コラム
2019年06月25日

文化から東京2020大会の意義を考える

東京2020文化オリンピアードを巡って(5)

吉本 光宏

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東京2020大会まで1年余りとなった。チケット販売サイトには、累計で2,425万件のアクセスがあり、聖火リレーのコースも発表されるなど、大会に向けた準備は着々と進んでいる。

一方、ほとんど知られていないことがある。オリンピック・パラリンピックがスポーツだけではなく文化の祭典でもあるということ。東京2020大会の文化プログラムは、リオ大会が終了した2016年9月から既にスタートしているということ、である。

オリンピック憲章の根本原則には「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するもの」と記されている。実際、今から100年以上前、日本が初めて選手団を派遣した1912年ストックホルム大会から文化プログラムは実施されてきた 。

当時はスポーツ同様メダルを競い合う「芸術競技」として開催されていたが、後に「芸術展示」、4年間の「文化オリンピアード」へと変遷していった。そして、かつてない規模と内容で文化プログラムの歴史を塗り替えたのが、2012年のロンドン大会だ。リオ大会の文化プログラムは低調だったこともあり、東京2020大会の文化プログラムには国際的な注目が集まっている。

オリパラの究極の目標は平和である。国境や政治のしがらみを越え、4年に一度アスリートが集い、一つのルールの下で競い合う。その姿に我々は、人間としての尊厳や生き方、国際社会のあるべき姿を見て感動するのである。

が実際は、メダル争いばかりが注目される。メディアは平和どころか国際競争をあおっているかのようだ。そして私たちも、メダルの行方に一喜一憂してしまう。メダルの数はその国の経済力の反映でもあり、オリパラは、理念とは裏腹に国力や経済格差を見せつける場にもなっている。

だとすれば、競技大会と並行して開催される文化プログラムの役割は極めて大きい。実際、ロンドン大会では平和をテーマにした作品が少なくなかった。アスリートと同じ204の国と地域のすべてから、分け隔てなくアーティストを招きもした。彼らに、オリパラという世界中が注目するチャンスを提供するためである。

東京2020大会でも、関係団体が文化プログラムを推進している。組織委員会の文化プログラムは今後の実施予定を含めると約3,000件に達している。政府の推進するbeyond 2020プログラムの認証数は3月末に1万件を超えた。東京都もTokyo Tokyo FESTIVALと称し、都立文化施設やアーツカウンシル東京の助成によって多様な事業を展開している。

個々の事業の中には興味深いものもあるが、残念ながら全体的な統一感は乏しく、実施件数に重きが置かれているのが実情であろう。また、全体的に日本文化の発信に偏り、国際的な文化交流を促進するものは限られている。最近政府が打ち出した「日本博」もその傾向が強い。

確かに、2020年以降のインバウンドを考えると、世界中が注目するオリパラで、日本文化の素晴らしさをアピールすることは重要だろう。しかしそれ以上に、文化がこれからの社会に果たす役割について、日本ならではの視点で国際社会に訴えることはできないだろうか。

ロンドン大会では、文化プログラムの一環として「世界都市文化サミット」が開催された。これからの都市政策における文化の意義を考える国際会議で、海外の専門家が驚いた東京の文化データがある。一般家庭の保有するピアノの台数(83万台)、お茶やお花を日常的に楽しんでいる市民の数(46万人)、アマチュアのダンススクールの数(748件)、新聞の発行部数が540万部で主要紙の俳句コーナーには大勢の市民が日常的に投稿していること、などである。公募団体展などで絵画や彫刻、書道などの作品を発表している市民の数も、世界随一だろう。

つまり、日本では市民自らが日常的に芸術活動を楽しみ、文化が生活の中に根付いている、ということが、国際的に注目されたのである。であれば、そのこと自体を東京2020大会で世界に示すべきではないか。

日本は世界のどの国も経験したことのない超高齢社会に突入した。しかし欧米諸国やアジアの国々もやがては同じような高齢社会を迎える。そんな中、今日の日本ほど、高齢者が文化を楽しんでいる国が他にあるだろうか。本格的な音楽や演劇に取り組んで、新たな生きがいを見出す高齢者は全国に広がっている。それはスポーツも同様だ。皇居一周マラソンや富士登山に取り組むお年寄りが多いことに、外国人は一様に驚くそうだ。

つまり、老いても元気で豊かな国、それを文化とスポーツが支えている。それが今の日本の姿である。

半世紀前の東京五輪をきっかけに日本は経済成長に邁進し大きな成功を収めた。東京2020大会に同じことを期待するのは的外れだろう。むしろ、これまで追い求めてきた経済的な価値にとらわれることなく、経済発展の次の成熟した先進国のあるべき姿。文化とスポーツを両輪に、それを追い求め、2020年に世界に提示することはできないだろうか、と思うのである。
 
本稿は、一般社団法人日本英語交流連盟の依頼に基づいて執筆し、同連盟HPの「日本からの意見」に6月18日に公開されたものを、同連盟の了解を得て、転載したものである。
https://www.esuj.gr.jp/jitow/564_index_detail.php#japanese
一般社団法人日本英語交流連盟は、日本の人たちが国際コミュニケーションの「道具」としての英語に慣れ親しむようになることを目的として1998年10月に設立された非営利組織で、日本国内の多様な意見を海外に伝えることを目的とした対外発信活動を行っている。
https://www.esuj.gr.jp/
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吉本 光宏 (よしもと みつひろ)

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(2019年06月25日「研究員の眼」)

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