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最低賃金政策の方向性-国内外の潮流、ポリシーミックスの重要性

総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也
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1――はじめに
政府は、6月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2024~賃上げと投資がけん引する成長型経済の実現~」(骨太方針2024)の中で、最低賃金を『2030年代半ばまでに全国加重平均を1,500円となることを目指すとした目標について、より早く達成ができるよう、労働生産性の引上げに向けて、自動化・省力化投資の支援、事業承継やM&Aの環境整備に取り組む』との方針を掲げている。
今年度は、物価や春闘の結果を踏まえて、過去最大となった昨年を上回る引き上げ幅となる可能性が高い。さらに来年以降は、最低賃金の積極的な引き上げを目指す政府方針に加えて、深刻化する人手不足や物価上昇に伴う経済構造の変化、持続可能性を重視する社会意識の変化といった要素が、最低賃金の押上げに作用する。ただ、最低賃金の引き上げから恩恵を受ける労働者は増える一方、企業の負担増は年々大きくなっている。
本稿では、日本における最低賃金の現状と、今後の引き上げを左右する経済社会の情勢変化について概観し、国や自治体、企業が最低賃金の引き上げにどのように臨むべきか考察する。
2――日本における最低賃金の現状~最低賃金は改善も、国際的にはまだ低い~
地域別最低賃金は、2015年に安倍元首相が掲げた全国加重平均1,000円という目標が2023年度に達成され、2023年度では全国加重平均1で1,004円となっている[図表1]。目標を掲げた当時の最低賃金は798円であり、政府目標と202円の開きがあったが、その差を9年かけて埋めたことになる。その間、経済活動を全国的に麻痺させたコロナ禍もあり、2020年度の最低賃金はほぼ据え置かれたものの、それを除けば毎年平均+3.2%で引き上げられて来た[図表2]。政府が、毎年3%程度の引き上げを目安にして来たことを踏まえると、ほぼ巡航速度で目標が達成されたことになる。
なお、安倍政権以降の改定では、地域間格差の解消も焦点の1つであった。この背景には、2000年代中頃から大都市圏を中心に、最低賃金の引き上げが急速に進み、地域間格差が大きくなって来たことがある。地域間格差を表す指標には「地域別最低賃金の最高額に対する最低額の比率」があるが、2003年に85.5%であった比率は、2014年に76.2%まで急速に悪化し、足元で80.2%まで戻している([図表1])。春闘の賃上げ率を下回ることが多かった改定率も、第2次安倍政権以降の直近10年間で見ると上回ることが増えている。
1 都道府県別の労働者数で加重平均された最低賃金
2 各国の税や社会保障制度との関係における最低賃金の位置づけを加味しない単純比較
3 例えば、米国内でも特に高いことで知られるカリフォルニア州の最低賃金は、正規労働者賃金の中央値で比較すると52.9%となり、日本より高くなっている。
3――最低賃金を巡る経済社会の情勢変化~基調的な変化は、最低賃金の引き上げに作用~
少子高齢化に伴う労働力人口の減少は、外国人労働者を巡る国際的な人材獲得競争を通じて、最低賃金の引き上げに作用する。とりわけ地方の中小企業では、人材確保が喫緊の経営課題となっており、人手不足を理由とした防衛的な賃上げが行われる事例も増えている4。国内人材の枯渇が進む中、外国人労働者は貴重な戦力として存在感を増しており、国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計をもとにした試算では、全産業でみた外国人労働者依存度5は、2020年の2.56%から2040年に6.34%まで上昇することが予想される。
外国人労働者にとって最低賃金の水準は、特に出稼ぎを目的とする国の選択で重要な要素となる。ただ、足元のドルベースで見た日本の最低賃金は、最近の円安進行もあって、先進国の中でも低くなっている([図表3])。これは、経済的な側面からみて、日本が国際的な人材獲得競争で不利に立っていることを意味している。上述の予想の通り、日本が外国人労働者への依存度を高めていくとすれば、最低賃金も国際的な水準を意識せざるを得なくなるだろう。
例えば、日本に来る外国人労働者が、出稼ぎ先として比較することの多い韓国では、直近10年間の最低賃金改定率が年6%程度と、日本の倍以上で伸びている。この水準の引き上げが続けば、韓国が日本の最低賃金を上回るのも時間の問題となる。今後は、こうした現状も考慮しながら、最低賃金の水準を決める必要が出て来ると思われる。
4 日本商工会議所「中小企業の人手不足、賃金・最低賃金に関する調査」結果(2024年2月14日)
5 外国人労働者数/就業者数
ノルムの変化も、最低賃金の在り方に影響を及ぼすと見られる。ノルムとは、社会的な習慣や規範意識を意味する言葉であり、日本では賃金や物価が上がらないことを前提とした考え方や慣習が、ここに来て変わり始めたという文脈で、ノルムの変化に言及されることが増えている。
実際、コロナ禍や地政学的な緊張が高まる中でインフレ率は上昇し、国民の間では今後5年間で物価は現在と比べ、毎年平均+5.0%6程度で変化することが見込まれている。日本でもインフレ期待は着実に高まっており、2024年度の春闘賃上げ率は加重平均で+5.1%7と、1991年以来33年ぶりに5%を超えるなど、日本経済は長引くデフレから脱却し、物価と賃金が循環するインフレ経済へと転換しつつある。
![[図表5]最低賃金の改定率(名目・実質)](https://www.nli-research.co.jp/files/topics/79150_ext_15_8.jpg?v=1721725324)
新しいノルムに移行していく中では、最低賃金近傍で働く労働者の生活水準を維持する観点から、物価を加味した改定の在り方が模索されることも考えられよう8。そうした場合、実質ベースの伸び率がより重視されるようになり、名目ベースの改定率はより大きくなることが予想される。
6 日本銀行「生活意識に関するアンケート調査」(2024年3月調査)
7 連合「第7回(最終)回答集計」(2024年7月1日集計・7月3日公表)
8 内閣府「日本経済レポート(2023年度)―コロナ禍を乗り越え、経済の新たなステージへ―」(2024年2月13日)
近年、生活賃金(Living Wage)の支払は、ESGにおけるS(社会的側面)に関する取組みとして、国際的にも多くの国や企業で重視されるようになっている。
例えば、世界のサステナビリティに対する取組を加速させるために発足した国連グローバル・コンパクト9では、2023年にForward Fasterというイニシアチブが始動し、すべてのSDGs目標における進捗を左右する分野の1つに生活賃金を挙げている。また欧州(EU)では、2022年10月に労働者の生活維持に必要な最低賃金の水準確保を目的とした指令10が採択され、加盟国に明確な基準に従って最低賃金を設定・更新するための枠組みを作るよう求めている。
日本では、労働者の生計費を考慮し、最低賃金を決めることが法律で規定されている。例えば、日本労働組合総連合会(連合)が算出した生活賃金11(自動車を保有する場合)は、最も高い東京で時給1,582円が必要とされている[図表6]。これをもとに考えると、東京で最低限必要な賃金水準を満たすには、現状であと469円の最低賃金の引き上げが必要ということになる。
世界的な物価高騰や格差拡大を背景として、生活賃金の支払いを求める国際的な潮流は強まっており、次の政府目標が「1,500円」に設定されたことは、生活賃金の議論と無縁ではない。今後、生活賃金の支払いを求める声は、その勢いを増して行くことが予想される。
9 国連グローバル・コンパクトは、国連と民間(企業・団体)が手を結び、健全なグローバル社会を築くために結成された世界最大のサステナビリティ イニシアチブ。
10 DIRECTIVE (EU) 2022/2041 OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL of 19 October 2022 on adequate minimum wages in the European Union
11 連合リビングウェイジ:労働者が健康で文化的な生活ができ、労働力を再生産し社会的体裁を保持するために最低限必要な賃金水準。
(2024年07月23日「基礎研レポート」)
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03-3512-1790
- 【職歴】
2011年 日本生命保険相互会社入社
2017年 日本経済研究センター派遣
2018年 ニッセイ基礎研究所へ
2021年より現職
【加入団体等】
・日本証券アナリスト協会検定会員
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