コラム
2023年04月19日

パート賃上げと「厚生年金ハーフ」

金融研究部 主席研究員 チーフ株式ストラテジスト 井出 真吾

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● パート賃上げ率5.68%

産業別労働組合「UAゼンセン」によると、23年の春闘でパートの賃上げ率が5.68%(制度昇給、ベア等込)となった。女性や60歳代の就労、共働き世帯が増加し、仮に昨今の物価上昇がなくても、雇用形態や就業時間にかかわらず機能発揮に見合った賃上げは極めて重要だ。

皮肉なのは賃上げが人手不足を助長する懸念だ。いわゆる「年収の壁」問題で、賃金単価が上がると去年と同じ就業時間でも「壁」を超えることがある。たとえば所得税が課されないぎりぎりの年収103万円だったパートタイム労働者の場合、5.68%賃上げ後に去年と同じ時間働くと年収が108.8万円に増える。「103万円の壁」だけでなく、勤務先従業員101人以上などの条件に合致すると社会保険料負担が生じる「106万円の壁」も超えてしまう。

年収を103万円に抑えるには就業時間を約5.4%減らすことになる。毎月20日勤務なら19日弱に減らす計算だ。勤務時間を減らしても年収(手取り額)を維持できるなら不都合はないと考える人もいようが、企業や日本社会にとっては大きな問題になりうる。

● 「年収の壁」の誤解

そもそも「年収の壁」には誤解も多い。まず、税による壁からみると、配偶者(便宜的に夫とする)に扶養されるパート労働者(妻)の給与収入が103万円を超えると妻に所得税がかかる。このとき妻の「手取りが減る」というのが最初の誤解だ。課税対象は103万円を超えた部分のみなので、年収104万円なら所得税は500円(1万円×5%)、手取りは9,500円増える。一般に翌年の住民税も増えるが(自治体によって異なる)、いずれにしても妻の手取りが減ることはない。妻の年収が150万円を超えると夫の配偶者特別控除が段階的に減る。そのため世帯年収ほどは夫婦の手取り合計が増えないが、やはり通常は手取りが減ることはない。

● 社会保険による壁

むしろ悩ましいのは社会保険による壁だろう。従業員101人以上の企業で週30時間未満など一定条件下で働く妻の所定内賃金が105.6万円(8.8万円×12ヶ月)を超えると厚生年金と勤務先の健康保険に加入する。厚生年金保険料・健康保険料の負担が年間約15万円生じるため、年収を125万円程度に増やさないと妻の手取りが減る(妻が40歳~64歳なら年間1万円程度の介護保険料も徴収される)。

ここで大事なのが「所定内賃金」には残業代・賞与・通勤交通費などが含まれないことだ。「壁超え」を回避するために残業を抑えても全く意味がない。これもよくある誤解だ。

所定内賃金が105.6万円を超えると目先の手取りは減るが、老後に厚生年金を受け取ることができる(夫の扶養だと国民年金のみ)。あえて損得勘定すれば、仮に年収110万円で働いた場合、80歳代前半で厚生年金の受給額が目先の手取り減少分を上回るという。女性が平均的に90歳くらいまで生きることを考えれば、人生トータルで考えればどちらが「お得」か一目瞭然だ。また、妻の健康保険から出産手当金(休業手当)を受給でき(夫の扶養だと受け取れない)、出産前後の厚生年金保険料が免除される(年金は減らない)。出産を考えている人はメリットがさらに大きい。

● 厚生年金ハーフ

前述のとおり人生トータルで考えれば「106万円の壁」など存在しないのだが、そうはいっても90歳まで生きる保証もなく、「目先の手取りが減る」ことへの抵抗感は小さくないだろう。厚生年金保険料の半分を負担する事業主にも「106万円の壁」を超えさせないインセンティブが働きうる。

対応策として「厚生年金ハーフ」なるものが提案されている。所定内賃金の額にかかわらず厚生年金保険料の事業主負担を義務化(年金受給額は半額)、残りハーフは労働者の選択性にする案だ。労働者は目先の手取り額に影響しない厚生年金ハーフか、手取りは減るが人生トータルの収入が多くなる可能性が高い厚生年金フル(現在の厚生年金制度)を選べる。

実現すれば就業調整する意味がなくなり人手不足緩和に繋がるうえ、生活スタイルやライフプラン、家庭の状況などが異なる様々な人のニーズに応えうる妙案だ。100人以下の企業で働く国民年金加入者(事業主負担がない)への対応も含めて、積極的な議論を期待したい。
 
 

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金融研究部   主席研究員 チーフ株式ストラテジスト

井出 真吾 (いで しんご)

研究・専門分野
株式市場・株式投資・マクロ経済・資産形成

経歴
  • 【職歴】
     1993年 日本生命保険相互会社入社
     1999年 (株)ニッセイ基礎研究所へ
     2023年より現職

    【加入団体等】
     ・日本ファイナンス学会理事
     ・日本証券アナリスト協会認定アナリスト

(2023年04月19日「研究員の眼」)

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