コラム
2021年09月15日

科学的介護を巡る「モヤモヤ」の原因を探る-不十分なフィードバックの弊害などで考える論点

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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2|筆者の繰り言(?!)に対して想定される反論
こうした筆者の繰り言(?!)に対しては、いくつかの反論が想定されます。例えば、「ビッグデータの活用ではデータを集めることが重要」という意見です。実際、同じような声は過去、筆者が傍聴した講演会で厚生労働省の担当者から示されていました。確かにAI(人工知能)のデータ解析では、ビッグデータを集めることで、その結果として人間が気付かないような相関関係が明らかになるとされており、データ収集が先行するのは止むを得ない面もあります。

しかし、それでもデータを社会実装できるように加工する上では、何らかの仮説や分析のフレーム(枠組み)が必要であり、これらが十分に示されていない状況を考えると、「何のためにデータを集めるのか」という疑念が利用者や現場から示されるのは止むを得ないと思います。

さらに「フィードバックが不十分」という指摘に対しては、「まだフィードバックは始まったばかりであり、これから精度を上げていく」という反論も考えられるし、筆者が傍聴したセミナーでも、そうした見方を多く耳にしました。

ただ、そのためには利用者を含めた現場との対話が欠かせないと思います。具体的には、業界団体の意見を審議会で聞くだけでなく、真面目に実践している現場に足を運び、専門職や利用者と膝詰めで意見交換することが必要となります。そうすれば、霞が関では思い付かないような活用策とか、死角となっていた論点に気付くかもしれません。コロナ禍で現場に足を運ぶことが難しくなっているとはいえ、現場との対話抜きにフィードバックの精度が上がることは考えにくく、この点が十分になされるのか、かなり心配です。
3|対話のツールとしての活用を
さらに議論を進めると、現場との対話が不十分なまま、データベースを構築しようとしても、そのデータが国の統制手段として用いられる危険性があります。本来、データは関係者同士の情報共有の手段として幅広く用いられることが望ましく、国と業界団体、都道府県と市町村、市町村と事業者、事業者と利用者、事業者と専門職などの間での対話ツールにする必要があります。

例えば、介護報酬改定に際して、「●●の部分で介護予防が弱いので、テコ入れする必要がある」といった点を国が業界団体に働き掛けるとか、逆にデータを活用して業界団体が国に対して制度改正を提言するような場面があってもいいと思います。さらに現場に近い段階でも、保険者(保険財政を運営する主体)である市町村が事業者に対して、「市内の平均と比べると、要介護度の悪化ペースが速い。ペースが緩やかな事業所と比べると、改善のヒントが得られるかもしれない」と助言するような活用が想定できるし、都道府県が市町村を支援する際のデータ活用も考えられるかもしれません。

このほか、事業者が利用者に対して、「全国的なデータを見ると、ある程度の確率で状態が悪化すると思いますので、その場合は別の手立てを考える必要があります」と説明したり、施設・事業所の経営者が現場の専門職に対して「近隣の施設と比べると、褥瘡が多く起きているので、もう少し改善できるのではないか」と働き掛けたり、それを基に現場の専門職同士が話し合ったりすることも考えられると思います。医学やリハビリテーションの研究者や臨床家がデータにアクセスできるようになれば、国際比較も含めて様々な分析も可能になるかもしれません。

要は官民問わず、様々な関係者の意思疎通を密にしたり、それぞれの現場で合意形成を促したりするための手段として、データが使われる必要があります。

しかし、現場との対話がなければ、こうした使われ方は難しくなります。その結果、フィードバックされる情報も、現場にとってはトンチンカンな内容になってしまうかもしれません。

むしろ、現場との意思疎通が不十分な場合、国にとって都合のいい情報だけが集められることになりかねず、国の制度改正の正当化とか、国の考えている方向性に現場を誘導するために使われる危険性があります。そうなると、データは現場に対する国の統制手段になってしまいます。フィードバックの説明やイメージが不十分なまま、データが国に集められている現状を見ていると、「天邪鬼な筆者の懸念が杞憂に終わればいいのだが…」と思ってしまいます。

4――集められているデータに対する疑問

1|身体的自立に力点を置くデータ収集
さらに現場との対話という点で見ると、科学的介護で集められているデータに対する疑問も出て来ます。科学的介護は元々、介護予防に力点が置かれている分、何でも自分でできるようにする「身体的自立」が重視されている印象は拭えず、関係者の対話ツールで使える情報と、国が集めたい情報の間で齟齬が生じるリスクもありそうです。

例えば、科学的介護が最初に論じられた2016年11月の未来投資会議では、塩崎厚生労働相(当時)が「良くなるための介護のケア内容のデータがなく科学的分析がなされていない」という資料を提出していましたし、議長の安倍晋三首相(当時)も「高齢者が自分でできるようになることを助ける自立支援に軸足を置きます。本人が望む限り、介護は要らない状態までの回復をできる限り目指していきます」と述べていました8。こうした議論が持ち上がった背景には介護保険給付費の増加を抑制したいという意図があり、言わば財政対策な要素を持っています。特に科学的介護が浮上した頃の議論を振り返ると、予防を通じて要介護認定率の引き下げに成功したとされる埼玉県和光市と大分県の事例を引き合いに、介護予防の重要性が盛んに喧伝されていた経緯があります9

このため、科学的介護が身体的自立の維持・改善から始まったことは紛れもない事実です。より具体的に言うと、科学的介護で重視している「科学」とは、身体的自立を支える医学、リハビリテーションを中心に据えていることになります。

しかし、介護保険の「自立」は元々、「高齢者の自己決定」を重視しており、何でも自分でできるようになる「身体的自立」だけを意味するわけではありません10。しかも、介護現場で用いられる学問についても、医学やリハビリテーションに限らず、社会科学に属する社会福祉学とか、利用者の言葉や態度、生活歴からニーズを引き出す対人技法では人文科学に類型化される心理学や民俗学の要素が必要になります11。このため、現場の専門職が利用者のケアに当たる上では、学際的なアプローチが必要になりますが、科学的介護の「科学」とは専ら自然科学しか意味していません。こうした状況の下では、現場で活用できる情報と、国の集めたい情報の間で食い違いが起きる危険性があると思います。
 
8 2016年11月10日、未来投資会議資料、議事録。
9 当時の議論に関しては、2018年5月14日拙稿「2018年度介護報酬改定を読み解く」、2017年12月20日拙稿「『治る』介護、介護保険の『卒業』は可能か」を参照。
10 社会保障に関する「自立」の多義性については、2019年2月8日の拙稿「社会保障関係法の『自立』を考える」、介護保険20年を期した2020年8月13日のコラム「20年を迎えた介護保険の再考(10)自立支援、保険者機能」を参照。
11 介護民俗学については、六車由美(2018)『介護民俗学という希望』新潮文庫などが有名。
2|医療社会学で言う「医療化」の懸念
少なくとも介護の現場は人手不足の中、データや数字で計測し切れない多様で複雑な高齢者の生活に直面しており、そこに「数字で測れるもの=科学」という考え方を持ち込むと、医療社会学の「医療化」が起きるのではないか、と心配しています。

医療化とは、医療が不要な領域まで関わって行くことで、医師など医療職の影響力が必要以上に強くなる状態を指しています。この場合には数字では測り切れない生活の中に、データや数字に基づく医療的な要素を持つ科学的介護が入り込むことで、必要以上に生活がデータに引っ張られ過ぎるリスクが考えられます。実際、行き過ぎた定量化を戒める書籍では、定量化の過程で重要な情報が抜け落ちてしまう危険性に言及しています12

例えば、筆者が要介護状態になっても、「科学的介護に基づくデータによると、三原さんのADLは悪化していますので、リハビリテーションの事業所に通う機会を増やしましょう」と促されても、筆者は興味を示さないと思うし、医療化されたケアプラン(介護サービス計画)の下で、筆者は苦痛を感じることと思います。

むしろ、ケアマネジャー(介護支援専門員)やリハビリテーションの専門職が「三原さんの日課である図書館通いを続けられるように、リハビリテーションを頑張りませんか」「趣味の野球観戦を来シーズンに出掛けられるように、もう少し足腰の筋肉を付けませんか」などと提案してくれれば、天邪鬼な筆者の心も動くと思います。

そのためには例えば、ケアプランを作成する際のアセスメントとか、専門職が筆者の自宅に来ている間に目にする書籍や文物、筆者との雑談などを通じて、専門職が筆者の性格や趣味、日課、元気だった頃の仕事などを把握することが必要になります。

しかし、数字で測れる医学的な要素だけが「科学」と呼ばれ、「科学的介護はお得」といった言説が流布している現状を見ていると、科学的介護の加算だけに目を奪われてしまい、それ以外の科学が介護現場で軽視されるのではないか、と心配になってしまいます。少なくとも現場の専門職には「科学的介護のデータだけが科学」と受け止めず、データも一つの参考資料として使いつつ、引き続き学際的なアプローチで取り組んで頂きたいと思います。
 
12 Jerry Z. Muller(2018)“The Tyranny of Metrics”〔松本裕訳(2019)『測りすぎ』みすず書房〕を参照。

5――おわりに

今回は科学的介護に関して、利用者や現場の専門職が感じている疑問(モヤモヤ)を代弁するような形で、論点や疑問点、改善点を考察しました。まだスタートした直後の施策に対し、あれこれと繰り言(?!)を述べるのは心苦しいのですが、試行段階だからこそ早目に問題点を指摘したり、改善を提案したりした方がいいのでは、と思って筆を執りました。

念のために強調しますが、科学的介護を通じてデータを収集・活用すること自体を否定する気はありませんし、身体的自立に取り組むことも全否定しません。さらに、DX化の流れや深刻な人手不足を考えると、手書きで取られている日々のデータや記録をデジタル化することで、現場の生産性を高める努力も求められると思います。

しかし、それでもデータ収集が先行している科学的介護の現状は改善して行く必要があると思います。さらに運用を改善する上では、「データを集めたい」という「国の都合」、あるいは「加算を取得したい」という事業者の視点だけでなく、利用者や現場の専門職の視点を加味しつつ、関係者の間での対話ツールとして発展させるように努めて欲しいと考えています。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

(2021年09月15日「研究員の眼」)

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