2024年04月26日

ドイツの産業空洞化リスク-グローバル化逆回転はドイツへの逆風、日本への追い風か?-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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募る産業界の経済政策への不満

先述の通り、2000年代以降も日本との比較で見たドイツの投資は堅調だったが、公共投資は不足していた。2009年に導入された財政均衡を原則とする「債務ブレーキ」8が妨げとなった。その結果、インフラの老朽化、デジタル化、再生可能エネルギーシフトの遅れなどの問題が生じた。いずれも、エネルギー・コストの上昇や複雑な規制環境、煩雑な手続きなどとともに、ドイツ国内での投資意欲を削ぎ、競争力を低下させる要因となる。

産業界は、製造業立国としての存続が試さる難局にあって、3党連立のショルツ政権の経済政策が、一貫性を欠くことに不満を募らせている。昨年11月には連邦憲法裁判所の判断を受けて、急遽予算案を見直す事態を迫られた9。この時期、主要な新聞報道のテキスト分析に基づく「経済政策不確実性指数」は、22年夏のロシアによるガス供給停止後に近づくほど跳ね上がった(図表12)。現在の水準も2010年代のユーロ圏の債務危機やコロナ禍(2020年)を大きく上回っている。

経済政策への不満は、ドイツ商工会議所連合会(DIHK)のサーベイ調査10にも表れている。2月公表のサーベイは「企業のセンチメントは悪化の一途を辿っている」と題し、「事業リスク」を選択する設問(複数選択可)では、「経済政策(57%)」が第1位の「エネルギー・原材料価格(60%)」に次ぐ第2位となった(図表13)。経済政策と第5位の「労働コスト」は、調査開始以来、最も高い値となっている。
図表12 経済政策不確実性指数(ドイツ、日本)/図表13 DIHK企業サーベイ: 経済全体にとっての事業リスク
今年3月にベルリンで行ったヒアリング調査では、対中国のデリスキング政策を巡っても企業と政府の関係は、かつてないほど悪化しているとのことであった11。企業は、すでに複合的な要因で競争力を削がれている。さらに中国ビジネスに政府が介入しようとすることに強く反発したという。4月に、ショルツ首相が、独大手企業のトップを連れて訪中した狙いには、経済政策への不振を募らせる産業界との関係改善の狙いもあったものと思われる。
 
8 債務ブレーキ導入の背景については森井祐一「現代ドイツの外交と政治(第2版)」204-205ページで解説されている。財政政策と投資不足は”Is Germany once again the sick man of Europe?” The Economist, August 19th 2023のほか、前掲デービッド=フィルプ、キルケガードでも関連付けて論じられている。
9 見直しの経緯、内容については、伊藤さゆり「2024年は欧州も選挙イヤー-右派ポピュリスト勢力伸長の行方-」ニッセイ基礎研究所『Weeklyエコノミスト・レター 2024-01-19』をご参照下さい。
10 DIHK Economic Survey February 2024 The poor sentiment among companies is solidifying
11 ドイツ企業の中国での投資動向については、伊藤さゆり「デリスキングの行方-EUの政策と中国との関係はどう変わりつつあるのか?-(後編)」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート 2024-03-25』をご参照下さい。

ドイツの産業空洞化

ドイツの産業空洞化に歯止めを掛けるために必要とされる構造調整と欧州統合の強化 

グローバル化加速期と同じく、逆回転期の産業空洞化リスクの歯止めとなり得るのは、ドイツの構造調整と欧州統合の強化が必要だろう。

ドイツ経済諮問委員会は、昨年11月に公表した「年次報告」12で、経済成長の停滞を克服するために、イノベーション強化、労働移動、移民促進、行革・税制優遇・インフラ投資等を通じて未来のための投資を喚起する必要性を訴えた。さらに取り組むべき課題として、資本市場の強化、貧困・低所得対策、年金制度改革などを挙げている。

ドイツの貿易の半分以上はEU域内向けであり(図表15)、ドイツにとってEU市場は重要である。EU予算の最大の出し手であり、欧州のバリューチェーンの中核に位置するドイツ経済が、グローバル化の逆回転による産業空洞化リスクを克服することはEUにとっても重要だ。

エネルギー問題や、イノベーションの強化、移民促進などの構造問題への取り組みにあたっては、EUレベルでの連携が、効果を高める上で重要である。
図表14 経済諮問委員会の評価と提言/図表15 ドイツの輸出入に占めるEU域内のシェア
 
12 German Council of Economic Experts“Annual Report 2023/24 Overcoming sluggish growth – Investing in the future”08 November

日本では一部に断片化の追い風も観察

日本では一部に断片化の追い風も観察。環境変化への適応には構造問題への取り組みが必要

足もと日本では、輸入物価を起点とする物価の上昇が起点となった賃上げの動き、日経平均株価のバブル後最高値の更新、日銀の金融政策の枠組みの見直し、34年振りの水準の円安など、グローバル経済の潮流の変化を受けた歴史的な動きが相次ぐ。デフレ期と同じマインドセットのままでは、国際的な地位の一層の後退を余儀なくされるという問題意識も芽生えつつあるようだ。

グローバル化の逆回転の影響については、対中国のデリスキング(リスク軽減)のための供給網の見直しは「日本にとっての追い風」との見方がある13。西側が中国への過度の集中を見直すプロセスで、同盟国・同志国で供給網を形成するフレンドショアリングの恩恵を受けると見られと期待されている訳だ。

足もとの景気は日独ともに強さを欠くが、2023年マイナス成長に沈み、今年も低成長が予想されるドイツに比べれば、日本経済の見通しの方が明るいようだ。「日銀短観」の設備投資計画が23年度は直近10年間で2番目の高水準、24年度も、23年度3月調査に次ぐ高い伸び率からのスタートなるなど、脱炭素・DX・省力化・供給網再構築等に向けた投資の拡大が期待される状況にある14。ジェトロの「日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査」15でも、海外ビジネスの国内拠点への移管を「実施済み/予定あり」とする企業は4.7%に上る。

在日ドイツ企業を対象に今年1月30日~2月13日に実施されたサーベイ調査でも、日本を「上位5つの市場のひとつ」であると回答した割合が上昇している(図表16)。ドイツ企業にとって魅力的な事業拠点と見る理由としては、円安ユーロ高(表紙図表参照)、コスト競争力、ビジネスに適した環境、高度な技術とインフラ、高いスキルを持つ人材などが上がっている。

また、対日投資に影響を与える動向として、中国から日本への「生産拠点移転」と「地域統括機能の移転」のほか、「ニアショアリングやオンショアリングによるサプライチェーンの強化」の増加が選択されていることは、グローバル化の「逆回転」が「追い風」となっているようにも感じられる。

グローバル経済の断片化、逆回転は、一部に恩恵をもたらす可能性はあるが、全体で見れば、対外投資でグローバル化に適応し、資産を積み上げてきた日本経済の追い風とはならないだろう。在日ドイツ企業のサーベイでも、ドイツ企業の対日投資計画は規模の面で限定的である。対内直接投資(図表7)も、現時点では明確に増加に転じているとまでは言えない。

日本も、グローバル化の逆回転という環境変化に適応し、国内経済の持続可能性を高めるために、グローバル化加速の局面で、日本企業の国内投資や対内直接投資を阻害してきた構造問題に取り組む必要がある。クリーンで安価で安定的なエネルギー供給や、人手不足への対応、デジタル化など、課題の多くはドイツと重なる。
図表16  ドイツ本社グループの世界全体での売上高および利益における日本市場の重要性/図表17 対日投資に影響を与える動向と展開
 
13 例えば、中島精也「新冷戦の勝者になるのは日本」講談社+α新書、2023年など。
14 上野 剛志「日銀短観(3月調査)~景況感の動きは限定的、設備投資計画は堅調維持、値上げ継続姿勢が示唆される」ニッセイ基礎研究所『Weeklyエコノミスト・レター 2024-04-01』をご参照下さい。
15 「2023年度 ジェトロ海外ビジネス調査日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査(速報版)」2024年2月14日、19ページ

自由で開かれた国際秩序の維持

自由で開かれた国際秩序の維持・強化に尽力することが重要

ドイツにとってEUとの連携の強化が重要であるように、日本は西側との連携と共に近隣諸国との関係を深めることも大切だ。中国との輸出入は、対GDP比で見て、ドイツと同程度にある。中国と深く結びついているASEANとの関係も深い(図表18、19)。日本のいわゆる中国関連銘柄企業では、中国での売上高が全世界の3~4割を占めるドイツの大手自動車メーカーや、2割前後の化学メーカーに匹敵するか企業が少なからずある。日本にとって、隣国・中国との安定した関係を維持することは重要だ。

グローバル経済の断片化、逆回転は、さらに進むリスクがある。大統領選挙を経た米国が一段と保護主義に傾斜する可能性がある。欧州議会選挙後のEUが、持続可能性の向上と競争条件の公平化を名目とする政策の執行を強めようとしている。米欧が動けば、中国が対抗措置を打ち出すだろう。米国、中国、EUの間では、補助金政策や輸入制限措置が打ち出された場合、高い確率で対抗措置が打ち出されることがIMFとグローバル・トレード・アラート(GTA)のデータセットの分析によって明らかになっている16

中規模国家化が進む日本は、自由で開かれた国際秩序の維持・強化に尽力することによって経済的な利益が得られる。大国・地域間の貿易制限措置の応酬の影響を懸念するASEANなどパートナー国からの信頼17を維持するためにも、開放的な姿勢を強めることが重要である。
図表18 日本の国・地域別輸出額(対GDP比)/図表19  日本の国・地域別輸入額(対GDP比)
 
16 Evenett, Simon, Adam Jakubik, Fernando Martín and Michele Ruta (2024) "The Return of Industrial Policy in Data." IMF Working Paper WP/24/1.
17 シンガポールのシンクタンク、ISEASユソフ・イシャク研究所が4月2日に公表した東南アジアの民間企業や政府、研究機関などに所属する識者を対象とし調査(The State of Southeast Asia: 2024 Survey Report)で、日本は米国やEU、中国、インドを抑えて、「信頼できる国・地域連合」で第1位となった。

本稿をまとめるにあたり、3月初旬から中旬にかけて、ベルリンを含む欧州の3都市でヒアリング調査を行い、帰国後もフォローアップのためのヒアリング調査を行った。
ご多忙にもかかわらず、貴重な時間を割いていただいた皆様には心より御礼を申し上げたい。

 
 

(お願い)本誌記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と安全性を保証するものではありません。また、本誌は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2024年04月26日「Weekly エコノミスト・レター」)

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