2020年12月28日

英EU貿易協力協定発効へ-主権回復の見返りはEU市場へのアクセスの悪化-

経済研究部 研究理事   伊藤 さゆり

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土壇場での合意成立で協定なき移行期間終了は回避 

12月24日、英国と欧州連合(EU)が関税ゼロ、数量規制なしの自由貿易協定(FTA)を柱とする「英EU貿易協力協定」(以下、新協定)で合意した。今月31日に迫ったEU離脱による激変緩和のための移行期間終了まで1週間という、まさに土壇場での合意成立だ。

今後、EUと英国がそれぞれ発効に向けた批准手続きを行う。当然、合意した法案を、両議会が通常行うような精査の時間はない。英国は12月30日に議会を招集、採決を行う。EU側が、欧州議会が年内の同意手続きの最終期限とした12月20日を過ぎての合意となったため、閣僚理事会による承認による暫定発効とし、年明け後、欧州議会の同意手続きを経て正式発効する。

21年初から英国と欧州連合(EU)の関係は「貿易協力協定」に基づく関係に変わる。但し、協定は5年毎に見直しを行い、12カ月前に通告することで停止もできる。
 

英国はEUから前例のない好条件を引き出し、主権奪還の成果を誇る

英国はEUから前例のない好条件を引き出し、主権奪還の成果を誇る

新協定の1200ページにわたる全文の公表は12月26日にずれ込んだ。合意を発表した24日の段階では、英国、EUは、それぞれ協定の概要を紹介する文献のみを公開したが、それぞれの文書から受ける印象はかなり異なり、双方の交渉への姿勢が伺われる。

英国側の文書1では、今回の協定で、EUから関税ゼロ、数量規制なしという前例のない好条件を引き出しつつ、4年半前の国民投票での公約の主権の奪還を実現する協定をまとめた成果を誇っている。

実際、英国がEUから異例の対応を引き出したことは間違いない。短期間での協定の合意、柔軟な発効手続きも、主権の奪還の遅れを意味する移行期間の延長を拒否した英国の要請にEUが応えたものだ。

英国の文書は、合意は、EU法ではなく、国際法に基づくもので、欧州司法裁判所の関与も、EU法への順守の義務も負わないことも強調している。国民投票では、EU離脱のベネフィットとして、EUとのヒトの移動の制限の回復、EU予算への拠出金の奪還が注目されたが、議会主権、慣習法の伝統を持つ英国にとって、EU法の優位の原則、欧州司法裁判所の管轄権からの離脱は、より本質的な問題でもあった。移行期間が終われば、EUとのヒトの移動の自由は終了し、新たなポイント制に基づく移民制度に移行、EU予算への拠出も終了する。新協定は、EU法の支配を終わらせるものでなければならなかった。

EUが、FTAの条件として求めた競争条件の公平性の確保でも、英国側の文書には、EUは、補助金や、社会・労働、環境・気候などの領域ではEUの規制強化に英国も追随するdynamic alignmentの要求を取り下げたこと、いかなる形でも、欧州司法裁判所が関与しないことを強調している。替わりに、ともに高い水準を維持するnon-regressionを約束し、乖離が生じた場合には、調停を求め、一方の措置で他方が被った損失に対して報復措置を講じる権利を双方に認めることで決着した。

紛争解決のメカニズムの互恵性、平等性も強調されている。双方の協議でも合意に達しない場合、独立した仲裁パネルを設置、違反が認定されても修正や補償に応じなければ、他方は義務を停止できる。英国は、EUが第3国に開放しているプログラム2には、相応の金銭の拠出により継続して参加することを認められるが、これに関わる紛争処理も独立仲裁機関が担う。

筆者は、そもそも、英国がEUに求めたのが「カナダ型FTA」であったことに対して、EUの規制強化への一方的な追随を求めるのは過剰であり、実現は難しいと考えていた3。交渉の結果からは、EUは、当初、敢えて高い要求を突きつけて、妥協の余地を確保し、最低限のラインを維持したように思われる。

主権の奪還の象徴として、最後まで対立点として残った漁業では、EUの「共通漁業政策」からの離脱と独立した沿岸国家としての権限回復を誇っている。交渉の結果は、EUに英水域で現在と同じ漁獲量を認める移行期間は5年半、漁獲割当の返還の割合は25%となり、EU側が当初提示した14年よりも短く、18%よりも引き上げられたという。漁業権を巡る対立は、離脱の成果として領海の主権を回復したい英国と、限定的かつ段階的な返還で激変を緩和したいEUの対立の構図はわかりやすいが、この分野でもEUは予め譲歩の余地を確保していたように思う。漁業がGDPに占める割合は英国、EUともに0.1%以下に過ぎない。EU加盟国で、この問題に関心を持つのはフランス、オランダ、スペインなどの一部に留まる。漁業権での対立が解消できず、協議が決裂することは考え難かった。
 
1 “UK-EU Trade and Cooperation Agreement Summary” (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/948093/TCA_SUMMARY_PDF.pdf)
2 例えば、研究とイノベーションのため「ホライズン・ヨーロッパ」や「欧州原子力共同体(ユーラトム)研究訓練プログラム」など
3 Weekly エコノミスト・レター 2020-1-24「離脱後の英国とEUの協議-EUは移行期間延長もゼロ・ダンピングの確約も得られない-」及び基礎研レター2020-9-29「迫るブレグジットの移行期間終了-英EU協議決裂と英国分裂リスクをどう見るか?-」をご参照下さい。
 

EUは単一市場へのアクセスへの制限を強調

EUは単一市場へのアクセスへの制限を強調

EU側の文書では4、新協定は、英国が、EU法の支配から離れ、単一市場、関税同盟を去ることで生じる不利益を部分的に緩和するが、単一市場へのアクセスは悪化する点を強調している。EUの文書からは、英国が、主権の回復のために英国が何を手放したのかがわかる。

財の移動に関しては、移行期間までは不要だった通関手続きや付加価値税、物品税の支払いコストは発生する。規制体系も異なるものとなるため、英国の製造業者が、EU市場での販売を望む場合には、EU機関から規制への適合性の承認を受ける必要が生じる。

関税ゼロの適用を受けるための原産地証明は、輸出業者による自己証明を可能にし、原産地規則は、英国が求めたカナダ型と同じ協定締約国の領域で行われる非現産品への作業または加工のすべてを加算して考慮に入れることができる「全累積」を採用する。通関手続きの負担軽減やモノの移動の簡素化のため、信頼できる貿易業者を認定するプログラムの相互承認や、リスクの低い製品の国際標準を共通の参照値とし、生産者の自己申告を認めること、ワイン、オーガニック製品、自動車、医薬品、化学品については、付属文書として、不必要な非関税障壁低減の協力に関する合意もまとめられている。

財の移動が自由な単一市場を離脱し、新協定に基づく関係に移行することで生じる負担は、業種によっても、企業によっても異なる。今後は新協定の詳細から影響を評価し、戦略を再考する動きも出てくるだろう。
 
4 European Commission “EU-UK Trade and Cooperation Agreement: A new relationship, with big changes - Overview of consequences and benefits” 24 December 2020及び”EU-UK Trade and Cooperation Agreement: A new relationship, with big changes - Brochure” 24 December 2020
 

限定的なサービス分野の合意。

限定的なサービス分野の合意。金融サービスの同等性評価は協定の範囲外

サービス分野では、英国は単一市場からの離脱で「母国法主義(母国の法令等で許可されている場合、他の加盟国の許可を得ることなく、その国でサービスを提供し得る)原則」の適用外となる。EUでサービスを提供するには、加盟国毎に異なる規則に適合するか、EU圏内に拠点を新設する必要がある。単一の規制体系の下で規制当局からの単一の承認で、単一市場内での金融サービスを提供する自由を認める金融業の単一パスポートも失う。

新協定は、サービス分野もWTOルール以上の内容と説明されているが、規制や資格の相互承認といった、単一市場離脱の不利益を緩和する取り決めはなく、英国の事業者のEU圏内でのサービスの提供の自由度は低下する。ジョンソン政権は、主権の奪還の観点から、規制の独立性確保を求め、EUも単一市場の「いいとこどり」は認めない方針で臨んだ結果である。

金融サービスの同等性評価や、データ保護規則の十分性認定は、EUの一方的な判断に基づくものであり、新協定の範囲外とし(表紙図表参照)、EUは合意に合わせた判断も見送った。そもそも、金融サービスの同等性評価は、単一パスポートのように業務を横断的にカバーするものではなく、対象外の業務もある5。規制の乖離が生じた時点で、EUが予告なく取り消すこともある。金融分野で、EUが同等性を認めているのは、英国を拠点とする中央清算機関(CCP)に関して2022年6月末まで一時的な同等性を認め、EU内の金融市場参加者による英国のCCP利用を引き続き可能にするという判断だけだ。在英国金融機関は、すでに単一パスポートの適用除外に備えてEU圏内への拠点の新設や拡張し体制を整えており、規制変更への対応は粛々と進むだろう。

ジョンソン首相は、12月24日のEUとの合意に関する声明で「6600億ポンド相当の最大の貿易協定」と表現した6。英国国家統計局によれば、英国のEUとの貿易総額は19年で6620億ポンドだが、およそ3分の1相当の2234億ポンドはサービス貿易が占める(図表1)。サービスに関する内容の乏しさから、いささか誇張された表現と感じられる。
図表1 英国の対EU、対その他地域との貿易額(2019年)
 
5 内容やパスポートの利用状況については、ニッセイ基礎研レポート 2017-03-31「英国のEU離脱とロンドン国際金融センターの未来」をご参照下さい。
6 GOV.UK, “Speech Prime Minister's statement on EU negotiations: 24 December 2020” (https://www.gov.uk/government/speeches/prime-ministers-statement-on-eu-negotiations-24-december-2020
 

新協定で無秩序な離脱は回避できたが、内容は「ハードな離脱」

新協定で無秩序な離脱は回避できたが、内容は「ハードな離脱」

主権の奪還を重視したジョンソン政権がまとめた新協定の内容は、経済的な打撃が大きい「ハードな離脱」だ。

新協定発効の目途がついたことで、新型コロナの感染拡大に見舞われる中で、合意がなき移行期間の終了という二重の混乱を回避する土台は構築された。

しかし、新協定に基づく関係の切り替えによる激変を緩和する「移行期間」は、EU側が望んだ漁業や、北アイルランド議定書の運営のために別途合意した北アイルランドの食品輸入業者へのEUの食品安全基準証明の3カ月免除といった限定的なものに限られる。

但し、英国では、移行期間終了に伴う一方的な激変緩和の措置を準備している。通関業務の混乱回避のため、英国政府は21年1月1日から多くの品目で通関申告手続きを最長6カ月間猶予し、関税の支払いも通関申告時まで繰り延べを認める方針を示している。製品安全基準適合マークもCEマークからUKCAマークに切り替わるが、22年1月1日まではCEマークの使用を引き続き許可、EU型式認証の車両も、英国当局が発行する2年間有効の暫定認証を取得した場合は、2020年12月末以前に製造されたものであれば流通を認める。金融サービスでは、一部主要な業務を除き、新規制への対応を2022年3月末まで猶予する。

それでも、単一市場、関税同盟離脱の影響が広範囲で、新協定による恩恵を受けるために手続き等が必要になるため、新たな関係が定着するまでには時間が必要だろう。英仏間のドーバー海峡では、クリスマスと重なった英国における新型コロナの変異種の感染拡大対策の輸送制限で混乱が生じたが、移行期間終了による通関手続きの発生や企業の対応の遅れで、物流がなかなか正常化しないリスクは残る。

移行期間終了時の短期的な混乱以上に注目すべきは、英国とEUの間に規制などの壁が新たに出現することによる中期的な影響だ。

メイ政権期の18年11月に英国政府がまとめたEU離脱の長期的な経済の影響に関する試算では、GDP押し下げ幅は、合意なしの7.7%に対して、平均的なFTAでは4.9%と打撃は縮小するが、例えば単一市場に留まる場合の1.4%に比べると大きい。単一市場からの移民の純流入がゼロの場合は、合意なし9.3%、FTAの6.7%である。
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経済研究部   研究理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州経済

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