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EUの対中国デリスキングの行方-2024年欧州議会選挙を越えて

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり
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3――EUによるデリスキング策の展開
EUは、2020年代に入って中国を念頭に置いた政策の枠組みの整備を進めた。
ここでは、EUのデリスキング策、経済安全保障戦略が3つの柱とする投資や輸出への規制強化などの「保護(Protect)」、競争力を強化する「促進(Promote)」、パートナー国との「連携(Partner)」のキーワードに沿って概観する。
「保護」の柱は、経済安全保障上の必要に応じて、対象を絞って行使するものである。
EUの貿易の「保護」の伝統的な手段(TDI)は、WTOルールに準拠したアンチダンピング措置とアンチ補助金措置である。両措置は1968年に最初に法制化され、1996年3月と1997年12月にWTOの合意を反映した基本法が発効、2016年に成分化された。その後、中国を念頭に置いた見直しが行われている。2017年には国家介入で価格とコストが歪められた輸入品へのダンピング・マージンの計算方法を改定、2018年には調査期間の短縮化、2020年には透明性と予見可能性向上のための事前開示期間に関わる改定が行われた。両措置に関する最新の年次報告書の付属文書(2023年9月発行)6によれば、2022年の段階で両措置ともに発動数は中国が他国を大きく引き離して最多となっている。
2020年代には新たなツールも整備された。2019年の欧州議会選挙、フォンデアライエン委員長率いる欧州委員会発足後の立法サイクルでは、対内直接投資に関わる「外国直接投資(FDI)スクリーニング枠組み規則(20年10月発効)」、公共調達市場への相互のアクセスを公平化するための「公共調達措置規則(IPI、2022年8月発効)」、補助金を得た企業によるEU企業のM&Aや政府調達の参加に対する審査や是正のための「外国補助金規則(FSR、2023年1月発効)」、炭素リーケージ防止のための「国境炭素調整措置(CBAM、2023年5月発効)」、経済的威圧への対抗措置に関する「反威圧手段規則(ACI、23年12月発効)」などの法整備が進み、活用可能になっている。
持続可能性の向上のための開示規則の改定も、中国ビジネスに影響を及ぼす要因となる。2023年1月に発効したEUの「企業サステナビリティ報告指令(CSRD)」は、社会・環境問題から生じるリスクと機会、および企業活動が人々や環境に与える影響と考えられるものについての情報開示を求める。2024年4月に採択された「企業持続可能性デューデリジェンス指令(CSDDD)」は、大企業に自社の活動が人権と環境に及ぼす悪影響のデューデリジェンス(特定・予防・緩和)を義務付ける。4項で紹介する中国EU商会のサーベイによれば、CSRDに関しては、中国で活動するEU企業のほぼ半数、CSDDDについてはおよそ4割が何らかの影響を受けると答えている。
6 米国とEUのアプローチの違いについてはPhilip Blenkinsop「アングル:EUの対中関税、米よりマイルド 切れない経済関係」ロイター2024年6月14日で簡潔にまとめられている。
「促進」の柱は、EUの競争力と成長を促進し、単一市場を強化し、強力で回復力のある経済を支援し、科学、技術、産業基盤を強化するものである。
EUは、20年3月の「新しい産業戦略」7で「地政学的な地殻変動による国際競争に対応した欧州の産業の競争力と戦略的自立性の向上」を掲げ、EUが掲げる「グリーン化、デジタル化、循環型経済への移行」に不可欠な技術・産業の支援を強化するようになった。「新しい産業戦略」は、コロナ禍の経験を踏まえ、21年5月に供給網の強靭性を強調する方向へと改定された8。
EUは、基本条約で、加盟国による補助金はEUの単一市場(以下、域内市場)における競争を歪めものとして原則禁止している。しかし、2019年以降、EU条約が認める「欧州共同利益重要プロジェクト(IPCEI)」として複数国による補助金活用を認める事例が増えている9。コロナ対策(20年3月19日~23年末)、エネルギー危機対策(22年3月23日~)など、相次ぐ危機への対応の必要性から、補助金規則の適用除外を認める期間も長期化している。
7 Communication from the Commission (2020) “A New Industrial Strategy for Europe” COM(2020) 102 final, 10.3.2020.
8 European Commission "Updating the 2020 New Industrial Strategy: Building a stronger Single Market for Europe’s recovery " COM(2021) 350 final, 5.5.2021)。
9 リスボン条約版ではEU運営条約第107条3項に記載されているIPCEIは、1957年以降、条約に記載されていたが、2017年以前までは累計で2件の承認しかなかった。2018年以降、バッテリー、水素、マイクロエレクトロニクス、クラウド・エッジコンピューティング、交通インフラに関わる計画が認可されており、補助金は合計372億ユーロ、予想される総投資金額は660億ユーロとなっている(European Commission, Important Projects of Common European Interest (IPCEI)、2024年6月11日アクセス)。
デジタル分野では、EUは21年3月に公表した2030年に向けたデジタル戦略「デジタル・コンパス」10で、半導体の域内生産シェアを2030年まで現在の10%から、20%以上に引き上げる方針を掲げた。23年7月には米国のCHIPSプラス法に相当する「欧州半導体法」が成立した。同法では、域内の半導体エコシステムを強化し、強靭性を高め、確実な供給と域外依存を減らすことを目的とする。(1)半導体の研究開発や生産を支援する「欧州半導体イニシアチブ」、(2)半導体の生産施設の誘致に向けた優遇措置、(3)半導体サプライチェーンの監視と危機対応が3本柱を構成する11。官民投資で430億ユーロの動員を目指す。
10 European Commission “2030 Digital Compass: the European way for the Digital Decade” COM(2021) 118 final , 9.3.2021
11 「EU、域内の半導体生産拠点への支援策の半導体法案で政治合意、支援予算の増額なし」ジェトロ『ビジネス短信』2023年04月20日
米国のインフレ抑制法(IRA)に相当するのが「グリーン・ディール産業計画」である。23年2月に政策文書、同年3月には「ネットゼロ産業法(NZIA)」と「重要原材料の安定的確保に関する規則(CRMA)」が提案され、それぞれ24年6月と24年4月に発効した。
2019年12月からのEUの政策サイクルの最終盤での「グリーン・ディール産業計画」策定には複数の要因が働いた。ウクライナを侵攻したロシアによるガスの武器化でグリーン移行の重要性が増したこと、中国に依存するグリーン技術や重要な原材料の武器化のリスクの軽減への意識が高まったこと、さらにIRAがグリーン技術への大胆なインセンティブを盛り込んだことで、欧州から米国への企業の流出への懸念が高まったことである。
( ネットゼロ産業法(NZIA) )
NZIAは、脱炭素化に向けた2030年目標の実現と、EUの産業競争力の強化、質の高い雇用の創出、エネルギー面での自立を後押しするものである。具体的には、太陽光・太陽熱エネルギー、陸上風力・洋上風力、バッテリー・蓄電、ヒートポンプ・地熱エネルギー、電解装置・燃料電池、持続可能なバイオガス・バイオメタン、CO2回収・貯留(CCS)、電力グリッドの8つを「戦略的ネットゼロ技術」とし、これらについて2030年までに域内需要の最低40%相当の自給率の達成を目標とする。CO2回収加速のための目標も設定する。
ガバナンスは、加盟国がCO2削減、競争力、供給の安定に貢献し、商業化に近い技術を含むという条件を満たす「ネットゼロ戦略計画(NZSPs)」を特定し、欧州委員会が進捗状況の監視と効果の評価を行う仕組みをとる。
投資促進のための手段としては、許認可手続き迅速化、民間資金動員のための調整、NZSPs支援のための加盟国とEUの予算の活用、公共調達・入札の活用などを行う12。
ネットゼロ技術の普及に必要な労働力を教育・訓練するための「欧州ネットゼロ産業アカデミー」の設立、欧州委員会と加盟国間の協議と情報交換、国境を超える企業間の交流促進の枠組みとなる「ネットゼロ欧州プラットフォーム」の設立、実証実験を促進するための「規制のサンドボックス」の設立などもカバーされている。
加盟国によるNZSPsへの支援のため、22年3月にエネルギー危機対応のために導入し、その後、修正、延長してきた「国家補助の一時的・危機移行枠組み(TCTF)」の適用条件を「グリーン・ディール産業計画」に合わせる形で修正し、25年末まで、加盟国は、戦略的機器の製造、関連する重要な原材料の製造・リサイクルのための投資の支援を認める。欧州委員会の24年5月30日付の資料13によれば、TCTFの枠組みの活用は23年末を期限とするエネルギー危機対応が占めていたが、23年秋以降、移行対応の事例が加盟国に広がっている。
12 「持続可能性と強靭性」の基準を設け、EU域外国原産の機器の利用割合が高い入札を不利な取り扱いとする。但し、国内技術と外国技術のコストの差が10%以上の場合は適用されないことから、あまり大きな意味を持たない可能性がある。
13 European Commission List of Member State measures approved under temporary crisis transition framework,30 May 2024
CRMAは、今後、需要の急増が見込まれるCRMの供給の安定化と持続可能性の向上のためのEU共通の枠組みを構築する規則である。供給途絶のリスクに各国が個別に対応することで、単一市場内に障壁が出現することを防ぐ、言い換えれば、域内の協調の枠組みを構築する狙いがある。CRMAの内容は大きく輸入依存度を低減するためのEUの生産力強化と、少数の輸入先に依存する状態を改めるための調達先の多様化に分けることができる。対象は、EUが政治的な優先事項に据える「デジタル移行とグリーン移行、防衛、宇宙など戦略的重要性が高く、世界的需給不均衡が予想される原材料(戦略的原材料(SRM))」と「EU経済全体にとって重要であり供給の混乱のリスクが高い原材料(重要原材料(CRM))」である。規則では、SRMとして16、CRMとして34の原材料を指定し、このリストは少なくとも4年毎に見直すとしている。
EUの生産能力の強化は、バリューチェーンの各段階での強化を目指し、具体的な数値目標として、2030年時点で、「採掘」は域内の年間消費量の最低10%、「加工」は同40%、「リサイクル原料の活用」で同15%の域内シェアを目指す。調達先の多様化に関しては、SRMは各段階について、1つの域外国への依存は65%以下を数値目標とする。
探査や開発を通じた能力増強の支援策としては、「戦略的プロジェクト」を選定し、行政手続きの迅速化や、資金調達の最善の選択肢の提供、オフテイク契約(長期供給契約)の促進などでプロジェクトの円滑な推進を支える。資金調達面では民間資金だけでは不十分で、公的支援が必要な場合は、TCTFの適用対象となり得る。
さらに、供給網の強靭性向上策として、欧州委員会が供給網のリスクの監視と加盟国による備蓄の調整を行う。SRMを原材料に戦略的技術を製造する大企業に対しては、監査を実施する。域内の事業者や加盟国が自主的に参加できる共同購入の枠組みについても既定する。
「連携」の柱は、懸念を共有する国々、または共通の経済的安全保障上の利益を有する国々と提携し、協力関係をさらに強化するものである。
同盟国である米国とEUの関係は、トランプ政権期に冷え込んだが、バイデン政権との間では貿易技術評議会(TTC)を立ち上げ、協調姿勢をとってきた。
日本・EU間には経済連携協定(EPA)と日EU戦略的パートナーシップ協定(SPA)が締結されており、定期的にハイレベル経済対話(HLED)の機会を持っている。
自由貿易協定(FTA)では、2020年代に入って、EUのネットワークが相対的に希薄だったアジアで、一旦停止した交渉を再開する動きが見られるようになっている14。インドとは、2007年からFTA交渉を開始したものの、2013年に一時停止していた。しかし、2021年には交渉再開で合意、2023年にはTTCを設立した対話を進めている。インドとのTTCは、米国に続く2例目である。タイとのFTA交渉も、2013年に開始、2014年に中断されたが、2023年に再開している。
CRMAの実現にも「連携」は重要である。EUと相手国の産業と原材料のバリューチェーンの統合を促進する「戦略的パートナーシップ」の拡大、域外国での「戦略的プロジェクト」の推進のため、21年12月に「一帯一路」への対抗策としてEUが打ち出したインフラ投資支援戦略「グローバル・ゲートウェイ」を活用する方針である。
14 EUのFTAの締結状況、交渉の段階等については、欧州委員会貿易総局が作成する地図で一覧できる。
(2024年07月11日「ニッセイ基礎研所報」)

03-3512-1832
- ・ 1987年 日本興業銀行入行
・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
・ 2023年7月から現職
・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
・ 2017年度~ 日本EU学会理事
・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
「欧州政策パネル」メンバー
・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員
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