2025年04月01日

APRAによるガバナンス強化の提言について-オーストラリアの健全性規制

保険研究部 主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任 植竹 康夫

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6|役割の明確化について
(1)現行の要件
APRAの基準には、規制対象事業体の取締役会や議長の役割に関して、シンプルで大まかな定義をしている(「取締役会は、最終的に当該機関の健全かつ慎重な経営に責任を負う」など)。取締役会の役割に関する詳細なガイダンスは、監査委員会、リスク委員会、報酬委員会の役割と責任に限定されています。これはBCBS14、IAIS15、ASX16コーポレートガバナンス協議会など、他の関連する基準設定主体とは対照的である。これらの組織は、それぞれ基準の中で取締役会の役割に関するガイドラインを提供している。
 
CPS 510は、責任を上級管理職に委任する権限を取締役会に与えている。委任は書面で行われなければならず、取締役会は委任された権限の行使を監視する体制を整えていなければならない。取締役会は、上級管理職に委任した事項についても最終的な責任を負う。
 
14 Basel Committee on Banking Supervision
15 International Association of Insurance Supervisors
16 Australian Securities Exchange
(2)問題意識
APRAは、一部の取締役会に関して議題が業務事項に偏りすぎており戦略的問題について議題に上がることが少ない傾向があることを指摘している。APRAの実施した「ガバナンスに関するテーマ別レビュー」では、多くの取締役会が「将来を見据えた戦略」や「リスク管理」に費やす時間が全体の30%未満であった。
 
健全性規制およびガイドラインは、長年にわたって策定されたもので、取締役会に対して課されている要件の数は一般的に約150個程度に上る。これらの要件のうち、大半は業務事項的なものが多く、その決定にコストをかけている状況が伺える。APRAは、健全性基準およびガイダンスが取締役会の果たすべき中核的な責務をより明確にし、取締役会委員会または上級管理職に委任できる事項を明確にすることが事業体にとって有益である、と認識している。
(3)対応
これらの問題に対処するため、APRAは、取締役会、議長、上級管理職の主な役割を明確に規定するよう、健全性基準を改正することを提言している。この提言の目的は、APRAが期待している役割を明確にし、取締役会による委員会や上級管理職への権限委譲を促進することにある。これにより、取締役会は、将来を見据えた戦略、リスク管理、監督などの中核的な責務により多くの時間を費やすことができるようになるはずである。
 
APRAが取締役会の中核的責務と考えるものには、以下が含まれる。
・組織の目的および価値観、および目指すべき企業文化を明確にすること
・組織の戦略、目標、リスク選好度の策定、承認、実行を監督すること
・ガバナンスおよびリスク管理の枠組みの有効性を監督すること
・管理職に対してリーダーシップを発揮し、建設的な異議を唱えること。
 
APRAはまた、健全性基準における議長の中核的責務を明確化することを提言しており、企業文化(culture)、取締役会のパフォーマンス、適格性評価(proper assessment)に関する責任などが含まれる。
 
管理職の責務に関しては、取締役会承認済みの戦略、リスク選好度、企業文化、価値観に沿った事業体の活動を遂行し、管理職が取締役会と明確かつタイムリーに透明性をもって対応することを保証する成果重視の定義を提言している。管理職は、コンプライアンス要件を満たすことを目的とした報告ではなく、意思決定を支援するための明確かつ適切な情報を効果的に取締役会に報告する責任を負うべきとしている。
 
現行制度であるCPS 510およびSPS 510ではすでに、取締役会が特定の機能を管理職や取締役会委員会に委任することを認めているが、APRAは、より具体的に取締役会が委員会や管理職への委任に適したものに関するフィードバックを行うことを求めている。
 
なおAPRAは、他の健全性基準を改定する際に、取締役会に課せられている既存の要件が適切であるかを検証することも約束している。
7|取締役会委員会について
(1)現行の要件
APRAは、銀行および保険会社の取締役会に対して、リスク委員会と監査委員会をそれぞれ独立して維持することを義務付けている。一方で、RSEライセンシーには、監査委員会のみを設置することを義務付けており、ただしその委員の責任にはリスクも含まれ、独立したリスク委員会を設置する義務はない。
 
また、銀行・保険会社・RSEライセンシーすべての業界において、外部アドバイザーなどの取締役会メンバー以外の取締役会委員が、委員会の議題について議決権を有することを妨げる規定は存在しない。
(2)問題意識
APRAは、銀行および保険会社に対し、時間、集中力、スキル、経験などのコストが十分に中核的責務に割り当てられるよう、監査委員会とリスク委員会をそれぞれ設置することを義務付けている。現在では、主要なRSEライセンシーのほとんどが、すでにリスク委員会を独自に設置している。リスク委員会が設置されていない一部の事例に対して、APRAはリスク管理とリスク対応能力の弱さを指摘している。
 
APRAは、外部専門家がRSEライセンシーの取締役会委員会に参加する事例を観察してきた。これらの専門家は、取締役会メンバーに不足している専門的スキルを補強しうるものであるとしている。APRAは、外部アドバイザーが委員会に参加し、助言を行うことについて異議を唱えるものではないが、外部アドバイザーが議決権を有するメンバーとなり、取締役会の重要なスキルギャップを解消するほどの役割を担うべきではないと考えている。
(3)対応
リスク委員会と監査委員会を別に設置することがより望ましい方法であるとしつつも、APRAは、小規模な事業体(非SFI)に関して、追加的なコストと複雑性を生じさせる可能性があることを懸念している。そのため、銀行および保険会社すべてに対して、これらの委員会を別個に設置することを求める現行の要件を一旦撤廃することを提言している。
 
その上で、SFIに該当する銀行および保険会社については、リスク委員会と監査委員会を別個に設置することを求める提言を行うほか、SFIに分類されるRSEライセンシーに対しても、要件を拡大することとしている。これにより、業界間の取り扱いの差異は解消される。
 
APRAはまた、当委員会の議決権を保有できる委員は、取締役会のメンバーのみとすることを規定するよう提言している。これは、取締役会はアドバイザーによる補強ではなく、適切な取締役の任命、後継者育成計画、研修を通じて、メンバーのスキルと能力のギャップを解消すべきであるというAPRAの見解を反映したものである。引き続きアドバイザーが委員会に出席し、専門家の助言を提供したり、取締役の経験を補完したりすることは妨げられない。取締役会メンバーのみに議決権を限定することで、取締役会の明確な説明責任を確保することも意図されている。
8|非常勤取締役の任期と取締役会メンバーの刷新について
(1)現行の要件
現行の基準では、取締役会は取締役メンバーの刷新について、正式な方針を定めることが求められている。この方針では、取締役が規制対象事業体の最善の利益のために行動する能力を妨げる可能性がある、または妨げているとみなされるほどの長期間にわたって在任していないかどうかを考慮することが求められる。RSEライセンシーに対する要件はさらに厳格であり、SPS 510では、方針に最長在任期間の上限を明記することが義務付けられている。ガイダンスによると、在任期間の上限が12年を超えるような状況が妥当であるケースは極めて限定的であるとされている。
(2)問題意識
取締役の在任期間に適切な上限を設けることは、優れたガバナンスの構築上重要なことである。 取締役の入れ替えが適切に行われることで、安定性、継続性、専門性が促進されるとともに、新しいアイデアや刷新も促進される。 在任期間が長期になりすぎると、公平な判断を下す能力や経営陣に異議を唱える能力を損なう可能性が高くなる。また、新しいアイデアや従来と異なるアプローチを受け入れる柔軟性が失われ、企業の文化をありのままに評価する上での障壁となる可能性もある。
(3)対応
APRAは、APRAの裁量により延長できる余地を残すとした上で、規制対象事業体の取締役会における非常勤取締役の任期を10年とすることを提言している。

なお、在任期間に上限を設けることは、トレードオフが伴うことが認識されている。すなわち、在任期間の長い取締役は、非常に経験豊富で、取締役在任期間を通じて多大な貢献をしている場合が多い。このため、APRAは、企業が申請した場合に個別に例外を認める権利を留保することを提言に含めている。これにより、APRAが認めた場合には2年間の延長を認めることができる。このアプローチは、在任期間が長いことによる利益とリスクの両方を認識し、バランスを取ることを目的としている。
 
APRAは、この提言を実施するにあたり、規制対象事業体が新しい要件を実施するのに十分な時間を確保する必要性があると考えている。APRAは、必要と考えられる移行措置の形態について、業界からのフィードバックを公募している。
 
取締役会メンバーの刷新に関しては、APRAは、現在の健全性要件を拡大し、以下を明記することを提言している。
・指名から後継者育成計画までの全サイクルを考慮すること
・取締役の指名、任命プロセス、任期、および最長任期数について詳細に規定すること
・取締役会および取締役のパフォーマンス評価の結果が後継者育成計画および刷新にどのように反映されるかについて規定すること。
 
これらの変更は、規制対象事業体の取締役会メンバーの刷新を促すことを目的としており、そのプロセスがスキルや在任期間など、その他の関連事項を考慮したものとなることを保証するものである。APRAは、これらの新しい要件の監督にあたり、結果に焦点を当てることを想定している。そのため、事業体は、結果を達成している限りにおいては、個別の更新方針を維持するか、更新を適格性・適正性方針に統合するか、または事業体が適切と考える別のプロセスを採用するなどの方法の柔軟性を有している。

3――さいごに

3――さいごに

今回のガバナンス強化の提言は、APRA のコアとなる健全性基準とガバナンスに関するガイダンス(現行では CPS 510 および SPS 510 ガバナンス、CPS 520 および SPS 520 適格性および適正性、SPS 521 利益相反)を強化するための 8 つの提言となっている。これらの提言は、不適切な慣行を継続している事業体を是正し、今日的に一般的なガバナンス基準に適合させることを目的としていると考えられる。そのため、今回の提案は、ガバナンス体制がすでに十分成熟している事業体にとっては、大きな負担にはならないと考えられる。

また、要件を厳格化するのみではなく、不要な規則や重複する規則を撤廃し、規制対象事業体とその取締役会の負担を軽減する提言も含まれている。例えば提言6(役割の明確化について)では、取締役会がAPRAの要件を取締役会委員会や上級管理職に委任し、企業統治のより中核的な戦略的問題に焦点を当てる時間を確保することができるように促すものである。

さらに、小規模な事業体に対する影響についても配慮されており、例えば提言7(取締役会委員会について)において、非SFIsである銀行および保険会社に対する要件の緩和がなされている。このことから、ガバナンス体制はすべての事業体で同じである必要はないというAPRAの見解が伺える。

規制を強化している事業体のおよそ8割においてガバナンスに課題があったというAPRAの指摘があったが、ガバナンス強化を受けて事業体の健全性に今後どのような影響を与えるのか、引き続きAPRAの動向を注視していきたい。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年04月01日「保険・年金フォーカス」)

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保険研究部   主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任

植竹 康夫 (うえたけ やすお)

研究・専門分野
保険計理・保険会計

経歴
  • 【職歴】
    2007年 日本生命保険相互会社入社
    2024年 ニッセイ基礎研究所

    【加入団体等】
    ・日本アクチュアリー会 正会員
    ・年金数理人

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