2021年08月27日

EU完全離脱後の英国経済-コロナ禍で見え難くなっている離脱の影響-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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英国はロックダウンの渦中でEUを完全離脱、新協定と新移民制度が始動

英国の欧州連合(EU)離脱後の移行期間が終了し、完全離脱してから8カ月が経過しようとしている。

しかし、完全離脱による英国とEUの間の財、サービス、ヒト、資本の移動の自由度の低下が、英国経済に及ぼした影響を把握することは難しい。20年1月末の正式離脱から現在に至るまで、英国経済はコロナ禍の影響を受け続けている。移行期間終了間際に合意した「貿易協力協定(TCA)」に基づく新たな関係も、EUとのヒトの移動の自由の停止と新たな移民制度も、コロナの変異型(アルファ型)の感染拡大対応の厳しい規制の最中に始動した。コロナ禍が、この間の経済活動の大きな変動要因となっており、離脱の影響が見え辛くなっている。

GDPの変動の主要因はコロナ対応の行動制限

GDPの変動の主要因はコロナ対応の行動制限

実質GDPは、正式離脱した20年1~3月期は前期比年率マイナス10.9%、4~6月期は同マイナス57.9%と現行の統計で遡れる範囲で最も深い景気後退に陥った(図表1)。2四半期連続の落ち込みは、厳しいロックダウン(都市封鎖)によるものだ。制限が緩和された同年7~9月期は同プラス87.1%に反発したが、完全離脱直後の21年1~3月期に再び同マイナス6.2%に落ち込み、4~6月期は同20.7%に反発と変動が大きくなっている。個人消費が基調を決めており、21年に入ってからの変動も完全離脱より行動制限の影響が大きいと思われる。

固定資本形成も、20年4~6月期に深く落ち込んだ後、大きく反発したが、21年1~3月期、4~6月期は連続でマイナスとなっている。住宅や土地、既存の建物への支出を除くビジネス投資は21年1~3月期の落ち込みがより深く、4~6月期は持ち直したものの反発力が弱く、極めて低い水準に留まっている(図表2)。

ビジネス投資は、16年に国民投票でEU離脱を選択した時期から、それ以前のトレンドよりも明確に基調が弱くなっており、EU離脱が重石となっていることが推察される。今後、コロナ禍の感染状況が落ち着けば、国民投票前のような拡大の勢いを取り戻すのか、コロナ禍と離脱の後遺症が残るのか。潜在成長率につながるだけに注目される。
図表1 英国の実質GDPと個人消費、厳格度指数の推移/図表2 英国の固定資本形成とビジネス投資

財貿易はコロナ禍と完全離脱で減少

財貿易はコロナ禍と完全離脱で減少

英国はEUからの完全離脱でEUの関税同盟からも離脱、英国の関税率は、英国独自のグローバル関税(UKGT)に切り替わった。英国とEUの貿易は、関税ゼロ・数量規制なしのFTAを柱とするTCAに基づくものに替わり、第3国との貿易もEUとして自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)を締結していた地域との間では、日英包括的連携協定(EPA)などEUのFTAやEPAを叩き台に締結しなおした新協定が発効した。

英国の財の貿易は、コロナ禍と完全離脱による2度の衝撃を受けた。パンデミックで世界的に貿易が落ち込んだ同年4月1に急減した後、一旦回復し、21年初に再び急減した。21年初の衝撃は、輸出入の両面で、EU向け(図表3)が、EU以外との貿易(図表4)よりも大きかった。
図表3 英国の財貿易数量(対EU)/図表4 英国の財貿易数量(EU以外)
EUからの輸入は、21年1月の大きな落ち込みの後、回復傾向が続いているが、完全離脱前の水準には達していない。20年末にかけて、移行期間終了による関税や通関手続きの発生、物流の混乱を懸念し、事前に在庫を確保するための輸入が増加していた。21年初の落ち込みには、在庫積み増しの反動という面もある。EU向けの輸出は、大幅な落ち込みの後、完全離脱直前の水準を回復しているが、ビジネス投資のようにコロナ前から停滞気味だった。

英国とEU以外の地域との貿易については、21年初の変化は、EUとの貿易に比べて小幅だったが、輸入には20年4月を底とする回復トレンドが見られるのに対して、輸出は停滞が続いている。

財輸出の伸び悩みは、EUとの通商条件の変化や、ワクチン接種で先行した英国の4~6月期の回復が、他地域よりも力強かったことなどによる一時的な現象であれば、いずれ解消するだろう。しかし、EUによる財の流れに関わる自由度の低下を織り込んだサプライチェーンの変化という、より構造的な変化が生じている可能性もある。

世界的にも、コロナ禍による生産や物流への影響が続いており、一時的な現象なのか、構造的な変化なのかを現段階で判断することは難しい。

サービス貿易縮小の主因はコロナ禍

サービス貿易縮小の主因はコロナ禍

サービス貿易は、輸出入共に19年7~9月期をピークに減少に転じ始め、20年初に大きく落ち込んだ後も、戻りが弱い(図表5)。

大幅な減少と戻りの弱さの主因はコロナ禍にある。2019年7~9月期と21年1~3月期のサービス貿易の減少のうち、輸出では4割、輸入では5割が「旅行(英国への外国人旅行者と英国人の海外旅行者の宿泊費、飲食費等の受取・支払)」の減少によるものだ。20年初に激減していることからも、コロナ禍の打撃が大きいことがわかる。「輸送(国際貨物、旅客運賃の受取・支払)」も、輸出入の減少の2割強を占めている。コロナ禍による旅行者の減少が主要因と思われるが、完全離脱による通関手続き等の導入も一定の影響を及ぼしている可能性がある。

EU離脱も、コロナ禍より小さいものの、影響を及ぼしている。英国国家統計局(ONS)は、「国際サービス貿易サーベイ(ITIS)」で、21年1~3月期のサービス貿易の変動要因として言及された回数を「コロナ禍」の66回に対して「EU離脱」は13回であったとしている2。英国の主力産業である「ビジネスサービス」、「金融」の貿易も、「旅行」、「輸送」に比べれば幅は小さいが減少している。「ビジネスサービス」と「金融」は、比較的コロナ禍の影響を受けにくい業種であり、EU離脱による金融の単一パスポートの失効、専門資格の相互承認見送りなどへの対応が反映されている可能性はある。サービス貿易に占めるEUとの取引の割合は、特に輸入で低下している(図表6)。EU経済が、他地域よりもコロナ禍で大きな打撃を受けたことによる影響ばかりでなく、後述するとおり、単一市場からの離脱に対応したビジネス・モデルの見直しも一定の影響を及ぼしていることが推察される。
図表5 サービス貿易数量/図表6 サービス貿易に占めるEUの割合

雇用情勢は改善、経済活動の本格回復による労働力不足の懸念も

雇用面でもコロナ禍の影響は大きく、完全離脱による変化が見えづらくなっている。

足もとの雇用関連統計は、失業率の低下、就業者数の増加、求人数の増加、賃金上昇率の加速など、コロナ禍からの回復を裏付けるものとなっているが3、指標によって回復の度合いは異なる。失業率は20年10~12月平均の5.2%でピークアウトし、21年4~6月平均は4.7%まで低下しているが、まだコロナ前(19年11月~20年1月平均)の4.0%を上回っている。就業者数は、21年1~3月平均の3,218.1万人まで減少した後、4~6月期は3,222.9万人に回復したが、コロナ前(20年1~3月期平均)の3,300万人に届いていない。

他方、経済活動の再開で一時的に強く押し上げられている指標もある。求人数は、21年5~7月平均が95.3万件とコロナ前(19年11月~20年1月)の81.3万件を超え、現行統計で最多の水準となった。未充足の求人数に対する常用労働者数の割合(欠員率)も全産業で3.2%と過去最高水準となったが、宿泊・飲食が5.2%、芸術・娯楽・レクリエーションが4.5%と、コロナ禍が直撃した業種で人手不足が目立つ。賃金の伸びは、週平均賃金が21年4~6月期平均で前年同期比8.8%に加速している。英国国家統計局(ONS)によれば、前年同期にパンデミックの影響で、宿泊・飲食、小売りなど対面サービスなど低賃金の雇用が減少したこと4や、一時帰休する従業員の給与を部分給付するコロナ対応の政策支援(CJRS)の利用者が増加した反動など特殊要因が押し上げている5

人手不足や、統計上の賃金上昇率の上振れは、時間の経過とともに緩和することが期待される。段階的に縮小してきたCJRSが、今年9月末に終了し、需給のミスマッチの解消も進むと見込まれるからだ。

だが、EUからの完全離脱が、雇用面でのコロナ禍の後遺症を増幅するリスクもある。完全離脱とともにEUとのヒトの移動の自由は終了し、英国では21年初から新たな移民制度が始動した6。技能を重視するポイント制に基づく新制度の下では、低技能労働者への労働ビザは制限されるため、宿泊・飲食や運送業、食品加工業などの人手不足が深刻化するおそれがある。

政府は、人手不足回避策として産業界が求める低技能労働者対象の短期ビザ制度などには慎重な立場だ7。EUとのヒトの移動の自由の終了と新移民制度を、高賃金、高技能、生産性の高い経済への移行につなげたいと考えているからであり、産業界には、EUからの低賃金労働力依存を脱し、技術と自動化に投資し、新たな環境に適合するよう求めている。
 
3 高山武士「英国雇用関連統計(7月)-改善が続き、求人数は過去最高に」(ニッセイ基礎研究所『経済金融フラッシュ』2021年08月18日号)をご参照下さい。
4 労働力調査(LFS)では、公共セクター、医療・ソーシャルワーカーの他、情報通信、金融・保険、専門サービスなどで就業者が増加し、製造業のほか、宿泊・飲食、建設、卸・小売り、運輸・倉庫等で減少している。平均賃金は、雇用が増加した情報通信、金融・保険、専門サービス等で高く、宿泊・飲食、小売り等は、賃金統計の24の業種分類で最も賃金が低いセクターである。なお、金融業は、表紙図表のとおり、PAYE・RTIに基づく集計ではLSFと異なり、増加している。
5 Gov. UK ‘Coronavirus Job Retention Scheme statistics: 29 July 2021 Updated 2 August 2021’によれば、20年3月に導入されたCJRSに基づく一時休業者(furlough)は、20年4月のピーク時には880万人に達し、20年6月末時点の682万人であったが、21年6月末時点(暫定値)では186万人まで減少している。
6 新制度ではEU市民とそれ以外の外国人との区別がなくなり、ジョブ・オファー、適切な技能レベルの職業、必要水準の英語能力の必須要件(合計50ポイント)に加えて、年収、不足職業、学歴などの要件に適合し、合計70ポイントを上回ることが必要になる。但し、詳細はThe UK's points-based immigration system: policy statementをご参照下さい。
7 新制度の下でも、農業に従事する季節労働者に最大6カ月間の滞在を認める試験的枠組みの受け入れ枠を設定する緩和措置は設けられている。

困難なコロナ禍と完全離脱

困難なコロナ禍と完全離脱、移民制度変更の影響の把握

EU市民には、「離脱協定」に基づいて、20年12月末の移行期間終了までに英国に継続的かつ合法的に居住していた場合、「EU定住スキーム(EUSS)」に登録することで、定住資格が与えられることになっている。21年6月末には、EUSSの申請のために設けられた完全離脱後の猶予期間も終了している。英国政府によれば、EUSSには、猶予期間の終了までに601.5万件の申請があり、544.7万件の処理が完了しているが8、登録したEU市民のすべてが英国への居住を継続する訳ではない。最新の人口統計では、19年7月~20年6月の英国の人口6,619.3万人のうち、EU市民は345万人で、EUSSの申請件数を大きく下回っている。EUSSは、移行期間終了時点で5年以上滞在している場合は永住権と同等のSettled(定住)資格が得られ、5年未満の場合はPre-Settled(仮定住)で登録し、滞在が5年に達した時点でSettledステイタスへの切替・申請を行う制度である。処理が完了した申請のうち、定住資格は284.6万件、仮定住は232.9万件を占める。EUSSの申請は、18年8月から試行されており、その後の事情の変化で、すでに英国を離れ、英国に戻る意思を喪失しているケースも含まれる。とりわけ、コロナ禍による就業環境の変化、国境を越えた移動の困難化は、人々の居住や働き方の選択に変化をもたらしていると推察される。

金融業のように業務と共にヒトがシフトする動きも見られる。EUは、EU離脱後の関係として英国が求めた規制や監督体制を同等とし、市場アクセスを認める「同等性評価」に、慎重な立場をとり、完全離脱時も、ごく限られた範囲で、期間を限定した暫定措置に留めた。金融機関は、完全離脱の前から、EU圏内での新規の免許取得やオフィスの拡張などの準備を進め、英国からEU圏内に必要な業務や人員を移した。欧州銀行監督機構(EBA)が今月18日公表した2019年末時点の年間報酬が100万ユーロ(1ユーロ=130円換算で1億3000万円)以上の高額報酬の銀行員に関する統計でも、英国で減少する一方、ドイツやフランス、イタリアなど主要国で増加したことが確認されている9。英国政府統計局(ONS)が、源泉徴収制度(PAYE)のリアルタイム情報システム(RTI)を基に作成している実験統計では、金融・保険業の給与所得者は、コロナ禍の影響が及ぶ以前の2019年夏をピークに減少に転じ始め、行動制限の緩和で全体が急回復に転じた後も、殆ど改善していない(表紙図表参照)。構造的変化が生じた可能性を示しているのかもしれない。

コロナ禍は、世界的に働き方やサプライチェーンを変える契機になると考えられているが、英国の場合、完全離脱と移民制度の変更の影響も加わり、変化が増幅される可能性がある。英国国家統計局(ONS)も、これらの要因が、雇用、人口、移民の流出入にもたらす影響を把握するため、実験統計の活用など、統計の見直し、改善を進めている段階にある。予断を持たずに見て行く必要があろう。
 
8 なお、申請件数は、国籍別にはポーランドが109.1万件、ルーマニアが106.7万件と多く、イタリア54.6万件、ポルトガル41.4万件、スペイン35.3万件と続く。詳細はGov UK ‘EU Settlement Scheme statistics’ をご参照下さい。
9 EBA REPORT ON HIGH EARNERS DATA AS OF END OF 2019 EBA/REP/2021/23
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2021年08月27日「Weekly エコノミスト・レター」)

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