2021年04月28日

老後資金の取り崩し再考-生存中の資産枯渇回避を優先する

金融研究部 主任研究員・年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室・ESG推進室兼任 高岡 和佳子

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6――より売却タイミングを計るにはどうしたらいいか

「投資割合維持戦略」は売却タイミングを分散化するだけでなく、投資割合の維持に努めることで、株価の上昇後により多く株式を売却し、株価の下落後は株式の売却を抑制する効果がある。しかし、前年株価上昇したからといって、資産価格が十分に高いとは限らない。その前年(一昨年)に株価が暴落していた場合、前年に多少上昇したところで、資産価格が十分に高いとは限らない。

そこで、「投資割合維持戦略」より更に厳格に資産価格が十分に高くない時点で売却を避ける戦略を考えたい。まず、資産価格が十分に高いか否かを時々で判断する基準が不可欠である。2章と3章で示したように、生活水準の維持を目的とするならば、物価変動による影響も考慮した資金計画が必要であり、退職後も価格変動リスクを伴う資産運用を継続することで、インフレによって資産が枯渇する可能性(リスク)の軽減が期待できる。インフレによるリスク軽減を目的に、退職後も価格変動リスクを伴う資産を保有するのであれば、退職時点からの累計のインフレ率を基準に資産価格が十分に高いか否かを判断すればよい。つまり、退職時点から運用資産の収益率から同期間のインフレ率を引いた実質収益率がα%(年率換算)を上回っているか否かで資産価格が十分に高いか否かを判断する。
【図表5】「二つの財布戦略」と「生涯等ポート戦略」の比較
「投資割合維持戦略」より厳格に資産価格が十分に高くない時点で売却を避ける為には、資産価格が十分に高いか否かだけでは不十分である。資産価格が十分に高いか否かによらず生活費は必要なのだから、資産価格が低い時に備え、投資資金とは別に価格変動リスクを負わない資金を用意する必要がある。そこで、退職時点で資産の50%を世界株式に投じ、残りの50%は価格変動リスクを負わない形で保持する(以下、「二つの財布戦略」)。価格変動リスクを負わない保有形態の一つに普通預金がある。しかし、「投資割合維持戦略」との比較可能性を考えて国債を購入するが、償還前に国債を売却した場合に生じる価格変動リスクを排除する為に満期保有を前提とする。退職時は毎年の取り崩し額を踏まえ、残存1年から10年の国債を均等に購入する。毎年、受け取る利子や元本は、世界株式の価格が十分に高くない状況では生活費に充て、世界株式の価格が十分に高い状況や世界株式の価格が十分に高くない状況でも利子や元本が必要な額を超える場合は、国債保有状況に応じた年限の国債を購入する。
 
これまでと同様に、1971年12月末~1990年12月末の各月末に退職するそれぞれのケースに対し、「退職時の55万円に相当する金額」で「二つの財布戦略」を実践した場合の資産寿命と30年経過時点の残存資産を算出した結果3を図表5に赤実線と赤点線で、「投資割合維持戦略」の結果(図表3の再掲)を青実線と青点線で示す。「投資割合維持戦略」では、1972年頃に退職したケースでは、資産寿命が想定余命を下回るが、「二つの財布戦略」ではすべてのケースで資産寿命が想定余命を下回らない。しかし、30年経過時点の残存資産を見れば、1974年~1986年頃に退職したケースで「投資割合維持戦略」の方が高い。

「二つの財布戦略」と「投資割合維持戦略」との優劣は、退職後比較的早い段階の市場環境によって決まる。インフレによるリスクの軽減目的で投資する資産の収益率がインフレ率を下回るような環境が続くなら、資産価格が十分に高くない時点で売却を避ける仕組みを有する「二つの財布戦略」が優位である。一方、資産の収益率がインフレ率よりも十分に高く、資産価格が十分に高くない時点で売却を避ける仕組みが不要な市場環境では、「投資割合維持戦略」が優位となる(図表6)。念のためITバブル前後の1997年から2001年に退職したケースでも確認したが、20年程度の期間を振り返る限り、「二つの財布戦略」の方が好ましい。

なお、インフレによるリスクの軽減目的で投資する資産の収益率が想定余命を通してインフレ率を下回る場合も、投資割合の維持に努めることで、株価の下落後に株式を購入する「投資割合維持戦略」の方が優位ではある。しかし、そのような環境下ではいずれも戦略でも資産寿命が想定余命を下回るので、資金計画を見直しが必要となる。
【図表6】世界株式と物価の推移(対数)
 
3 α=4%とする。なお、α=2%でも試算したが、30年経過時点の残存資産に差はあるが、資産寿命が想定余命を下回る以下否か、および想定余命を下回った場合の資産寿命に差はない。
 

7――まとめ

7――まとめ

当レポートでは、限られた資産を計画的に取り崩しつつ、生存中の資産枯渇の回避を目指す人を想定し、退職後の資産運用と資産の取崩しについて再考した。退職後の資産運用には価格変動リスクが伴うが、退職後に資産運用を行わない場合でも、物価変動に起因する想定余命内に資産が枯渇する可能性(リスク)が相当高いことを説明した上で、退職後も資産運用を継続することを前提に、三つの退職後の資産運用と資産の取崩し戦略を比較検討した。

一つ目の戦略は保有資産を生涯価格変動リスクに負い続ける代わりに、リスク・リターンの効率性が高いとされる分散投資を継続する「投資割合維持戦略」、二つ目の戦略は当面の生活費は手元に置き、10年程度先に必要となる部分のみ価格変動リスクに負い、価格変動リスクを負う期間は手元資金が枯渇するまでの「資金分割戦略」、三つ目が保有資産の半分は価格変動リスクを負うが、残りの半分は価格変動リスクを負わず、価格変動リスクを負う期間は退職後の市場環境によって変える「二つの財布戦略」である。

「資金分割戦略」は、手元資金が枯渇した時点の相場環境への依存度が高く、他の2つの戦略に比べて、想定余命内に資産が枯渇するリスクが高い。「投資割合維持戦略」と「二つの財布戦略」との優劣は、退職後比較的早い段階の市場環境によって決まる。インフレによるリスクの軽減目的で投資する資産の収益率が(1)インフレ率を上回る環境では「投資割合維持戦略」が優位で、(2)インフレ率を下回るような環境では「二つの財布戦略」が優位である。(2)のうち、退職後比較的早い段階のみならず、(3)想定余命を通してインフレリスクの軽減目的で投資する資産の収益率がインフレ率を下回るような環境下では、「投資割合維持戦略」が優位だが、「投資割合維持戦略」と「二つの財布戦略」のいずれも想定余命内に資産が枯渇するので、早期に資産運用や資金計画を見直す必要がある。

インフレによるリスクの軽減目的で投資するのだから、上記(1)が実現する可能性が高い。よほど見る目がないか、よほど運が悪く無い限り、長期的に(3)となる可能性は低いが、退職後比較的早い段階といった中期的には(2)となる可能性はそこそこあるであろう。以上を総合的に考慮すると、(1)が実現する可能性が高いのであれば、リスク・リターンの効率性が高く、資産形成に有効とされる分散投資を継続する「投資割合維持戦略」が良いと考える人が多いのではないだろうか。しかし、(1)が実現した場合に「投資割合維持戦略」の恩恵を受けるのは、子孫などの相続人である。相続人がいない場合や、相続人により多くの資産を残すことより、(2)となった場合に備え、想定余命内に資産が枯渇するリスク軽減を優先したい場合は、「二つの財布戦略」が良いと思われる。

退職時点の保有資産額、家族構成や遺産に対する考え方が多様化する中、好ましい退職後の資産運用と資産の取崩しは一つではないので、同世代の多くが選択する方法が自分にとっても好ましいとは限らない。退職時期が近づいてきたら、自分にとって好ましい退職後の資産運用と資産の取崩しについて真剣に考えた方が良いし、多様化する顧客のニーズを満たす様々金融サービスの開発が望ましい。
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金融研究部   主任研究員・年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室・ESG推進室兼任

高岡 和佳子 (たかおか わかこ)

研究・専門分野
リスク管理・ALM、価格評価、企業分析

経歴
  • 【職歴】
     1999年 日本生命保険相互会社入社
     2006年 ニッセイ基礎研究所へ
     2017年4月より現職

    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

(2021年04月28日「基礎研レポート」)

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