2025年02月25日

気候アパルトヘイトとNCQG-気候変動問題による格差の拡大は抑えられるか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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1――はじめに

近年、気候変動問題への注目度が高まっている。地球温暖化を背景に、台風や豪雨による災害の頻発化・激甚化、海面水位の上昇、森林火災の大規模化など、さまざまな形で、その影響が出ている。これらの影響は経済状態や地域ごとに異なっており、特に貧困層や発展途上国の人々に大きな負担を強いている。その結果、先進国と発展途上国の間で、適応策や緩和策の格差が拡大している。

この現象は、国連の報告書で「気候アパルトヘイト」という言葉で表現された。本稿では、気候アパルトヘイトの現状と、その解決に向けた発展途上国支援の取組みについて見ていくこととしたい。

2――気候アパルトヘイトの概念

2――気候アパルトヘイトの概念

もともと「アパルトヘイト」とは、かつて南アフリカで行われた人種隔離政策を指す1。「気候アパルトヘイト」は、この人種的な隔離政策に似た形で、気候変動が引き起こす社会的・経済的な不平等を表現したものだ。具体的には、先進国や富裕層の人々が経済発展に伴い大量の温室効果ガスを排出して地球温暖化が進んだ結果、排出の少ない途上国や貧困層の人々に最も深刻な影響が生じているという現実を示している。気候変動を通じて、先進国と発展途上国との間にある格差がさらに広がってしまう ― これが気候アパルトヘイトとされる。この言葉は、2019年の国連人権理事会で、気候変動と人権に関する報告の中で用いられたのが始まりとみられる2。気候アパルトヘイトには、いくつかの特徴がある3
 
1 南アフリカのアパルトヘイトは1990年代初めに廃止された。その後、同国はさまざまな人種や民族が共存して文化や言語の多様性を目指す「レインボーネーション(虹の国)」の建設を進めてきた。
2 “Report of the Special Rapporteur on extreme poverty and human rights”(「極度の貧困と人権に関する特別報告者報告書」)(国連人権理事会第41回会期 議題項目3, 2019年6月25日)のなかで用いられている。
3 気候アパルトヘイトの特徴は、ChatGPTの回答内容を参考に筆者がまとめた。

(1) 影響が不平等に生じる
先進国は産業の発展の過程で、気候変動の主要な原因となる温室効果ガスを多く排出してきたが、その影響を最も強く受けるのは排出量が少ない発展途上国の人々となっている。これにより、経済的な利益を享受する先進国と、温暖化に伴って貧困が深刻化する発展途上国の間で不平等が拡大することとなる。

(2) 貧困地域の人々の生活を脆弱化させる
気候変動は、社会インフラや資源へのアクセスのコストを高めるなど、さまざまな影響を与える4。豊かな国の人々は、気候変動に対して追加コストを支払って生活を維持することができる。一方、貧しい国では、人々が追加コストを支払えないため、災害や経済的困難に直面するリスクが高まる。
 
4 具体例として、ハリケーンの襲来や山林火災の頻発化等に伴って、住宅保険の保険料が高騰することが挙げられる。

(3) 移住の圧力が高まる
気候変動により、海面水位が上昇して住居地域が洪水等の危険にさらされたり、農地の干ばつが進んで農作物が生産できなくなったりする。その結果、移住を余儀なくされる人々が増加する。ただし、移住が円滑に進むとは限らず、移住先の国や地域では、移住者に対する差別や排除が問題となることもある。

3――気候アパルトヘイトの事例

3――気候アパルトヘイトの事例

次に、気候アパルトヘイトの代表的な事例をいくつか見ていこう。

(1) バングラデシュ
バングラデシュは、海面水位の上昇や、洪水、サイクロンといった気候変動の影響を強く受けている。海面水位の上昇により沿岸地域が水没し、数百万人が住む場所を失う危機に瀕している。同国は気候変動の原因となる温室効果ガスの排出量が非常に少なく、気候変動の影響を被ることは不公平な状況となっている。

(2) マリ、ブルキナファソ、ニジェール (中央サヘル地域5)
中央サヘル地域では、各国で政府軍と反政府武装勢力との紛争による混乱が生じている。これに加えて、同地域は世界平均よりも速いペースで気温が上昇しており、洪水や干ばつが頻発している。そのため食糧生産が滞っており、数百万人が深刻な食料不足に陥っている。
 
5 サヘル地域とは、サハラ砂漠の南縁に広がる地域を指す。

(3) ツバル、キリバス、ソロモン諸島、パラオなど (太平洋の小島嶼国)
太平洋の小島嶼(とうしょ)国は、海面水位の上昇による水没のリスクに直面している。ツバルがオーストラリアと移住協定を結ぶなど、各国でリスク対応が進められている。これらの国々は、先進国に比べて非常に少ない温室効果ガスの排出量にもかかわらず、気候変動の影響により最も脆弱な立場に置かれている。

(4) インド
インドでは、気温上昇に伴う熱波が増加している。富裕層の人々はエアコンや冷房設備を使用して暑い時期でも快適な環境で過ごす一方、貧困層の人々はこれらの設備を購入できないことが多く、健康被害を受けやすい。また、熱波の間、農業部門は極端なストレスにさらされ、灌漑用水の需要が増える。不足しがちな水資源に負荷がかかり作物の収穫量が減る。その結果、貧困層の人々は食料の確保が脅かされる。気候変動が貧富の格差拡大を助長する形となっている。

(5) 南アフリカ
南アフリカは、時折、深刻な干ばつに見舞われる。2017年末にはケープタウンで、近郊のダムの貯水量が「デイ・ゼロ」と呼ばれる13.5%まで低下する危険が生じた。市は給水を制限して水道料金を値上げした。富裕層の人々は高価な水を買えたが、貧困層の人々は厳しい給水制限に直面した。6
 
6 南アフリカでは、2018年3月に政府が干ばつによる国家災害非常事態宣言を出したが、その後十分な降雨に恵まれたことから同年6月に解除した。

4――先進国による発展途上国の支援

4――先進国による発展途上国の支援

気候アパルトヘイトを軽減し、発展途上国の気候変動対策を促進させるためには、先進国による支援が必要と言われている。その現状を見ていこう。
1|温室効果ガスの排出量が多い国の損失と損害 (ロス&ダメージ) 基金への拠出は限定的
2023年にドバイ(アラブ首長国連邦)で開催されたCOP28(国連気候変動枠組条約第28回締約国会議)では、気候変動の悪影響に伴う発展途上国の損失と損害(ロス&ダメージ)に対応するための新たな資金措置(基金を含む)の運用化に関する決定が採択された。2024年12月時点で27の国や機関が資金拠出を表明しており、その合計額は7.45億米ドルとなっている。

ただし、現在温室効果ガスの排出量が最も多い中国(全世界の排出に占める割合は30.1%)は資金拠出を表明していない。排出量第2位のアメリカ(同11.3%)は、資金拠出では全体の2.4%に過ぎない。日本(同2.0%)も、資金拠出では全体の1.3%にとどまっている。温室効果ガスの排出量が多い国の資金拠出は限定的となっている。
図表1. 温室効果ガス排出量 (2023年)/図表2. ロス&ダメージ拠出表明額 (2024年12月時点)
2|NCQGは合意に至ったものの、複数の国に強い不満が残っている
2024年にバクー(アゼルバイジャン)で開催されたCOP29では、発展途上国への資金供与が議論のポイントとなった。先進国と途上国の間で資金供与の水準が乖離し、一時は決裂の恐れもあったが、35時間以上会期を延長した末に、新規合同数値目標(the New Collective Quantified Goal on climate finance, NCQG)の合意に至った。5

NCQGは、二国間政府開発援助、国際開発金融機関、官民の協調融資、貿易保険などから拠出する目標のインナー層と、民間資金・投資を含んだすべての関係者(actors)に資金供与を要請するアウター層の二層構造となっている。いずれも発展途上国向けの気候資金であり、2035年を達成時期としてインナー層は年間3000億米ドル、アウター層は年間1兆3000億米ドルとすることが合意された。併せて、途上国にも自主的に資金援助を行うことを奨励する内容となっている。6

ただし、この合意内容については、インド、ナイジェリア、AOSIS(Alliance of Small Island States,小島嶼国連合)など複数の国々に、「この目標では受け入れられない」「低すぎる」といった強い不満が残っている。全会一致を慣例とする採択を優先してCOP29でのNCQG合意には至ったものの、強い不満を表明した国々の真意について引き続き慎重に判断する必要があるものとみられる。
 
5 従来の資金供与目標は2020年に年間1000億米ドルとの水準であり、実際に達成したのは2022年(1159億米ドル)であった。NCQGは2021年のCOP26(グラスゴー(イギリス))に交渉が開始され、3年間のプロセスを経てCOP29で合意に至った。
6 損失と損害(ロス&ダメージ)基金とNCQGの関係性については、明確に示されていない。

5――おわりに (私見)

5――おわりに (私見)

気候アパルトヘイトは、気候変動によって引き起こされる不平等であり、特に発展途上国や貧困層の人々に深刻な影響を与えている。先進国は、温室効果ガスを削減するとともに、NCQGなどの発展途上国への支援を通じて、世界的に気候変動問題への適応策と緩和策を進めることが求められる。また、発展途上国も適切な気候政策を推進することが必要となろう。

現状を見ると、2025年1月には、アメリカが新大統領のもとでパリ協定からの離脱を表明する7など国際協調の機運は失われつつある。今後、各国の脱炭素の取り組みが後退する恐れも出てきている。

しかし、基本的に、気候変動問題への対応として、自国第一主義は意味をなさない。温暖化は国境を越えて広がり、いずれは気候変動が世界中の人々の暮らしや経済に影響を及ぼすとみられるためだ。それを食い止めるためには、各国で協調して温暖化対策を進めることがカギとなる。

引き続き、発展途上国や貧困層の人々への支援を含めて、気候変動問題への世界的な取組みを注視していくこととしたい。
 
7 正式な離脱は、2026年1月27日になるとされている。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
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(2025年02月25日「基礎研レター」)

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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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