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尹政権の労働市場改革は支持率回復の鍵になるだろうか
生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中
韓国では2018年2月に改正勤労基準法が成立し、2018年7月1日から公共機関と従業員数300人以上の事業所を対象に「週52時間勤務制」が施行された。そして、2020年1月からは従業員数50人以上299人以下の事業所に、さらに、2022年1月からは従業員数5人以上49人以下の事業所に改正法が適用されることになった(従業員数29人以下の事業所については、2021年7月1日から2022年12月31日までの間、業務量が大幅に増加する等、臨時的な特別の事情があった場合、労使合意に基づき、週12時間の延長労働に加えて、さらに週8時間の特別延長労働が許容される)。
「週52時間勤務制」とは、残業時間を含めた1週間の労働時間を52時間までに制限する制度であり、違反した場合は2年以下の懲役または2,000万ウォン(日本円=約200万円)以下の罰金が科される。制度の目的は、長時間労働の問題を解消することにより労働者のワーク・ライフ・バランスを実現可能にすることと、既存労働者の労働時間減少により新しい雇用を創出することであった。
「週52時間勤務制」の実施以降、韓国の労働者の年間平均労働時間は2018年の1993時間から2021年に1915時間まで減少した。しかしながら、制度が急速に実施されたことにより副作用も起きた。製造業等の現場では残業ができなくなり、賃金総額が減少する問題が発生した。
労働組合のある大企業等は賃上げを行うことにより、残業時間が減り、賃金総額が減少した労働者の賃金をある程度補填する措置を実施したものの、中小企業や零細企業の多くはこのような措置が行えず、その結果、労働者の収入は大きく減少した。
収入が減少した労働者の多くは既存の生活水準を維持するために、勤務後に運転代行や配達等の副業をする選択をせざるを得なくなった。仕事を掛け持ちすることにより移動時間や労働時間が増え、その結果、文政権が目指していた「夕方のある暮らし」の実現は難しくなってしまった。
また、「週52時間勤務制」の施行以降、中小企業では賃金減少を理由に転職する労働者が増え、中小企業の労働力不足問題はさらに深刻化した。一部の中小企業では人材の流出を防ぐために賃金を引き上げたが、その結果収益は大幅に減少した。
このような状況の中で、尹錫悦候補は今年5月に行われた大統領選挙で、無理な労働時間の短縮よりは柔軟な働き方を推進することを公約として掲げて、文政権の「週52時間勤務制」を大幅修正する考えを示した。
そして、尹錫悦氏が第20代韓国大統領に就任してからおよそ1ヵ月が過ぎた6月23日に、雇用労働部が行ったブリーフィングにおいて、尹政権の労働市場改革推進の方向性を明らかにした。
まず、労働時間制度については、「週52時間勤務制」の施行により週12時間に制限した残業時間を、現在の週単位から月単位で調整する意向を示した。また、実労働時間の短縮のために年次有給休暇の取得率を高め、在宅勤務を含むテレワークの実施を奨励する等、多様な働き方の必要性を強調した。さらに、研究開発分野のみ労働時間の清算期間を3カ月としている選択的勤務時間制(フレックスタイム制)を、その他の職種(清算期間は1カ月)にも拡大することを検討すると説明した。
選択的勤労時間制とは、一定の期間についてあらかじめ定めた総労働時間の範囲内で、労働者が日々の始業・終業時刻、労働時間を自ら決めることのできる制度で、労働者は仕事と生活の調和を図りながら効率的に働くことができるメリットがある。
選択的勤務時間制を実施するためには、予め使用者と労働者が書面による合意により、対象労働者の範囲、清算期間(1カ月以内)、清算期間中に労働すべき総労働時間、そしてコアタイム(1日のうちで必ず就業しなければならない時間帯)などを定める必要がある。
一方、既存の年功給中心の賃金体系を改善するために、アメリカのO*NET (Occupational Information Network)を参考に「韓国版職務別賃金情報システム」を構築し、企業に対する賃金コンサルティング支援機能を拡大するとともに、韓国企業の賃金体系の実態を分析し、改善案を提案する計画である。
O*NETとは、アメリカの職業分類に含まれる900以上の職種について、具体的な能力、必要な知識、向いている興味や価値観等を共通尺度上で数値化したデータを提供しているWebサイトであり、2003年にアメリカ労働省により構築された。日本政府も2020年3月19日にアメリカのO*NETをモデルとして、約500の職業情報を掲載した日本版O-NETをリリースし、情報を提供している。
ブリーフィングでは、年功給中心の賃金体系は高成長時代には適合するが、現在のような低成長時代や転職が多い時代には望ましくなく、企業の生産性低下と労働者の勤労意欲の低下につながる恐れがあると説明した。
しかしながら、導入以降継続した問題になっている「賃金ピーク制」については、具体的な改善案は提示されなかった。「賃金ピーク制」とは、雇用または定年延長を企業が保障する代わりに、一定の年齢以降の賃金を引き下げる制度である。民間企業には2000年以降導入され始め、2013年に高齢者雇用促進法により60歳以上の定年を段階的に義務化するよう改正されてから、公共機関と大企業に急速に広がった(改正法は2016年から段階的に施行)。
労働者側では、「賃金ピーク制」は年齢を理由に賃金を引き下げるなど、労働者側に不利益を与える制度であると不満の声が多かった。5月26日には、研究機関の退職者が、在職中の賃金ピーク制適用によって減少した賃金相当額の支払いを元の勤め先に求めた訴訟の上告審判決が行われ、最高裁は「合理的理由のない賃金ピーク制は無効」であると判決した。
韓国では多くの人が「賃金ピーク制」は日本から実施された制度であると誤解しているが、日本には「賃金ピーク制」という言葉はない。役職定年制により役職手当が支給されなくなり、従来よりも低い賃金テーブルに移行することにより、賃金が減ることを「賃金ピーク制」だと誤解している可能性が高い。
尹政権が労働市場改革により支持率を回復するためには、先ずは制度の正しい理解が必要であり、それには政権内で側近を重用する人事ではなく、与野党を問わずに専門家や優秀な人材を登用する勇気や判断が必要であるだろう。

03-3512-1825
(2022年08月04日「研究員の眼」)
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