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サイレントサイバーリスクの増大-サイバーリスクの引き受けは、サイバー保険にとどまらない!?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
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1――はじめに
こうしたなか、損害保険会社は、サイバー保険の開発や引き受けを通じて、サイバーリスクへの補償を行っている。米国では、サイバーリスクの拡大とともに、保険会社が負うリスクも増大している。米国アクチュアリー・アカデミー(AAA)1は、「サイバーリスク ツールキット」と題するペーパー(以下、「ペーパー」)を公表し、保険会社のリスク対応力の向上を促している。以下、そのペーパーをもとに、サイバーリスクについて見ていくこととしたい。(本稿は、特に断らない限り米国について記載。)
1 AAAは、American Academy of Actuariesの略。1965年に設立され、本部はワシントンD.C.。
2――サイバーリスクの状況
1 総務省は情報通信白書のなかで、「様々な主体によりサイバーセキュリティに関する問題が引き起こす経済的損失が算出されているが、全世界で6,000億ドルから多いもので22兆5,000ドル、日本国内でも1社当たり数億円の損失が生じるものと算出されている」としている。(「令和2年版情報通信白書」(総務省)より)
3――サイバーリスクとは
1|サイバー犯罪は顕著に増加している
サイバーリスクは、サイバー犯罪によってさまざまな被害が引き起こされるリスクといえる。サイバーリスクには、いくつかの分類方法がある。全米保険監督官協会(NAIC)によると、(1)個人情報の盗難、(2)業務の中断、(3)風評被害、(4)データ修復費用、(5)顧客リストや企業秘密の盗難、(6)ハードウェアやソフトウェアの修理費用、(7)影響を受けた消費者に対する信用モニタリングサービス、(8)訴訟費用、といったリスクが含まれるという3。
3 “Cybersecurity”(NAIC, Last Updated 2021.5.27)より。
4 DDoSは、Distributed Denial of Serviceの略。分散型サービス拒否攻撃を指す。
5 情報セキュリティ専門家を中心に構成する「10 大脅威選考会」の協力により、2021年に発生したセキュリティ事故や攻撃の状況等から脅威を選出し、投票により順位付けして解説した資料。
4――サイバーリスクの特徴
1|サイバーリスクには集積性の際限がない
サイバーリスクは、リスクの発現が同時期に集中する「集積性」をもつ。たとえば、フィッシング詐欺では、ある時期に不特定多数の人に一斉にメールを送付して、詐欺被害が多発する。こうした集積性は、地震や台風のような大規模自然災害でもみられる。だが、サイバーリスクの場合は地震の活断層や台風の襲来する季節のような、地理や時間による制限がない。このため、いつでもどこでも起こりうるという特徴を持つ。極端な場合、全世界で同時期にリスクが多発することもありうる。
当たり前のことだが、サイバーリスクは人間の手によって起こされる。情報取扱者の不注意や過失によって漏洩などの問題が起きることもあるが、サイバー攻撃の場合は、攻撃者が意図的に引き起こす。攻撃者は、セキュリティの整備状況に応じて、動的に攻撃を変えることができる。そのため、サイバーリスクは発現にランダム性がないとされている。たとえば、あるシステムに、脆弱性の放置など、サイバーセキュリティ上の欠陥があると、その欠陥をつくマルウェア6がつぎつぎにあらわれる恐れがある。
6 悪意のあるソフトウェアや悪質なコードの総称。
サイバーリスクはネット環境の発展とともに、攻撃などの機会が増える。近年、モノのインターネット(Internet of Things, IoT)の拡大により、スマートスピーカー等のデジタル情報家電など、ネット経由で制御可能なデバイス数が増加している。これにより、サイバーリスクの脅威が増している。
2020年以降、コロナ禍によりリモートワークが進んだことで、コンピューターウイルスが従業員の自宅パソコン等を通じて企業のシステムに侵入する可能性が出てきている。コロナ禍は、感染症のウイルスとコンピューターウイルスの2つのウイルスにより、リスクを増大させたといえる。
上記の3つの特徴は、サイバーリスクの管理の難しさにつながる。リスク管理上、リスクの集積に際限がなく、リスク発現にランダム性がないとされており、しかもその脅威は今後ますます増加していく。このため、過去に発生したサイバーリスク事象の経験を生かすだけでは、将来のリスク管理は不十分となる。
このことは、サイバー保険の開発や引き受けにおいて、特有の検討要素につながっていく。つまり、サイバーリスクの価格や引受条件は、単に過去の経験データをもとに設定するだけでは不十分となる。今後のリスクの増大や変質の見通しを立てながら、検討していく必要がある。
5――サイレントサイバーリスク
1|サイレントサイバーリスクは、契約規定のあいまいさに起因する
一般の保険契約では、契約規定のなかにサイバーリスクが明示的に含まれていない場合や、明確に免責とされていない場合がある。こうした場合、サイバー事件による損害保険の補償(損害賠償補償など)の範囲があいまいになる。保険会社側からみると、補償を提供する意図がなかった保険契約からも、サイバー攻撃によって、保険金請求が発生する事態が生じることとなる。
たとえば、洪水保険のような自然災害を対象とした補償を行う保険にも、サイバーリスクは存在する。サイバー攻撃によって、ダムの制御システムがハッキングされて洪水が発生し、その結果、甚大な被害が生じたとしよう。この場合、保険契約上、サイバー攻撃による洪水に関する給付支払の規定があいまいだと、保険会社は、保険金支払いによる損失のリスクにさらされる可能性がある。
サイレントサイバーリスクは契約規定上、保険会社が意図していなかった補償から発生するが、そればかりではない。たとえ契約規定に補償の内容が明文化されていたとしても、その保険料設定の見積もりが不適切な場合、想定を上回る保険金支払いが起こり、損失発生につながる恐れがある。
先ほどの洪水保険の例で、サイバー攻撃により発生する洪水を補償すると規定して、それに応じた保険料を設定していた場合を考えてみよう。価格設定に用いた前提(過去の経験データ等による)を、サイバーリスクの増大に伴って改定しておかないと、保険金が想定を超えてしまうことがある。サイバーリスクが年々増大すれば、それを補償する保険契約の保険料も毎年上昇していくことにつながる。
サイレントサイバーリスクが、広く知られるきっかけになったサイバー攻撃がある。
2017年6月に発生したマルウェア “NotPetya”(ノットペーチャ) 7によるサイバー攻撃だ。このサイバー攻撃は、主にウクライナに焦点を当てており、ロシアによるものとされた8。海運業や運送業の大手など、複数のグローバル企業にも事業の中断などの形で、被害をもたらした。被害総額は100億ドル超と推定されている。これに伴い、これらの企業が契約していた保険では、一般賠償責任などの形でサイバー損失が発生した。
このサイバー攻撃の後、損害保険契約で「戦争行為免責」を理由に、保険金の支払いを拒否する事案が発生した。この契約の保険金支払いを巡って、契約者企業と保険会社の間で訴訟9が発生しており、それをきっかけにサイレントサイバーリスクへの注目度も高まった。
保険会社では、サイバーリスクに関する契約規定を明確化する動きが出ている。
7 2016年3月にウクライナで発生した“Petya”というマルウェアに似ていたが、感染力が強く、「Petyaではない」と名付けられた。
8 2018年に、米国、英国、オーストラリアの政府は公式に攻撃がロシア軍によるものだとしたが、その証拠は公表されていない。
9 Mondelez International, Inc. v. Zurich American Insurance Company 2018 WL 4941760 (Il.Cir. Ct.) No.2018L022008 (NotPetyaサイバー攻撃に関する損害保険訴訟)
6――おわりに (私見)
サイバーリスクは、社会のデジタル化に伴い、主要なリスクの1つとなっていくだろう。短時間のうち被害が国境を超えて拡大する恐れがある、脆弱性を狙って攻撃が繰り返されるなど、他のリスクにはみられない脅威となることも考えられる。
保険会社にとっては、サイレントサイバーリスクとして、サイバー保険以外の保険契約にも、影響が及ぶ可能性があるため、契約規定の確認を行うことが必要となるだろう。
今後も、サイバーリスクとそれに対する保険会社の取り組み動向について、注視していきたい。
(2022年10月11日「保険・年金フォーカス」)
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保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
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