2021年04月09日

炭素国境調整措置の影響-スピード感が重要、受け身では競争力を失う恐れ

総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也

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2課題
ただ、炭素国境調整措置を制度として定着させるためには、国際協調の中で課題を解決して行くことが必要になる。主な課題は3つある。

1つ目は、WTOルールとの整合性の問題5だ。例えば、GATT2条2項(a)およびGATT3条2項で輸入品について認められている「国境税調整」という仕組みが、炭素国境調整措置においても認められるか否かについては、先例がないため専門家の間でも賛否が分かれている。

なお、「国境税調整」は、同種の国内製品に内国税が課されていた場合に、その課税範囲内で、輸入品に課徴金を課すことができる仕組みだ。この条項の適用は、製品そのものか、製造工程において投入された材料や部品などを対象としているため、生産過程において消費されたエネルギーの副産物である炭素などが対象に含まれるか否かについては明確になっていない。

また、GATT1条1項が定める「最恵国待遇規則」は、同種の製品間で待遇に差を設けることを禁じている。これは、実質的な平等を求める規定であり、技術水準や資金調達能力の高い先進国と、それらの能力に乏しい途上国を同じ扱いとすれば、規則に抵触する恐れもある。各国の状況に応じた調整に関する国際合意もないことから、最恵国待遇の理念に則った新たな合意が必要となる。

さらに、輸出時に還付6される環境コストについては、補助金及び相殺措置に関する協定で禁じている「輸出補助金」にあたるか否かも争点になり得る。現時点では先例がないため、幅広い規定との整合性が問われることになる。

2つ目は、制度設計上の課題だ。WTOルールとの整合性を確保しながら、国境調整の方法や対象範囲などを決めて行かなければならない。他国の排出規制の強弱を定量的に捉える方法や製品に体化された排出量を算出する方法など、技術的に難しい課題も多く、税額算定の根拠となる数値を定量化することができたとしても、どの程度の負担を上乗せすることが環境便益を最大化するか、検討する必要がある。前例がないだけに、複雑な方程式を解くことが必要になる。

3つ目は、各国からの反発が予想される点だ。2009年のCOP15では、欧米や日本などの先進国とインドや中国など途上国との間で、炭素国境調整措置の導入を巡って議論が激しく対立した。途上国は、国連気候変動枠組条約の下での長期的協力の行動のための特別作業部会(AWG-LCA)の場において、「一方的な貿易措置の導入を、気候の安定、炭素リーケージ、環境保護遵守の費用を含む気候変動に関する目的であっても禁止すること等の提案」7を行い、炭素国境調整措置を巡る議論はまとまらなかった。対立が激しくなれば、却って国際協調が損なわれることになり、報復措置の応酬に発展する事態にも成り兼ねない。また、先進国と途上国間では、資金使途も問題になり得る。欧州は、すでに炭素国境調整措置を復興基金の返済財源に用いる方針を決めているが、途上国支援に回すべきだとの声が上がることも考えられる。
 
5 経済産業省『「2016年版不公正貿易報告書」補論1 貿易と環境 ―気候変動対策に係る国境措置の概要とWTOルール整合性―』を参照。
6 環境規制の厳しい国からの輸出は不利なることから、生産時に負担した排出枠の価格や負担した炭素税額を、国内企業に返還すること。
7 環境と関税政策に関する研究会「議論の整理」(2010年6月)
 

4――環境政策と産業政策のつながり

4――環境政策と産業政策のつながり~地球規模でサプライチェーンの再構築が加速~

炭素国境調整措置導入が導入された際の影響の大きさは、貿易に体化(embody)された炭素排出量を見ることで、ある程度国別に比較することが可能だ。

体化された炭素排出量とは、貿易品の生産に伴って排出された炭素量のことであり、一部は輸出入の貿易取引を介して移転される。これは、炭素排出量を「消費ベース」で計測する手法であり、通常、統計で用いられる「生産ベース」とは異なる。この手法を用いることの利点は、グローバル化による産業配置の変化を反映した炭素移転の動きを、把握することができる点だ。

貿易に体化された炭素排出量の各国推移を見ると、欧州、米国、日本などの先進国が、炭素の正味輸入国となっている一方で、中国、ロシア、インドなどの新興国が、正味輸出国となっていることが分かる[図表3]。これは、日本やドイツなどで製造業が一定の割合維持されて来た一方で、多くの先進国ではサービス化が進展し、製造業を中国やインドなどに依存していることを反映している。つまり、途上国の炭素排出の一部は、先進国の消費によって誘発されていることを意味している。

このような構造のもとで、炭素国境調整措置が導入された場合、中国やロシア、インドなどに大きな影響が及ぶと考えられる。もちろん影響の大きさは、適用範囲や計測手法などによって変わり得るが、少なくともサービス化の進んだ欧米は、影響を受けにくい構造にあると言える。

このため、新興国にある製造業の優位性は低下し、生産拠点の一部は先進国に回帰して、サプライチェーンの再構築が進むだろう。サプライチェーンの再構築は、新型コロナウイルス対策や米中の覇権争いの激化を受けて、経済安全保障分野における重要なテーマにもなっている。先進国では製造業の囲い込みを図るために、そして、新興国では製造業の流出防止を図るために、環境分野の鞘当ては激しくなることが予想される。
[図表3]貿易に体化された炭素排出量

5――日本企業や産業への影響

5――日本企業や産業への影響~グリーン化の遅れで「産業空洞化」が進む恐れ~ 

実際、各国は将来の産業競争で優位に立つため、環境分野に巨額の投資を計画している[図表4]。日本も2兆円の基金を造成し、10年間で15兆円の民間投資を誘発する計画であるが、諸外国に比べると見劣りする感は否めない。環境分野における競争は、まさに「総力戦」の様相を呈しており、製造部門だけでなく、発電部門や輸送部門など産業界全体、国全体として一体的に取り組むべき課題となっている。
[図表4]カーボン・ニュートラル宣言の内容と政府計画
特に炭素国境調整措置では、「ライフサイクル・アセスメント(以下、LCA)」が導入された場合、日本企業には影響が大きいと予想される。

LCAは、製品の製造から販売・廃棄まで、あらゆる過程における環境負荷を評価する手法であり、すでに欧州や中国では、自動車の排出ガス規制においてLCAの導入が検討されている。製造段階における炭素排出量は、各国の電源構成に大きく依存することになるが、日本の電源構成は、石炭や石油などに由来する火力発電の割合が高く、原子力や再生エネルギーの比率が高い欧州に比べて、製造時の環境負荷は高くなっている[図表5]。LCAが導入されれば、国内製造業の輸出コストは増加するため、生産拠点を欧米など環境負荷の小さな地域に移転する動きが出てもおかしくはない。それが大きな動きとなれば、国内の「産業空洞化」が進む事態にもなりかねない。

なお、欧州では、バッテリーの製造・廃棄に関するLCAの導入が2020年12月に提案8されている。現時点では、製造時排出量の多いバッテリー9だけが対象となっているが、2050年までのカーボンニュートラルを実現するためには、素材や部品などを含む、すべての製造・廃棄段階におけるカーボンニュートラルを実現する必要があり、今後LCAの対象範囲が拡大して行く可能性は高いと見られる。

かつて日本では、1985年のプラザ合意以降の急速な円高の進展などを背景として、製造業の生産拠点が急速に海外に移転するという所謂「産業の空洞化」が加速し、それに伴う国内雇用減少や産業技術力低下などが問題となった。足元で急速に進展する世界的な環境競争に対応を怠れば、過去数度経験してきた「産業空洞化」を、新たに起こすことにもなりかねない。将来の国内産業の基盤を守るためには、相当な覚悟をもって環境競争に臨む必要がある。
[図表5]発電電力量に占める割合
 
8 欧州委員会“Proposal for a REGULATION OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL concerning batteries and waste batteries, repealing Directive 2006/66/EC and amending Regulation (EU) No 2019/1020”
9 フォルクスワーゲンHP“From the well to the wheel”によると、EV(バッテリー電気自動車:BEV)製造時の炭素端出量の43.25%は、バッテリーに由来すると報告している。
 

6――おわりに

6――おわりに

日本では今年、第6次エネルギー基本計画が、夏頃を目途に策定される。2018年に策定された第5次計画では、再生可能エネルギーの主力電源化が掲げられたが、2030年の電源ミックスは、再生可能エネルギー22~24%、原子力20~22%、火力56%(うち石炭26%)であった。今回は、再生エネルギーの比率を50~60%とする方向10で検討が進んでいるようであるが、日本の産業競争力に直結する問題として、これまで以上に注目される。

世界がカーボンニュートラルへと急旋回する中で、各国の政策面の取組みや国際的なルール形成が急速に動き始めている。日本も世界の潮流に乗り遅れることが無いよう、野心的な目標を掲げ、スピード感を持って取り組んで行くことを期待したい。
 
10 経済産業省・総合資源エネルギー調査会 基本政策分科会資料より(2020年12月21日)

(参考文献)

・経済際産業省 世界全体でのカーボンニュートラル実現のための経済的手法等のあり方に関する研究会『日本エネルギー経済研究所説明資料(国境炭素調整措置の最新動向の整理―欧州における動向を中心に―』『電力中央研究所説明資料(米国における国境炭素調整を巡る動向)』、2021年2月17日
・環境省 カーボンプライシングの活用に関する小委員会『「中間的な整理」以降の国内外の動き』、2021年2月1日
・財務省 環境と関税政策に関する研究会『論の整理』、2010年6月18日
・環境省 カーボンプライシングの活用に関する小委員会『中間的な整理』、2019年8月
・経済産業省『「2016年版不公正貿易報告書」補論1 貿易と環境 ―気候変動対策に係る国境措置の概要とWTOルール整合性―』、2016年6月8日
・星野優子,杉山大志,上野貴弘『貿易に体化した CO2排出量の国際比較』Journal of Japan Society of Energy and Resources, Vol. 31, No.4、2010年6月
 
 

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総合政策研究部   准主任研究員

鈴木 智也 (すずき ともや)

研究・専門分野
経済産業政策、金融

経歴
  • 【職歴】
     2011年 日本生命保険相互会社入社
     2017年 日本経済研究センター派遣
     2018年 ニッセイ基礎研究所へ
     2021年より現職
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

(2021年04月09日「基礎研レポート」)

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