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機関投資家はネイチャーポジティブにどう向き合っていくか?

静岡県立大学 経営情報学部 上野 雄史
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2022年に開催されたCOP15で「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択され、2030年までにネイチャーポジティブを達成するという国際的な合意がなされた。ネイチャーポジティブとは、生物多様性の損失を止め、自然を回復軌道に乗せることを意味する。ネイチャーポジティブ社会への移行を推進するため、企業活動における自然資本との関係を定量的に可視化し、リスクと機会を明示する枠組として、2023年に「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」の提言が最終化された。TNFD提言は、2025年4月時点で562社の企業が賛同を表明しており、そのうち日本企業は154社を占めている。TNFDの主な特徴は以下の通りである。
(1) TCFDと同一のフレームワーク:気候変動開示のTCFDを踏襲し、ガバナンス、戦略、リスクと影響の管理、指標と目標の4つの柱で構成されている。
(2) LEAPアプローチ(Locate: 特定、Evaluate: 評価、Assess: 査定、Prepare: 準備)の採用:企業が自然資本との依存、影響、リスク、機会を特定・評価する方法として提唱。企業の事業活動が自然資本に与える地理的および生態的な影響を特定、分析、開示する。
(3) 他の評価指標との連携:ENCORE、Aqueduct、GLOBIO、IBATなどの科学的モデルや空間データベースといった定量化された外部ツールとの連携が推奨されている。
(4) 既存の枠組みとの整合性:ISSBの開示基準(S1, S2)、GRI、CDPといった主要なサステナビリティ開示フレームワークとの整合性を持つように設計されている。
(5) 先住民族、地域社会と影響をうけるステークホルダーとのエンゲージメント:先住民族は世界に残された生物多様性の80%の管理者であり、 地球の生態系に関する伝統的知識の源泉であり、ネイチャーポジティブ社会の実現にむけて重要な役割を担っている。
TCFDにおいて重視されたシナリオ分析の考え方は、TNFDにおいても引き継がれている。TNFDでは生態系の変化や自然資本への依存、影響を踏まえた分析が求められる。TCFDでは気温上昇シナリオを前提とした分析が行われたが、TNFDでは組織固有の状況を踏まえて、自然関連に関するリスクと機会に関する戦略のレジリエンスを複数のシナリオに基づき説明する。
国連のPRI(責任投資原則)においてもネイチャーポジティブの考え方は取り入れられ、2023年の「責任投資の入門ガイド」に生物多様性の考え方が組み入れられている。このように2023年以降、ネイチャーポジティブ社会の実現に向けた具体的な行動とその開示が、国際社会からの要請となりつつあるものの、機関投資家が企業評価に組み入れるにはいくつかの課題がある。
機関投資家は、自然資本や生物多様性に関する専門知識や分析能力は持っておらず、MSCI、ブルームバーグ、Sustainalytics、FTSE、S&P Globalといった主要なESG評価機関やデータプロバイダーが提供する情報に依拠することになる。これらの外部機関が提供する関連情報を再検証する手段は限定的である。企業がTNFD提言に基づいた開示は拡大していくと予想されるものの、現状では、データの検証可能性は限定されており、投資家がその信頼性を判断することは容易ではない。
(2)財務的インパクトの評価の困難性
TNFDは、自然関連のリスクと機会が収益、費用、資本支出などの財務的な影響を伴うと位置付けている。しかし、実際には、自然資本への依存や生物多様性の損失が企業に与える財務的影響の予測は、「可能性の域」を出ない。特定の生態系サービスの喪失が、企業の生産コスト上昇や事業継続リスクにどれだけの財務的損失をもたらすのかを、信頼性が担保される形で定量的に示すのは現状では非常に難しい。具体的な影響額がより明確に、かつ信頼性のある形で定量化されるようにならなければ、企業評価に組み込むことは困難であろう。
(3)短期的なリターンとコストの問題
ネイチャーポジティブへの取り組みは、長期的な視点と相応の投資を必要とする。生態系の回復や自然資本の保全は、短期間で目に見える財務リターンを生み出すとは限らない。むしろ、初期段階では企業に追加的なコストを強いることになる。機関投資家にとって、自然関連の投資機会を評価し、ポートフォリオに組み込むことは、短期的なリターンを毀損することになる。この点は、従来のESG評価においても共通して指摘されてきた問題点であり、ネイチャーポジティブにおいても同様の課題がある。
(4)法規制とインセンティブの欠如
ネイチャーポジティブに関する国際的な枠組みは確立されつつあるものの、各国の具体的な法制化や強制力は不確実な部分が多い。米国などの主要国は強い法規制を課すことには消極的であり、企業が実効的な行動を行う動機付けが乏しい。明確な法規制や市場インセンティブが欠如している現状の中で、どのように企業評価を行うかが問われることになる。
GPIF(年金積立金管理運用独立法人)は、TNFDの提言を意識した GPIFポートフォリオの自然関連リスクに関する分析をMSCI社の協力の下、試行的に開始しており、2023年度のESG活動報告では、国内株式、外国株式ポートフォリオにおいて、それぞれ 20%、44%の企業が一定のリスクを抱えていることを示している。多くの企業が自然資本に依拠し、生物多様性の影響を受けやすい地域に資産を有していることが推察される。現時点では、検証可能性、財務的影響の不確実性、短期リターンとの乖離、法規制とインセンティブ、といった課題があるものの、自然関連リスクを織り込んだ投資評価手法が確立されていくことが期待される。
(2025年07月03日「ニッセイ年金ストラテジー」)
静岡県立大学 経営情報学部
上野 雄史
上野 雄史のレポート
日付 | タイトル | 執筆者 | 媒体 |
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