2024年10月15日

金利中心の政策運営を目指す中国人民銀行の挑戦-金融政策枠組みの「中国式現代化」の歩みと展望

経済研究部 主任研究員 三浦 祐介

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4――今後の展望

金融政策運営を巡る改革について、今後進んでいくであろう取り組みを、どのように評価できるだろうか。以下では、金利中心の金融政策が有効に機能するか、金利の市場化が進むか、の2つの観点から考察する。これらのポイントについては、主に先進国のあり方を念頭に、三浦・多田出(2017)や三浦(2019)でいくつかの課題が指摘されていた。それらを踏まえ、今日的に改めて評価すると以下の通りだ。
1金利中心の金融政策が有効に機能するか
金利に基づく金融政策へと移行した後、政策金利から市場金利への伝達を円滑にするためには、依然として取り組むべき課題や運用上懸念される点が残っている。新たな枠組みに基づく金融政策運営が慣熟するにはまだ時間を要するだろう。

まず、金利のプライシングの基礎となるイールドカーブの整備を継続する必要がある。上述のように、短期金利に関しては金利コリドーの改善が進む見込みだが、長期金利に関しては国債市場の一段の発展が求められる。中国の国債市場の規模や取引量は拡大を続けており、イールドカーブは既に形成されている。ただ、規模や流動性の面で、まだ向上の余地が残っている6。規模に関しては、24年から始まった超長期特別国債の発行により今後も拡大することが予想される一方、流動性に関しては、投資家や商品の多様化など制度改善を通じた取引のさらなる活性化が必要となるだろう。

次に、今後改善されるPBOCのコミュニケーションが市場の期待形成に対して十分に機能するか、不透明な点が残る。これは、PBOCが他国の中央銀行と異なり、制度的に党や政府から独立した組織でないためだ。党中央政治局会議や全国人民代表大会など、情勢認識や経済・金融政策の基調を定めるより上位の会合があり、PBOCはそこで決まった方針に基づき具体的な政策を執行する立場にある。近年、PBOCは金融政策の考え方について率直に説明したり、利下げ等を事前にアナウンスしたりと、丁寧なコミュニケーションに努めている印象があるが、その一方、金融分野に対する党の管理も強化される傾向にある。今後も市場の反応をみながらの試行錯誤になることが予想され、その成り行きを見守る必要がある。

また、金融機関が市中金利を適切に設定できるかにも、課題が残る。例えば貸出金利については、LPRの見直し後、既に多くの金融機関がLPRをベンチマークとして設定するようになっていることは既に述べた通りであり、LPRの制度的改善が進めば、ベンチマーク金利の適切性は高まると考えられる。他方、信用コストの算定が適切になされるかに関しては、国有企業のソフトな予算制約の問題がネックとなるだろう。地方政府融資平台などの国有企業に対して、金融機関は暗黙の政府保証を背景に破たんリスクを過小評価する傾向があるためだ。これは、中国の経済体制とも深く関わる問題であるだけに、解消は容易ではないと考えられる。

このほか、国内金融政策そのものを巡る課題として、為替の安定維持との関係が挙げられる。中国の金融政策においては、物価の安定だけではなく、経済成長、雇用促進、国際収支の基本的な均衡、為替相場の基本的な安定が最終目標として意識されている7。だが、国際金融のトリレンマの考え方に基づけば、他国から独立した金融政策、為替相場の安定、自由な資本移動の3つ全てを達成することはできない。中国は、他の新興国でもみられるように、これらの目標それぞれを不完全な形で組み合わせて政策運営を行っているのが現状であり、そのスタンスが近い将来に大きく変わることはないと思われる。そのため、他国と金融政策の方向感が異なる場合、24年に入ってから米国で利下げが実施されるまでそうであったように、金融政策の伝達の源流となる金利の操作自体が制約されうる状況は今後も続くことが予想される。
 
6 易綱(2021)は、流動性を測る指標として用いられる売買回転率やビッド・アスク・スプレッドを米国と比較し、中国の流動性が依然として低いことを指摘している。
7 福本(2020)
2金利の市場化は進むか
政策金利の一本化によって従来はタームごとに分断されていた金融政策の伝達経路は、よりシンプルなものとなり、金利の市場化は制度的に一歩前進することになる。今後は、例えば図表9のような枠組みへと変わっていくことが予想される。実体経済への影響がとくに大きい貸出金利の形成メカニズムに関していえば、かつての「政策金利(貸出基準金利)→貸出金利」から、現在の「政策金利(MLF)→LPR→貸出金利」を経て、今後は「政策金利→短期市場金利→LPR→貸出金利」へと変化し、政策金利の位置づけはより相対化されるだろう。
(図表9)想定される中国の今後の金融政策運営の枠組み
ただし、完全な市場化が実現することは当面ないだろう。第2節および第3節では、市場化の進展に関わる動きを中心にみたが、その一方で、PBOCが間接的に金融機関や金融市場に介入する枠組みを手放していないのも事実である。例えば、銀行の業界団体である「市場金利設定自律機構」が挙げられる8。これは、LPRの報告業務の取りまとめ役を担っているほか、市場化が進められた預金金利に関しても、過当競争防止のために上限を設けて事実上規制するなど、強い影響力を有している9。PBOCは、これを「指導、監督管理」する立場にあり、貸出・預金金利の形成に間接的に介入しているとみられる10。また、イールドカーブが依然安定性を欠くなか、国債利回りに関しても、PBOCは国債売買のオペを新たに導入し、イールドカーブ形成に直接的に関与することが可能となっている。こうした実情を踏まえると、真に市場のメカニズムに基づく各種市場金利のプライシングがすぐに実現するとは考えづらい。

PBOCが関与の余地を残している背景には、市場には一定の管理が必要であるとの政権の認識のほか、より直接的には金融機関の破たん防止といった金融リスク管理の目的もあるだろう。2019年のLPR改革を経て、金融機関間の競争は以前に比べて激しくなっており11、不良債権処理の負担も増しつつあるなか、いずれは金融機関の破たんという事態に直面する可能性がある。しかし、現時点では、金融機関の破たん処理法制はまだ存在しない。足元では、それに相当する「金融安定化法」制定に向けた動きが加速しており、早ければ25年にも成立する可能性がある。それでも、細則の整備や同法で盛り込まれている破たん処理用基金12の充実化、破たん発生の可能性に関する社会とのコミュニケーションなど、破たん処理を秩序立てて行ううえでの諸準備には一定の期間を要すると考えられる。少なくともそれが完了するまでの間は、金融機関の破たんを回避すべく、競争に一定の歯止めをかけて金融機関の破たんを回避するため、銀行の金利プライシングへの関与は続くと考えられる。
 
8 このほか、注3で挙げた「マクロプルーデンス評価」(MPA)の枠組みも、金融機関の行動を当局の意向に基づき誘導する枠組みとして重要な役割を果たしている。
9 なお、加盟行は2023年末時点で2,055行と、銀行全体(4,003行)の約半数を占めている。
10 潘総裁のスピーチでは、最近の金融政策について「PBOCは、預金準備率の引き下げや政策金利の引き下げ、LPRなどの金融市場の金利低下の誘導など、様々な金融政策ツールを総合的に運用し、経済の質の高い発展に向けた良好な金融環境を創出した」と述べており、PBOCがLPRを金融政策のツールとして位置付けていることが分かる。
11 PBOCが2020年1月に実施した調査によれば、調査対象660行のうち55%がLPR改革により競争が激しくなったと回答している。なお、それ以外に17%がLPR以外の要因で競争が激しくなったと回答している(中国人民銀行(2020a))。
12 中国では、既に銀行業向けの預金保険基金や、保険業や信託業向けの基金などが既に設けられているが、それに加え、重大リスクに対応するための基金として「金融安定保障基金」を設けることが計画されている。

5――おわりに

5――おわりに

中国では、資金供給量ではなく価格(金利)に重きをおいた金融政策の枠組みへの見直しに長い時間をかけて取り組んできた。世界を見渡せば、主要国もかつては同様の見直しを経験しており、中国もようやくそれに追いついてきたということもできよう。例えば、中国の改革開放後の経済発展の先例ともいえる日本の場合、やはり金利の自由化といった環境の変化に伴い、1990年代半ばに短期金利誘導による金融政策へと移行した。比較する指標によって差はあるが、昨今の不動産不況に代表されるように、現在の中国には概ね30年前の日本と類似している点が多い。このことは、金融政策のあり方についても当てはまるといえそうだ。

金融政策の現代化が今後進むことで、経済や金融市場の動向を評価、展望するうえでのイベントや指標も先進国に似た体系へと変わっていくことが予想される。ただ、本稿でも指摘したように、基本的な制度的枠組みが整ったとしても、それを有効に機能させるうえでは依然として課題が多い。また、そもそも目指しているあり方が他国と完全に同じかといえば、必ずしもそうではない。そうした事情の背景には、本稿でも述べたように、単に制度整備が途上にあるという技術的な問題だけではなく、中国共産党が指導する経済・金融システムという中国の体制に起因する特徴もある。党・政府による管理を前提とした「中国式」の金融政策運営という特殊な試みが成功するか否かは、中国が目指す「中国式現代化」の試金石ともいえる。金融市場の不安定化をもたらすことなく、円滑な移行を実現することができるか、今後の動向には引き続き注視が必要だ。

【参考文献】
 
易綱(2021)「中国的利率体系与利率市場化改革」(『金融研究』2021年第9期、2021年、http://www.jryj.org.cn/CN/abstract/abstract936.shtml

玉井芳野(2014)「中国の預金金利自由化の展望」(みずほ総合研究所『みずほインサイト』2014年7月1日、https://www.mizuho-rt.co.jp/publication/mhri/research/pdf/insight/as140701.pdf

中国人民銀行貨幣政策分析小組(2020a)『有序推進貸款市場報価利率改革』(2020年9月15日、http://www.pbc.gov.cn/zhengcehuobisi/125207/125227/125960/126052/4213321/4094012/2020091516563165419.pdf
――――(2020b)『貨幣政策執行報告 2020年第4季度』(2021年2月8日、http://www.pbc.gov.cn/zhengcehuobisi/125207/125227/125957/4021036/4190887/2021020821282167078.pdf
――――(2023)『中国区域金融運行報告』(2023年11月9日、http://www.pbc.gov.cn/zhengcehuobisi/125207/125227/125960/126049/5127700/5127467/2024032514583716968.pdf

露口洋介(2024)「金利決定方式の推移と金利調節方式の変更」(Science Portal China、2024年8月28日、https://spc.jst.go.jp/experiences/economy/economy_2435.html
福本智之(2022)「中国人民銀行の金融政策の枠組み」(『大阪経大論集』第73巻第2号、2022年7月、https://www.jstage.jst.go.jp/article/keidaironshu/73/2/73_63/_pdf/-char/ja

三浦祐介(2019)「中国の金利市場化改革が一歩前進」(みずほ総合研究所『みずほインサイト』2019年8月22日、https://www.mizuho-rt.co.jp/publication/mhri/research/pdf/insight/as190822.pdf

三浦祐介・多田出健太(2017)「新しくなる中国の金融政策枠組み」(みずほ総合研究所『みずほインサイト』2017年3月29日、https://www.mizuhobank.co.jp/corporate/world/info/cndb/economics/insight/pdf/R208-0152-XF-0105.pdf

IMF(2018)”China’s Monetary Policy Communication: Frameworks, Impact, and Recommendations”, IMF Working Paper WP/18/244, November 2018, https://www.imf.org/en/Publications/WP/Issues/2018/11/17/Chinas-Monetary-Policy-Communication-Frameworks-Impact-and-Recommendations-46375

(2024年10月15日「基礎研レポート」)

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経済研究部   主任研究員

三浦 祐介 (みうら ゆうすけ)

研究・専門分野
中国経済

経歴
  • 【職歴】
     ・2006年:みずほ総合研究所(現みずほリサーチ&テクノロジーズ)入社
     ・2009年:同 アジア調査部中国室
     (2010~2011年:北京語言大学留学、2016~2018年:みずほ銀行(中国)有限公司出向)
     ・2020年:同 人事部
     ・2023年:ニッセイ基礎研究所入社
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員

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