2023年10月18日

「フェイクグル」に気をつけろ!-SNSに潜むペテン師たち

生活研究部 研究員 廣瀨 涼

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1――はじめに

フェイクグル(Fake Guru)という言葉をご存知だろうか。あまり馴染みのない言葉かもしれないが、特にSNSを利用している読者の皆さんにとっては無関係な話ではない。彼らはSNSのタイムラインに潜んでおり、我々は無意識に彼らの情報を享受している可能性もあるのである。本レポートでは、フェイクグルと呼ばれるSNSユーザーの概要を整理し、現代消費者のタイパ追求の側面と絡めながら、フェイクグルがSNS上に蔓延る理由を考察する。

2――フェイクグルとは

2――フェイクグルとは

フェイクグルとはFake(偽)とGuru(教祖、権威者、第一人者)から成る造語で、主にインターネット上では、専門知識や資格を持たないのに、自己啓発、個人の成長、ビジネス、またはスピリチュアリティなどの特定の分野における権威や専門家であると自己主張する人を指す用語として使われている。用語そのものは、遡れば文字通り偽のカルト団体や詐欺集団のトップに対して使われており、2011年には偽の宗教団体のフェイクグルをテーマにした「Kumaré」というドキュメンタリー映画も公開されている。このような実態のない権威者や第一人者がネットに活動の場を広げており、本稿では主にSNSやYouTubeなどを通して「自身をすごい何か」にブランディングし、信者を増やし、詐欺ビジネスを行っている人々について論じる。

2019年頃からアメリカでは、フェイクグルが自身の知名度や影響力を利用し、詐欺を働いていることが明るみになっていた。YouTubeやInstagramの人気カテゴリーの一つに、他人のライフスタイルが発信されるコンテンツがある。特に豪邸に住んだり、高級車を乗り回したり、一晩で何百万ドルも散在するといった所謂セレブな生活は、一般消費者からしたら雲の上の存在であり、彼らのライフスタイルに羨望のまなざしを送るのである。自分達では成し遂げる事の出来ない事を「消費」することで、いともたやすくこなしていくセレブリティなインフルエンサーに対して、視聴者たちは憧れや尊敬の念を抱いている。その視聴者の憧れに付け込み、「私のノウハウを使えばあなたもセレブの仲間入り」といった謳い文句で誘って、教材を購入させたり、プログラムに入会させるといったビジネスが横行している。百歩譲って彼らが本当に資産家でビジネスに成功していれば、そのようなビジネスも詐欺ではないのかもしれないが、彼らの多くが専門知識や資格を擁さず、プライベートジェットや高級車も撮影用にレンタルし、あたかもお金持ちであるかのように振舞っているフェイクグルと呼ばれる人々なのである。

人々のスマホの画面に映し出されるフェイクグルたちは、実態はどうであれ彼らが自身のブランディングをする上でメリットとなる一部分の切り抜きに過ぎない。彼らのライフスタイルが全て発信されているわけではなく、言い換えれば自分の見せたい部分だけを(場合によっては取り繕って)コントロールして発信できてしまうSNSが主要なメディアとなったからこそ成立している‟職業“なのである。

3――情報とタイパ

3――情報とタイパ

現代は、バブル期のように積極的にお金を消費していた時代やインターネットやSNSが普及する前の限られた情報ソースや情報量とは異なり、お金を使う事に対して消極的になるし、興味をもって時間を費やしたいと思う対象も膨大だからこそ、時間の消費に対しても保守的になっていく。

現代消費者が消費に対して消極的になってしまうのは、お金にしても、時間にしても「かけてみたけどつまらなかった・役にたたなかった」という消費結果が出た際に、消費したことで「損がうまれた」と再解釈してしまい、「損しないこと」が消費を決定する際の大きな指標となっているからであると、筆者は考える。この、消費で損したくないという志向は、如何にお金や時間をかけずに満足できるか、如何にして手間をかけずに消費した気になれるか、という昨今のタイパ(タイムパフォーマンス)やコスパ(コストパフォーマンス)追求の原動力にもなっている。特にタイパにおいては、ファスト映画や動画の倍速視聴など、膨大なコンテンツをノルマのように消化したり、本の要約サービスやネタバレサイトを自ら踏むことで知った気になれるファストな教養や情報が求められている。

また、SNSを中心に、従来の消費や価値観に対して、過剰にタイパやコスパが追求されることを美徳のように扱う層もおり、「その消費って何の役に立つの?」と、消費したことで得られるモノの答えがすぐに求められるために、目先の客観的に評価される費用対効果や、自身の価値観よりも他人の価値観を優先してしまう事で、消費を消極的にさせている。この結果、一つ一つのコンテンツや現象はもちろんのこと、人生や生き方に関しても「答えを早く知りたい」「近道が欲しい」という感情に支配されてしまう。

前述した、ファスト映画やコンテンツのネタバレに限らず、我々は、人のレビューを探して購買を決定する。また、SNSの投稿においても、その投稿へのリプライを見れば誰かが投稿した補足情報に溢れていて自分で情報を探求しなくともある程度のことがわかることを期待するし、YouTubeのコメント欄をみてハイライトや動画のあらすじを探そうとする。人々は、そのような情報がそこに集約されていることを期待しているし、誰かがその期待に応えてくれることも知っている。そのような形で我々は日常的に「まず答え」を求め、消費における失敗のリスクや自身で情報を選択する手間を避けようとする。一方で、昨今では投資や医療、仕事、ダイエットやメンタルヘルスに至るまで、極端な成功例、極端なライフスタイルをあたかも汎用性のある正解のよう断言するアカウント増加している。彼らの成功(手法)を否定はしないが、あくまでもそれは当人が成功した1ケースにすぎず、言わばN=1 の経験を無責任に、他のユーザーに勧めているとも言える。しかし、すぐ答えが知りたい、近道を知りたいと考える消費者が多いからこそ、そのようなアカウントに需要が高まり、タイパ志向の消費者のツボに刺さるのだ。「これだけすれば必ず儲かる」「今シーズン発売のコンビニスイーツを全部まとめました」「この体操をするだけで美脚になりました」。どれも消費者の関心が高く、且つ情報の受け手は自身で情報を探索せずとも、膨大な情報の中から“これだけで” “この一枚の画像だけで”、“やった気になれる” “わかった気になれる” “知った気になれる”と、とりあえず何をすればいいのか「道しるべ」が提示されているわけだ。情報が溢れている中で、我々は、必要な情報だけを選んで消費しているつもりでも、必ずしもそれらの情報が全て利用されるわけでなく、スクリーニングされた膨大な情報の中に埋もれていく。必要だと思ってスクリーンショットを撮ったり、SNSの投稿をブックマークしても、その情報を保存していたことすら忘れている我々の日々の情報処理を思い返してもらえば、思い当たる節があるのではないだろうか。これらの興味深い情報は、便利なフォーマットで簡単に手に入り、受動的にSNSを利用している中で偶然出会った必ずしも必要がなく、手間をかけずに手に入れた情報ばかりであり、流し見する分であれば素性の知らない自称インフルエンサーが加工した実態のわからない情報で満足なのである。つまり、情報の信ぴょう性よりも、リポストやいいね!の数、コメント数など、可視化された影響力の大きさが、その情報やその情報を発信している投稿主を信じる十分な要因となるのであって、その情報が汎用性があろうがあろうがなかろうが、その投稿者が本当にその領域で専門的な知識を擁しているかは関係なく、あくまでも労力を使わず、何かした気になれる方法や、何か知った気になれれば十分なのだ。そこで労力を使わず情報が得ることができて、且つその情報が何かしらの近道や答えが提示されているのならば、タイパの良さを感じ、そのようなアカウントや、そのような情報の出し方に対して支持がされてしまうわけだ。

4――SNSにおけるセルフブランディングとフェイクグル

4――SNSにおけるセルフブランディングとフェイクグル

SNS上でのブランディングにおいてもタイパが意識されている。何者か実態はわからないが発言力を持っているSNSユーザーが散見され、その中には詐欺まがいな事をしているフェイクグルが存在していると前述したが、日本のSNSユーザーを見ても、フェイクグルとまでは言わないが、自身の実態と大きくかけ離れた虚構の自分を、SNSで発信している者も多い。例えば「裕福であるというイメージ」を他のSNSユーザーに持ってもらうために、高級車の写真やブランド品の写真、タワーマンションからの夜景や、高級料理の写真が投稿されているアカウントが横行している(総じてそのような投稿とともに投資やよくわからないビジネスに誘う文面が書いてある事がお決まりだ)。ユーザーによっては高級ブランド品や車などの画像と自分の写真を合成したり、他人の過去の投稿写真を転用するなど、投稿される写真すら偽物というお粗末なユーザーも存在する。そのような写真すらフェイクな投稿は、写真が合成であることを証明されたり、投稿された時期と背景の風景に乖離があることで、投稿内容が嘘であるという事が証明されてしまう。なぜ、そこまでして現実(実態)とは違う自分を演じる必要があるのだろうか。

SNSにおいては、ネット掲示板のように完全に匿名でないが、我々は、そのユーザーの人となりを知るには、どうしても、そのユーザーが発信する情報を鵜呑みにする必要がある。言い換えれば実態は違っていても、発信する情報だけで他人から「そう見られたいというイメージ」を簡単に構築できてしまう。実際はタワマンではなく6畳一間のアパートに住んでいても、高級料理は月一回でその他はコンビニ弁当でも、そのような写真が他人の投稿の無断転載であっても、あくまでもSNS上のイメージは「自身の投稿」が構築する。2017年ごろ流行った「インスタ映え」が消費者の大きな関心事だった頃、人々が見栄を張るために他人のブランド品をあたかも自分のモノのように投稿したり、レンタル業者で借りたものを投稿したり、買ってすぐ質屋に入れたり、とにかく他人のスマホのスクリーン上に写る自身の姿を魅力的に見せる行動と変わらない。つまり現代では、実際にタワマンに住むより、高級車を乗り回すより、連日胸焼けするような高級料理を食べなくとも「裕福な自分」を構築できるわけで、高級車を借りる、友達の高層マンションから夜景を撮影する、月に一度他のユーザーが羨ましがるような食事をする、といった一回の支出でセルフブランディングに繋げることができるのである。

アメリカにおいてはそのようなフェイクグル向けの備品レンタルや撮影スタジオも存在するらしく、わざわざファーストクラスやプライベートジェットを利用しなくとも、ラグジュラリーな機内でくつろぐ自身の姿を撮影することができるのである。このようにフェイクグル自身にとっては、自身の地位を維持する(取り繕う)ために、(本来必要な資格や業績を得なくとも、)それっぽいことを日々SNSで投稿するだけで影響力を増大させ、「何かすごい人」として認められることができてしまうため、「本物になるため」の手間を省くことができる。また、取り繕うのに支出が連続性を持たない「一瞬」で済む、セルフブランディングにおけるコスパやタイパの追求とも言え、極めて「現代的な」動きとも言えるだろう。

誰でもやろうと思えばできてしまうという再現性の高さが、何者か実態はわからないけど他人が羨ましがるようなライフスタイルを送っている人々がSNS上に溢れている背景にあると筆者は考える。

5――さいごに

5――さいごに

我々の日常には情報が溢れているため、如何にして効率よく情報を処理するか重要である。その中で、「答えがすぐわかること」への関心が大きくなると、情報の真偽よりも、如何に速く、如何に簡単に知った気になれるか、という事が情報を選ぶ時の大きな要素となってしまう。実際にその情報が活用される機会も少ないし、流し見程度でいいのかもしれないが、多くの人に拡散されているという事が決して情報の信ぴょう性を保証しているわけではなく、発信者が何者なのか、投稿者本人にとって情報を発信することに何のメリット(アフィリエイト、有料コンテンツ・セミナーへの導入、個人情報取得など)があるのか、しっかり考え、情報に接する必要があるだろう。
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生活研究部   研究員

廣瀨 涼 (ひろせ りょう)

研究・専門分野
消費文化、マーケティング、ブランド論、サブカルチャー、テーマパーク、ノスタルジア

経歴
  • 【経歴】
    2019年 大学院博士課程を経て、
         ニッセイ基礎研究所入社

    ・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員

    【加入団体等】
    ・経済社会学会
    ・コンテンツ文化史学会
    ・余暇ツーリズム学会
    ・コンテンツ教育学会
    ・総合観光学会

(2023年10月18日「基礎研レター」)

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【「フェイクグル」に気をつけろ!-SNSに潜むペテン師たち】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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