2022年12月07日

データからナラティブへ-非財務情報の開示のあり方を巡って

基礎研REPORT(冊子版)12月号[vol.309]

氷見野 良三

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非財務情報に関する企業の開示義務の範囲は、経営戦略等に関する伝統的なものから、人的資本やサステナビリティに関するものへと広がりつつある。非財務情報開示のメリットを最大限活用するためには、何が必要だろうか。

1―エンロン事件と「ナラティブ」

米国の企業開示には従来から「経営者による議論と分析(MD&A)」という項目がある。

決算不正を繰り返した挙句に2001年に突発破綻したエンロン社の事件を受けて、米証券取引委員会(SEC)は2003年にMD&Aの解釈ガイダンスを公表した。

このガイダンスは、まず、MD&Aの第一目的を「投資家が経営者の眼を通して企業を見られるよう、財務諸表のナラティブによる説明を行うこと」としたうえで、いろいろな説明を加えている。

すなわち、「経営陣には経営陣にしか示せない事業に関する視点がある」、「財務諸表をナラティブ形式に書き直すだけではダメだ」、「規定された開示項目を技術的に満たすだけでもダメだ」、と述べ、そして「各社ともこの機会に新たに考え直してくれ」と訴えている。

実態としては、米企業の現在のMD&Aにも「財務諸表を記述様式に書き直しただけ」みたいなものは沢山ある。ただ、制度的な期待としては、ナラティブが単に「記述」という意味だけではなく、言葉本来の「物語」という意味も有していることが、この解釈ガイダンスではっきりしたといえるのではないか。

エンロン事件への対応としては、内部統制報告制度の導入、監査法人の監督を行う当局の新設、権限の強い監査委員会の設置義務付け、取締役会の過半数を独立取締役とすることの義務化、などの改革も行われた。

これらに比べると、「ナラティブによる説明」の意味を明確化する、というのは一見迂遠に見える。

しかし、データのチェックだけでは組織ぐるみの不正はなかなかつかめない。企業の価値創造についての物語を財務諸表のデータと対照することで実態に迫っていけば、矛盾や破綻は見えやすくなる。普通に成長している生き物と、粉飾して作られた怪物の違いは、生き物としての物語が個別のデータと整合する形で成り立っているかどうかで見えてくる。

2―本邦開示府令の「ナラティブ」

日本の開示制度でMD&Aに当たる項目は、当初、単に財政状態等の「分析」とされ、項目名にはMもDも入っていなかった。しかし、2019年の開示府令改正以降は「経営者による分析」とされ、Mが入った。依然「議論」Dは入っていないが、記載上の注意の中で、分析と並んで「検討内容」の開示が求められている。

さらに、2019年の「記述情報の開示に関する原則」では、投資家が経営者の目線で企業を理解することが可能となるように、取締役会や経営会議における議論を適切に反映することが求められている。また、2017年には、「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」も独立の開示項目として設けられている。これらとの合わせ技で考えると、日本の開示府令上の規定ぶりも日本なりの仕方で充実したと言えるだろう。

ただ、今のところ、さすがに「物語」という言葉までは出てこない。おそらく「記述情報」という時の「記述」がナラティブの訳なのだろうが、エンロン後のガイダンスで示されているナラティブという言葉のニュアンスは、「記述情報」という言葉よりは少し広いのではないか。

英国財務報告評議会(FRC)の「戦略報告書に関するガイダンス」では、当該ガイダンスの目的を「企業をして自らのストーリーを語らしめること」だと述べている。単に記述情報といっていては、この「企業自らのストーリー」という要素が抜け落ちてしまうように思う。

「分析」と「情報」は担当者にでも書けるが、「議論」と「物語」は経営者にしか語れない。だから、分析とか情報と言っていた方がボトムアップのプロセスにはなじみやすいのだろう。

ただ、金融庁が毎年公表している「記述情報の開示の好事例集」にもみられるように、議論と物語の開示を充実させている日本企業は増えているようだ。

競争相手に手の内をどこまで晒すのか、とか、難しい問題もあるが、いろいろ工夫の仕方もあるようで、特に、「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」の項目の記載については、ここ数年で随分充実した、という受け止め方が多い。

経営者自身の言葉で語っている印象のものも出てきており、これはそうした企業の経営のあり方がトップダウン方向に変化していることを反映するのかもしれない。

3―メガバンクの肖像画

ナラティブの大切さは、金融庁で長年銀行監督に携わってきた者としての実感でもある。

十五年ほど前、金融庁でメガバンクの監督を担当する課長だったころ、決算が出るたびに「決算ヒアリング」と称して銀行の方の話を聞いていた。

説明ぶりにも銀行ごとにカラーはあるが、決算書の各項目について前年度実績との対比の説明が続く場合が多かった。こちらからもいろいろ質問するのだが、たいていは質問に関連するより詳細なデータ、内訳の数字が提供されるだけで、銀行で何が起こっているのかはよく分からないことが多かった。

金融庁の立入り検査チームによる検査結果報告会にも出席していた。検査マニュアルの検証項目に沿って主な問題点が報告されるが、結局、ここがどんな銀行で何が起きているのか、イメージが浮かび上がってこないことが多かった。

しかしその後、監督や検査の仕方は大きく変わった。

内外の経済・市場の動向把握から始まって、それに基づくリスク管理に関する具体的な問いかけ、日頃のやり取りを踏まえた決算ヒアリング、そして銀行の現状と課題についての仮説構築、データによる検証、立入り検査に際しての銀行内外の人々からのヒアリング、仮説の修正と検査後の対話の継続、というプロセスを繰り返す、そういうアプローチをとるようになった。

仮説の基本は、話し言葉で人に伝えられるようなナラティブの形を取っている。情報とナラティブの間の往復運動を繰り返すことにより、金融庁が描く当該行の肖像画が、表面的な似顔絵から、骨格まで分かるものへと深まっていくことが理想だ。

もちろん依然課題も多いが、十五年前と比べると見違えるようになった。データの分析力の向上ももちろん非常に大切だが、それと併せて、銀行側のナラティブを虚心坦懐に聞きつつ、当局の側でもナラティブを作り、そして一旦作ったナラティブを疑い、再構築し続けていく、そうした力が重要になっている。

4―おはなしのこわさ

ただ、ナラティブは強力なものであるだけに、その危険についても踏まえて置く必要がある。

心理療法家の河合隼雄氏に「おはなしのこわさ」という文章がある。人前でインパクトの強い経験談を繰り返し語っていると、聴衆の反応の影響を受けて、おはなしがある種の型へと変化し、おはなしの型に自分の人間がはめこまれて硬くなっていく、という。

これは、カリスマ型の卓越した経営者にも当てはまるリスクではないか。自分の経営について素晴らしい話をして、世間に深い感銘を与えた人が、世評の頂点で自社の経営に失敗して静かに退場する、といったことは、私たちが間々見聞きすることだ。もちろん時の運という面が一番大きいのだろうが、メッセージを明確にして分かりやすく伝える力は、新しい経営を推し進める力にもなれば、自分のメッセージと不整合な新しい兆しに気付く力を殺ぐことになるのかもしれない。

また、たとえば、ノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー教授は、バブル的な熱狂の背景にはしばしばナラティブがある、という本を書いている。インパクトのあるおはなしほど、こぼれ落ちる現実に対する目隠しにもなりかねない、ということだろう。

他方、あれこれ目配りして柔軟であればそれでいいかというと、経営企画部のエリートさんにありがちなのは、いつでもその時の都合に合わせた新しいおはなしを自在に製造できる、ということだ。前の経営計画の実績未達から、最新の世界情勢や経営理論までを美しく包摂するが、それこそただの「おはなし」で、悪くすると壮大な無駄とノイズになってしまう。

つまり、硬直的になっても、過度に柔軟であっても、おはなしには害がありうる、ということになってしまうわけだが、しかし、人間は無限に多様な現実をそのままは受け止められない。何らかの単純化されたモデルやおはなしを通じてしか現状の把握も未来の予想もできない。ナラティブなしに戦略も方針も政策も考えることはできない。

ナラティブは当然ながら現実そのものではないので、一つの仮説と考え、検証を怠らないことが大切だ。おはなしの役割とこわさの両面を見て、実効性のあるモデルの構築と修正・破壊を繰り返していく、ということだろう。
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(2022年12月07日「基礎研マンスリー」)

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