2020年09月29日

迫るブレグジットの移行期間終了-英EU協議決裂と英国分裂リスクをどう見るか?-

経済研究部 研究理事   伊藤 さゆり

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1――はじめに-再浮上する「合意なし」リスクと英国内の対立

今年1月末に欧州連合(EU)を離脱した英国の移行期間終了が3カ月後に迫ってきた(図表1)。移行期間は、EU離脱による激変を緩和し、英国とEUが新たな関係についての協定を協議し、発効手続きを進めるために設けられたものだ。英国は、すでにEU機関の参加資格を失っているが、EUの関税同盟と単一市場に残留しており、EUの法規制とEUが締結している国際協定などが適用されている。

移行期間の終了が迫るに連れて、英国とEUの協議が決裂し、「合意なし」で移行期間が終了するリスクが浮上してきた。移行期間は、今年7月1日以前に英国とEUの合同委員会が承認すれば「1回限り1年ないし2年」延長できた。しかし、6月の段階で英国が延長を見送る方針を通知、EUとの間で離脱協議を加速することで合意した。英国とEUの協議は、3月2~5日の第1ラウンドに始まり、9月7~11日の第8ラウンドの協議を終え、9月28日から10月2日までの第9ラウンドが始まった。ジョンソン首相は、10月15日、16日のEU首脳会議前の合意を目指してきたが、対立点が埋まっていない上に、9月9日に英国が離脱協定の最大の難関であった北アイルランドとアイルランド共和国の国境管理に関する取り決めを反故にする内容を含む「英国国内市場法案(United Kingdom Internal Market Bill)」の制定に動き出したことが、交渉妥結の大きな障害として出現した1。ジョンソン政権は、離脱協定に抵触する行為を実行する前に英国議会下院の承認を得る条項を加えることを決めたが、その目的は、英国国内、特に与党保守党内での造反を抑えることにある。9月末を期限に問題個所の削除を求めるEUの要求には答えておらず、大詰めの段階を迎えた協議の行方に影を落としている。

英国とEUの協議は、離脱協定をまとめる段階でも難航し、当初期限の延長などを経て、ぎりぎりで譲歩するパターンが繰り返されてきたが、今回は、英国とEUの双方がコロナ禍という非常時にあり、企業も家計も、政策的な面でも、合意なき移行期間終了に備える余裕は乏しくなっている。

英国国内市場法案は、EUとの関係ばかりでなく、英国政府と自治政府との関係悪化にもつながっている。

以下、離脱後の英国とEUの協議と英国国内市場法案内容を、主な対立点や潜在的リスクという観点から確認した上で、今年末の移行期間終了後に想定される3つのシナリオとその実現可能性、連合王国としての英国の統合に及ぼす影響について考察する。
図表1 英国のEU離脱後の主な出来事と今後のスケジュール
 
1 欧州委員会のフォンデアライエン委員長は、9月16日の欧州議会における施政方針演説(European Commission (2020)で、英国との協議は「望み通りには進展せず」、「残された時間はごく僅か」で「合意が時間通り成立する可能性は日々薄れ始めている」と述べた。
 

2――英EU新協定の協議

2――英EU新協定の協議

1|将来関係に関する政治合意
離脱後の英国とEUの協議は、離脱協定とともにまとめた「政治合意」が叩き台となっている(図表2)2。英国とEUの将来関係協定は、物品からサービス、デジタル、漁業などをカバーする経済関係だけでなく、安全保障のパートナーシップ、制度的な枠組みやガバナンスまで幅広い領域にわたる。

経済パートナーシップの内容は「ハードな離脱」と言えるものだ。新協定が発効した場合、関税はゼロ、数量規制はなくても、規制の乖離という非関税障壁が出現する。新たな税関手続きや、規制要件への適合が必要となるため、モノの移動の自由度は移行期間までに比べると大きく低下する。サービス市場のアクセスは、EU加盟期間中や移行期間中のように自由ではなくなり、ヒトの移動にも制限が加わる。

英国経済にとって最大の貿易・投資のパートナーであるEUの単一市場、関税同盟からの離脱は、どのような形をとるにせよマイナスになる。マイナスの度合いは、EUの関税同盟、単一市場へのアクセスの度合いによって変わる。ジョンソン政権が求める経済パートナーシップ協定の場合、規制の独立性を確保するなど英国が権限を取り戻す度合いが大きい「ハードな離脱」であり、EU市場へのアクセスに関する障壁が高くなる。「合意なし」で、WTOルールに基づく関係に移行する場合に比べれば打撃は抑えられるが、マイナスの影響は決して小さくはない3。仮に、移行期間終了とともに新協定に基づく関係に移行しても、経済にはマイナスの影響が加わる点に注意が必要だ。
図表2 英国とEUの将来関係協定の政治合意
 
2 政治合意の内容及びEUの交渉スタンスについては、Weekly エコノミスト・レター 2020-01-24「離脱後の英国とEUの協議-EUは移行期間延長もゼロ・ダンピングの確約も得られない-」をご参照下さい。
3 ジョンソン首相の提案とメイ前首相の合意及びWTOルールによる経済的な影響の試算としてはUK in a changing Europe(2019)がある。試算によれば、貿易を通じた影響を生産性への効果を加えて調整した場合は、EU加盟を継続した場合に比べて、一人当たり所得はメイ前首相の合意ならマイナス4.9%、ジョンソン首相の提案なら6.4%、WTOルールなら8.1%低下する。
2|残る対立点
9月7~11日の第8ラウンドの協議を終えた時点で、英国とEUの最大の対立点となっているのが競争条件の公平化だ。

EUは、新たな協定には、EU市場へのアクセスに応じた競争条件の公平化を確保する強固な枠組みを組み込む方針であり、その旨は「政治合意」にも明記されている。第8ラウンドの協議終了後、EUのバルニエ首席交渉官は4、社会及び雇用面や環境・気候変動について現在共有している基準からの引き下げを行わないことを約束する非退行条項(non-regression clause)」で合意できていないことを明らかにした。また、企業への国家補助(補助金)について、英国政府が世界貿易機関(WTO)のルールやその他の国際的な合意に従う方針を示した5ことを歓迎しつつ、「政治合意」で確認したレベルとはなお大きな乖離があるとした。

その他、バルニエ首席交渉官は、英国政府の方針が明確でない領域として挙げたのは、信頼に足る水平な紛争解決メカニズム、司法協力と法の執行に関わるセーフガード、運輸とエネルギー分野での競争条件公平化、漁業協定、第3国に対する衛生・植物検疫(SPS)である。

他方、英国は、国家補助のルールの裁量の余地を取り戻すことを、EU離脱によるベネフィットとして重視し、雇用を守り、新規産業を支援するための柔軟性を確保することを望んでいる。EUの国家補助のルールは「欧州委員会が単一市場内での競争を歪曲する補助金を監視する役割を担う独特の法体系」として暗に批判し、移行期間終了後に、より簡素なルールに改める方針である。
 
4 Statement by Michel Barnier following Round 8 of negotiations for a new partnership between the European Union and the United Kingdom, 10 September 2020 (https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/STATEMENT_20_1612)
5 GOV.UK(2020), ‘Government sets out plans for new approach to subsidy control’, 9 September 2020
 

3――英国国内市場法案

3――英国国内市場法案

1|法案の概要
英国国内市場法案は、移行期間終了後、英国を形成するイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4地域間の財やサービスの取引に障壁を生じさせないためのルールを規定するものだ。歴史的には4地域は別々の王国であり、イングランドが他を吸収・合併し、連合王国を形成するようになった。英国における地方分権はdevolutionという単一国家と連邦制の中間的な独特の形態をとる6。労働党政権下の98 年に成立した各地域に分権議会を認める法律の下で、翌99 年からそれぞれの地域に議会が設置され、国会の権限の一部が各地域議会に委譲されてきた。北アイルランドへの分権は、ベルファスト合意(1998年)による和平を前提に進められた。

英国の地方分権は、主権を有するウェストミンスターの国会の強大な権限を前提としている点が特徴だ、国会には地域議会の決定を修正し取り下げる権利が残されている。

また、権限の委譲が不均一である点も特徴だ7。英国全体の人口の84%を占めるイングランドには地域議会はなく、権限移譲も進んでいない。3地域の議会の権限の範囲も、歴史的な経緯や、独立の機運、イングランドとの関係などからくる違いがある。

英国国内市場法案は、EUとの交渉に関わる離脱協定違反がクローズアップされているが、主旨は移行期間の終了により、EUから取り戻す規制や基準を設定する権限、例えば、食の安全や補助金、農業、漁業、環境規制などについての英国内での分担を規定することにある。法案は、相互承認と無差別を原則とする。各地域の自治政府による規制や基準を設定する権限を広く認めると同時に、国内市場の一体性を確保するため他地域の財・サービスは受け入れることを求める。

EUとの協議で焦点となっている国家補助のルールについては、英国の所轄大臣が権限を有することを規定する(第46条、第47条)。
 
6 石見 (2009)の定義による。Bogdanor(2019)は連邦制との違いとして権限移譲の非対称性と、権限を委譲した領域でも国会が主権を保持していることを挙げている(pp.185-189)。
7 田中(2014)、山崎(2017)などを参照のこと。
2|離脱協定との関係
国内市場法案の第5部は、EUと締結した離脱協定のアイルランド議定書の北アイルランドとアイルランド共和国に関する条項の一部を英国政府が一方的に変更できる内容が盛り込まれている。

EU離脱により英国とEUの唯一の陸続きの境界となるアイルランド国境付近に物理的な境界の設置をいかに回避するかは、離脱協定の交渉の優先課題の1つであり、最後まで残された課題だった。北アイルランドでは、ベルファスト合意まで30年にわたる英国への帰属の継続を望む「ユニオニスト」とアイルランド共和国との統一を望む「ナショナリスト」のテロと暴力の応酬により、3500人余りの犠牲が出ている。英国とEUは、和平を守るために、国境近辺への物理的な境界の設置は回避すべきという点では速やかに一致したが、英国にとっては「EUの単一市場、関税同盟からの離脱」と「英国の一体性の確保」のどちらかを犠牲にする選択を迫られることになった。

最終的には、(1)北アイルランドは、英国の関税区域として英国の関税率、FTAが適用されるが、EUの単一市場の一体性を守るため、一部の規制と調和を図る、規制には付加価値税率、物品税、製品要求事項、衛生・植物検疫(SPS)、農産物生産・販売ルールのほか、国家補助が含まれる、(2)北アイルランドに流入する物品にEUの関税率を適用し、EU圏内に流入せず、北アイルランドに留まる場合は差額分を払い戻す、(3)税関の検査はアイルランド島内では行わず、検査は英国当局が実施することを決めた。新たな方式は、新協定での代替策の合意がなければ、移行期間終了とともに始動する。継続の是非は、移行期間終了から4年後、その後も4年毎に北アイルランド議会が単純過半数で決定し、議会が継続を拒否した場合、2年後には停止し、英国とEUの合同委員会が対案を提案する(図表3)。

この枠組みは、ジョンソン首相が就任後、メイ前政権がEUと合意した「英国全土が関税同盟に残る」というバックストップ(移行期間終了時に将来関係協定が発効しない場合の安全柵)に置き換える形で離脱協定に盛り込まれた。メイ前首相は、「英国の一体性」を優先し、「関税同盟からの離脱」を断念しようとした8。ジョンソン首相の修正は、アイルランド海上に事実上の境界を設けるもので、「英国の一体性」を部分的に放棄することを選んだはずだった。

しかし、英国国内市場法案では、(1)北アイルランドと英国の財の移動に新たな検査は導入しない(第41条)、(2)通商協議で代替的な枠組みで合意できない場合、英国の所轄大臣が物品の移動に関するルールの改変や適用しない権利を有する(第42条)、(3)英国の所轄大臣が、北アイルランドに対するEUの国家補助ルールの適用に関する合意を適用しない、ないし、修正する権利を有する(第43条)とした。

国内市場法案の第45条では、42条、43条の規定が、国際法や英国内法に違反ないし非適合の場合でも、効力を有すると規定する。発行済みの国際法である離脱協定への違反を認めていることが、与党・保守党からも批判を浴びた。
図表3 離脱協定・アイルランド議定書の国境付近での物理的な境界設置を回避する取り決めの概要
 
8 メイ政権は、17年6月の総選挙で過半数を割り込んだことで、アイルランドの地域政党DUPの政権協力を受けることになり、DUPが、北アイルランドは英国の他の地域と同じ条件で離脱しなければならないと主張していたことが影響した。

 
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経済研究部   研究理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州経済

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