2017年03月31日

英国のEU離脱とロンドン国際金融センターの未来

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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3――金融サービス業のシングル・パスポート

1|シングル・パスポートとは何か
英国のEU離脱に対して、金融・専門サービス業がEU圏内への一部機能の移管という対応を迫られるのは、これまでのように、英国からシングル・パスポートを利用したEU圏内へのサービス提供が難しくなるからだ。

シングル・パスポートは、単一の規制体系の下で規制当局からの単一の承認で、対象地域内で金融サービスを提供する自由を認める制度である。パスポートにはEUの規則や指令に対応した様々な種類があり、金融危機後の規制の強化によって、パスポートが対象とする業務の範囲は拡大している。業務におけるパスポートの重要性は異なり、預金受け入れ、貸出、決済などに関わる資本要求指令(CRD IV)パスポート、投資銀行業務、トレーディング業務に関わる金融商品市場指令(MiFID)パスポートは広く活用されている(図表5)。
図表5 金融業務とシングル・パスポートの関係/図表6 金融サービスのシングル・パスポートの利用数
対象地域は、EU加盟国のほか、欧州経済領域(EEA)に参加するEFTA加盟国(ノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタイン)である。英国には、EU離脱後も、EEAに参加し、単一市場に残留するという選択肢もあった。その場合、規制を一方的に受け入れることにはなったが、シングル・パスポートの圏内に留まることはできた。しかし、英国が、国民投票での離脱派勝利の要因となった人の移動の自由への制限を望んだのに対して、EU側は、財・サービス・資本・人の4つの自由の「いいとこどり」は認めない方針を維持したため、英国は、単一市場からの離脱、新たなFTAの締結を目指すことを選択した。

英国の上院がまとめた報告書によれば7、英国の監督当局が発行したシングル・パスポートを利用してEEA圏内に金融サービスを提供しているアウトバウンドの金融機関は5476社ある。1社が複数のパスポートを利用できるため、アウトバウンドのパスポートの数は33万6421にも上る。他方、EEAの監督機関が発行したパスポートで英国を含むEEA圏内にサービスを提供しているインバウンドの金融機関は8008社でアウトバウンドを上回る。しかし、パスポート数は2万3532に留まる(図表6)。
 
7 House of Lords European Union Committee(2016)p. 13
2|代替手段とその限界
英国で活動する金融機関は多様であり、シングル・パスポートの重要性が業務によって異なることから、影響は業態によって異なる。また、英国とEUが、新たな協定でシングル・パスポートに代替する措置として、どのような合意に至るかによっても金融機関への影響は変わる。

英国政府は今年2月に公表した「離脱白書」で8、EUとのFTAでは、金融サービス分野では「可能な限り自由な取引」を目指す方針を掲げている。白書には、具体的な交渉の内容についての記述はないが、EUが域外の第3国の規制や監督体制がEUと同等を認め単一市場へのサービスの提供を認める「同等性評価」と金融監督面での「相互協力協定(mutual cooperation arrangements)」に言及している9。英金融サービス部門のロビー団体である「ザ・シティUK」は10、EU単一市場と英国市場のアクセスを相互に認め、規制・監督面では協調体制をとる「特別な協定(bespoke deal)」を求めている。協定の締結には年単位の時間を要するとの認識から、交渉を離脱協議と並行して進めて、不確実性の削減に努めることと、十分な移行期間を設けることを求めている。

EUの「同等性評価」は、個別の法令ごとに、対象国の国内法の「同等性」を承認する。シングル・パスポートのように業務を横断的にカバーする制度ではない。CRD Ⅳや資産運用は現存の枠組みでは「同等性評価」の対象となっていない11。さらに、EUの欧州委員会による同等性評価には、年単位の時間が掛かる。追加の条件を求めることや、対象国の規制に逸脱が生じたと判断した場合には予告なく取り消すなど安定性の問題もある。業務の内容によっては加盟国やその監督機関が決定に関与する場合もある。

EU側がEUの金融市場で、英国が果たしている特別な役割を考慮して現存する枠組みを超えた「特別な相互優遇措置」を締結する可能性はあるが、現在よりも自由度が低下することは避けられない見通しだ。単一市場を守るため、EU加盟国やEEA参加国よりも有利な条件を認めることはできないというコンセンサスがあるからだ。
 
8 HM Government(2017)
9 HM Government (2017) p. 42
10 The CityUK (2017a)
11 House of Lords European Union Committee(2016)、International Regulatory Strategy Group(2017)、Lanno, Karel(2016)などで詳しく検討されている。
3|在英国金融機関への影響
パスポート失効の影響を最も受けるのは、英国当局が発行した様々な種類のパスポートを活用して、EEA圏内の顧客を対象に、ホールセールの投資銀行業務を大規模に展開している金融機関である。専門性の高い投資ファンドも影響を受ける。このため、英国や欧州大陸を母国とする金融機関以上に米国系の金融機関の動向が注目されている。認可には1年半程度の時間が必要なため、金融機関は、EUとの協議の結果を待たず、他の業界に先駆けて、EU離脱に備えた体制整備に動き出すと見られる。

在ブリュッセルのシンクタンク「ブリューゲル」は12、EU離脱によって、英国からEU27に移管される資産は英国の銀行総資産の17%相当、ホールセールバンキング業務の34%に相当する1兆7680億ユーロ(215兆円)と試算している。この試算では、バックオフィス(事務処理部門)はロンドンに残す、あるいは他都市に置くことを認めるとしても、業務の承認にあたっての「実体性要求(supervisory substance requirement)」で、EEA内の拠点に独立した取締役会、会計責任者、トレーダーなどが必要になるという前提を置いている。
 
12 Sapir, Andre, Schonenmaker Dirk and Veron, Nicolas(2017)
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

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