2025年06月12日

金融技術革新の4類型とその波及効果-キャッシュレス化にみる「制度から始まるイノベーション」の形

金融研究部 金融調査室長・年金総合リサーチセンター兼任 福本 勇樹

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5――金融技術革新の波及効果

1キャッシュレス化がもたらした行動変容と社会基盤の再構築
キャッシュレス化は、単なる決済手段の代替にとどまらず、人々の消費行動や事業者のサービス設計、さらには社会の制度インフラそのものにまで影響を及ぼす「波及型の金融技術革新」として位置づけられる。その本質は、貨幣の物理的媒介性からの解放であり、支払いという行為に内在していた「いつ・どこで」という時間的・空間的制約を取り払うことで、新たな社会的連関や経済行動を誘発する点にある。

第一に、キャッシュレス化は個人の行動変容をもたらした。利用履歴の可視化による支出管理の高度化、即時決済による購買行動の高速化、さらにはモバイル端末を通じた金融アクセスの常時化が、家計運営や消費意思決定のあり方に変化を促した。一方で、現金という視覚的・触覚的な制御が失われることで、金銭の可視性・実感性が低下し、過剰支出や金銭感覚の希薄化、不正利用や詐欺リスクといった新たな問題も顕在化している。

第二に、キャッシュレス基盤の整備は、企業・店舗・自治体といった担い手側にも変革を迫った。デジタル決済の導入によって、会計業務の効率化や非対面での販売手法の多様化が進む一方、購買履歴データを通じた消費者動向の分析が進み、企業のマーケティング戦略や観光政策、地域プロモーションへの活用が拡大している。加えて、パンデミック下における「非接触ニーズ」の高まりは、制度としてのキャッシュレスを社会的に受容する契機ともなった。

第三に、キャッシュレス化は社会基盤の再構築にもつながっている。政府主導のマイナポイント事業や自治体によるプレミアム付き電子商品券といった施策は、所得の再分配や地域振興といった政策目的にキャッシュレス技術を接続する試みであり、単なる技術導入を超えて、社会的インフラの一部として機能し始めている。決済が他分野とのつながりを形成することで、決済は「お金のやりとり」にとどまらず、「情報とインセンティブの媒介」機能と融合して新たな価値を持ち始めている。

このようにキャッシュレス化は、金融技術革新の一事例に過ぎないように見えて、実際には社会的行動様式や制度設計、経済インフラの構造にまで波及的な影響を及ぼしている。キャッシュレスという一つの技術が、結果として消費者行動、企業活動、公共政策、都市設計といった広範な領域に影響を与えている点は、今後の技術革新が社会に波及するモデルケースとして注目される。金融の技術革新が他分野へと波及し、社会の再構築につながる構造的変化の先例として、キャッシュレス化の動態は今後の制度設計や社会的アーキテクチャの構想においても重要な視座となる。
2金融技術革新に期待される役割
本稿を通じて見てきたように、金融における技術革新は、単なる業務効率化や利便性の向上にとどまらず、制度との接続や社会的受容といった複雑な要因とともに形成され、それらを通じて波及的な変化を引き起こしてきた。その中核には、金融が「価値の媒介」という社会的役割を担っているという構造的な特性がある。したがって、金融技術革新は本質的に、他分野の技術革新を加速させるための基盤的インフラとして機能すべきものである。

具体的には、キャッシュレス決済、個人間送金、信用スコア、電子契約、クラウド会計、地域通貨、BaaSなど、これまでに登場してきた多くの技術は、社会全体の情報流通や意思決定のインフラと接続されることで、利用者個人の利便性の向上にとどまらず、より広範な領域への貢献が期待されている。

とりわけ、医療、教育、行政、地域開発といった非金融分野において、これらの技術は効率化や公正性の向上に資する可能性を秘めており、今後の制度設計における基盤技術として重要性を増していくと考えられる。また、金融技術は「トラスト(信頼)」の生成メカニズムに深く関わることからオンラインプラットフォーム上での取引やシェアリングエコノミー、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)を活用したサービスなど、取引者間で新たに信頼構築が求められる領域においても、重要な役割を果たしている。とりわけ、キャッシュレス決済などの社会的に受容された金融インフラが備わっていることは、「確実に決済される」「支払いが履行される」といった安心感を取引関係者にもたらし、オンライン取引やスモールビジネスが成立する土壌の形成に寄与している。このように、取引の担保やアクセス管理の手段としての金融基盤の存在は、既存のビジネスにおける効率化に留まらず、新興ビジネスの信頼性を下支えするインフラとしても不可欠であり、今後の技術革新の支柱となることが期待される。

しかしその一方で、金融分野の技術革新は制度的制約の影響を大きく受けるため、他の分野と比較して制度設計との整合性が成功の鍵を握る。すなわち、金融技術革新の波及力を高めるためには、制度との摩擦を減らす「制度設計としてのイノベーション」もまた不可欠であり、その成否には社会的な受容も影響する。

今後、金融技術革新が社会に果たすべき役割は、「先端技術をいち早く導入すること」だけではなく、「社会の他分野と接続し、その技術的・制度的基盤を支えること」にもある。そのためには、制度、担い手、対象を横断する構造的な視座を持ちながら、社会的インフラとしての金融を再定義していく視野が求められる。

金融技術革新とは、単なる「技術」の問題ではなく、社会全体の在り方を問う「制度と構造の再設計」の問題である。その意味で、金融の未来は他分野の未来と連動している。そして、金融が媒介する価値や信頼の流れをどのように向上させ、設計しなおすかという問いこそが、今後の社会的イノベーションの出発点となる。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年06月12日「基礎研レポート」)

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金融研究部   金融調査室長・年金総合リサーチセンター兼任

福本 勇樹 (ふくもと ゆうき)

研究・専門分野
金融・決済・価格評価

経歴
  • 【職歴】
     2005年4月 住友信託銀行株式会社(現 三井住友信託銀行株式会社)入社
     2014年9月 株式会社ニッセイ基礎研究所 入社
     2021年7月より現職

    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員
     ・経済産業省「キャッシュレスの普及加速に向けた基盤強化事業」における検討会委員(2022年)
     ・経済産業省 割賦販売小委員会委員(産業構造審議会臨時委員)(2023年)

    【著書】
     成城大学経済研究所 研究報告No.88
     『日本のキャッシュレス化の進展状況と金融リテラシーの影響』
      著者:ニッセイ基礎研究所 福本勇樹
      出版社:成城大学経済研究所
      発行年月:2020年02月

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