2018年12月27日

ノー・ブレグジット(離脱撤回)という選択肢-経済合理性はあるが、分断は解消しないおそれ-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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3|ノー・ブレグジット(離脱撤回)
ノー・ブレグジット、つまりEU離脱を撤回し、EUに残留する可能性は、あり得ないと見られていた。しかし、議会の分裂が深く、偶発的なノーディールが現実味を帯びるに連れて、混乱収拾のためにもう一度民意を問い、結果次第では、EUに残留するという可能性も排除できなくなっている。

12月10日に欧州司法裁判所(ECJ)が、「離脱協定が未発効ないし締結されていないか、2年間の期限が(規定に従って延長されるにしても)過ぎていない限り、当該国の憲法上の要請に従って、EU諸国の同意なしで一方的に離脱通知を取り消すことができる」との判断を示した14。ECJの判断の重要な点は、離脱前であれば一方的な撤回が可能というだけでなく、「当該加盟国の加盟国としての地位に関する条件を変更しない」としている点だ。英国は、ユーロを導入しない権利やEU予算からの払い戻し(リベート)などの特別な権利を有する加盟国だった。離脱後の再加盟の場合には、これらの権利を得ることはできないが、離脱前に撤回すれば、特別な加盟国としての地位を維持できることは、離脱撤回を促す材料となる。

ECJが、通知撤回の条件とした「憲法上の要請に従う」という要件を満たす手続きとしては、「国民投票」と共に、再国民投票の実施を争点とする「総選挙」が考えられる。

国民投票の問題は、関連法の整備などのために22週間は必要と見られることだ。国民投票の結果に対応する時間も必要になる。それだけの離脱期限の延長を、英国を除くEUの27の加盟国が全会一致で承認するかは不透明だ。

国民投票にあたっては、どのような文言で行うかという問題もある。「協定案による離脱」か「ノー・ディール」か「残留か」の3択の場合、離脱票が2つに割れるため不利になる。EUが、「ノー・ディール」の是非を問う国民投票の結果を待つために、離脱期限の延長に応じることは難しいように思える。

このようにノー・ブレグジットの実現可能性は高くはないが、経済合理性という面では最善の選択肢だろう。離脱派が主張したように、英国経済と財政が、EUの規制から離れ、EU予算への拠出が減ることで好転する兆候は今のところない。国民投票前の16年3月公表の「2016年予算案」15で財政責任庁(OBR)は実質GDP見通しを18~20年の平均2.1%としていたのに対して、18年10月公表の「2018年予算案」16の見通しは18年1.3%、19年1.6%、20年1.4%で、その後も21年1.4%、22年1.5%、23年1.6%と低空飛行が続く。「2016年予算案」では、19年度(19年4月~20年3月)と予測していた財政収支の黒字転化は、「2018年予算案」では23年度時点でも困難と見られる。政府債務残高の対GDP比の削減ペースも遅れる。

16年の国民投票前の多くの機関が予測していたように17、英国経済にとって、EU離脱は、どのような形をとるにせよマイナスだが、EUとの緊密な関係を保つ方がダメージは少ないとの評価も変わっていない。例えば、18年11月に英国政府が公表したEU離脱の長期にわたる経済的な影響に関する試算18では、ノー・ディールの場合は、新たな関係が始動してからのおよそ15年間で、「関税」と「非関税障壁」の出現がGDPを7.7%(レンジの中央値、以下同じ)押し下げるとしている(図表5)。単一市場圏内の移民純流入をゼロとした場合の影響は9.3%まで拡大する。通常のFTAであれば4.9%、ノルウェー型のEEA残留なら1.4%、将来の関係の政治合意に反映された英国の白書の要望通りの内容であれば0.6%の押し下げ効果に限定される。EU離脱によるベネフィットとされる「新たな貿易協定」と「規制の自由度」は経済の押し上げ要因とされているが、それぞれ0.1%~0.2%で、EUの単一市場との間に障壁ができる影響に比べて限定的だ。英国の中央銀行のイングランド銀行(BOE)が18年11月に出した報告書19も「どのように離脱するにせよ、離脱しない場合よりも低成長になる。幾つかのシナリオのうち、合意なき無秩序な離脱がマイナスの影響が最も大きくなる」という結果は同じだ。
図表5 EU離脱が英国のGDPに及ぼす影響に関する試算結果
英国がEU離脱を選択した後に生じた世界経済とEUの変化も、ノー・ブレグジットを後押しする。世界経済の構図は、16年の大統領選挙で勝利したトランプ大統領の米国第一主義政策で大きく変わった。中間選挙を終えて、通商・安全保障の両面で、一段と保護主義の度合いを強めそうだ。国家資本主義で世界経済におけるプレゼンスを拡大してきた中国に対しては、トランプ政権ばかりでなく、米国議会も警戒を強めている。米中の緊張関係は容易には解消しない見通しだ。国民投票の前から指摘されてきたとおり、英国単独で米中という大国と向き合う困難さは、一段と増している。

EUも、離脱推進派が嫌ったドイツ主導、絶えざる深化を追求する傾向は薄まっている。EU加盟国では、ハンガリー、ポーランドに続き、イタリアでも「EU懐疑主義」とみなされる政権が誕生している。これらの国の政権は、EU離脱を主張するのではなく、EU改革を求める。主権の制限を嫌う一方、関税同盟や単一市場の利益を手放すつもりはない。言わば、EUの加盟国としての「いいとこどり」を指向するスタンスは、EU加盟国としてのこれまでの英国と重なる。

前項で振れた経済・財政への影響という面でも、世界経済とEUの変化という面でも、ノー・ブレグジットという選択肢は魅力的に見える。
 
14 Judgment of the Court (Full Court) of 10 December 2018, Andy Wightman and Others v Secretary of State for Exiting the European Union, Request for a preliminary ruling from the Court of Session, Inner House, First Division (Scotland)
Reference for a preliminary ruling — Article 50 TEU — Notification by a Member State of its intention to withdraw from the European Union — Consequences of the notification — Right of unilateral revocation of the notification — Conditions, Case C-621/18 (http://curia.europa.eu/juris/document/document.jsf?text=&docid=208636&pageIndex=0&doclang=EN&mode=lst&dir=&occ=first&part=1&cid=3988303)
15 HM Treasury (2016)
16 HM Treasury (2018)
17 16年の国民投票前の議論については、基礎研レポート2016-5-18「近づく英国の国民投票-経済的コストへの警鐘が相次いでも落ちないEU離脱支持率(https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=52928?site=nli)」をご参照下さい
18 HM Government (2018b)
19 Bank of England (2018)
 

4――おわりに-世論調査が示す深い分断-

4――おわりに-世論調査が示す深い分断-

国民投票から2年半が経過し、離脱期限が3カ月後に迫って、様々な選択肢が浮上している現状を、英国の世論はどう受け止めているのか。

実は、世論調査の結果は一様ではない。調査会社・ユーガブが12月17日に公表した世論調査20を見る限りでは、英国民はノー・ディールを望んでおらず、再国民投票があれば、ノー・ブレグジットが選択される可能性が高い。同調査では、ノー・ディールは「悪い」が49%、「良い」が16%、「違いがない」が19%、「わからない」が16%である。残留か協定案による離脱かノーディールかの3つの選択肢による国民投票を「支持」する割合は44%、「不支持」が35%、「わからない」が21%を占める。「議会が決められない場合」という前提であれば、3つの選択肢による国民投票を「支持」する割合が50%に上昇する。「もう一度国民投票があったら、どのように投票するか」という問いに対する回答では「残留」が46%、「離脱」が37%を占める。

しかし、調査の結果は、設問によって、かなり違ったものになる。調査会社・オピニアムが12月21日に公表した世論調査21では、「議会が否決した場合、次に何が起こるべきか」という問いに対する最も多い回答は「ノー・ディール(追加の投票を行わず、合意がないままEUを離脱する)」で全体の29%を占めた(図表6)。この結果を見る限り、財務省やBOEの試算結果や政府が発する注意喚起はあまり効果を発揮していない。16年の国民投票の際、離脱の悪影響を強調する残留派のキャンペーンが「恐怖プロジェクト」と揶揄され、軽視されたのと同じように受け止められているのかもしれない。メイ首相が、EUとの将来の関係について、単一市場からも関税同盟からも離脱する方針を初めて明らかにした17年1月のランカスター・ハウスでのメイ首相の演説に盛り込まれた「ノー・ディールは悪いディールよりもまし(No deal is better than a bad deal)」というフレーズが、離脱支持者の間に定着しているからかもしれない22
図表6 世論調査:議会が否決した場合、次に何が起こるべきか
オピニアムの議会否決後の選択肢に関する調査で、「ノー・ディール」に続くのが、「協定案による離脱か残留かを問う国民投票」で全体の20%を占める。同社の14日公表の調査では「ノー・ディール」と並んでいたが、21日の調査では低下した。民意を問うべきという票が「総選挙」や「協定案による離脱か合意なき離脱かを問う国民投票」に割れることもあり、残留という選択肢を含む国民投票への支持は低くなっている。

ただ、共通する傾向として観察されるのは、2016年の国民投票が浮き彫りにした、英国内の地域、世代、職業や階層などによるEU離脱に対する考え方の違いは、2年半が経過しても余り変わっていないことだ。ユーガブの調査で「残留」を支持すると答えた人の大半は、16年の国民投票で残留に票を投じており、「離脱」についても同様だ。年齢層が高くなるほど、離脱を支持する割合が高くなる。地域別にはロンドンとスコットランドで残留支持が高い点も同じだ。オピニアムの調査では、16年の国民投票で離脱を支持した人々の51%がノー・ディールを支持する。年齢層が高くなるほど、ノー・ディールへの支持が高くなる傾向があり、65歳以上、引退者は、およそ半数がノー・ディールを支持する。

逆に、国民投票や総選挙など、「何らかの形で民意を問うべき」とする割合は、残留に票を投じた人々の間で高い。オピニアムの世論調査では、全体では「はい」が46%、「いいえ」が41%だが、残留に票を投じた人に限れば、「はい」が69%、「いいえ」が18%である。民意を問うことへの賛成は、年齢層が若いほど高く、年齢層が高くなると低くなる傾向が顕著だ(図表7)。
図表7 世論調査:議会が否決した場合、次にすることについて何らかの形で民意を問うべきか
ノー・ブレグジットは、経済合理性では最善の選択肢だが、改めて民意を問うことについて、多くの有権者が納得し、結果を受け入れる土壌がなければ、国内の対立は解消せず、分断を深めるおそれもある。

エリザベス女王は、12月25日のテレビを通じたクリスマス演説で「たとえ、深い意見の対立があっても、他の人々を同じ人間として敬意を持って扱うことは、常に理解を深める第一歩となる」として、分断の修復を訴えた。

2019年の英国は、分断を抱えたままノー・ディールというさらに不安定な環境へと突き進むのか、残留派と離脱派の折衷案、EUとの妥協案による秩序立った離脱を支持することで歩み寄り、分断の修復へと動きだすのか。それとも、メイ首相の協定案でEU離脱という現実の厳しさに直面したことで、もう一度、民意を問おうという機運が高まり、今度は次世代を担う若い世代の声を尊重し、ノー・ブレグジットに向かうのか。

1月中旬の下院の採決に向けてはなお紆余曲折がありそうだ。有力なシナリオがないことが、この問題の悩ましさだ。
 
20 18年12月14~15日に1660人を対象に行った調査(https://d25d2506sfb94s.cloudfront.net/cumulus_uploads/document/x6h9ykoolf/HopeNotHate_Results_181217_w.pdf)。
21 18年12月18~20日に2000人を対象に行った調査。なお同社の世論調査の結果は、16年の国民投票で最も結果との差が小さかった(http://www.britishpollingcouncil.org/performance-of-the-polls-in-the-eu-referendum/)。
22 研究員の眼2018-8-06「高まる無秩序なBrexitリスク-「悪い協定を結ぶよりも協定を結ばない方がまし」という言葉の重み」(https://www.nli-research.co.jp/files/topics/59279_ext_18_0.pdf?site=nli)もご参照下さい。
 

<参考文献>

<参考文献>

・Bank of England (2018), “EU withdrawal scenarios and monetary and financial stability, A response to the House of Commons Treasury Committee”, November 2018 ( https://www.bankofengland.co.uk/-/media/boe/files/report/2018/eu-withdrawal-scenarios-and-monetary-and-financial-stability.pdf?la=en&hash=B5F6EDCDF90DCC10286FC0BC599D94CAB8735DFB)

・European Commission (2018), ”Brexit: European Commission implements “no-deal” Contingency Action Plan in specific sectors “ Press release, 19 December 2018(http://europa.eu/rapid/press-release_IP-18-6851_en.htm

・European Council (2018)European Council (Art. 50) conclusions, 13 December 2018(https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2018/12/13/european-council-art-50-conclusions-13-december-2018/

・Department for Exiting the European Union(2018), “TECHNICAL EXPLANATORY NOTE: ARTICLES 6-8 OF THE PROTOCOL ON NORTHERN IRELAND” , Policy paper, 14 November 2018 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/756375/14_November_Technical_Explanatory_Note_Arts_6-8_Northern_Ireland_Protocol.pdf

・HM Government(2018a), “The Future Relationship between the United Kingdom and the European Union”, July 2018(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/725288/The_future_relationship_between_the_United_Kingdom_and_the_European_Union.pdf

・HM Government(2018b), “EU Exit Long-term economic analysis”, November 2018 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/760484/28_November_EU_Exit_-_Long-term_economic_analysis__1_.pdf)

・HM Treasury (2016), ““BUDGET 2016”, 16 March 2016 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/508193/HMT_Budget_2016_Web_Accessible.pdf)

・HM Treasury (2018), “BUDGET 2018”, 29 October 2018 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/752202/Budget_2018_red_web.pdf)
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2018年12月27日「基礎研レポート」)

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