- シンクタンクならニッセイ基礎研究所 >
- 保険 >
- 保険会社経営 >
- 気候変動とメンタルヘルス-こころの健康の維持には、どのような対処が必要か?
気候変動とメンタルヘルス-こころの健康の維持には、どのような対処が必要か?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
文字サイズ
- 小
- 中
- 大
1――はじめに
そんななか、世界保健機関(WHO)は、6月にストックホルムで行われた会議で、「気候変動とメンタルヘルスに関する政策要綱」(以下、「政策要綱」)を公表した1。気候変動のメンタルヘルスへの影響は、IPCCの第2作業部会(WG2)が2月に公表した報告書2の中でも指摘されている。この政策要綱は、こうした指摘を踏まえて、この問題に対するWHOの評価や対策をまとめたものとなっている。
近年、各国で若者を中心としたメンタルヘルス悪化の問題がクローズアップされている。もし今後、気候変動がそれに拍車をかけるとすれば、この問題はより深刻なものとなりかねない。本稿では、WHOの政策要綱をもとに、気候変動とメンタルヘルスについて、見ていくこととしたい。
1 “Mental health and climate change : policy brief”(WHO, June 2022)
2 “Climate Change 2022 - Impacts, Adaptation and Vulnerability”(IPCC WG2, Summary for Policymakers, Feb 2022)
2――気候変動問題とメンタルヘルスの関連付け
そもそも気候変動という環境問題のテーマを、メンタルヘルスという精神医療の分野と結びつけて研究されるようになったのは、最近のことだ。政策要綱によると、研究結果が公表されたのは、2007年頃からとされる。20世紀には、公害などによる環境汚染が人々の健康に悪影響を及ぼすことが問題となった。そのときには、主に汚染物質が引き起こす公害病などの身体的影響が論じられた。これに対して、近年、気候変動問題への注目度が高まるとともに、メンタルヘルスへの影響が指摘されるようになってきた。IPCCやWHOなどを中心に、研究機関からさまざまな研究成果が公表されつつある。
WHOが公表した政策要綱では、気候変動、メンタルヘルス、MHPSSの定義をそれぞれ紹介している。
気候変動を、「気候の状態の変化で、その性質の平均値や変動性の変化によって特定することができ、通常は数十年以上の長期間持続するもの」(IPCC報告書の引用)。メンタルヘルスを、「すべての個人が自分の可能性を実現し、生活のストレスに対処し、生産的で実りのある仕事をすることができ、地域社会に貢献することができる幸福な状態」としている。そのうえで、MHPSSについて、「心理社会的幸福の保護または促進、精神障害の予防または治療を目的とする、あらゆる種類の地域または外部の支援」と定義している。
MHPSSは、気候変動に関する災害等の緊急事態に対応して、幅広い関係者を団結させ、適切な支援を提供するアプローチの必要性を強調するために導入されたとしている。
3――気候変動問題がメンタルヘルスに影響を与える経路
政策要綱は、代表的な経路に関して説明を述べている。筆者による補足、意訳および解釈を交えて、概観していく3。
3 筆者による補足、意訳および解釈部分は、下線で表記する。
(a) ストレス反応
気候変動関連ハザードは、激しい精神的苦痛につながる可能性がある4。災害等の緊急事態が発生した後に、ほとんどの人が何らかの苦痛を経験する。水や食料の提供、衛生面の改善など、基本的なニーズが満たされて、無事と安全が確保できれば、苦痛に対する効果的な対処が図られる。
(b) ストレスに関連した健康問題
ストレスは免疫系の反応を低下させ、大気汚染や水を媒介とする感染症に対する脆弱性を高める。慢性的な苦痛は睡眠障害と関連しており、身体に影響を与えたり、メンタルヘルスを悪化させたりする。心理的ストレスは、心血管疾患や自己免疫疾患、潜在的にはがんの発症リスクを高める可能性がある。
(c) メンタルヘルス状態
極端な気象の後に、うつ病、不安、ストレス関連状態などのメンタルヘルス状態が発生することが報告されている。
(d) 緊張した社会関係
気候変動関連ハザードは、対人関係の緊張や親密なパートナーからの暴力につながることがある。また、他の影響として、家族の別居や社会的支援システムからの断絶がありうる5。
(e) 無力感、恐怖、悲嘆
気候変動のゆっくりとした影響を目の当たりにすることは、無力感や苦悩とともに、将来への不安につながる可能性がある。気候変動を止めることや変化を起こすことは不可能と感じ、喪失感、無力感、欲求不満を経験する人もいる。
政府の気候変動対策の不作為に直面して、多くの若者がこの問題への悩みを悪化させており、政府の裏切りや不信感を感じると訴えている。
(f) 自殺行動のリスク増加
自殺のリスクは、反復的または重度のハザードを経験した人ほど高くなることがある。また、多くの国で、周囲の気温の上昇は、自殺率の上昇と関連している。
4 「ハザードとは、『人命の損失、負傷、財産への損害、社会的・経済的崩壊、もしくは環境破壊を引き起こす可能性のある、潜在的に有害な自然事象・現象、人間活動』のこと。ハザードには、将来的に脅威となる可能性のあるものを示す可能性のある潜在的な状況や、自然的(地質学的、水文気象学的、生物学的)あるいは人為的行為(環境破壊・技術ハザード)により引き起こされる潜在的な状況がある。」(「『兵庫行動枠組2005-2015』(第2回国連防災世界会議)暫定仮訳」(外務省)より引用)
5 例えば、一時的に転居が必要となり、子どもたちが別の学校に通うか、学校を休まなければならなくなることなど。
(a) 個人的に大切な場所を失うこと
気候変動は、環境や地域社会を脅かし、その結果、大切な場所を失うという喪失感や寂寥(せきりょう)感を生むことがある。物理的な環境の変化や、人々の家庭環境の破壊は、精神的な苦痛や障がいにつながる可能性がある。例えば、海面上昇によって人々が家を失ったり、土地が農作業に適さなくなったり、長期にわたる干ばつによって食糧生産ができなくなったりした場合、こうした影響を受けた人々は精神的苦痛や無力感を経験する可能性がある。家庭環境が失われると、生活の継続性や帰属意識の喪失を引き起こす。個人のアイデンティティが失われることもある。
(b) 自律性と統制の喪失
気候変動は、基本的なニーズやサービスに影響を与え、人々の自主性や制御感覚に影響を与える。例えば、高齢者や障がい者にとって、移動することが困難となる。
(c) 公害
大気汚染は気候変動の重要な要因となる。妊娠中に母親が粒子状物質にさらされた後の子ども を含めて、メンタルヘルス状態のリスク増加と関連している。
気候変動問題に関連して、メンタルヘルスでは、新しい症状の概念も示されている。
(1) 生態学的悲嘆 (ecological grief)
自然や人為的な出来事によって、生態系の環境が失われてしまうことに起因する悲嘆の反応をいう。悲嘆を引き起こす原因として、生物種や生態系などがハリケーン災害等により失われること。物理的な環境上に構築されている個人的、文化的アイデンティティの破壊等の環境認識の喪失。現存の生物種や生態系などが、将来的に失われてしまうとの予想、などが考えられる6。
(2) エコ不安 (eco-anxiety)
環境破壊に対する慢性的な不安をいう7。もはや避けられないとみられる、気候変動の影響を観測することから生じる。環境保護の意識を強く持つ人ほど、エコ不安に陥りやすいとされる。
(3) ソラスタルジア (solastalgia)
気候変動に伴う環境破壊等により、個人が住み慣れた土地などが変貌してしまう苦悩をいう。原因となる環境破壊には、自然災害によるものの他に、鉱物の採掘や、道路・ダム建設といった人為的なものも含まれる8。
6 “Ecological Grief as a Response to Environmental Change: A Mental Health Risk or Functional Response?”Hannah Comtesse, Verena Ertl, Sophie M. C. Hengst, Rita Rosner, Geert E. Smid(NIH, International Journal of Environmental Research and Public Health, Jan 2021, 18(2):734)を参考に記述。
7 “Mental Health and Our Changing Climate : Impacts, Implications, and Guidance”(American Psychological Association, March 2017)による。
8 “Solastalgia: the distress caused by environmental change” Glenn Albrecht 1, Gina-Maree Sartore, Linda Connor, Nick Higginbotham, Sonia Freeman, Brian Kelly, Helen Stain, Anne Tonna, Georgia Pollard(Australas Psychiatry, 2007, 15 Suppl 1:S95-8.) を参考に記述。
(2022年09月06日「基礎研レター」)

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
篠原 拓也のレポート
日付 | タイトル | 執筆者 | 媒体 |
---|---|---|---|
2025/04/28 | リスクアバースの原因-やり直しがきかないとリスクはとれない | 篠原 拓也 | 研究員の眼 |
2025/04/22 | 審査の差の定量化-審査のブレはどれくらい? | 篠原 拓也 | 研究員の眼 |
2025/04/15 | 患者数:入院は減少、外来は増加-2023年の「患者調査」にコロナ禍の影響はどうあらわれたか? | 篠原 拓也 | 基礎研レター |
2025/04/08 | センチネル効果の活用-監視されていると行動が改善する? | 篠原 拓也 | 研究員の眼 |
新着記事
-
2025年05月02日
ネットでの誹謗中傷-ネット上における許されない発言とは? -
2025年05月02日
雇用関連統計25年3月-失業率、有効求人倍率ともに横ばい圏内の動きが続く -
2025年05月01日
日本を米国車が走りまわる日-掃除機は「でかくてがさつ」から脱却- -
2025年05月01日
米個人所得・消費支出(25年3月)-個人消費(前月比)が上振れする一方、PCE価格指数(前月比)は総合、コアともに横這い -
2025年05月01日
米GDP(25年1-3月期)-前期比年率▲0.3%と22年1-3月期以来のマイナス、市場予想も下回る
レポート紹介
-
研究領域
-
経済
-
金融・為替
-
資産運用・資産形成
-
年金
-
社会保障制度
-
保険
-
不動産
-
経営・ビジネス
-
暮らし
-
ジェロントロジー(高齢社会総合研究)
-
医療・介護・健康・ヘルスケア
-
政策提言
-
-
注目テーマ・キーワード
-
統計・指標・重要イベント
-
媒体
- アクセスランキング
お知らせ
-
2025年04月02日
News Release
-
2024年11月27日
News Release
-
2024年07月01日
News Release
【気候変動とメンタルヘルス-こころの健康の維持には、どのような対処が必要か?】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。
気候変動とメンタルヘルス-こころの健康の維持には、どのような対処が必要か?のレポート Topへ