コラム
2024年06月06日

インド総選挙は予想外の接戦、モディ政権3期目へ

経済研究部 准主任研究員 斉藤 誠

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圧勝予想から一転、BJP単独過半数割れ

(図表1)インド下院総選挙の結果 6月4日にインドで5年に1度の連邦議会下院の総選挙1(543議席)が一斉開票された。インドの総選挙は有権者数が約9億6,800万人に上り、「世界最大の民主選挙」と言われる。結果はナレンドラ・モディ首相率いるインド人民党(BJP)が240議席、友党を合わせた与党連合・国民民主同盟(NDA)では293議席となり、与党連合は下院の過半数(272議席)を上回る議席を確保して勝利した(図表1)。もっとも出口調査2では、NDAは19年総選挙の実績と同等以上の圧倒的勝利をおさめると予想されていたが、実際は60議席減らしており、またBJP単独では下院の過半数に届かなかった。

一方、最大野党・インド国民会議派(INC)は、実質的な指導者として支持者の間で根強い人気を誇るラフル・ガンジー氏が国内各地を勢力的に回り、インド南部での強い支持を維持しながら、BJPの支持基盤である北部や西部で勝利を積み上げ、前回から47議席増となる99議席を獲得した。なお、INCは昨年、反BJPを掲げて他の地域政党と共に野党連合・インド全国開発包括連合(INDI Alliance)を結成している。総選挙前には多くの有力者がBJPに相次いで移籍するなど政党間の候補者調整に難航したが、INDI Allianceは前回選挙における野党連合・統一進歩同盟(UPA)を上回る234議席を獲得して、BJPの圧倒的な優位を揺るがすことに成功した。INCは政権から転落した試練の10年を経て、再び脚光を浴びつつあるようだ。
 
1 有権者が多く、国土も広いため、全国に100万以上の投票所が設置される。選挙管理や治安維持の面で不安があるため、投票は4月19日~6月1日にかけて州や地域ごとに7回に分けて行われた。選挙管理委員会は6月4日に集計を開始し、同日中に結果を発表した。
2 出口調査は投票所の外で実施される調査で、民間企業やメディアによって実施される。選挙管理委員会により6月1日午後6時30分まで発表が禁止された。

メイク・イン・インディアが奏功

総選挙は事前予想を裏切る結果となったが、モディ政権は3期目に入る。インド国民は2期10年続いたモディ政権の実績に満足していないものの、及第点を与えたとみるべきだろう。
(図表2)ビジネス環境ランキング モディ首相は2014年の政権発足時から「メイク・イン・インディア」をスローガンに製造業振興キャンペーンを展開する傍ら、数々の経済改革を実行してきた。具体的には、外国直接投資の規制緩和や計画委員会の廃止に始まり、破産倒産法の施行(2016年)、物品サービス税(GST)の導入(2017年)、国営航空会社エア・インディアの民営化(2022年)などが挙げられる。
(図表3)インドへの直接投資額の推移 またデジタル化の加速も著しい。インド版マイナンバー(アドハー)を銀行口座などと連携させ公共サービスに活用する「インディア・スタック」を通じて、汚職防止と執行の効率性の高い直接現金給付策を実施した。このほか、積極的な電力・交通インフラの開発を推し進め、ビジネス環境は着実に改善した。
(図表4)実質GDP成長率 実際、世界銀行が各国のビジネス環境の現状を評価した報告書「Doing Business」によると、インドのビジネス環境ランキング(190カ国対象)は2014年の142位から19年には63位へと大幅にランクアップした(図表2)。こうしたビジネス環境の改善や成長期待の高まりを受けて海外直接投資は前政権から倍増し(図表3)、政権1期目は平均成長率が7.4%の高成長だった(図表4)。2期目はコロナ禍で経済が落ち込んだが、21年度以降は7%超の高い経済成長が続いた。

 

国際社会における地位向上

モディ首相は国際社会でも影響力を増している指導者であると、国民から評価されている。インドは昨年主要20カ国・地域(G20)サミットの議長国を務め、ロシアのウクライナ侵攻を巡って意見が対立する中、とりまとめの難航が予想された首脳宣言の採択にこぎつけた。伝統的な友好国であるロシアへの非難を避けつつ、米中対立を背景にインドと協力関係を築きたい西側諸国にも受け入れ可能な表現でとりまとめたことが奏功した。

また昨年1月には「グローバル・サウスの声サミット」をオンラインで開催し、世界の国のおよそ3分の2にあたる125カ国が参加してG20に向けた意見交換を行った。モディ首相は途上国に寄り添うグローバル・サウスの盟主として振る舞う一方、欧米やロシア・中国とは一定の距離を保ちながら独自の外交を展開しており、昨年はインドが国際社会の中で存在感を飛躍的に高めた1年となった。

経済成長の陰で広がる生活苦と保護主義

(図表5)失業率 高い経済成長は総選挙で国民に向けて良いアピールとなったが、その恩恵は一部の富裕層に集中しているとの批判がある。成長から取り残された農村部や社会的弱者層は2022年から続く物価上昇により生活苦に喘いでおり、また人口増加のペースに雇用創出が追いつかずに若年層(とくに高学歴層)の失業の問題が深刻化している(図表5)。モディ政権下で10年が経過したが、国民生活の安定・向上は課題として残されたままであった。

またモディ政権では、経済合理性に欠ける政策判断が散見された。ブラックマネーの撲滅を目的に実施した2016年の高額紙幣廃止や、コロナ禍当初に全国で実施された厳格なロックダウンは、インドの社会経済に大きな混乱を引き起こすこととなった。

さらに2019年には、日本やASEAN(東南アジア諸国連合)など15カ国が参加する地域的な包括的経済連携(RCEP)交渉からの離脱を表明したほか、製造業振興を旗印に断続的に関税を引き上げるなど保護主義的な貿易政策が目立った。保護貿易政策は短期的には国内産業を保護できるため国民に支持されるが、中国に代わる「世界の工場」にはなり得ず、長期的にはインドの産業競争力が低下するリスクがある。

ポピュリズム化する可能性も

金融市場では、今回の総選挙における予想外の結果を受けて投資家が嫌気している。選挙結果が判明した6月4日はインドの代表的な株価指数であるSENSEX指数が前日比5.7%低下、インドルピーも対ドルで0.5%下落した。BJP単独で下院の過半数の議席を確保してスピード感のある政策運営が期待されていたが、今後は連立政権を組む友党との政策調整が必要になるため、第3次モディ政権には経済成長に重要な改革を推し進める能力があるかどうか疑問が生じている。

BJPは4月14日に「Modi ki Guarantee (モディの保証) 2024」というタイトルの選挙公約を発表している。公約ではインフラ統合計画を進めるプラットフォーム「PM Gati Shakti」の開設や日本の新幹線方式を採用した高速鉄道網を全国的に広げる計画を掲げており、積極的なインフラ開発が続くだろう。

またインドは世界の製造ハブになることを目指しており、生産連動型インセンティブ(PLI)スキームをはじめとした補助金策などを実施し、国内に雇用を創出するといった「モディノミクス」の経済政策の方向性はこれまでと変わらない。

しかしながら、モディ政権下の高い経済成長は期待されたほど多くの新規雇用を生み出していないといった批判を受けとめ、公約では⼥性、若者、貧困層、農⺠の救済を重点として諸政策を推進し、国⺠⽣活の向上を図るなど国民目線に立った内容を前面に出していた。

当初は選挙期間が終われば国民の生活に寄り添う姿勢は影をひそめるかに思われた。しかし、今回の総選挙で国民の支持が離れつつある現状を踏まえ、今後は低所得層をターゲットにしたポピュリズム的な政策が推し進められる展開も予想される。今後の国家予算において支出が拡大して財政再建にストレスがかかることになれば、マクロ経済の安定性が揺らぎ、ルピー安とインフレの悪循環を招く恐れがある。また今後は政権を維持するためにも組む友党からの支持が必要になり、経済改革による成長加速が難しくなるため、これまで以上に保護主義的な政策が選好されるだろう。

ヒンズー・ナショナリズムの光と影

モディ首相が推し進めてきたヒンズー・ナショナリズムに光と影が交錯する。モディ政権は今年1月に北部アヨーディヤでヒンズー教のラム寺院を建立し、前回総選挙の公約を果たした。同寺院はヒンズー教徒とイスラム教徒が所有権を争い、1992年には全国的な暴動が起きた宗教間対立の象徴とも言える土地に建てられた。モディ政権はヒンズー・ナショナリズムを掲げ、国民の約8割を占めるヒンズー教徒の権利を優先する政策を推進して広範な支持を集めてきた。

また前回の総選挙直前には、パキスタンと領有権を争うカシミール地方で自爆テロが発生し、モディ首相は報復としてパキスタン領内の過激派の拠点を空爆した。このことはモディ首相の強い指導者像のアピールに成功し、総選挙では追い風となった。

さらに選挙後には、BJPが公約に掲げたムスリム人口の多いジャンム・カシミール(JK)州に特別な自治権を与えるインド国憲法第370条を廃止した。政府はJK州の自治権を剥奪してインド憲法に従わせることにより、他の地域と対等にすることが目的であると説明したが、多数派であるヒンズー教徒の利益を優先していることは明白だった。

インドの憲法に明記される「政教分離の原則」を度外視して社会の分断を招くと、治安上の懸念が高まり、外国企業からインドはビジネスのしにくい国であると評価される恐れがある。連立政権を組む友党からの支持も必要となるため、モディ政権がヒンズー教色の強い政策を加速させるとは考えにくいが、引き続き注意する必要がある。

2027年には世界3位の経済大国に

昨年、中国を抜いて人口世界一となったとみられるインドは現在、主要国で世界最速の経済成長を誇る。国際通貨基金(IMF)によると、2025年に日本、2027年はドイツを追い抜いて世界第3位の経済大国になると予測されている。その後は長い時間をかけて遠くに見える中国と米国の背中を追いかけることになるだろう。

ただ、モディ首相が掲げる「独立100年目の2047年までに先進国の仲間入りをする」という目標はかなり難しいと言わざるをえない。インドに先行して経済が発展した中国でさえ、今なお「高所得国」入り目前の状態である。世界銀行の定義によると、高所得国は1人当たり名目国民総所得(GNI)が1万3,846ドル以上であり、23年に1万2,597ドルだった中国はまだ高所得国に届いていない。中国は1978年に改革開放政策に転換してから2012年まで年平均9.8%近い高成長を続けて、現在も5%程度の中速成長を維持している。

一方、インドは22年の1人当たり名目GNIが2,390ドルで「下位中所得国」に分類されている。今後インドが高所得国の水準に達するには、かつて中国が遂げたような約10%の高成長を47年まで維持する必要がある。

インドが現在7%程度の成長ペースをさらに加速させるためには、米中対立を機に高まる資金流入にあぐらをかかず、再び構造改革を推し進めてビジネス環境をさらに改善させることが必要だ。例えばインフラ開発を阻む土地収用問題や解雇規制が厳しく複雑な労働法制などはモディ政権下で一定の進展がみられたが、抜本的な制度改革には至らず、現在もさまざまな課題を抱えている。BJP単独では下院過半数の議席を有していないことに加え、上院・下院間の「ねじれ」も解消されていない。さらに連邦制国家であるインドでは中央と州の政権の「ねじれ」も存在するため、抜本的な制度改革を行うことは容易ではないだろう。

政権運営のかじ取りが難しくなるなか、いかに多様な課題に対応しつつ、経済発展の成果を国民生活の質の向上に結びつけることができるか、モディ首相の手腕にかかっている。
 
 

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(2024年06月06日「研究員の眼」)

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経済研究部   准主任研究員

斉藤 誠 (さいとう まこと)

研究・専門分野
東南アジア経済、インド経済

経歴
  • 【職歴】
     2008年 日本生命保険相互会社入社
     2012年 ニッセイ基礎研究所へ
     2014年 アジア新興国の経済調査を担当
     2018年8月より現職

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