2022年10月14日

中央銀行の独立性と「この国のかたち」~中央銀行の協業的独立性の提案~

大阪経済大学経済学部教授 ニッセイ基礎研究所 客員研究員 高橋 亘

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1――はじめに

1998年に日銀法が改正されてからやがて25年がたつ。世界的には、イングランド銀行法、欧州中央銀行法も同時期に改正・制定された。英国では、ブレア政権の改革、欧州ではユーロ圏の設立、そしてわが国でも司法・行政・地方自治改革と連動した動きであり、中央銀行の改革は憲法的な改革の一環と言ってよい。過去四半世紀は、中央銀行にとっても、またその独立性にとっても決して平穏なばかりの時間ではなかった。

中央銀行の独立性は1990年代の大いなる安定を持続する基盤をなすと思われてきた。しかしその後の環境変化は新たな挑戦を投げかけている。主要なものに限っても、マクロ経済面では、2008年の世界的な金融危機が金融政策に限らず中央銀行の政策環境を急変させた。金融政策では低インフレ・低成長への移行が挑戦的な環境を作り出している2。それにより金融政策に特化(単機能化)すべきと考えられていた中央銀行の守備範囲も、金融安定が明示的に責務となったほか、最近では、環境金融もその責務に加わってきている(多機能化)。このように従来想定された「金融政策に特化した独立した中央銀行」像は見直しが必要になってきている。

多機能化した中央銀行の独立性については、従来の金融政策のみに注目した機能(政策・業務)の独立性ではなく中央銀行という機関、組織トータルとしての独立性を論じる必要がある3。筆者はすでに独立した中央銀行として、立憲的な中央銀行モデルを提示している。これまでは、主に金融政策を対象にデフレ環境下での非伝統的金融政策と独立性の問題を論じてきた。本稿では、金融安定や環境金融など政府との協調が必要な政策・業務も営む多機能化した中央銀行を念頭に、独立性についての新たな概念を提示する。中央銀行が政府等との協働で政策・業務を営むとき、政府との関係では、中央銀行として対等、独自の立場で、政策の遂行、提言を行うことなどが望まれる。それが、政府とともに政策・業務を担いながらも、建設的な緊張関係をもつ立憲的な枠組みのなかで、政策・業務を推進する中央銀行のあり方でもある。

中央銀行の独立性の姿は、その国の立憲制という「この国のかたち」を反映する。

政府が強権的で経済への介入を好む国では、中央銀行の独立性は弱く、経済の自治や自立性が強い国では、中央銀行の独立性は強い。政府は中央銀行の独立性を活かし、その提言を容れることにより、政策の中長期的な持続性に配慮し、財政赤字の歯止めなどの規律づけに活かすことができる。
 
2 最近では、ロシアのウクライナ侵攻(2022年2月)を契機に、世界経済は低成長・低インフレを底流にしながらも、急激かつ大幅なコストプッシュインフレに見舞われている。インフレによる金利の急騰は、非伝統的な金融政策で累増した国債等の大幅な価格低下を招くだけに、特に金融財政面の規律が緩んだ国を困難な状況にしている。
3 塩野監修(2001)は中央銀行の独立性について、業務(機能)の独立性と、組織の独立性の両面から論じている。

2――経済学を越える議論の必要性

2――経済学を越える議論の必要性

Rogoff(1985)は、経済学における「中央銀行の独立性の理論」の嚆矢である。経済学では当時、独立性を指数化し、中央銀行の独立性が高い国ほどインフレ率が低いなどのデータに基づく実証的な研究結果が盛んに報告された。マクロ経済学では、インフレ率が低位に安定している国ほど安定的で持続的な経済成長がされることが導かれ、現実にもその後の「大いなる安定」によって、その主張は歴史的に立証されたようにみえた。

中央銀行の独立性の理論の骨子は単純である。政治(政府・議会)は景気拡大を優先してインフレの弊害を軽視するというインフレバイアスを持つ。金融政策を政治に委ねれば、インフレになってしまう。このため、金融政策はインフレを嫌う保守的な中央銀行に委ねられるべきとされる。

この理論は、金融政策の目的は単一で、物価の安定とすべきこと、さらにその実践としてインフレーションターゲットを採用すべきことを導く。実際に、多くの中央銀行法では金融政策の目的は物価安定と明定された。そこでは目標の具体的な数字までは書きこまれないが、先進国では、政治主導でインフレーションターゲットは2%が数値目標となり、世界標準とされている。中央銀行による金融政策の独立性は、手段や運営の独立性に限定されたが、それでも金利設定などは、法制上、政府などの介入を排除して決定できるようになった。

従来の経済学の議論の欠陥は、第一にインフレの抑制を念頭にしたものであること。デフレでは、金融政策はインフレバイアスを持つ政府に委ねるべきとなってしまう。第二に、金融政策のみの議論であっては、多機能化する中央銀行の独立性は論じられないことである。

3――金融政策を政治的に描くことの問題

3――金融政策を政治的に描くことの問題

Rogoff(2022)は、自己の議論を37年ぶりに振り返り、特にゼロ金利制約での金融政策が政治的になったと指摘した。いわゆる非伝統的な金融政策が政治的な介入を招きやすいことはすでに髙橋(2020)で論じた。中央銀行が金融政策で政策金利を設定する場合には、テイラールールなどの客観的な尺度があったが、量的緩和では、ルール化が難しく運営が裁量的になったこと、さらに量的緩和は、株価や為替などの資産価格に影響が大きいことから、法制上の金融政策の独立性にもかかわらず資産価格に関心が高い政治の介入を招きやすくなった。またRogoffの旧来のモデルで代表される経済学のモデルでは、金融政策をインフレバイアスVS保守性の二項対立でとらえたが、中央銀行の保守性、中立的の基準は各国、または時期で違いがあるため、それを考慮しない議論は誤った結論を導きかねなかった。

例えば、オルファニデス(2018)は、ゼロ金利政策時の日銀の政策について、過度に保守的(タカ派的)として、Cargill等(2001)の用いた「独立性の罠」という語句を引用して批判した。これは、政治的に中立的に決定されるインフレ目標値についてオルファニデスが2%を適当と考えたのに対して、当時日銀は0~1%を適当と考え、新たに独立性を付与されたことからこれに固執したことが、デフレを長期化させたとの批判である。

一方、黒田総裁就任(2013年4月)後の日銀は、就任直前(2013年1月)に政府との共同声明で合意された2%のインフレ目標を2年以内に実現することを目指したが、それには成長力と需要の上昇を見込んだ政府目標(アベノミクスの成功)が実現することが前提となっていた。だが経済体質の増強を狙った政府目標(特に潜在成長力の上昇)は一向に達成されないため、インフレの目標は、10年を経ても実現できていない4。これは2%目標自体が、日銀の専門的な見解を排した、実現性を軽視した政治的な目標であることに由来する。インフレ目標が、政府との合意で突然1%から2%に引き上げられたのには無理があった。また中央銀行は、リスクに備えるのが原則であり、成功シナリオのみに賭けて政策を運営するのは望ましいとは言えない。そのことが後日、日銀の政策の柔軟性を狭めることになった。2%という目標についての政府と日銀決定のプロセスの詳細は公式にはいまだに明らかにされていない5。目標が対等な立場で決定されたかは不明であり、決定に透明性が欠けることは立憲的なプロセスとは言えない。一方、日銀は目標実現が遠のくなかで、銀行部門の経営悪化、国債市場等の機能不全、財政赤字の拡大などの副作用を招いても緩和政策を継続せざるを得ないという「2%の罠」に陥っている。「独立性の罠」というよりは「2%の罠」に陥っているというのが、表現としては適当ではないか。

量的緩和政策に代表される非伝統的金融政策は、中央銀行による国債の大量購入により国債の大量発行を許した面がある。一方、金融政策運営に当たっては、金利上昇による財政負担の増大から国債管理を考慮せざるを得ない状況に陥り、財政支配(fiscal dominance)と言われる状況になっている。中央銀行の独立性の立憲的モデルでは、中央銀行が国の財政についても積極的な意見表明することが謳われる(「積極的な独立性の発揮」)。しかし、実際には、中央銀行から財政についての発言は控えられている(「消極的または受動的な独立性」)。財政政策は、政府・議会の所管であっても、中央銀行が専門的な立場から意見を表明することは、国民に問題点を明らかにすることで望まれる。この点わが国をはじめとした中央銀行の姿は望ましいとは言えない。
 
4 日銀は消費者物価の最近の前年比2%を超える上昇は、需要や賃金の上昇を伴わないため想定したものではないとして、目標を達成したとは認識していない。
5 2%の目標設定の政治的な経緯は軽部(2018)などジャーナリストの努力で一部明らかにされてきている。

4――中央銀行の行動原理との関係

4――中央銀行の行動原理との関係

中央銀行が立憲的な枠組みの中で、積極的な独立性を発揮する際、中央銀行のスタンスとして参考になるのが中央銀行のカルチャーともいえる行動原理である。中央銀行は、行政と民間組織の両側面を持つ存在であり、その行動原理は官庁とは異なる。筆者の知る限り、中央銀行のあり方として中央銀行に伝承されるものは「アートとしての中央銀行業務」など様々だが、ここでは、中央銀行の行動原理として、(1)市場の中の存在(イン・マーケット)と、(2)奴雁と表現される中長期的な視点をとり上げる。

中央銀行が金融政策ばかりではなく、決済・金融安定などを通貨の健全な流通に関わることを考えると、その姿は「金融政策の担い手」よりは「貨幣(通貨)の番人」との描写する方が相応しい。貨幣は市場機能に不可欠であり、市場の機能度は貨幣の機能度でもある。貨幣は市場から自然に生まれ、市場が貨幣を作ると考えれば6、貨幣の番人である中央銀行は市場のなかの存在である7

政治と中央銀行の関係は、政治と市場、政治と経済の関係、距離間に通じる。英国では、ウエストミンスター(政治)とシテイ(経済)の中間にHigh Court(高等法院)が位置しているが、政治と経済に加えて司法との三者間の距離感をよく表しているとされる。

政治が市場や経済を尊重し介入を控えれば、中央銀行の独立性は強まる。実際、市場機能の発達した国の中央銀行の独立性は強いし、開発途上で国家の介入が必要な経済では中央銀行の独立性は弱い。また金融危機後、政府の経済への介入は強まったが、中央銀行に対する政治的圧力も強まった。中央銀行の独立性は、市場の自律性、経済の自立性と同調する。

髙橋(2021)では前川元総裁が日銀のあるべき姿を、群れが餌をついばむとき一羽首を上げ周囲を見回す雁のリーダー、奴雁になぞらえたことを紹介し、大衆に迎合しがちな民主主義との関係を論じた。遠くを見通す姿は、短期の利害にとらわれず中長期的な将来を見据える中央銀行の理想に通じる。金融政策を例にとれば、金融政策は中長期的な視点から運営されるものとされてきた。また最近は人々の期待を重視した政策運営がされている。期待は短期に左右するものではなく、安定に努めるのが本来の姿でありこれも中長期的に営まれるべきものである。

中央銀行の独立性とは、経済・市場の自律性を反映し、中長期的な視点を踏まえたものである。
 
6 貨幣は国家(政府)が作るのではなく、「貨幣は市場が作る」というのはヒックス(1993)のメッセージである。
7 市場は主権国家の枠を超える。このことは主権国家の枠内の存在である中央銀行と矛盾を生じさせる。この点はまた別途論じていきたい。

5――立憲的な視点からの中央銀行の独立性

5――立憲的な視点からの中央銀行の独立性

中央銀行が独立したときには、そのコントロールが問題となる8。民主主義国家では、公的な組織は、政府・議会の統制下におかれコントロールされることが大原則である(民主的コントロール)。ただしその姿は一様ではなく、独立行政法人のような企業形態等をとる組織には、より広い自主性が与えられる。中央銀行はそもそも、企業形態をとる上、(1)経済の中にあり本来政治とは一線を画すべきこと、(2)政治(政府・議会)が短期的な視点を持ちがちであるのに対して中長期的な視点に立つことから、中央銀行への政治的な関与はより限定的であるべきとなる。

民主主義と並んで、公的主体(権力)をチェック(コントロール)する仕組みが立憲制(権力分立)による相互チェックである。立憲主義は、民主主義と並んで近代憲法の基本原理である。髙橋(2013)では、そもそも立憲制が、民主主義による多数の意思でも侵されない人権等の基本権の保持のためにあることを論じている。

中央銀行と政府について立憲的なチェックの利点は、中央銀行に対して政府からのチェックを働かせると同時に、政府に対しても中央銀行からのチェックを働かせ、権力相互間での牽制を効かせることである。Persson等(1997)は権力分立によって、情報が公開されることで権力分立たるチェック・アンド・バランスが働くことを論じている。中央銀行は、多数の優秀なエキスパートを抱える組織である。その知見を活かして政府の経済政策等全般をチェックすることは国民にとっても利益である。

英国では、インフレ目標を保持できないとき、イングランド銀行総裁が財務大臣に公開書簡を送り財務大臣がイングランド銀行総裁に公開書簡で返信してきた。最近ではその他の政策についても、財務大臣から総裁へ書簡が公開のかたちで送られている。近年、非伝統的な政策運営で、国債が累増し金融政策にも大きな影響を及ぼす国債管理が問題となるが、財政政策について中央銀行から公開書簡で所見を表明することも提案されている(Ball等(2018))。

またこれは、立憲的なチェックと同時に民主的なコントロールでもあるが、スウェーデンのリクスバンク等で行われている専門家による事後的な第三者検証も有効な手段である。リクスバンクでは、マービン・キング前イングランド銀行総裁などによって内部の文書の閲覧、幹部等への面談等の結果を踏まえた報告書が公開され、これに対するリクスバンクの返答も公開されている9

民主的コントロールは、これまで行政による規制が中心となってきた。一般に、規制については、事前規制・事後規制の区別があるが、独立性を尊重するためには事後規制が望ましい。また本来は、行政による事前チェックより、司法による事後チェックが望ましい。

また近年、公的セクターのチェックとして重視されてきているのが、情報公開制度である。これについては現在の情報についての「情報公開」とともに、過去の情報を公開する「アーカイブ」も重要である。日銀も政策決定の「議事要旨」「議事録」の公開、総裁記者会見・講演、国会出席など情報開示を充実させてきた。またアーカイブも整備された。なお情報公開においては、公的セクターが自ら情報を公開する「情報提供」と、市民から要求されて情報を提供する「情報公開」とは区別すべきとされる。情報公開は説明責任(accountability)を果たすためとされるが、説明責任とは、市民からの指摘に「申し開き」をすることが本来の趣旨である。そのためには、市民の求めに応じて、都合の悪い情報でも開示に努めることが重要になる。

中央銀行が多機能化すると、金融政策にくらべ情報開示に慎重になる分野が多くなるかもしれないが、情報を極力公開することが、独立性の対価を払うことでもある。また、独立性に関しては、最も重要な部分である政府と中央銀行とのやりとりなども、一定の期間を経て公開されることが望ましい。
 
8 イングランド銀行の副総裁であったTucker(2018)は、多機能化したイングランド銀行を念頭に、選挙で選ばれない中央銀行が多大な権能を持つことに自ら懸念を示している。
9 King 等(2014 )。なおリクスバンクでは、より最近も新たな第三者検証が公開されている。
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