2023年08月24日

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1――はじめに

少子化対策が日本における喫緊の課題となっている。2022年に生まれた子どもの数は統計を開始した1899年以来過去最少の77万747人、合計特殊出生率は過去最低の1.26であった(図表1)。このような危機的な状況を改善するため必要だと考えられているのが、若者・子育て世代の所得向上だ。2023年6月に閣議決定された「こども未来戦略方針」では、「若者・子育て世代の所得を伸ばさない限り、少子化を反転させることはできない」と示された。賃上げ等によって若い世代の所得を増やすことは、岸田政権が次元の異なる少子化対策を推進するにあたり、重視しているポイントの1つだ。
(図表1)日本の出生数、合計特殊出生率
いかにして若い世代の所得向上を図るかという点に関連して、岸田政権は2023年の骨太の方針(「経済財政運営と改革の基本方針2023」)において、三位一体の労働市場改革による構造的賃上げの実現を目指す方針を打ち出した。具体的には、(1)リ・スキリングによる能力向上支援、(2)個々の企業の実態に応じた職務給の導入、(3)成長分野への労働市場の円滑化、という3つの労働市場改革を行うことで、構造的に賃金が上昇する仕組みの形成を図るとしている。

このうち、2つ目に挙げられた「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」は、日本の雇用システムの変化を試みるものと捉えることができる。職務給は労働者の職務(ジョブ)を雇用契約に明確に規定し、職務に基づいて賃金を定めるような仕組みを指し、政府資料等においては、しばしばジョブ型雇用と関連付けられてきた。これに対して、一般にメンバーシップ型雇用と呼ばれる、これまで多くの日本企業で採用されてきた雇用システムにおいては、労働者が取り組むべき職務は雇用契約に規定されず、賃金は年功や職務遂行能力といったヒトに帰属する職能に基づくケースが多い。

「こども未来戦略方針」にて示された通り、若い世代の所得を増やすことは少子化を反転させるために不可欠だろう。しかし、職務給の導入は、若い世代の所得向上につながるのだろうか。本稿では、特に若い世代に焦点を当てつつ、職務給の導入をめぐる動向について確認する。

2――ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用 

2――ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用 

はじめに、ジョブ型雇用、という言葉を生み出したことで知られる独立行政法人労働政策研究・研修機構労働政策研究所の濱口桂一郎所長の分析を基に、ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用について概観する。

濱口氏によれば、ジョブ型雇用において、雇用と結びついているのは職務(ジョブ)であり、雇用契約によって労働者が遂行すべきジョブが予め特定されている。よって、ジョブ型雇用の下では、「企業がある仕事を遂行する労働者を必要とするときに、その都度採用する」ことが原則となる。言い換えると、ジョブ型雇用における採用は基本的にすべて欠員補充となる。さらに、ヒトではなくジョブと雇用が結びついていることの帰結として、ジョブ型雇用における賃金は職務に基づいて決められる職務給となる。

一方、メンバーシップ型雇用の特徴について、濱口氏は「その都度遂行すべき特定の職務が書き込まれる空白の石板である」と説明する。すなわち、ある職務に必要な人員が減少したとしても、企業は労働者に他の職務への異動を命じることができ、その雇用契約を維持することができる。一方で、他の職務への異動可能性がある限り解雇の正当性は低くなる。その結果、いわゆる終身雇用慣行が導き出される。また、賃金と職務を切り離したヒト基準での賃金決定が行われることもメンバーシップ型雇用の特徴であり、年功序列型賃金を中枢に据えた職能給によって賃金が決められる。

このように、ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用は雇用システムの特徴そのものが大きく異なる。濱口氏は、ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用について、「現実に存在する各国の雇用システムを分類するための学術的概念」であり、「本来、価値判断とは独立のもの」だと述べている。すなわち、ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用は、どちらの方が優れているのか、というような議論とは本来馴染むものではない。

なお、ジョブ型雇用の下では、メンバーシップ型雇用と異なり、原則として、ある職務に必要な人員が減少したからといって雇用契約に記載されていない他の職務に労働者を従事させる義務はなく、ジョブ型労働者にそのような要求を行う権利もない。もっとも、ジョブ型雇用であれメンバーシップ型雇用であれ、解雇権濫用法理1によって規律されており、いずれの雇用形態においても、解雇には正当な理由が必要である点に変わりはない。
 
1 日本国内において、整理解雇が認められる要件としては、(1)人員削減の必要性、(2)解雇回避の努力、(3)解雇者選定の合理性、(4)解雇手続の合理性、の4点が判例法理として定着している。

3――なぜ政府は職務給の導入を推進するのか

3――なぜ政府は職務給の導入を推進するのか

前項で触れたように、ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用は本来、価値判断とは独立のものである。しかし、近年、政府はジョブ型雇用を推進すべきであると考え、取組を進めているようだ。これは、足もとでメンバーシップ型雇用の弊害が顕在化しており、その見直しが急務の課題と認識されているためと思われる。具体的には、以下のような弊害が生じており、課題解決が求められている。
3.1 日本企業と海外企業の賃金格差が大きい点
新しい資本主義実現会議においては、日本企業の抱える課題の1つとして、同じ職務であるにもかかわらず、日本企業と海外企業との間の賃金格差が大きいという点が指摘された。特に、IT、データアナリティクス、プロジェクトマネジメント、技術研究等の高いスキルが要求される分野において著しい賃金格差が存在するとされている。政府は、この課題に対し、「年功賃金での対応は難しく、この賃金格差を無くすため、雇用制度の見直しが求められている。」2という考えを示している。

また、日本企業は諸外国の企業と比較して職種別の賃金差が小さく、高いスキルを要求される職種であっても高い賃金を獲得できているわけではないため、スキルの高い人材が報われにくい制度となっているという点も指摘された。年功賃金制等のメンバーシップ型雇用システムの下では、職務や職務に要求されるスキルの基準が不明瞭であり、評価・賃金の客観性と透明性が十分確保されていない点が課題であるとされる。この点も、政府が職務給の導入を推進する動機の1つとなっている。
 
2 「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版」(令和5年6月16日)
3.2 新卒一括採用にはデメリットもある点
コロナ禍前にまとめられた若年者雇用に関する厚生労働省の研究会の報告書3は、日本において定着してきた独特の雇用慣行である新卒一括採用をメリット・デメリットの両面から確認した。新卒一括採用のメリットとしては、(1)実務に直結したスキルのない新規学卒者であっても、失業を経ることなく就職可能な仕組みとなっている、(2)募集選考や教育訓練等を計画的・効率的に行うことが可能になる、等が挙げられた。一般に、若年労働者は中高年労働者と比較して職務に直結するスキルや経験が乏しいと思われる。その中で、メンバーシップ型雇用は職務が限定されていないこともあり、入社後にOJT(On the Job Training)等によって労働者を鍛えることで職務遂行に必要なスキルを身に付けさせることが前提となっている。そのため、新卒一括採用システムの下では、入社時点では業務に直結する何かしらのスキルや経験等が必ずしも要求されない。

一方、新卒一括採用のデメリットとしては、(1)学校卒業時に希望に即した就職ができなかった者などにとって就職機会が制約されがち、(2)個々の新規学卒者の特性や状況に即した採用や訓練の実施が制限される、等が指摘された。就職氷河期に代表される深刻な不況時の新規学卒者に不安定雇用が集中したように、就職機会の制約は新規学卒者の自己責任として片づけられるような事項とは限らない。それにもかかわらず、就職機会の制約が長期にわたって悪影響を及ぼし、キャリア形成が積み重ねられなくなってしまう事態が起こっていることから、課題解決が求められている。

なお、この報告書内では、新卒一括採用の見直しの必要性については結論を出しておらず、今後の一層の議論の必要性に言及するにとどまっている。
 
3 厚生労働省「『今後の若年者雇用に関する研究会』報告書」(令和2年10月23日)
3.3 ライフイベントとキャリア形成の両立を難しくする点
メンバーシップ型雇用は、ライフイベントとキャリア形成の両立を難しくする要因であるとも考えられている。年功型賃金や終身雇用といった雇用慣行の下では、「企業は、雇用保障を目的に、正規雇用者の雇用調整を人数ではなく労働時間で行う傾向が」あり、「恒常的な残業が定着しがちである」とされる4。すなわち、メンバーシップ型雇用は長時間労働慣行をもたらしがちであると思われる。そして、2023年6月に閣議決定された「女性版骨太の方針2023」では、ライフイベントとキャリア形成の両立を難しくする最大の要因として、「正社員としての働き方の前提となっている長時間労働慣行」が挙げられた。長時間労働は女性のみならず男性にも悪影響を及ぼし得る。これもまた、メンバーシップ型雇用に伴うデメリットの1つであると考えられる。
 
4 内閣府「平成28年度年次経済財政報告」より

4――職務給の導入で若い世代の所得は上がるのか

4――職務給の導入で若い世代の所得は上がるのか

前項で確認したように、足もとでは、メンバーシップ型雇用の弊害が顕在化しており、その中には、若年層に悪影響をもたらすものも含まれる。しかし、弊害を是正するために職務給を導入し、新たな賃金体系を構築することは、若い世代の所得が向上し、恩恵を得ることにつながるのだろうか。

参議院の予算委員会5においてこの点を質問された後藤茂之新しい資本主義担当大臣は、「職務給の確立については、年齢、性別を問わず、必要なリスキリングを通じて就労や賃上げの機会確保につながるもので」あると答弁した。確かに、職務給の確立は年齢や性別を問わない賃金体系の構築につながるものであり、今後、リスキリング等を経た若い世代が就労や賃上げの機会確保を得られることは想定される。

一方で、職務給を導入しているとされる欧州諸国においても、若年層の賃金水準と中高年層の賃金水準は異なり、中高年層の方が高くなっている(図表2)。
(図表2)各国の年齢階級別賃金格差
もっとも、これは欧州諸国がメンバーシップ型雇用のように勤続年数の長さを賃金に強く反映しているということを意味するわけではない。勤続年数別の賃金格差を確認すると、日本は欧州諸国の多くと比較して、男女ともに同じ勤務先で長期間勤務することが賃金の増加につながっていることが確認できる(図表3)。

よって、欧州諸国においても日本と同様に中高年層の賃金水準が高くなっているのは、欧州諸国の中高年層がそれぞれの職務を重ねる中でそのスキルや経験をより高度に熟練させ、就労や賃上げの機会を得たためであり、各人が自らのスキルや経験を活用して賃金の上昇につなげていったと考えることが自然だろう。 

そのため、今後日本において職務給の導入が広がった場合においても、一般に職務の経験が乏しいとされる若年層が賃金を上げ、所得を向上させるためには、各々が職務に要求されるスキルを習得し、経験を積むことが極めて重要になると思われる。職務給の導入に伴う若年層の所得向上の程度は人によって大きな違いが生じ、すべての若年層の賃金が一律に上がるような事態にはならないのではないだろうか。
(図表3)各国の勤続年数別賃金格差
そもそも、欧米諸国の多くと異なり、日本の実質賃金はこの30年でほとんど伸びていない。この課題も政府が所得向上を掲げる理由の1つとなっている。背景として指摘されるのが、日本の労働生産性の低さだ。この30年で日本の労働生産性は向上したものの、今なお諸外国よりも低い水準に留まっている(図表4)。職務給の導入によってスキルの上昇と所得の上昇の関係性の「見える化」が進むことで、若年層に限らず、あらゆる世代が積極的にリスキリング等に取組み、労働生産性が向上することが期待される。労働生産性向上に伴ってさらなる賃上げが実施されれば、岸田政権の目指す構造的な賃上げの実現につながる。 
(図表4)各国の実質賃金と労働生産性
 
5 第211回国会参議院予算委員会(令和5年3月20日)
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坂田 紘野

研究・専門分野

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【職務給(ジョブ型雇用)の導入は若い世代の所得向上につながるか】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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