円から2023年に1,000円へ引き上げる目標を示した。
2 「令和3年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況によると、令和3年度の国民年金(老齢年金・25年以上)の平均年金月額は約5万6000円。
3 18歳以下の子がいる場合などは、遺族基礎年金の受給対象にもなる。
4 先行研究でも、夫が高収入ほど妻の再就職希望は減る傾向が見られることが分かっている。
5 毎日新聞2023年3月18日。
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生活研究部   准主任研究員・ジェロントロジー推進室兼任

坊 美生子 (ぼう みおこ)

研究・専門分野
中高年女性の雇用と暮らし、高齢者の移動サービス、ジェロントロジー

経歴
  • 【職歴】
     2002年 読売新聞大阪本社入社
     2017年 ニッセイ基礎研究所入社

    【委員活動】
     2023年度~ 「次世代自動車産業研究会」幹事
     2023年度  日本民間放送連盟賞近畿地区審査会審査員

(2023年05月30日「研究員の眼」)

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