2023年08月24日

文字サイズ

5――職務給の導入に伴う懸念

職務給の導入を含めた三位一体の労働市場改革が推進されることは、職務に必要なスキルや経験を身に付けた若い世代の所得向上につながりうるだろう(もちろん、若い世代に限った話ではない)。一方で、職務給の導入が進むことで、これまでメンバーシップ型雇用によって若年労働者が享受していた恩恵が失われる可能性も否定できない。具体的には、以下のような項目について、職務給の導入に伴う悪影響が懸念される。
5.1 低い若年労働者の失業率
新卒一括採用慣行のために、日本の若年の新規学卒者は特段のスキルを有さなくても企業に雇用されやすくなっている。この点は、メンバーシップ型雇用による若年労働者のメリットとしてしばしば挙げられている。そのため、職務給の導入が進めば、若年の新規学卒者は今までよりも企業に雇用されにくくなり、若年労働者の失業率が高くなってしまうのではないか、という点が懸念される。

前述の若年者雇用に関する厚生労働省の研究会の報告書においても、若年層(15~24歳)の失業率6について、米国、英国、フランス、韓国と比較した上で、「諸外国と比較して日本が明確に低くなっている」と言及されていた。コロナ禍を経た後もこの傾向は続いており、2022年のOECDの統計によると、日本の若年失業率は4.3%であり、調査対象の38ヵ国の中で最も低かった(図表5)。よって、若年労働者の失業率が低くなるというメンバーシップ型雇用のメリットは現在も残存しているものと考えられる。しかし、職務給が導入された場合にこの点がどうなるかは不透明だ。
(図表5)各国の若年失業率
 
6 平成30年のOECDの統計に基づく。なお、この報告書では各国の若年失業率として、日本3.8%、米国8.6%、英国11.6%、フランス20.1%、韓国10.5%と示されていた。
5.2 労働者の雇用の安定
新しい資本主義実現会議の資料において、政府は、メンバーシップ型雇用のメリットとして、企業は労働者の募集選考や教育訓練等を計画的・効率的に行うことができ、かつ、各企業に適する人材を自社内で育成することも可能になるという点を示した。

政府は、この点が各企業が自社の労働者の企業特殊的人的資本7を効率的に高めることにつながっていると述べる。メンバーシップ型雇用の下では、企業に対し、企業特殊的人的資本が高まり自社内では有用な技能を有している労働者を雇用し続ける、言い換えると、長期・終身雇用を選択するインセンティブが働く。このことから、企業の計画的な人材育成によって企業特殊的人的資本が高まった労働者は、所属する企業での雇用が継続されるとの安心感を得ることができると思われる。さらに、メンバーシップ型雇用の下では、企業が労働者を簡単に解雇することはできない。雇用契約上職務が規定されていない労働者に対し、企業は配置転換等によって解雇を回避するための努力を最大限に行わなければならないためだ。これらの要因から、メンバーシップ型雇用は労働者の雇用の安定につながると考えられる。

そして、近年においても、多くの若者にとって仕事が安定していて長く続けられることは仕事選択の際に重要視するポイントとなっている。コロナ禍以前の調査ではあるものの、子ども・若者が仕事選択時に重要視する観点として「収入が多いこと」と並んで最も多く選ばれていたのは、「安定していて長く続けられること」であった(図表6)。もちろん、仕事選択時に重要視する点は人によって様々だろう。それでも、メンバーシップ型雇用に伴う雇用の安定は、依然として多くの若年労働者にとってのメリットとなり得ると思われる。
(図表6)子ども・若者が仕事選択時に重要視する観点
加えて、退職所得控除に代表されるように、現在の日本の税制は一つの企業に長く勤めることが労働者に有利に作用するような制度となっている。このような点は、安定志向の強い労働者にとって大きなメリットであると考えられ、メンバーシップ型雇用によって得られる恩恵と捉えることができるだろう8。これらの要因の結果、諸外国と比較して、日本の労働者は1つの企業に勤め続けるケースが多くなっている(図表7)。
(図表7)主要国の平均勤続年数
 
7 その企業でのみ有用な技能であり、労働者が別の企業に移動すれば役に立たなくなる技能
8 2023年6月に示された政府税制調査会中期答申において、退職所得課税に関連して「近年は、支給形態や労働市場における様々な動向に応じて、税制上も対応を検討する必要が生じてきています。」との記載がなされたことから、今後の動向が注目される。

6――若年労働者の処遇改善を巡る近年の動向

6――若年労働者の処遇改善を巡る近年の動向

6.1 処遇改善の状況
超高齢社会の進展に伴う若者の減少によって企業の人材確保の困難さが増しつつある中で、メンバーシップ型雇用の下でも若手労働者の確保は課題であり続けている。そのため、メンバーシップ型雇用の下でも若年層の賃金水準は相対的に見て改善が進められてきた。言い換えると、年齢別に見た賃金カーブのフラット化が進んできた。

メンバーシップ型雇用の下で働く労働者が多いと考えられる「大企業、男性、大卒・大学院卒」の賃金カーブについて、厚生労働省の賃金構造基本統計調査を基に計算した年間賃金水準を確認すると、年功序列型賃金の賃金カーブは2022年においても一定程度存在しているものの、この15年間で若年層と中高年層の間の賃金水準の差は縮小したことが分かる(図表8)。ここから、少子高齢化が進展し、若年層の人材確保が困難になる中で、企業は若年層の待遇の維持・改善を相対的に優先してきたと考えられる。確かに、雇用確保を図る上で、若年層の賃金を上昇させることは重要だろう。しかし、若年層の賃金が上昇し、賃金カーブのフラット化が進めば進むほど、若年層にとって「将来賃金が一層上がる」ことへの期待は小さくなってしまうかもしれない。
(図表8)50 代前半を100 としたメンバーシップ型雇用の賃金カーブの推移
6.2 経済界の目指す方向性
一般社団法人日本経済団体連合会(経団連)は会員企業に対し、日本型雇用システムのメリットは活かしつつ必要な見直しを行い、各企業にとって最適な「自社型雇用システム」を導入することを呼び掛けている。なお、具体的な検討の方向性としては、(1)採用方法の多様化、(2)ジョブ型雇用の導入・活用、(3)エンゲージメントを高める処遇制度、(4)人材育成とキャリアパス、等が示されている。

また、2023年度からは、大学生等のインターンシップの取扱いが変わる。この見直しによって、一定の条件のもとで企業がインターンシップを採用活動に活用することが可能になった。見直し後のインターンシップの対象としては、高い専門性を有する大学院生等が想定されており、ジョブ型雇用の活用に向けた追い風となることが期待されている。

このように、経済界によるジョブ型雇用推進の動きは広がりを見せつつある。もっとも、その有無や程度は企業ごとに大きく異なるのが現状だ。企業によって置かれている状況は大きく異なるため、一律に何かしらの仕組みを導入するようなことは極めて難しい。政府も「個々の企業の実態に応じた」職務給の導入、を掲げているように企業に一律の対応を求めているわけではない。ジョブ型雇用、職務給等をどこまで導入するかについては、各企業の経営判断に委ねられていると言えるだろう。
6.3 連合の職務給導入に対する懸念
一方で、労働者サイドからは、今後職務給の導入が広がることへの懸念も示されている。例えば、日本労働組合総連合会(連合)は「ジョブ型雇用の定義や内容についての共通理解が不十分であり、言葉だけが独り歩きしていく懸念がある」との見解を示しており、「社会全体の雇用慣行を含めた雇用システムと個別企業の人事処遇制度の話を峻別する必要がある。」としている9

連合はジョブ型雇用の導入を不要としているわけではなく、「それぞれの職場の実態を踏まえて労使で話し合い、合意の上で改定していくべきものである」というスタンスである。この考えは政府の「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」という目標と相反するものではない。しかし、職務給の導入を含めたジョブ型雇用が一層推進されることになれば、労働者に影響が生じることは避けられない。推進にあたっては、丁寧な対話が不可欠となるだろう。
 
9 連合「経団連『2023年版 経営労働政策特別委員会報告』に対する連合見解」(2023年1月18日)

7――おわりに

7――おわりに

職務給の導入を含め、岸田政権の掲げる三位一体の労働市場改革が実現されることで、必要なリスキリングを通じて就労や賃上げの機会確保につながることが期待されている。年齢等を問わない就労や賃上げの機会確保が目指されていることもあり、若い世代の中で、所得向上を実現する人も現れるだろう。

しかし一方で、職務給の導入はすべての若い世代が一律に所得向上を実現することにはつながらないようにも思われる。さらに、若年労働者の失業率が低く、雇用が比較的安定しているという労働者にとっての日本企業の強みが、職務給の導入が広がった後にどうなるかも不透明だ。職務給の導入は、若い労働者にとって、スキルや経験を身に付けなければ雇用や賃上げを得ることができない、より厳しい社会の到来を意味するかもしれない。

それでも、現状では、諸外国と比較して低い日本の賃金水準が問題となっている等、メンバーシップ型を中心とした雇用システムの弊害が明らかになっている。そのため、メンバーシップ型雇用の弊害の解消につながりうる職務給の導入に向けた取組は、今後、一層推進されていくのではないだろうか。

その上で、職務給の導入と若い世代の所得向上を両立させるためには、若い世代の能力向上が不可欠となる。政府は、三位一体の労働市場改革の中で、「リ・スキリングへの能力向上支援」を掲げる。若い世代であっても積極的なリスキリングを促すことは重要だろう。それに加えて、特に若い世代の能力向上という観点からは、大学等におけるキャリア教育も今後一層重要性を増していくのではないだろうか。

いずれにせよ、職務給の導入に向けた岸田政権の取組はまだ端緒についたばかりである。今後の動向に注目したい。

(参考資料)
濱口桂一郎「ジョブ型雇用社会とは何か―正社員体制の矛盾と転機―」(岩波新書、2021)
厚生労働省「「今後の若年者雇用に関する研究会」報告書」(令和2年10月23日)
 
 

(お願い)本誌記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と安全性を保証するものではありません。また、本誌は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。
Xでシェアする Facebookでシェアする

坂田 紘野

研究・専門分野

(2023年08月24日「基礎研レポート」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【職務給(ジョブ型雇用)の導入は若い世代の所得向上につながるか】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

職務給(ジョブ型雇用)の導入は若い世代の所得向上につながるかのレポート Topへ