2025年10月17日

選択と責任──消費社会の二重構造(1)-欲望について考える(2)

生活研究部 研究員 廣瀬 涼

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1――消費とは何なのか

私たちは日常生活の中で、多様な「消費」を無意識のうちに行っている。朝食に口にしたパンや卵、通勤・通学の途中で自動販売機から購入したお茶、移動に利用する電車、空き時間に立ち寄ったカフェのコーヒーなど、これらはすべて日々の生活に溶け込んだ消費行動である。さらに、コンビニで利用するCharge Spotをはじめとしたバッテリーレンタルサービスも、私たちが当然のように行っている消費の一例といえる。このように、食料や飲料といった物質的なものに限らず、移動手段やエネルギー補給といった利便性に関連するサービスまで、消費の範囲は広がっている。

たとえ「今日はお金を使わなかった」と思っていても、私たちの生活は過去に行った消費や選択の積み重ねによって成り立っている。たとえば、昨晩眠りについたベッドや、昨年購入したAirPodsを今も使用することは、過去に支出したものを継続して消費していることでもあるし、無料ゲームで広告の視聴を強いられながらプレイすることも広い目で見れば消費である。暮らしの拠点となる賃貸マンションは、過去に契約や購入という形で行われた消費の結果だし、日常的に利用する水道・ガス・電気といったインフラも、継続的な支出を伴う消費活動の一部に含まれる。大学の学費も支出であり、今通学できているのは過去に支払いしたからこそ与えられた権利なのである。

このように日常生活を振り返れば、我々は何らかの形で消費活動をしていることに気づく。また、「その場での購入」にとどまらず、過去から現在に至るまで持続し、生活に影響を及ぼしているのである。

2――人は消費したものでできている

2――人は消費したものでできている

キューピーは創業100年目に「人は食べたものでできている。」という広告コピーを掲げた。これは、食べ物から得られる栄養素が人間の肉体をつくるという事実を表しているが、このメッセージは食と身体の関係にとどまらず、より広い意味を持つと思われる。私たちは、食べ物だけでなく、日々の生活の中で消費したモノやサービス、情報や文化的体験を通じて、知識や教養を身につけ、価値観やアイデンティティを形づくっている。言い換えれば、消費は身体的な側面に限らず、精神的・文化的な側面においても、私たちの人格や自己を形成する基盤となっているのである。

併せて、その結果は私たちの身の回りに痕跡として可視化される。何かを購入すればレシートに明細が残り、クレジットカードの利用はアプリ上に履歴として表示される。コンビニで買った弁当を食べれば、空になった容器や割り箸がゴミとして手元に残り、コンサートに行けばチケットが切り取られ、半券だけが記念として渡される。

これらはすべて、私たちが何かを消費したことの証である。言い換えれば、消費は目に見えない体験や満足感をもたらすだけでなく、それが正か負かにかかわらず、必ず形のある痕跡を社会や個人の生活空間に刻み込んでいく行為でもあるのだ。ゆえに消費は欲求を満たす手段であると同時に、必ず責任を伴う行為でもある。何かを消費するということは、単にモノやサービスを享受するだけではなく、そこから生じる結果を引き受けることを意味している。

たとえば、ある商品を手に入れるために費やした時間やお金は、他の選択肢を犠牲にした結果でもある。消費によってモノが手元に存在することは利便性をもたらすが、その一方で、やがては手元から失われることもまた避けられない。また、それを所有しているということそのものに責任を持たなくてはいけない所有物もあるだろう。さらに、クレジットカードでの購入の対価は翌月の請求として現れ、支払いを強いられる。消費後にはゴミが生まれるという現実もある。そして、その消費行為自体が何を意味し、どのような価値観を体現しているのかという点も、消費に付随する重要な責任である1

このように、消費は個人の生活に直接影響を及ぼすだけでなく、社会や環境全体に波及する力を持っている。したがって、消費をめぐる責任とは、単なる経済的な次元にとどまらず、環境的・文化的・倫理的な広がりを含んでおり、時にそれは消費社会における負の側面として顔をのぞかせるのだ。なぜその消費を行うのかという理由、その消費にどれほどの必要性があるのか、さらにはどの程度の量を消費するのか――これら一つひとつの判断に責任が生じる。つまり、消費にまつわるすべての行為は、選択の積み重ねであり、その選択の結果を私たちは個人単位で、もしかしたら国家単位で、地球規模で、引き受けなければならない。言い換えれば、消費することは同時に「選択すること」そして「責任を負うことを選択したこと」でもあるのだ。
 
1 タトゥーを入れることは個人の自由だが、結果的に個人の自由が奪われるということを知ったうえで入れなくてはいけないという責任があったり、飲酒や喫煙は自身の健康を害するという自己の責任とは別に副流煙や他人に迷惑をかけない飲み方など他人(社会)への責任も伴う。ドラッグに関しても使用することそのものは個人の選択ではあるが責任が問われる(個人の選択だから使用していいという意味ではないので悪しからず)。宗教や個人の思想においても選択することや信じること自体は自由だが、それを信仰する、それを信じることで生まれる例えば人間関係への影響などは個人の責任なのである。

3――なにがあなたにそれを「選択」させたのか

3――なにがあなたにそれを「選択」させたのか

ここで1つ質問をしよう。今、あなたはコーヒーを飲みたいとする。そのとき、無名ながら1缶35円の缶コーヒーと、スターバックスのチルドコーヒー(希望小売価格 ¥237)が並んでいたら、どちらを選ぶだろうか。安価で「コーヒーはコーヒー」と割り切って前者を選ぶ人もいれば、ブランドに魅力を感じて後者を選ぶ人もいるだろう。

実際のところ、スターバックスのチルドコーヒーは店頭でバリスタが淹れるコーヒーとは別物である。製造はタカナシ乳業、総発売元はサントリー食品インターナショナルが担っている2。しかし、この事実を意識している消費者は多くない。重要なのは、中身そのものではなく「スターバックス」というブランドが保証する価値である。消費者がお金を払っている対象は単なる飲料ではなく、「スターバックス」という名称やロゴが保証するブランド価値そのものなのだ。だからこそ、この思考で商品が選択される場合、タカナシ乳業が販売する別のコーヒーでは、スターバックスのチルドコーヒーの代替にはならないのである。

同じ「コーヒー」という飲料を選ぶにしても、その背景には次のような要因が複雑に絡み合っている。

・味
・購入経路の利便性
・価格
・企業や製造元を知っているかどうか
・ブランドや企業への信頼
・商品自体のイメージ
・パッケージのデザインや印象
・購入・消費することで付与される消費者自身のイメージ

こうした要素が重なり合い、最終的な消費の選択(意思決定)が形づくられる。つまり、消費とは単なる商品そのものを選ぶ行為ではなく、そこに付随する意味や価値、象徴をも選び取る行為なのである。そして、その結果得られる満足や失望は、すべて自らの選択に帰属する。他人のせいにも、環境のせいにもできない。消費とは最終的には常に、自らが背負うべき責任そのものなのである3

では、それぞれの要素における選択される要因について考えてみよう。まず、味については言うまでもなく、おいしいものを選びたいという志向が働く。合理的に考えれば、まずいものをあえて選ぶ人はまずいない4

次に、購入経路の利便性である。スーパーの方が価格が安い場合が多いにもかかわらず、コンビニでコーヒーを買うことがある。これは、コンビニが身近にあって店を探す手間が省けたり、弁当を買うついでに一緒に購入できたりするからである。比較的新商品の流通が速いことや、一過性で販売されるような商品との出会いを求めてコンビニを選好するものもいるだろう。また、「より冷えているものが欲しい」という動機から、割高でも自動販売機を選ぶこともある。極端な例として、富士登山の途中で出会う自動販売機の飲料は非常に高価だが、その場所に運ばれるコストや他に代替手段がないことから、その価格はむしろ正当なものとして受け入れられる。このように、いつ・どこで・どのようなタイミングで購入するかが選択に大きく影響を及ぼす。

価格については、合理的に考えれば安い方が優先されるのが一般的である。しかし、逆に「高いこと」そのものに価値が見いだされる場合もある。高価格は品質の高さや希少性の象徴となり、それを選ぶことで自己満足や社会的評価を得られることがあるからだ。

企業や製造元の認知、そしてブランドや企業への信頼も重要である。消費者は「失敗したくない」という心理に従い、知っているブランドを選択する傾向が強い。情報の多いものは安心感を与えるためだ。旅行者が知らない土地でマクドナルドの看板を見つけてほっとする感覚が、その典型例といえる。ブランドを知っていること、そこに好印象や信頼を持っていることが、選択を後押しする。

商品に付随するイメージもまた、消費者の選択に大きな影響を与える。ある商品がどの層に支持され、どのような広告やプロモーションでターゲティングされているかによって、その商品自体に想定される消費者のペルソナやステータスが付与される。そして消費者は、そのイメージを自分自身と重ね合わせることで、自らの価値観やアイデンティティを表現する手段として商品を選択する。一方で、そのイメージが自らの理想像と乖離していると感じた場合、それは「選ばない理由」として働くこともある。

同様に、パッケージデザインも選択を左右する要因である。たとえば、ファミリーマートが販売する「生チョコを凍らせたようなアイス」は、かつて「もはや生チョコ」と大きく強調したキャッチコピーでポップさと勢いを前面に出し、カジュアルな印象を与えていた。しかし現在のパッケージは、青のグラデーションにゴールドのフォークを添えた落ち着いたデザインに刷新され、高級感や安心感を打ち出すことで「大人のスイーツ」として好評を得ている。

さらに、商品を所有することで付与されるイメージも消費選択に影響する。ベンツを所有していれば「富裕層」と見なされ、無印良品を好む人は「丁寧な暮らし」をしている、といった具合に、ブランドや商品は消費者自身に社会的な意味を付与する。これは単なる機能的価値を超えて、消費者が「どう見られたいか」「どう演出したいか」に直結するものである。たとえば、表参道を缶コーヒー片手に歩くのと、スターバックスのタンブラーを持って歩くのとでは、他人の視線や自己演出としての意味が大きく異なる。この現象は、筆者が以前のレポートで触れたプロップス消費の一端でもある。

このように、消費の選択・非選択は、味や価格といった実利的な要因だけでなく、商品に付随するイメージ、デザイン、さらには他者や社会から付与される意味にまで左右されているのである。
 
2 「スターバックス コーポレーション、サントリー 日本におけるRTDコーヒー製品の事業展開について業務提携を締結― 年内にチルドカップコーヒーを発売予定」2005/05/31 https://www.starbucks.co.jp/press_release/pr2005-302.php?srsltid=AfmBOop0rDx3_jXiCGvjz8sIwZJLFZ2rs0FQEjUF1HwPPUns15oKGlIA (2025年9月24日閲覧)
3 たとえば、子どもがお菓子を欲しがり親に買ってもらい、それを食べて「まずい」と感じたとしよう。金を払ったのは親だから一見すると責任は親が負っているように見える。しかし「食べて不満足だった」という事実は消費した本人の体験であり、逃れようのない選択の結果である。そして、もし親がまずかったことを理由で代わりのお菓子を買ってくれなかったとすれば、子どもはなおさら自らの選択の結果に責任を負うことになる。満足であれ不満足であれ、消費の帰結は最終的に選んだ本人に突き返されるのだ。
4 間々田孝夫の「消費三相理論」における第二の消費文化の第2原則は「非機能的な消費行為または非慣習的な消費行為を自己目的的に追求する」とある。合理的効用の欠如を、逆に文化的・社会的な意味に変換して楽しむ消費形態とも言える。現代消費社会においては「まずい」ということが分かっていながらもその「非合理性」楽しむような消費も行われるため、怖いもの見たさで消費されることもある。

4――如何にして消費者に選択してもらうか

4――如何にして消費者に選択してもらうか

消費者に商品を選択してもらうこと、すなわち「いかにして自社の商品を選んでもらうか」を検討・実行することこそがマーケティング活動であると筆者は考える。その基本となるのが、いわゆるマーケティングの4Pである。マーケティングの4Pは以下の4つの側面から構成される。
 
・Product(製品):提供する商品やサービスそのもの。品質・機能・デザイン・ブランド力などを含む。
・Price(価格):販売価格や値引き戦略。消費者にとっての価値とのバランスをどう設定するか。
・Place(流通):商品がどこで、どのように流通・販売されるか。販売ルートや店舗戦略も含む。
・Promotion(プロモーション):広告や販促活動。ブランド認知をどう広めるか。
 
商品を実際に市場に出すということは、この4Pの中でどこに強みを持たせ、どう活用していくかを選択した結果でもある。つまり、消費者に商品を「選んでもらう要素」とは、そのまま競争優位性を形成する要因にほかならない。具体的には、以下のような形で戦略が展開される。

・味が優れているからこそ価格は下げない(Product と Price の両立)。
・とにかくコーヒーが飲みたい人に安く提供する(低価格戦略)。
・大量生産と自社の販売ルートを活かして価格を抑える(Place を軸にした価格優位)。
・自社にしかない商品であるため高価格を設定する(独自性=Product の強み)。
・付加価値を提供するから価格は高くても良い(ブランドや体験価値を重視)。
・有名芸能人を起用し、一気に知名度を高める(Promotion 戦略)。
・あえて宣伝を行わず、コストを抑える(無広告戦略)。

このように、商品が「選ばれる」ための理由は多様であり、それを体系的に設計するのがマーケティングである。

5――選択肢が多いと人は不幸になる?

5――選択肢が多いと人は不幸になる?

さて、ここまでを踏まえて、改めて問いかけたい。今、あなたはコーヒーが飲みたいと感じたとする。その欲求をどのように充足するだろうか。それは、まさに読者ひとりひとりが置かれている状況や境遇によって大きく左右される。

たとえば、缶コーヒー、ペットボトル、紙パック、チルド商品といった商品の形態から選ぶこともあれば、希釈タイプやインスタント顆粒、ドリップパック、豆から挽いて淹れるといった調達・調理の手段を選ぶこともある。カフェで飲むなら、そのカフェブランドの選択が問われ、コンビニで購入するなら、どのコンビニチェーンを利用するかという販売チャネルの選択も生じる。さらに、ブラックかカフェラテか、加糖か無糖かといった味の選択も重要な要素である。

極端にいえば、「コーヒーを飲む」という目的を達成するだけであれば、輸入食品店カルディのように店頭での試飲を利用することも一つの選択肢になり得る。このように、同じ「コーヒーを飲みたい」という欲求であっても、その充足方法は状況や条件に依拠し、無数の可能性が広がっている。

一方で、冒頭で挙げた「無名ながら1缶35円のコーヒーと、スターバックスのチルドコーヒー」という二択においては、そこまで難しい判断ではないだろう。コーヒーなら何でもよいという人は前者を選ぶだろうし、過去の購買経験を通じてスターバックスというブランド、もしくはそのチルド商品そのものに良い印象を抱いている人であれば後者を選ぶはずである。選択肢が限られていると、理由付けがしやすく、決定もスムーズになる。

この点を裏付ける有名な調査に、米コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授による「ジャムの実験」がある。24種類のジャムを並べた売り場と、6種類に絞った売り場を比較したところ、前者では購入率がわずか3%であったのに対し、後者では約30%に上昇した。つまり、選択肢が多すぎると人は選びにくくなり、逆に選択肢を絞ることで購買行動が促進されるのである。

心理学者バリー・シュワルツも著書『選択のパラドックス』で、選択肢の多さが幸福度を下げると考察している。その要因としては以下の三点を挙げている。

1.選択肢が多すぎると「決められない」「決断を先延ばしにしてしまう」といった無力感が生まれる。

2.選んだとしても「本当に正しかったのか」という疑念や「あちらを選んだ方が良かったかもしれない」という後悔につながる。

3.選択肢が多いことで「自分にぴったりのものがあるはず」という期待が高まり、結果として満足しにくくなる。

このように、消費においては「選択肢の数」が購買行動や心理的満足度に大きな影響を与えるのである(続)。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年10月17日「基礎研レター」)

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生活研究部   研究員

廣瀬 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化論、若者マーケティング、サブカルチャー

経歴
  • 【経歴】
    2019年 大学院博士課程を経て、
         ニッセイ基礎研究所入社

    ・公益社団法人日本マーケティング協会 第17回マーケティング大賞 選考委員
    ・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員

    【加入団体等】
    ・経済社会学会
    ・コンテンツ文化史学会
    ・余暇ツーリズム学会
    ・コンテンツ教育学会
    ・総合観光学会

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