コラム
2022年06月30日

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コロナ後の企業経営における「2つの重要性」

筆者は従来から、企業経営における「社会的価値の創出(=社会を良くすること)」1と「組織スラック(=経営資源の余裕部分)への投資」2の重要性を主張してきたが、コロナ禍の下で、その重要性を改めて強く感じた。この「2つの重要性」は、コロナ後を見据えた企業経営のニューノーマル(新常態)において、変えてはいけない「原理原則」になる、との考え方を「コロナ後を見据えた企業経営の在り方」と題した弊社発行レポート3にて2020年に提示した。

筆者が提唱するこの「2つの重要性」は、いずれも目先の利益や効率性を追わずに、むしろ短期的にはそれらの経済的リターンが悪化しても、企業は、多様なステークホルダーと志の高い社会的ミッションを共有して、中長期の視点でイノベーションを通じた社会課題の解決や、当該企業さらには社会のサステナビリティ(sustainability:持続可能性)の確保に誠実かつ愚直に取り組み、社会的ミッション実現に邁進すべきである、ということを示すものだ。この2つの重要性は、互いに重なり合うところも多いが、本コラムでは、組織スラックへの投資の重要性について取り上げたい。
 
1 筆者は、企業の社会的責任や存在意義は社会的価値の創出にこそあるとする、志の高い社会的ミッションを企業経営の上位概念に据える考え方を拙稿「地球温暖化防止に向けた我が国製造業のあり方」『ニッセイ基礎研所報』Vol.50(2008年)、および同「CSR(企業の社会的責任)再考」『ニッセイ基礎研REPORT』2009 年12月号にていち早く体系的にまとめた。
2 組織スラックの考え方については、拙稿「震災復興で問われるCSR(企業の社会的責任)」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2011年5月13日、同「イノベーション促進のためのオフィス戦略」『ニッセイ基礎研REPORT』2011年8月号、同「アップルの成長神話は終焉したのか」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2013年10月24日を参照されたい。
3 拙稿「コロナ後を見据えた企業経営の在り方」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2020年8月28日、同「特別レポート:コロナ後を見据えた企業経営の在り方」日本生命保険相互会社(協力:ニッセイ基礎研究所)『ニッセイ景況アンケート調査結果-2020年度調査』2020年12月8日を参照されたい。

経営資源の余裕部分を備える「組織スラック型経営」

経営資源にある程度の余裕、いわゆる「組織スラック(organizational slack)」を備えることは、平時では、あるいは経営資源をぎりぎり必要な分しか持たない「リーン(lean)型」の経営の下では、ムダや非効率に見えても、緊急事態への備えや社会課題解決(=社会的価値創出)に資するイノベーション創出などに向けた「中長期の投資」と捉えるべきである、と筆者は考えている。すなわち、企業は、中長期の視点から想定外の緊急事態にしっかりと備えたり、社会を豊かにするイノベーションの創出を促進するためには、短期的な効率性を犠牲にしてでも、リーン型に偏重した経営ではなく、組織スラックを戦略的に備えておく経営を実践しなければならない4

組織スラックを備えた経営(本コラムでは「組織スラック型経営」と呼ぶこととする)とリーン型に過度に傾斜した経営(本コラムでは「リーン型偏重経営」と呼ぶこととする)のせめぎ合いは、経営層が直面する企業経営の様々な場面での意思決定において起こり得る。本コラムでは複数回にわたり、組織スラックの具体例を示すとともに、リーン型偏重経営とのせめぎ合いの場面を例示することにより、組織スラックへの投資の重要性を改めて示したい。第1回目の今回は、自動車産業の事例を中心に製造業におけるBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)の視点を取り上げたい。
 
4 ムダを省いて効率性を追求するリーン型の考え方自体は、もちろん全否定されるものではないが、経営者がその考え方に過度に傾斜することで、目先の利益を優先する「短期志向(ショートターミズム:short-termism)の経営」に陥ることを避けるべきである、と筆者は考えている。

BCP対策としての組織スラックへの投資の重要性

コロナ禍の下で産業界では、製造業でのグローバルサプライチェーンの途絶が起こったり、オフィスワークが困難になったりしたことで、大規模な自然災害や感染症のまん延(パンデミック)など想定外の緊急事態においても重要業務を継続または迅速に復旧させるためのBCPの重要性を改めて痛感することとなった。

製造業では、コロナ禍の下で、海外の製造拠点やサプライヤーの立地国での都市封鎖(ロックダウン)による供給網(サプライチェーン)の寸断・混乱がたびたび起こり、自国の製造拠点にも一部ラインの休止など大きな影響が断続的に及んでいる。例えば世界の自動車メーカーは、コロナ禍前から顕在化しつつあった世界的な半導体不足による生産制約もあり、2020年秋以降の需要回復下で減産を余儀なくされている。

筆者は、東日本大震災後にも、企業がBCP強化のために組織スラックを備える重要性を指摘した。すなわち、「我が国の大企業の多くは、株主至上主義の下で経営効率を重視するあまり、在庫を極小化するジャスト・イン・タイム(JIT)に代表されるように、ぎりぎり必要な分しか経営資源を持たない『リーン型』の経営に傾斜してしまった。今回の震災で効率性に偏重した経営の脆弱性が露呈したとみられる。震災を契機に、短期的な収益や効率性にとらわれがちだった視点を改め、企業経営の発想そのものが転換されることを望みたい。中長期の事業継続・リスク分散のために短期的には効率が低下しても、在庫・IT資産・設備・事業拠点など経営資源にある程度の余裕、いわゆる『組織スラック』を備えておく、サステナビリティ重視の発想を取り入れてはどうだろうか。事業資産に余裕を持たせるには、自前の投資(生産ラインの二重化)に限らず、アウトソーシング、企業連携、企業買収など多様な手法が考えられ、経営の知恵が求められる。JITについては、中小企業に余裕のない切迫した操業を迫り、体力を消耗させる面があるなら、サプライチェーンの持続可能性を維持するためにも、大企業側が在庫を積み増すなどして、その点を是正すべきだろう」5と主張した。
 
5 拙稿「震災復興で問われるCSR(企業の社会的責任)」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2011年5月13日より引用。

トヨタ:東日本大震災を機に強化してきた半導体調達のBCPが奏功

トヨタ自動車は、コロナ禍や世界的な半導体不足など極めて厳しい事業環境の中、直近の2022年3月期決算にて日本企業で過去最高の営業利益(2兆9,956億円、前期比36.3%増、売上高比(ROS)9.5%)6をたたき出した。コロナ禍の下で供給制約が深刻化するたびに、同社は他社と同様に生産計画の度重なる引き下げを余儀なくされたものの相対的に高い生産水準を維持し、2021年(暦年)の世界新車販売台数は「トヨタが2年連続で首位となった。半導体不足による生産への影響を競合と比べて抑え、2位の独フォルクスワーゲン(VW)との差を広げた」7。また主力の米国市場では、これまで長年トップに君臨してきた米ゼネラルモーターズ(GM)を抜いて初めて年間で首位に立った。

実際に国内生産と海外生産を合算したグローバル生産台数のデータを見ると、コロナ禍の影響を受けた1年目である2020年(暦年ベース)では、トヨタ自動車(レクサスブランドを含み、グループのダイハツ工業および日野自動車を含まないベース)は対前年比▲12.6%減であったのに対して、世界首位を巡ってトヨタとしのぎを削るフォルクスワーゲンが同▲17.8%減、トヨタを除く日系メーカー合計が同▲20.3%減となり、トヨタも2桁減産ではあったものの減産率がフォルクスワーゲンや他の日系メーカーに比べ小さかった(図表1-(2))。続くコロナ禍2年目の2021年では、トヨタの底堅さが一層際立った。すなわち、トヨタは対前年比8.5%増の約858万台と増加に転じた一方、フォルクスワーゲンは同▲6.9%減の約828万台と減産が続いた結果、トヨタがダイハツと日野を含まないトヨタブランドとレクサスブランドの合計の生産台数でも、11年ぶりにフォルクスワーゲンを上回った(トヨタを除く日系メーカー合計は同1.2%増)(図表1-(1)(2))。

トヨタ自動車が世界的な半導体不足による生産制約の影響を相対的に小さく抑えることができた背景には、東日本大震災を機にいち早く強化してきた半導体調達のBCP対策の奏功がある。

東日本大震災の際には、日本の大手半導体メーカーのルネサスエレクトロニクスの主力工場である那珂工場(茨城県ひたちなか市)が被災し甚大な被害を受けた。同社は自動車のエンジン制御などを担う基幹部品である車載マイコン(MCU:Micro Controller Unit)では、当時世界シェア44%8を握る最大手であったため、同工場の生産停止は一時震災直後の自動車産業のサプライチェーン寸断の大きな原因の一つとなった9
図表1 トヨタ自動車、フォルクスワーゲン、日系メーカーの生産台数推移
東北地方に立地する部品メーカーの被災によるサプライチェーン寸断は、日系自動車メーカーの生産に大きな影響を及ぼした。2011年暦年の生産台数を見ると、中国を中心にアジア太平洋地域での現地生産化の推進による高成長市場の取り込みをドライバーに成長軌道に入っていたフォルクスワーゲンは、対前年比15.4%増と増産を維持した一方、トヨタが同▲9.1%減、トヨタを除く日系メーカー合計が同▲2.2%減と日本勢が減産に陥り、とりわけトヨタの減産幅が大きかった(図表1-(2))。東日本大震災は「トヨタのサプライチェーン(供給網)を寸断した。仕入れ先が被災し、およそ500品目に及ぶ部品や素材の調達を早急に手当てする必要に迫られた」「生産が正常化するまでに国内は4カ月、海外は半年かかった。トヨタの代名詞とも言えるジャスト・イン・タイム生産方式にとって、大きな衝撃だった。必要なものを・必要なときに・必要な量だけ作り、在庫をなるべく持たない生産管理手法によって、トヨタは効率と品質の面で業界の盟主となった」10という。このため震災当時は、緊急事態の備えとなる半導体を含む部品在庫がサプライチェーン全体で十分に確保できていなかったと推測され、そのことが減産幅をより大きくさせたとみられる。

「東日本大震災後、トヨタはMCUをはじめとする半導体の調達手法を改めた」「事業継続計画(BCP)の一環として、災害などが起きてもしばらく製品を納入できるだけの半導体在庫を持つよう、サプライヤーに求めた。期間は種類によって異なるものの、多くは3.5カ月から4カ月分。長いものでは6カ月分、中にはそれを超える場合もあるという。半導体を発注してから納品されるまでのリードタイムに当たる」「トヨタは半導体在庫を積み増したサプライヤーに対し、毎年の原価低減活動で下がったコストの一部を還元している。トヨタの場合、MCUの在庫はデンソーのような部品メーカー、半導体商社、ルネサスや台湾のTSMCのような半導体メーカーが持つ」11という。

トヨタが東日本大震災の教訓を踏まえていち早く取り組んできた、半導体調達のBCPの見直し・改善(サプライチェーンの中での在庫積み増し)により強化された、トヨタを頂点とするサプライチェーン全体の底力を、コロナ禍という想定外の緊急事態の中で見事に示したと言えよう。企業は、災害後にBCP対策についてまず真っ先に行うべきことは、経営層や従業員の記憶が明確なうちに、災害対応における意思決定や行動のプロセスを迅速に振り返って総括し、BCPに関わる方針・体制・手順などの問題点・課題を抽出し、それを反映してBCPの改善・見直しを図り次回のBCP発動に備えることであり、これが「BCPの定石・原理原則」である、と筆者は考える。その意味では、トヨタは、このBCPの定石を震災後に着実に実践したと捉えることもできる。

トヨタは、リーン型経営の権化のように言われることがあるが、決してそれに偏重・固執せず、東日本大震災を機にBCPについては、組織スラック型の考え方を柔軟にいち早く取り入れたことは、他の日本企業も学ぶべき点である。
 
今回は、自動車産業を事例として主として製造業におけるBCP視点での「組織スラックへの投資の重要性」について考察してきたが、次回も引続きBCP視点での組織スラックについて考えたい。
 
6 コロナ禍の影響をフルに受けた1年目である2021年3月期決算の営業利益は、対前期比▲8.4%減の2兆1,977億円(売上高比(ROS)8.1%)であった。
7 日本経済新聞電子版2022年1月29日「トヨタ、2年連続で首位 昨年の世界新車販売台数」より引用。左記記事によれば、トヨタグループ(トヨタ、ダイハツ工業、日野自動車)の2021年の世界販売は前年比10%増の1,049.5万台に達した一方、VWは同5%減の888.2万台にとどまった。
8 直近では、IHS Markitが発行した2021年2月付のレポート「2021年車載半導体不足への対処」によれば、ルネサスの車載マイコン供給シェアは、世界首位ではあるものの30%まで低下している。同レポートによれば、2位は26%の供給シェアを占める蘭NXP Semiconductorsである。
9 拙稿「Series 企業経営者に向けたCRE戦略概論/第9回BCPとCRE戦略(1)」三菱地所リアルエステートサービスHP『スペシャリストの智』2017年7月を参照されたい。被災当時ルネサスエレクトロニクスでは、従業員が一丸となって那珂工場の復旧に取り組んだことに加え、プラント、ゼネコン、製造装置、電機、自動車など外部企業からも1日最大2,500人が復旧支援に駆け付けたことから、復旧作業は急ピッチで進み、2011年4月にテストラン、同6月には当初計画から3か月前倒しして量産再開にこぎ着けることができた。
10 白水徳彦「焦点:トヨタ、半導体不足で発揮した抵抗力 震災10年 供給網寸断の教訓」ロイター2021年3月9日より引用。
11 白水徳彦「焦点:トヨタ、半導体不足で発揮した抵抗力 震災10年 供給網寸断の教訓」ロイター2021年3月9日より引用。なお車載半導体は、完成車メーカーではなく、完成車メーカーに電装品など自動車部品を直接納入する1次部品メーカー、いわゆるティア1(Tier1)にまず納入される。

(2022年06月30日「研究員の眼」)

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社会研究部   上席研究員

百嶋 徹 (ひゃくしま とおる)

研究・専門分野
企業経営、産業競争力、産業政策、イノベーション、企業不動産(CRE)、オフィス戦略、AI・IOT・自動運転、スマートシティ、CSR・ESG経営

経歴
  • 【職歴】
     1985年 株式会社野村総合研究所入社
     1995年 野村アセットマネジメント株式会社出向
     1998年 ニッセイ基礎研究所入社 産業調査部
     2001年 社会研究部門
     2013年7月より現職
     ・明治大学経営学部 特別招聘教授(2014年度~2016年度)
     
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員
     ・(財)産業研究所・企業経営研究会委員(2007年)
     ・麗澤大学企業倫理研究センター・企業不動産研究会委員(2007年)
     ・国土交通省・合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会) ワーキンググループ委員(2007年)
     ・公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会CREマネジメント研究部会委員(2013年~)

    【受賞】
     ・日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)及びInstitutional Investor誌 アナリストランキング 素材産業部門 第1位
      (1994年発表)
     ・第1回 日本ファシリティマネジメント大賞 奨励賞受賞(単行本『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』)

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【組織スラック型経営vsリーン型偏重経営(1)-自動車産業など製造業でのBCP視点】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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