2020年12月28日

英EU貿易協力協定発効へ-主権回復の見返りはEU市場へのアクセスの悪化-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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コロナ禍で低下するヒトの移動の自由停止への関心

EUとの間でのヒトの移動の自由は移行期間終了と共に停止する。国民投票の後、EUから英国への移民の流入は明確に減少したが(図表2)、EU以外からの移民の流入が増加したことで、直近の20年3月までの1年間では、英国への流入と英国から流出を差し引いた純流入は再び30万人を超えていた(図表2)。EUとのヒトの自由移動を停止し、EU市民とその他の区別をなくしたポイント制の移民制度への切り替えで、経済が下押しされるかは制度の運営次第だろう。
図表2 英国への移民の純流入
そもそも、移民に関する英国内での関心は低下している。国民投票の直前は、英国の有権者の最大の関心事であり(図表3-左)、EU離脱がEUからのヒトの流入に歯止めを掛ける唯一の手段という訴えが響いたとされる。しかし、現在は、新型コロナの感染拡大が圧倒的な関心事であり(図表3-右)、経済の先行きを懸念する割合も上昇している。感染抑制のため、ヒトの移動そのものを制限せざるを得なくなっており、移行期間の終了で、21年には英国は、ヒトの移動に関するコントロールを取り戻す効果は見極め難くなっている。
図表3 世論調査|英国が直面する課題

ジョンソン首相の支持率も低下 

ジョンソン首相の支持率も低下 

ジョンソン首相は、19年12月の総選挙で、単独過半数の議席を獲得する勝利を収め、20年1月末の離脱を実現したが、新型コロナの対応で批判から支持率が低下、足もとでは最大野党・労働党に逆転を許すケースも見られるようになってきた(図表4)。
図表4 世論調査|明日総選挙ならどの政党に投票するか
支持率低下の最大の要因は新型コロナ対応への不満だ。12月27日時点での英国の死亡者数は7万人を超え、世界で6番目に多い7。足もとでは感染力の強い変異種による感染の再拡大で(図表5)、厳しいロックダウンを継続せざるを得なくなっている。雇用や企業支援などコロナ対応の経済対策の規模も、3月の当初予算以降、逐次追加対策を積み上げた結果、時間の経過とともに膨らんでおり、財政責任局(OBR)の推計では11月25日までに新型コロナ対策の予算はGDP比16%相当、2800億ポントに達している(図表6)。
図表5 英国における新型コロナ新規感染確認数と死者数
図表6 2020年度の英国の新型コロナ対策費の推移
 
7 COVID-19 Dashboard by the Center for Systems and Engineering at Johns Hopkins Universityによる。米国、ブラジル、インド、メキシコ、イタリアの死者は英国を上回る。
 

コロナ禍とEU離脱で委縮する投資。

コロナ禍とEU離脱で委縮する投資。英国でもグリーン投資が新たな牽引役として期待

EU離脱を巡る不透明感は、国民投票で離脱を選択してから英国でのビジネス投資の伸び悩みの要因となってきたが、足もとはコロナ禍による打撃も加わり、世界金融危機を大きく上回る落ち込みとなっている(図表7)。英国国家統計局(ONS)によれば、投資の遅延や中止の理由としてEU離脱と答える割合は2019年から2%前後で推移してきたが、新型コロナと答える割合はピークの2020年4~6月期には53%、7~9月期も35.4%を占めた。コロナ禍の影響は、感染拡大の沈静化により緩和すると期待されるが、EU市場へのアクセス悪化が重石となって、水準を取り戻すまでにかなりの時間を要する可能性がある。
図表7 英国の実質ビジネス投資
EUは新たな成長戦略「欧州グリーン・ディール」による復興を目指すが、英国も11月に2050年温室効果ガス排出量の実質ゼロに向けた「緑の産業革命」の10項目計画を明らかにしている(図表8)。グリーン化投資が、ポスト・コロナとポスト・ブレグジットの英国経済の新たな牽引力となるのかが注目される。
図表8 「緑の産業革命」の10項目

「グローバル・ブリテン」を目指す英国の難路

「グローバル・ブリテン」を目指す英国の難路

離脱派が描いた英国の未来像はEUの法規制という制約から離れ、世界へ広がる「グローバル・ブリテン」だ。

21年には、グローバル・ブリテンへの歩みが本格的に始まる。21年初には、EUとの新協定ともに、日英EPAなど、英国がEU加盟国として締結した自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)の再締結した協定も発効する。英国が、FTA/EPA(経済連携協定)締約国や一般特恵関税制度(GSP)を適用する開発途上国以外に適用する関税率は、EUの共通域外関税(CET)から、英国独自のグローバル関税(UKGT)に切り替わる。UKGTでは、畜産品、セラミック製品、化学品などでは関税率を維持、乗用車の関税はCETと同じ10%、部品はCETよりも低いが、関税撤廃は見送ったが8、CETよりも関税ゼロの品目が多く、端数の切り下げの効果もあり平均関税率は7.2%から5.7%に下がる9。英国は、21年早々にも環太平洋経済連携協定(TPP)への加盟を申請する方針だ。

しかし、これだけで、貿易や投資で半分ほどのウェイトを占めるEU市場へのアクセスが悪化する不利益を補うことは難しい。

国民投票の時点では、米国、中国、インドという大国との関係強化が期待されていたが、わずか4年半で国際情勢は大きく変わり、英国の思惑通りに展開することは難しくなっている。米国の大統領は、EUを敵と呼び、EU離脱を支持したトランプ大統領からアイルランドにルーツを持ち、EU離脱がアイルランド和平に及ぼす影響を懸念するバイデン大統領に替わる。中国との関係も、キャメロン政権期には「蜜月」と言われたが、米中対立は先鋭化し、英国との関係も香港の国家安全維持法を巡る対立などで冷え込んでいる。インドは、アジア地域包括的経済連携(RCEP)参加を見送るなど、保護主義的傾向を強めている。
 
8 GOV.UK, “Check UK trade tariffs from 1 January 2021(https://www.gov.uk/check-tariffs-1-january-2021
9 Stevens & Bolton LLP “Changes to imports in 2021 - The UK Global Tariff”,17 Aug 2020
 

EU市場への自由なアクセスだけでなく…

EU市場への自由なアクセスだけでなく、連合王国の一体性を手放すことになるリスクも

EU離脱プロセスを完遂したジョンソン首相は、国民投票での民意の実現を誇ったが、今後問われるのは、EU離脱が、英国にとってのより良い未来、雇用、所得の改善につながる選択であったのかだ。

21年から、北アイルランドは、アイルランドとの国境の厳格な管理を回避するため、英国の関税地域の一部ではあるものの、財のEU規則が適用され、事実上EUの単一市場に残留する変則的な形となる。

スコットランドは、国民投票で 62%と明確な過半数が残留を支持したことから、EU離脱そのものに反対しており、「ハードな離脱」が現実となれば、不満は一層高じるだろう。スコットランドは21年5月6日に議会選挙を予定するが、世論調査では、独立機運の高まりとともに、独立の是非を問う住民投票を掲げる第1党のスコットランド民族党(SNP)の支持も固くなっている10

EU離脱と新協定の発効は、EU市場への自由なアクセスだけでなく、連合王国の一体性まで手放すことに発展しかねないリスクは気掛かりだ。
 
 
10 例えば、The Scotsman/Savanta ComResの世論調査(https://www.scotsman.com/news/politics/poll-shows-scottish-independence-support-surging-joint-record-levels-snp-set-majority-3070791)では、住民投票が行われた場合、独立に賛成すると答えた割合が52%、2年以内に住民投票をすべきと答えた割合が40%、21年5月の議会選挙でSNPに票を投じると答えた割合が55%だった。
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

(2020年12月28日「Weekly エコノミスト・レター」)

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