2020年01月15日

幸福度が高まると労働者の生産性は上がるのか?-大規模実験を用いた因果関係の検証:プログレスレポート-

保険研究部 准主任研究員 岩﨑 敬子

文字サイズ

1――はじめに

従業員の健康の維持・向上の取り組みに企業の注目が集まっている。図1aにみられるように、日本では「健康経営銘柄」に選定されるために必要である健康経営度調査への回答企業の数が2015年には493件だったが、2019年には1,800件と約4倍になり、その注目の高まりが確認できる。
図1. 従業員の健康やウェルビーイング(幸福)への企業の関心の高まり
さらに、従業員の身体的な健康だけでなく、精神的な充実を含めたウェルビーイング(幸福)の維持・向上のための取り組みが、世界的に注目されている。図1bにみられるように、米国で3年以内に従業員の健康と幸福のための投資を増額する予定だと答えた企業は、2015年の調査では38%であったが、2018年の調査では81%と2倍以上の割合になった。さらにCHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)という従業員の幸福を維持・向上させるという目的に特化した役職を取り入れる企業が世界的に増加し、従業員の身体的な健康だけでなく、精神的な幸福への投資が広がる流れがみられる。こうした流れの中、日本でもCHOの役職を導入する企業が出始めており2、今後従業員の精神的な幸福の維持・向上のための投資への注目は、さらに高まりを見せることが予想される。

では、従業員の幸福度を高めることは企業の生産性の向上につながるのか?これまでの相関関係を中心にした研究では、幸福度と生産性の正の相関関係が確認されてきた。参考に、図2のように、OECD各国の幸福度と1時間あたりの労働生産性の関係をプロットしてみると、正の相関関係が確認できる。図の中で、赤点にあたるのが日本で、日本はOECD諸国の中では、幸福度も生産性も低い位置にあることが確認できる。
図2. OECD諸国の幸福度と生産性
しかし、こうした相関関係の存在は、幸福度が生産性を高めるという因果関係を証明するものではない。生産性の高まりが幸福度を高めるという逆方向の影響や、その国の文化や慣習等の別の変数が生産性と幸福度の両方に影響を与えている可能性が考えられるからだ。そして、実際に幸福度と生産性の因果関係を証明した実証研究は多くなく、この因果関係の不透明さは企業による従業員の幸福への投資を難しくする要因の一つであると考えられる。

こうした課題意識から幸福度と生産性の因果関係を検証した研究にOswald et al. (2015)3がある。Oswaldらは英国の大学の学生を対象にいくつかの経済実験を実施し、幸福度と生産性の間に因果関係があることを実証した。ニッセイ基礎研究所では、この研究を参考にして、日本の成人を対象に、独自の大規模WEB実験調査を実施した。本稿では、この独自の大規模実験調査のデータを用いて、幸福度を高めることが労働者の生産性をあげる可能性がある、という因果関係の存在を示した分析結果を紹介する。
 
1 詳細な分布は、水野友理那「健康経営は株価に影響を与えるのか?」基礎研レター (https://www.nli-research.co.jp/files/topics/61103_ext_18_0.pdf?site=nli)参照
2 東京新聞 2019年10月24日、https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201910/CK2019102402000124.htmlアクセス)
3 Oswald, J., E. Proto, and D. Sgroi. (2015) Happiness and productivity. Journal of Labor Economics, 33 (4). pp. 789-822.
 

2――調査データについて

2――調査データについて

1調査概要
全国の20~69歳の男女4を対象に、全国11地区の性別、年齢の分布を国勢調査の分布に合わせて回答を収集した5。回答数の合計は6,201件。そのうち、一定の基準に基いて不正確と考えられる回答を除いた、5,309件を用いて分析を行った。
 
4 株式会社クロス・マーケティングのモニター会員
5 「被用者の働き方と健康に関する調査」
2実験の設計
調査にはランダム化比較試験(RCT)を含めた。RCTとは、対象を無作為に複数のグループに分け、あるグループ(トリートメントグループ)には、何等かの介入を行い、他のグループ(コントロールグループ)にはその介入を行わないことで、トリートメントグループに行った介入の効果を測定する手法である。もともと医学分野で、あるグループには新薬を与え、他のグループには従来の薬もしくはプラシーボ薬を処方することで新薬の効果を確認するという目的で用いられていた手法である。しかし、2019年のノーベル経済学賞受賞者達がこのRCTを開発経済学の分野に取り入れた研究の功績が評価されて受賞したことにも見られるように、近年RCTは様々な分野で因果関係を解明する手法として取り入れられている。
図3. ランダム化比較試験の設計
私たちのRCTの実験設計は図3のように、5ステップに分かれる。まず、1ステップ目として、動画を見る前の全員の感情の状態を測定した。そして、2ステップ目として、1分程度の動画を視聴頂いた。トリートメントグループにはポジティブな感情を高める効果が期待されるお笑い動画を視聴頂き、コントロールグループには感情に影響がないと考えられる図形の動画を視聴頂いた。そして、3ステップ目として、それぞれの動画内容の確認の質問に答えて頂いた。この動画視聴後の動画内容の確認は、本当に動画を見たかどうかを確認する目的のものである。そして、4ステップ目として動画を見た後の全員の感情の状態を測定した。最後に5ステップ目として全員に3分間の足し算に挑戦して頂いた。

動画視聴前後の感情の状態の計測には、黒川ら(2014)6,の研究に従って、簡易気分調査票日本語版(BMC-J)7,8,9を用いた。また、3分間の足し算の作業は、生産性を図るためのもので、回答者へのインセンティブとして、上位800人に100ポイント(100円相当)を付与することを事前に告知した。
 
6 黒川 博文、犬飼 佳吾、大竹 文雄、2014 「感情の変化が時間選好に及ぼす影響:プログレス・レポート」行動経済学 7  p. 45-49
7 田中健吾、2008.「簡易気分調査票日本語版 (BMC-J) の信頼性および妥当性の検討」大阪経大論集58 p 271‒27
8 Thomas, D. L., and E. Diener, 1990. Memory accuracy in the recall of emotions. Journal of Personality and Social Psychology 59, 291.
9 この尺度は、4種類のポジティブな感情に関する語句 (うれしい/心地よい/幸福である/楽しい・面白い)と、5種類のネガティブな感情に関する語句(イライラしている/不愉快だ/怒り・敵意を感じる/気分が沈んでいる・憂鬱である/何となく心配だ・不安だ)が含まれている。そして、それぞれの質問について回答したその時の気持ちで、7件法(0=全く当てはまらない; 6=非常に当てはまる)で回答頂くものである。このうち、ポジティブな感情を聞く設問4問を利用し、その4つの回答を足し合わせて、ポジティブな感情の変数と定義した。
 

3――分析結果

3――分析結果

1ポジティブな感情が高まると生産性が上がるのか
まず実際にお笑い動画により、人々のポジティブな感情が高まったのかどうかを確認したところ、残念ながら私たちの選んだお笑い動画では人々のポジティブな感情を高められていなかった。トリートメントとポジティブな感情の関係は図4の通りで、トリートメントグループとコントロールグループでポジティブな感情の大きさに統計的に有意な差はみられず、トリートメントグループの方がポジティブな感情の大きさが小さい傾向があった。
図4.トリートメントとポジティブな感情(全国)
そこで、お笑い動画に対する反応には地域差がある可能性を鑑み、地域ごとにお笑い動画の効果を確認したところ、唯一、東京都在住者はこのお笑い動画視聴によって、ポジティブな感情が高まっていることが確認された。そこで、東京都在住で、動画内容の確認問題に正答し、動画を視聴したことが確認できる回答者(494人)を対象にして分析を行った。図5aにみられるように、お笑い動画を見た人たち(トリートメントグループ:239人)は、図形の動画を見た人たち(コントロールグループ:255人)と比較して、動画視聴後のポジティブな感情が大きいことが確認された。そして、図5bにみられるように、足し算の正答数(生産性)についても、お笑い動画を見た人の方が多いことが確認された。
図5.トリートメントとポジティブな感情/生産性(東京都)
また、表1に示したように、最小二乗法(OLS)による推計でも、お笑い動画の視聴が足し算の正答数(生産性)を統計的に有意に高めていることが確認された。さらに、ポジティブな感情の変化を内生変数として、お笑い動画の視聴を操作変数とした二段階最小二乗法(TSLS)による推計でも、お笑い動画の視聴は、ポジティブな感情の変化を通して、足し算の正答数(生産性)を増加させていることが確認された。
表1. トリートメントと生産性:最小二乗法(OLS)と二段階最小二乗法 (TSLS)による推計
Xでシェアする Facebookでシェアする

保険研究部   准主任研究員

岩﨑 敬子 (いわさき けいこ)

研究・専門分野
応用ミクロ計量経済学・行動経済学 

経歴
  • 【職歴】
     2010年 株式会社 三井住友銀行
     2015年 独立行政法人日本学術振興会 特別研究員
     2018年 ニッセイ基礎研究所 研究員
     2021年7月より現職

    【加入団体等】
     日本経済学会、行動経済学会、人間の安全保障学会
     博士(国際貢献、東京大学)
     2022年 東北学院大学非常勤講師
     2020年 茨城大学非常勤講師

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【幸福度が高まると労働者の生産性は上がるのか?-大規模実験を用いた因果関係の検証:プログレスレポート-】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

幸福度が高まると労働者の生産性は上がるのか?-大規模実験を用いた因果関係の検証:プログレスレポート-のレポート Topへ