2022年08月08日

ECBの新枠組みだけではユーロ圏の分断化は防げない

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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PEPP再投資の柔軟活用はすでに始まっている

一方、すでに活用されているのが、(2)のPEPPの償還資金の再投資である。8月2日にECBが公表した6~7月分のPEPPの純買い入れに関する国別の内訳のデータによれば、ドイツの143億ユーロを筆頭に、オランダが33.8億ユーロ、フランスが12.1億ユーロの減少している。他方、イタリアが97.6億ユーロ、スペインが59.1億ユーロ、ギリシャが10.9億ユーロ、フィンランドが5.4億ユーロ、ポルトガルが5.1億ユーロ増加している(図表6)。フィンランドを例外として、高格付け国の償還資金を原資として、低格付け国を支援する傾向が明確に表れている8

50bpの利上げを決めた7月政策理事会後、ドイツとイタリアの利回り格差は再び240bpを超えたが、直近(8月5日時点)は202bpまで縮小している(図表4)。理事会後の利回り格差の拡大は、理事会当日の7月21日に、イタリアの信用力の下支えに貢献してきたドラギ首相が辞任し、9月25日の総選挙を経て、メローニ党首率いる「イタリアの同胞」、サルビーニ元副首相率いる「同盟」、ベルルスコーニ元首相率いる「フォルツァ・イタリア」の右派3党によるポピュリスト政権の誕生という2018年と同じようなリスクが意識されたからであろう。その後の利回り格差の縮小は、PEPPの再投資やTPIの導入よりも、景気後退懸念の高まりによるドイツの長期金利低下という要因が効いていると思われる。
図表6 PEPPの純買い入れ額(22年6月~7月)/図表7 ユーロ圏内のインフレ格差
 
8 フィンランドに関してはロシアと長い国境線を有するリスクが意識する市場の動きをECBが牽制する役割を果たした可能性もある。

イタリアはTPIの「基準」に現時点では適合

イタリアはTPIの「基準」に現時点では適合、しかし、今後、逸脱する恐れはある

TPIの潜在的な受益国であるイタリアの財政赤字のGDP比が20年は9.6%、21年は7.2%と過剰な財政赤字の基準値である3%を大きく超えている。政府債務残高は20年の同155.3%から同150.8%に低下したが、EUが健全性の目安とする同60%から大きく乖離しており、EUが財政ルールで求めるスピードでの削減が進んでいない。しかし、EUの財政ルールはコロナ対応の特別措置(一般免責条項)が適用されているため(図表3)、イタリアはTPIの適用を判断する基準の1つであるEDP((1))の対象とはなっていない9。EIP((2))の対象ともなっていないが、ギリシャ、キプロスとともに「過剰な不均衡」は認められている10。ギリシャ、キプロスの不均衡が、過剰な政府債務と対外的な不均衡であるのに対して、イタリアの場合、対外的な不均衡はなく、過剰な政府債務と低生産性が指摘されている。この点は、(3)の判断基準の1つとなるIMFの国別サーベイランス(4条協議報告書)11の評価や、(4)の欧州委員会のCSRs12でも指摘されている。

イタリアの過剰な政府債務は低い生産性からくる低成長の結果であり、復興基金のRRSの利用計画でも約束したグリーン化、デジタル化投資や、税制・法制も含む広範な改革に取り組むことが求められる。

要して言えば、現時点でのイタリアはTPIの「基準」に一応適合しているが、基準から逸脱するおそれは十分にあり、期待を超える政策運営や改革の進展が必要とされる。PEPPの再投資を補完するTPIが、ストレス期の有効な手段となり得るのかは見極めが必要だ。

ESMや復興基金も分断化抑制機能を果たす

ESMや復興基金も分断化抑制機能を果たす

ユーロ圏には、ESM、復興基金という分断化抑制の枠組みも備わっており、債務危機の抑止力は向上している。

イタリア経済の課題解決は容易ではないが、政治がEUとの対決色を強める方向には傾き難くなっている。イタリアは、復興基金からの最大の受益国であり、PEPPの再投資やTPIからの潜在的な受益国であること、財政ルールの「一般免責条項」は23年も延長の方向にあり、EUがユーロ危機時の財政緊縮を押し付けていないこと、さらにEUが進めるエネルギー危機対策でも、EUの政策からの受益が期待される。右派3党のポピュリスト政権が誕生した場合にも、EUと対決色を強め、自国を決定的な「分断化」に追い込むような事態を回避する力が働くと思われる13
 
13 首相就任が有力視される「イタリアの同胞」のメローニ党首はEUに懐疑的で、フランスを攻撃対象としてきたが、政権の座が意識されるようになったことで主張を穏健化している。参考資料としてGiorgio Leali ‘Franco-Italian honeymoon hits troubled waters as Macron loses No. 1 ally in Rome’, POLITICO, August 5, 2022

持続するエネルギー危機、試される結束

持続するエネルギー危機、試される結束

エネルギー危機下で、ユーロ圏内のインフレ格差は、導入以来の最高水準まで広がっている(図表7)。各国ごとのエネルギー構成の違いや、エネルギー価格安定化策、負担軽減策の違い、企業の価格設定行動の違い、さらに労働市場の構造的な差異(労使関係、賃金決定方式の違い)などを反映したものであり、この先も、圏内のインフレ格差は定着するおそれがある。

こうした非対称的なショックへの単一金融政策の効果は限られている。目下、ユーロ圏が直面しているロシアとの対立を背景とするエネルギー危機を乗り越えるためには、脱ロシア産化石燃料のための行動計画「REPowerEU」14に盛り込まれているようなエネルギー単一市場の強化という、ユーロ危機やコロナ禍とは異なるアプローチでの統合深化が必要になる。エネルギー構造や政策、既存のインフラや地理的条件の違いなどから、利害の対立も生じやすい。しかも、過去の危機対応を主導した独仏のリーダーシップが弱まっており、数年にわたり続くと見られる難局を乗り切るまで結束を維持し続けられるのかが試されることになる。

ラガルド総裁は、先に紹介したブログで、利上げを「インフレ率の低下に向けた私たちの旅の画期的な瞬間」と表現している。この先のECBとユーロの旅は長く、緊張を帯びる場面を迎えることもあるだろう。ロシアのウクライナ侵攻は、価値観を共有する同盟としてEUの特徴を際立たせた。各論での対立はあったとしても、決定的な決裂は回避すると見ている。
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2022年08月08日「Weekly エコノミスト・レター」)

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