2023年04月03日

経営者と投資家が注意すべき東証のPBR改善要請~株主代表訴訟リスクも~

金融研究部 主席研究員 チーフ株式ストラテジスト 井出 真吾

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1――東証が市場改革に本腰

東京証券取引所は3月31日、株式市場の評価が低い企業に対応を要請した。プライム市場とスタンダード市場を対象に、PBR(株価純資産倍率)が1倍を下回っている企業などに、株価水準を引き上げるための具体策を開示・実行するよう要請した。
 
PBRは自己資本に対する株式時価総額の割合だ。これが1倍を下回る企業は株式市場の評価が簿価よりも低いため、理論的には“経営として失格”とされる。日本では全上場企業の約半数がPBR1倍割れという状態が長く放置されてきた。今回の取り組みで日本株市場が活性化すれば海外投資家による再評価も期待できるが、企業や投資家は小手先のPBR改善策には注意が必要だ。

2――収益力向上より容易な自社株買い

2――収益力向上より容易な自社株買い

企業がPBRを改善する方法はいくつかある(図表1)。まず事業の収益力を高めることや自己資本が過大なら圧縮すること。これによってROE(自己資本利益率=純利益÷自己資本)が改善し、株価上昇やPBR改善が期待できる。
 
一方、ガバナンス強化やIR(投資家向け情報提供)強化によって投資家からの信頼が高まり株主資本コストを下げることができれば、たとえ収益力を向上させたり自己資本を減らしたりしなくても株価やPBRが上昇するというメカニズムも考えられる。専門的なので詳細は割愛するが、端的に言えば投資家がより安心して当該企業の株式を買えるようになれば株価が上昇するということだ。
 
ただ、収益力向上やガバナンス強化を口で言うのは容易だが、実際は相応の時間を要する。相対的に短期で実施できるのが過剰資本の圧縮、すなわち自社株買いだ。経営陣の一存で実施できる点も魅力かもしれない。
【図表1】PBR改善策は複数ある

3――金融庁が問題視、東証が注意喚起したリキャップCB

3――金融庁が問題視、東証が注意喚起したリキャップCB

企業が自社株買いを検討する際に注意すべきなのがリキャップCBだ。リキャップCBとは、転換社債型新株予約権付社債(CB)を発行して負債を増やし、同時に自社株買いを実施して自己資本を減らす財務手法である。リキャップとはリキャピタライゼーション(資本と負債の再構成)の略称で、バランスシートの構成変更にCBを使用するため、リキャップCBと呼ばれる。
 
リキャップCBはアベノミクス初期の2014年~2015年に急増した。当時、経済産業省の「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクトの最終報告書(通称、「伊藤レポート」)が「ROE8%以上を目指すべき」とするなど、上場企業にROE改善を求める動きが強まったこともあり、手っ取り早くROEを改善できる手法としてリキャップCBを実施する企業が増えた。
 
ところが、16年8月の金融審議会(金融庁)が「ROEの上昇が一時的なものにすぎないにもかかわらず、発行手数料目当てに証券会社が企業に勧めていることを問題視している」としたほか、メディアでもリキャップCBの問題点が次々に指摘されると、リキャップCBの発行は急速に減った。
【図表2】金融庁・東証の注意喚起で急減したリキャップCB

4――既存株主の損失と引き換えにヘッジファンドが利益?

4――既存株主の損失と引き換えにヘッジファンドが利益?

17年3月、東証はリキャップCBについて上場企業に注意喚起するため『資本政策に関する株主・投資家との対話のために~リキャップCBを題材として~』を公表した。この注意喚起文書では重要な6つのポイントを、想定される質問の例とともに挙げている。
【図表3】資金調達等を検討するにあたり検討すべきポイント
上記6つのポイントの中でも【5.CBの条件決定の適切性】は重要だ。東証はこのポイントの想定質問を「上場会社がCBを利息無し(ゼロクーポン)で発行するメリットとCBに付与されたオプションの価値は釣り合っているか。」としている。仮に金融知識が十分でなかったとしても、不利な条件でCBを発行すれば「会社の価値を毀損した」として株主代表訴訟などの事態に発展する恐れもあるので、経営陣には細心の注意が求められる。
 
実は、かつてリキャップCBが急増した背景に、証券会社と一部海外ヘッジファンドの存在が指摘された。週刊エコノミスト誌は『ROEブームが食い物に。リキャップCB急増の裏側』(2016年8月30日付)で、「普通社債よりも高い発行手数料目当てに証券会社が企業にリキャップCBを提案したり、CBに付くプレミアムを企業に適正に告知せず、結果、一部ヘッジファンドが適正価格より安くCBを購入し、CBアービトラージャー(別のヘッジファンド)に転売したりしている可能性」を指摘している。
 
想定質問が述べているように、CBには新株予約権としての性質からコールオプション・プレミアムが付くのが一般的だ。このプレミアムの市場価格は6%が相場とされるが、当時その点を知らされていた企業は少ないと言う。
 
額面100億円、プレミアム6億円、すなわち106億円の価値があるCBを手数料2.5億円で発行する場合の例で説明しよう(図表4)。本来ならCBの売却額106億円から証券会社の手数料2.5億円を引いた103.5億円が発行企業に入る。しかしプレミアムの適正価値を知らない(知らされていない)と106億円の価値があるCBをたとえば102.5億円で売却してしまい、そこから証券会社の手数料2.5億円を差し引いた100億円だけが企業の調達額となる。
 
この場合、本来の価値より3.5億円安く売却してしまったにもかかわらず、発行企業にしてみれば額面(満期時の償還額が)100億円分のCBを発行して現金100億円が入り、さらに利払いも不要なので「金利も手数料も実質ゼロ、銀行から借りるより安い」などと勘違いするかもしれない。そんなうまい話があるはずないのだが、金融リテラシーが低いとこうしたカラクリに気付かないまま不利な条件でリキャップCBを実施しかねない。これが東証の想定質問の趣旨だ。
【図表4】額面100億円のCBを発行した場合のイメージ(発行手数料2.5%、オプション・プレミアム6%のケース)
さて、102.5億円でCBを引き取ったヘッジファンドが、例えばCB専門の裁定業者に105億円で売却すると差額の2.5億円は当該ヘッジファンドが無リスクで得た利益となる。まさに“濡れ手に粟”だ。さらにCB専門の裁定業者が市場で本来の価値である106億円で売却すれば105億円との差額1億円を“濡れ手に粟”で得る。
 
これが事実ならCB発行企業からヘッジファンド等へ3.5億円分の価値が移転されたことにほかならない。その分、CB発行企業の価値が毀損され、結果的に当該企業の既存株主が損失を被ることになる。つまり、既存株主の損失と引き換えにヘッジファンドが儲ける、もっと言えば証券会社は自ら手数料を得ながらヘッジファンドを儲けさせる構図だ。
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金融研究部   主席研究員 チーフ株式ストラテジスト

井出 真吾 (いで しんご)

研究・専門分野
株式市場・株式投資・マクロ経済・資産形成

経歴
  • 【職歴】
     1993年 日本生命保険相互会社入社
     1999年 (株)ニッセイ基礎研究所へ
     2023年より現職

    【加入団体等】
     ・日本ファイナンス学会理事
     ・日本証券アナリスト協会認定アナリスト

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