2021年04月07日

株価リスクの低下は先行不透明感の払拭と同義か?

金融研究部 主任研究員・年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室・ESG推進室兼任 高岡 和佳子

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1――はじめに

ここ10年間、株価変化率のぶれ幅が徐々に縮小してきたようだ。リーマン・ショックを含む2006年~2010年の5年間と、コロナ・ショックを含む2016年~2020年の5年間におけるTOPIXの日次変化率の標準偏差(ぶれ幅の程度を表す尺度で、以下では、株価変化率の標準偏差を株価リスクと表記する)を比較すると、3割近く低下している(図表1)。リーマン・ショック時は、株価がたった1日で13%近く上昇した日の2日後に10%下落するなど、極端な日次変化率が散見された。2006年~2020年の15年間のうち、日次変化率の絶対値が大きい方から順番に並べて、上位5%程度を極端な変化率と捉え、極端な変化率が発生した日数に着目すると、2006年~2010年は91日で、2011年~2015年の41日や2016年~2020年の45日の2倍に及ぶ。いわゆる異常値による影響で、株価リスクが低下したように見えるだけの可能性もあるが、極端な変化率データを除いて算出した日次株価リスクで比較しても、徐々に株価リスクは低下しており、2016年~2020年は2006年~2010年より2割以上株価リスクが低い。
【図表1】TOPIX日次株価リスクの変化
株価リスクの本質は発行体企業が営む事業の先行きの不確実性および不透明感(以下、事業リスク)であるが、負債比率等の資本構成による影響も多分に受ける。ご存じの通り、リーマン・ショック後、借入金を返済して財務体質を強化する動きがあり、また、ここ数年の株価上昇も著しい。10年前と比べると、負債比率が低下し、これによって株価リスクが低下したとも考えられる。しかし、株価リスク低下の原因は資本構成の変化だけなのか、それとも事業リスクも低下しているのかは分からない。

事業リスクは直接観測できないので、代わりに株価リスクを用いて投資の意思決定を行うことも考えられるが、資本構成の変化も考慮しなければ判断を誤る可能性がある。そこで、株価リスクの低下のうち、資本構成の変化による要因を除去し、事業リスクの変化・推移を確認したい。
 

2――事業リスクの変化の中でも、投資家の…

2――事業リスクの変化の中でも、投資家の事業リスクに対する態度の変化に着目する

企業は事業を通じて社会・経済活動の一翼を担い、その対価として利益を生み出す。理論的には企業の本質的な金額的価値(以下、企業価値)は、将来に発生する利益を現在価値に割り引いた額の総和と考えられる。そして、企業価値から債権者の持分(以下、負債)を差し引いた額が株主の持分である。企業価値の根源である将来利益には不確実性が伴い、将来の利益に対する見通しや割引率を左右する情報が出現するにつれて企業価値が変化し、同時に株主の持分の価値(以下、株式の価値)も変化すると考えられる。
 
株価リスクの本質である事業リスクは事業内容によって異なり、一般に生活に必要不可欠な製品を扱う事業は、売上が安定的なので、景気変動による影響を受けにくく不確実性も小さいと考えられる。自ずと株式の発行体(企業)が営む事業の不確実性が小さいほど、企業価値の変化と株式の価値の変化が小さく、リスクは低くなる。残念ながら真の事業リスクは誰にも分からないので、株価変動パターンから事業リスクの把握を試みる(詳細は3章に記す)が、株価変動から推定できる事業リスクは、投資家の事業リスクに対する選好や態度(リスクの過大・過小評価)の影響を受ける。本稿の関心は事業リスクの低下が起こっているか否かにあると述べてきたが、厳密には、事業内容・構成の変化ではなく、投資家の事業リスクに対する態度の変化にこそ関心がある。
 
TOPIXは東証1部に上場銘柄で構成されるが、銘柄及び構成比は当然のことながら日々変化する。2006年~2010年より2016年~2020年の方が、相対的にリスクの小さい企業が占める割合が高いために、リスクが低下しているという単純な話である可能性がある。そこで、本題の資本構成の変化による影響の分析に入る前に、構成銘柄の変化による影響(寄与率)を東証33業種構成の変化を用いて把握しておく。

図表2の通り、15年間で業種構成は変化し、銀行、電気・ガス、鉄鋼、証券・商品先物取引の順に構成割合の減少幅が大きい。これら4業種のうち電気・ガスを除く3業種の、2006年~2010年における日次株価リスク(TOPIXが極端な変化率であった営業日と同日のデータ除去)は、TOPIXよりも高く、リスク低下に寄与する。全業種に対して、構成割合の変化と2006年~2010年における日次株価リスクを基準に寄与を算出した結果、業種によっては構成比の変化がリスク上昇に寄与するが、全体で捉えると構成銘柄の変化はリスク低下に寄与していた。しかし、日次株価リスクの低下のうち、構成銘柄の変化で説明できるのは25%程度である。3章では、残りの75%相当のうち資本構成の変化でどれくらい説明できるか評価する。
【図表2】業種別構成の変化(TOPIX)

3――資本構成の変化で株価リスクの低下を説明できるか

3――資本構成の変化で株価リスクの低下を説明できるか

将来の利益に対する見通しが変化して企業価値が変化しても、債権者に対しては満期時にあらかじめ決まった金額を支払う義務がある。このため、債務不履行に陥らない限り満期時における負債の価値は変化せず、企業価値の変化は全て株式の価値の変化に集約される。満期前でも、債務不履行に陥る可能性が高くない限り、企業価値の変化分と同じくらい株式の価値も変化すると考えられる。価値の変化分(分子)を変化前の価値(分母)で割ったものが変化率であり、分子が同じなら、分母が大きいほど変化率は小さくなる。企業価値に占める負債の割合が低いほど株式の比率は高くなり、企業価値の変化が株式価値の変化に与える影響は小さくなるので、リスクは低くなる。リーマン・ショック後、借入金を返済し、財務体質を強化する動きがあった。データからも、財務諸表上の総資産に占める負債の割合が低下していることが読み取れる(図表3)。直近のコロナ・ショック後に上昇しているものの、2006年~2010年の水準と比べるとまだ低い状況にある。
【図表3】総資産に占める負債の割合の推移(TOPIX)
しかし、総資産に占める負債の割合が2006年~2010年で25%程度、2016年~2020年で22%程度ならば、株主の持分はそれぞれ75%程度と78%程度と考えられる。投資家の考える事業リスクが時点によらず一定で1ならば、株価リスクは1を株主の持分割合で割った値となる。2006年~2010年で1.33程度に対して、2016年~2020年で1.28程度なので、日次株価リスクの低下のうち、財務体質の変化で説明できるのは5%(1.28÷1.33-1)にも満たない。つまり資本構成の変化だけでは、日次株価リスクの低下を説明できないことになる。従って、投資家が考える事業リスクが時点によらず一定という非現実的な前提が元々間違いで、やはり投資家の事業リスクに対する態度が大きく低下したと考えられるが、別の可能性も考えられる。

繰り返しになるが、企業価値は将来に発生する利益を現在価値に割り引いた額の総和であって、財務会計上の総資産額ではない。近年株価は上昇していることから、投資家が考える時価ベースの企業価値に占める負債の割合は図表3以上に低下している可能性が有る。もちろん、事業リスクが時点によらず一定という前提は現実味がなく、適切ではない。そこで、Engle and Siriwardane(2018)が提唱する構造型GARCHモデルを参考に、時価ベースの資本構成の変化(以下、レバレッジ要因)と、投資家の事業リスクに対する態度の変化(事業リスク要因)によるリスク低下への影響を確認する。
1レバレッジ要因と事業リスク要因をどのように分離するか(企業価値の推定)
レバレッジ要因を評価するには企業価値の把握が不可欠だが、企業価値は直接的には観測できない。そこで、観測不可能な企業価値の推定方法を説明する。2章の冒頭で記したように、企業価値から負債を差し引いた額が株主の持分である。株主の持分が株式時価総額(株式の価値)と一致するならば、負債と株式時価総額を合算することで時価ベースの企業価値を推定できる。単純に考え負債を1とすれば、負債の償還直前の企業価値と負債及び株主の持分の関係は図表4(左)のようになる。企業価値(灰色線)が1を下回る場合は、株主の持ち分(赤線)は0となり、企業価値と負債(青線)が同じ価値となり、債権者も損することになる。企業価値が1を上回ると、企業価値から負債の1を引いた部分が株主の持分となり、価値が正となる。償還直前においては、株主の持分と株式時価総額が一致すると考えられる。

しかし、オプション理論を踏まえると、負債の償還まで十分な期間が残っている場合、株主の持分と株式時価総額とが一致しない。企業は継続しかつ将来の企業価値が確定しないので、その時点では企業価値が1で株主の持分が0(アット・ザ・マネー)であっても、負債の償還時点で企業価値が1を上回り、株主の持分が正となる可能性が有る。負債の償還時点で企業価値が1を下回る可能性もあるが、株主の持分がこれ以上減少することはないので、企業価値が1を上回る可能性だけを考えればよく、その時点では株主の持分が0であっても、株式には負債の償還時点で企業価値が1を上回る可能性に応じた価値がある。企業価値が1を下回る場合(アウト・オブ・ザ・マネー)も、企業価値が1を上回る可能性が有る限り、株式には価値があり、株式の価値が0になるのは、企業価値が1を上回る見込みがないほど、低い場合である。つまり、企業の価値と株式の価値は図表4(右)のようになり、企業価値が1近辺では、負債と株式の価値(=株式時価総額)の合計は企業価値と一致しない。
【図表4】株式の価値と企業価値
そこで、株式を、企業価値を原資産、負債を行使価格とするコール・オプション1に見立て、企業価値を推定する。コール・オプションの価格と株式時価総額とが一致する企業価値を求め、これを企業価値の推計値とする。図表4(右)を例に説明すると、株式時価総額を負債で割った値が、赤実線の高さ(縦軸)と等しくなる点を探し、その点の横軸の値に負債を乗じた値を企業価値の推定値とする。また、株式時価総額を負債で割った値が0に近ければ、横軸は1を下回るので、企業価値の推定値が負債を下回る状況も起こりえる。

オプション価格評価の際に多用されるブラック・ショールズ・モデルにおいて、コール・オプションの価値は、原資産価格、行使価格、原資産価格のリスク、無リスク利子率と権利行使までの期間によって決まる。ここで、コール・オプションの価値は株式時価総額、原資産価格は推定する企業価値、行使価格は負債であり、原資産価格のリスクが事業リスクである。観測不能な企業価値を求めるためには、事業リスクの把握が不可欠だが、残念ながら、事業リスクも直接的には観測不能である。そこで、日次の株価変化率を参考に事業リスクを推計する方法を、次節で説明する。

なお、無リスク利子率は市中金利を参考にすればよく、権利行使までの期間は投資期間で、投資期間が5年という仮定の下での結果を4章に示す。
 
1 コール・オプションとは、あらかじめ定められた将来時点において、あらかじめ定められた商品(原資産)をあらかじめ定められた価格(行使価格)で購入することができる権利である。
将来時点において商品価格が行使価格を上回っていれば、権利を行使することで商品価格と行使価格との差額が収益となり、商品価格が行使価格を下回っていれば、権利を放棄することで損失は発生しない。
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金融研究部   主任研究員・年金総合リサーチセンター・ジェロントロジー推進室・ESG推進室兼任

高岡 和佳子 (たかおか わかこ)

研究・専門分野
リスク管理・ALM、価格評価、企業分析

経歴
  • 【職歴】
     1999年 日本生命保険相互会社入社
     2006年 ニッセイ基礎研究所へ
     2017年4月より現職

    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

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