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経済安全保障の視点で見る「中央銀行デジタル通貨(CBDC)」

総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也
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1――はじめに
本稿では、CBDCが政治的な関心事となった背景を「経済安全保障」の観点から整理する。
2――「覇権争い」に絡む中央銀行デジタル通貨
CBDCへの政治的な関心が高まっている背景には、米中対立の中で、改めて認識されるようになった「経済安全保障」の考え方がある。「経済安全保障」は、一般的に「経済」と「安全保障」が交差する領域の問題として捉えられる。概念的には、自然災害や感染症対策、他国への対抗策など、多様な意味合いで使用される言葉であるが、その政策の方向性(政策類型)は、次の3つに整理される1。すなわち、(1)経済ツールを活用して地政学的な国益を追求する「エコノミック・ステイトクラフト(以下、ES)」、(2) 自国産業や経済の強化を通じてリスク対処能力を向上させる「経済レジリエンス(強靭性)」の構築、(3)自国の優位と平和を構築するための「ルール形成」への関与だ。
まず、(1)のESについては、経済的な手段によって他国に対して影響力を行使し、国家の戦略的な目標を追求するための外交術である。例えば、米国がイランや北朝鮮の核開発に対して課している禁輸措置や金融制裁、ロシアや中国の関与が疑われる企業や政府機関へのサイバー攻撃、国家的な意思のもとで行われる他国の重要企業に対する買収工作などが挙げられる。2019年に日韓の間で問題となった輸出管理の厳格化の措置も、日本が韓国に対して行ったESの一例と考えられる。米国の大統領特別補佐官などを歴任したロバート・ブラックウィル氏は、ESの展開領域として、貿易政策、投資政策、経済制裁、サイバー、経済援助、財政・金融政策、エネルギー政策の7分野を挙げている2。
(2)の経済レリジエンスについては、深刻なリスクや危機に直面した際に、致命傷を回避し、被害を最小化して、迅速に回復するための国の免疫システムである。例えば、自然災害に備えた電力や通信網などのインフラ整備、新型コロナなど感染症への対処や企業活動の維持を目的としたサプライチェーンの見直し、他国のES行使に対抗するためのサイバー・セキュリティ強化や自国産業の育成などが挙げられる。特に近年は、技術開発の場が民間へ移り、民間のデジタル技術が軍事に転用されることも増えている。企業の競争優位性を確保することが、安全保障面でも重要性を増している。
(3)のルール形成については、自国に有利な競争環境を確保し、繁栄の基盤となる国際秩序を自ら作り上げる手法である。例えば、米国主導で構築された自由貿易体制やドル基軸通貨体制、欧州が進める環境規制やデジタル規制の国際展開、中国や韓国が力を入れる技術やモノ・サービスの国際標準化などの経済活動が挙げられる。近年は、デジタル化を背景としたグローバルネットワーク社会の到来により、市場競争が起こる前にルール(標準規格)が決まる傾向が強くなっている。
1 中村直貴(2020年)『経済安全保障-概念の再定義と一貫した政策体系の構築に向けて-』経済産業委員会調査室
2 Ambassador Robert D. Blackwill, Jennifer M. Harris, “War by Other Means”(2016年4月)
近年注目される、人工知能やロボティクス、量子情報といった新技術には、現在の安全保障環境を変える力がある。CBDCは、そのような技術(ブロックチェーンを含む分散型台帳技術)を応用した発明品の1つだ。デジタル社会に即した決済基盤として、CBDCは新たな経済秩序を形成する可能性を秘めている。
中国は、そのようなCBDCの研究開発で先行し、2022年の北京冬季オリンピックまでに、実用化する計画を明らかにしている。そのため、日本や欧米などの主要先進国は、中国の動きに対して強い警戒感を抱いているようだ。実際、自民党の政務調査会・新国際秩序創造戦略本部が、昨年12月に策定した提言3には、「仮に今後デジタル人民元の海外展開が進められていくとすれば、将来的にドル基軸通貨体制、ひいては既存の国際秩序を揺るがす潜在的な可能性を有しているとも考えられる」と記載されている。これは、まさにCBDCが「経済安全保障」に関わる案件であり、日本の安全保障にとって、中国のデジタル人民元が潜在的な脅威になり得ると認識されていることを示している。
ただ、この脅威認識は、数年単位の短期的・中期的な時間軸の中で捉えられたものではない。CBDCを「経済安全保障」の観点からとらえる場合には、より長期的な視点で考えて行く必要があるだろう。特にCBDCは、未だ終わりの見えない米中の「覇権争い」に絡む要素としても注目されており、そのような時間軸の中で意味づけて行くことが肝要だ。
3 自民党政務調査会・新国際秩序創造戦略本部、提言『「経済安全保障戦略」の策定に向けて』(2020年12月)
デジタル人民元については、人民元の国際化を進め、米ドル基軸通貨に挑戦することを目指しているとの見方もあるが、これを短期間で実現することは難しい。なぜなら、中国は依然として資金流出(キャピタルフライト)に対して脆弱であり、市場ルールへの介入や銀行・不動産などへの厳しい規制の導入などにより、急激な資金流出に歯止めを掛けているのが現状だからだ。
国際通貨となるためには、通貨を発行する当該国の経済規模が十分に大きく、通貨の受領性が高いことや対外的な価値が安定していること、通貨の調達や運用が容易であることなどの条件を満たす必要がある。さらに、その先にある基軸通貨は、国際通貨の中でも中心的な役割を果たすものであり、世界的に幅広く使用されることが前提となる。いずれも、金融システムの市場化(金利の自由化など)や為替制度の自由化(変動相場制への移行)などが不可欠であり、それなくして人民元の国際化は進まない。ただ、その対応を急ぎ過ぎれば、海外からの金利裁定や短期資金の流出入を誘発し、中国経済や金融市場の安定が損なわれるリスクが高くなる。そのため、中国が人民元の国際化を進めるためには、事前に国内における金融システムの健全性や金融政策の有効性を高めておくことが必要になる。しかし、中国は肥大化したシャドーバンキングや膨張した企業債務などの問題を抱えており、これを解決するためには、相応の時間を費やすことが必要になる。従って、その試みは漸進的なものにならざるを得ず、少なくとも数年単位の短期間の内に人民元の国際化を実現することは、困難だと考えられる。
ただ、デジタル人民元については、現時点でも気になることが3つある。
1つ目は「一帯一路との関係」だ。2013年に打ち出された一帯一路は、アジアから欧州・アフリカまでを結ぶ広大な範囲を自らの経済圏に組み込む壮大な構想であり、中国国内の過剰な生産能力や外貨準備を解消する目的も相まって、中国から企業が労働者を連れて行く紐付きのインフラ整備が行われて来た4。そのような地域では、中国との経済的な関係が深まると共に、中国企業や中国人労働者が大量に流入している。仮に、中国がデジタル人民元の利用を拡大する意図と手段を持つことになれば、その地域では速やかに普及する可能性がある。すでに一帯一路は、投資政策と経済援助を組み合わせた借金漬け戦略、いわゆる「債務の罠」として(1)ESに利用されて来た過去があることから、他国への干渉力を高める手段として、デジタル人民元と結びつけて考えられることは十分考えられる。
2つ目は「国内ガバナンスの改善」だ。昨年、デジタル人民元の開発を主導してきた中国人民銀行の周小川前総裁は、デジタル人民元発行について、主に国内のリテール決済基盤を強化し、外国為替取引の透明性を高め、中国における通貨主権(ドル化の阻止)と為替制度を守ることを目的にしていると発言している5。これはデジタル人民元が、CBDC特有の追跡可能性(トレーサビリティ)を備えていることから、その普及を通じて汚職や脱税を抑止し、隠れた債務や肥大化するシャドーバンキングなどのリスクを未然に防止して、金融市場の信頼性や透明性を、次第に高めて行くことを期待してのことだろう。これはデジタル人民元が、経済安全保障における(2)経済レジリエンスの強化につながることを意味している。デジタル人民元が発行されても、すぐに国内のガバナンス強化が進むと考えることは難しいが、その実現を早める効果は期待できるだろう。
3つ目は「国際標準化の動向」だ。中国は現在、自国の仕様を国際標準にすることを目指す「中国標準2035」という中期戦略を策定中であり、ISO(国際標準化機構)/IEC(国際電気標準会議)などの国際標準化機関における取組みを積極化させている。中国は、2020年から2023年までのIEC会長ポストを確保したほか、ISO会長ポストも2015年から2017年まで確保してきた6。このような国際標準化機関では、各国が一国一票の投票権を有し、業務に積極的に参加する会員(Pメンバー)のうち3分の2以上の賛成(反対が総投票数の4分の1以下)があれば、国際規格を制定することができる。CBDCについては、すでに相互運用性やセキュリティなどに関する議論が進められており、世界的な発行を視野に入れた動きが活発化している。この分野における活動は、まさに(3)ルール形成への関与そのものであり、標準化に関する議論が中国主導で進むとすれば、デジタル通貨に関わる領域は、中国にとって有利なものとなる可能性が高い。
4 伊藤亜聖、「中国『一帯一路』の構想と実態―グランドデザインか寄せ集めか?―」『東亜』No.579,霞山会(2015年)
5 South China Morning Post, “China’s digital yuan aims to halt US ‘dollarisation’, boost retail payments, ex-central bank governor says”(2020年10月29日)。” China’s digital currency no threat to global monetary systems, former central bank chief says”(2020年12月14日)
6 経済産業省 産業技術環境局「産業技術環境政策について」(2019年7月)
仮に、これら3つの取組みが奏功した場合、日本を取り巻く安全保障環境は、大きく変化する可能性が高い。
例えば、中国がデジタル人民元を国外に展開した場合(すなわち、一部地域や国家全体で、当該国の通貨がデジタル人民元に代替される、いわゆる「人民元化」が進んだ場合)、中国の影響力は大きくなる。「人民元化」の方法としては、中国が一帯一路の沿線国などに対し、資金援助やインフラ整備などを引き換えにして、デジタル人民元の導入を迫るやり方があるだろう。これは、経済圏の一体化が進んでいれば、為替リスクを負わない取引や金融包摂の促進など沿線国(途上国)の側にもメリットがある。また、自国通貨よりも信用力が高く、利便性や安全性にも優れた通貨が登場すれば、当該国の国民がデジタル人民元を使用するようになることもあり得るだろう。
この場合、中国は当該国への⑴ESの展開が容易になる。例えば、CBDCには、発行や流通に関わる全ての情報が記録される特徴があるため、中国当局は取引情報を解析することで、理論的には、個人の趣味嗜好や資産の移動まで把握することが可能だ。仮に、中国が自らに批判的な外国政府要人の個人情報を把握し、故意に流出させたとすれば、その国の政権はスキャンダルで信頼を失墜し、国民の支持を失うことになるかもしれない。また、中央管理型のシステムであるデジタル人民元は、特定の個人や地域を対象として、取引の停止や資産の凍結を行うことも可能となる。デジタル人民元が浸透すれば、米国が多用するような金融制裁を、中国が行使することもできるだろう。そうなれば、経済的にも強く結びついた当該国が中国の意向に背くことは、さらに難しくなると見られる。
ただ、他国通貨をデジタル人民元に置き換える「人民元化」は、国家の通貨主権(金融政策の自主性や通貨発行益など)を奪うものであり、一部の地域への浸透や他国通貨との併存はあっても、完全に代替することは、たとえ経済的な結びつきが強かったとしてもハードルは相当に高い。より現実的には、中国がデジタル人民元の基盤システムを輸出し、その基盤システムを利用して、当該国が自国通貨をデジタル化する可能性の方が高いと考えられる。特に技術力や資金力の乏しい国では、中国での稼働実績を持つデジタル人民元は、自国通貨をデジタル化する際の有力な選択肢となり得るだろう。
この場合も、中国による干渉力は強化され得る。例えば、中国が技術情報をブラックボックス化して輸出した場合、基盤システムにセキュリティホールが仕掛けられていれば、情報を不正に抜き出すこと、バックドアから攻撃を仕掛けることなどが容易になる。これは現在、米国が一部の中国製品を政府調達から排除しているのと同じ懸念だ。ただ、CBDCはネット特有の性質(伝播スピードや複製コストの低さなど)を有しているため、基盤システムが攻撃を受けた際の影響は、甚大かつ広範囲に及ぶことが予想される。
次に、デジタル人民元の技術が国際標準となった場合には、デジタル領域における中国の優位性が、さらに強化されると考えられる。人民銀行が有する関連特許7を用いて、中国企業はコスト競争面で有意に立てるだけでなく、その技術基盤と親和性の高いサービスを、迅速に展開することもできる。ネットワーク効果の働きやすいデジタルサービスは、サービス展開で先行したものに有利だ。国際標準を握ることは、中国企業の産業競争力を高めることで、中国の(2)経済レジリエンスを強化するだろう。また、国際標準を握ることは、技術やサービスの国際展開でも有利に働く。WTO協定には、国内規格の策定で国際規格を優先することを定めたもの8や、政府調達の仕様を国際規格に基づくように定めたもの9があり、ひとたび国際標準が形成されれば、各国はそれに従う必要がある。中国がデジタル人民元の国際標準化にも成功すれば、次世代の国際決済システムは、中国主導で形成されることになるだろう。
なお、中国は人民元の国際化を実現するため、2015年にオンショア-オフショア間のクロスボーダー人民元決済を行う「国際銀行間決済システム(以下、CIPS)」を稼働させている。CIPSは、米国主導の「国際銀行間通信協会(以下、SWIFT)」を迂回する代替システムであり、米国による金融制裁を回避する手段となり得る。中国国内のガバナンスが改善することで資本規制が解除され、市場の透明性や信頼性が向上して行けば、人民元に対する需要は拡大していくと考えられる。そのとき、CIPSがCBDCと連携して、利便性の高いシステムとなっていれば、SWIFTを通じて取引される国際送金の一部は、CIPSを通じて行われるようになるだろう。そうなれば、基軸通貨国として様々な恩恵(莫大な通貨発行益や為替リスクを負わない取引など)を享受している米国は特権の一部を失い、中国がそれを引き継ぐことになると考えられる。これは、既存の秩序を自らに都合の良い形に変えるものであり、経済安全保障における⑶ルール形成への関与に該当する。中国が世界の信任(尊敬の念)を得て、基軸通貨国となるまでには、まだ多くの課題が残されているだろうが、少なくとも既存の通貨体制を揺さぶることにはなるだろう。
7 中国人民銀行は、デジタル通貨に関わる130件以上の特許を保有している。なお、標準に従って財を販売する際に使用せざるを得ない特許を「標準必須特許」と呼び、特許保有者は高い使用料を課すこともできる。
8 貿易の技術的障害に関する協定(Agreement on Technical Barriers to Trade:略称TBT)
9 政府府調達に関する協定(Agreement on Government Procurement:略称GPA)
3――おわりに
日本でも注目を集めるデジタル人民元は、早ければ年内にも実用化される。日本も今年、デジタル円の実証実験を開始することを予定しているが、中国に比べて周回遅れの感は否めない。デジタル人民元の発行を阻止しようにも、通貨の発行は国家の主権であり、リブラのように国際的な圧力を高めることで潰せるものではない。日本としては、自らも実験を通じて知見を深め、欧米と連携して標準化で主導権を発揮していくことが基本戦略となるだろう。欧州では今年半ば、デジタルユーロ・プロジェクトの立ち上げ可否が判断される見込みであり、米国ではCBDCに親和的な民主党が、大統領選と上下両院を制してトリプルブルーの構図を作っている。今年はCBDCに関する各国との連携が、さらに一歩深まる年となるかもしれない。CBDC開発の主要なドライバーとなった政治動向には、今後も大きな注目が集まるだろう。
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(2021年02月18日「基礎研レポート」)
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- 【職歴】
2011年 日本生命保険相互会社入社
2017年 日本経済研究センター派遣
2018年 ニッセイ基礎研究所へ
2021年より現職
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・日本証券アナリスト協会検定会員
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