2017年03月08日

韓国における公的扶助制度の現状と課題(前編)-生活保護制度から国民基礎生活保障制度の導入まで-

生活研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任   金 明中

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1――はじめに

韓国社会に公的扶助制度が導入されてから今年で56年目を迎えている。韓国における公的扶助制度は戦前である1944 年に実施された「朝鮮救護令」を出発点にしているものの、本格的に制度として実施されたのは1961年に「生活保護法」が制定されてからだと言える。しかしながら、生活保護制度は働く能力のない者であっても18歳未満あるいは65歳以上という年齢基準を適用する等受給を限定しており、最後のセーフティーネット制度としての役割や機能を担うことが出来なかった。特に、1997 年に発生したIMF経済危機を原因とする倒産や失業により生活困窮者が増加すると、生活保護制度の問題点がより明らかになり、市民団体を中心に国の責任をより明確にした新しい公的扶助制度の導入が要求されはじめた。

市民団体等の提案に対する韓国政府の最初の反応は微温的だったものの、1999年6月21日に金大中大統領が新しい国民基礎生活保障制度の導入意向を明らかにした「蔚山(ウルサン)発言」以降、国民基礎生活保障法に対する韓国政府の立場は大きく変わり、2000年10月から新しい公的扶助制度として「国民基礎生活保障制度」が施行されることになった。

国民基礎生活保障制度の施行により受給対象の制限がなくなり、生計給付の受給者数が増加する等確かに過去の生活保護制度に比べて、セーフティーネットは強化されたものの、厳しい選定基準により死角地帯に置かれている生活困窮者が対象から排除される問題点が相変わらず残されていた。そこで、韓国政府は増加する貧困層に対する経済的支援の拡大や勤労貧困層に対する自立を助長することを目的に、国民基礎生活保障制度の給付方式をパッケージ給付から個別給付に変更し、2015年7月1日から施行している。本稿では韓国における生活保護制度から国民基礎生活保障制度の導入までの経緯を説明し、次稿では2015年7月に施行された国民基礎生活保障制度の改革と概要、そして残された課題について論じたい。
 

2――韓国における公的扶助制度の変遷

2――韓国における公的扶助制度の変遷

1|生活保護制度の実施
韓国における近代的な意味の公的扶助制度が始まったのは日本統治時代の1944年3月1日に朝鮮総督府1により「朝鮮救護令」(日本の救護法と類似)が公表されてからである。朝鮮救護令は1年程度、実施されてから太平洋戦争の終結に伴い法的効力を喪失した。しかしながら、終戦後も新しい公的扶助制度が実施されなかったので、朝鮮救護令は1961年に生活保護法が制定されるまで韓国内の唯一の公的扶助制度としてその命脈を保つことになった。但し、朝鮮救護令の対象者は、貧困によって生活ができない者のうち、(1)65 歳以上の老衰者、(2)13 歳以下の児童、(3)分娩保護を必要とする妊産婦、(4)6歳以下の子どもを扶養している女性、(5)障がい、疾病等により就労に支障がある者のいずれかに該当する者に制限されていた。

1961年5月16日の軍事クーデターにより樹立された朴正煕軍事政権は「絶望と飢餓の線上で喘ぐ民生苦を早急に解決し、国家の自主経済建設に傾注する」という「革命公約」2に基づいて1961年12月に公的扶助制度の基本法として生活保護法を制定し、1962年から生活保護制度を施行した。しかしながら対象者を制限する等制度の内容は日本の生活保護制度よりは1929年に日本で制定された救護法に近かった。

韓国の生活保護制度は、「老齢、疾病、その他就労能力の喪失によって生活を維持する能力がない者や経済的に大変な立場におかれている者等の最低生活を保障し、彼らを自立させることにより社会福祉の向上に寄与すること」を目的にした。

給付の対象者は、扶養義務者がいない又は扶養義務者がいても扶養が受けられない者のうち、(1)65 歳以上の老衰者、(2)18 歳未満の児童、(3)妊産婦、(4)疾病あるいは障がいにより就労に支障がある者、(5)その他に生活が困窮で、保護機関が法律による保護が必要だと認めた者のいずれかに該当する者で、扶養義務者がいない又は扶養義務者がいても扶養能力がない者である。対象者の範囲が従来の朝鮮救護令に比べると少し広くなったものの、対象者は相変わらず制限されており、一般扶助というよりは制限扶助に近い制度であった。給付は、生計(日本の生活扶助に当たる)、医療、出産、葬祭給付3が実施されていた。

1960年代の韓国社会は農業を中心としていたものの、農家の生産性が低く、国民の多くが食糧不足に見舞われ、飢餓に苦しんでいた。軍事政権は、軍事政権の正当性を強調し、民心を買うための手段として生活保護制度を施行したものの、貧困層の一部だけを一時的に支援する緊急措置に留まっていた。1960年代末までの生活保護制度の財源は、外国からの救護品や海外救援金、そしてアメリカの余剰農産物支援に大きく依存しており、生活保護による政府からの支援は食糧による現物給付が中心であった。また、働く能力のある貧困層に対しては、アメリカから支援された余剰農産物を「財源」に「自助勤労事業」という公共事業を実施し、賃金として食糧が支給された。

生活保護法は1961年の施行以降、数回に渡り部分的な改正が行われた。例えば1977年末には名ばかりの医療保護事業を生活保護法から切り離し、医療保護法を新しく制定・公布した。その結果1978年から生活保護制度の対象者に対する医療保護が本格的に実施された。しかしながら、医療保護が公的医療保険制度に比べて低い診療報酬が適用されたので、医療機関が医療保護対象者の診療を回避する問題が発生した(保険証も一般人を対象とする健康保険とは異なったので、医療機関に行くのを忌避する人もいた)。

1979年には「生活保護対象者の中学校課程授業料支援規定」を制定し、生活保護世帯の中学校課程の子供に入学金や授業料が支援されることになった。1981年からは貧困対策の一環として特別な技術がないことが原因で就職ができない生活保護対象者に対する職業訓練を実施し、1982年2月からは「零細民(以下、貧困層)総合対策」としても職業訓練や就業斡旋を実施したものの、予算や準備不足で大きな効果は得られなかった。

1982年には「生活保護対象者の中学校課程授業料支援規定」が「教育給付」に変更・施行されることにより、生活保護制度の給付は既存の4つから5つに増加した。また、1984年からは生活保護制度の対象者を行政の判断で選定する措置方式から、保護を必要とする人が自ら申請することを前提とする申請主義に変更した。さらに、1987年からは公的扶助の体系化や専門化のために公的扶助の業務を担当する社会福祉専門要員4を行政機関(洞事務所)に配置し始めた。

1997年には生活保護制度の第2次改正が行われ、扶養義務者の範囲の縮小(既存の8親等以内の父系親族や4親等以内の母系親族から直系血族及び配偶者や生計を共にする2親等以内の親族に変更)、自立訓練機関の指定及び自立関連制度を新設する等生活保護制度の不備な点が改善・補完された。

1961年に制定された生活保護法は、上記でも紹介したように、数回にわたる改正が行われたものの、貧困の責任を国よりは生活困窮者自身や家族などの扶養義務者に押し付ける傾向が強く残っている等、公的扶助制度として様々な問題点をかかえていた。その中で1997 年に発生したIMF経済危機は韓国における生活保護制度を再検討するきっかけになった。IMF経済危機以降、韓国では企業の倒産、廃業、構造調整が続くことにより、1997年11月に2.6%であった失業率は、1999年2月には8.6%まで上昇した。このような大量失業やそれによる生活困窮者の増加は、韓国社会における新しい社会問題として浮上し、貧困問題の解決のための政府の責任がより強く要求された。しかしながら、生活保護制度は18歳未満あるいは65歳以上という年齢基準を適用する等働く能力のない者を受給の対象にしており、経済危機により長期的に失業状態におかれている働く能力のある現役世代は制度が利用できず、最後のセーフティーネット制度としての役割を十分に果たしていないという問題点が指摘された。また、生活保護法は、地域、世帯規模、世帯類型などに対する区分がなく全国的に同一な最低生活費5(一人当たり)を適用しており、都市地域に居住している1~2人世帯がなかなか給付対象者として選定されないという問題点を抱えていた。

そこで、「参与連帯」6を中心とする28の市民団体は、1998年に「国民基礎生活保障法制定推進連帯会議」を結成し、セーフティーネット機能の強化を含めた生活保護法の全面改正を要求した。その主な内容には「基本的生活保護は国民の権利であり、国の義務であること」、「勤労能力がある人は生活保護の対象から排除される受給資格の年齢基準を撤廃すべきであること」、「政府が最低生活費を決めて所得認定額がそれを下回る世帯は給付の対象にすべきであること」等が含まれていた。市民団体等の提案に対する韓国政府の最初の反応は微温的だったものの、1999年6月21日に金大中大統領が新しい国民基礎生活保障制度の導入意向を明らかにした「蔚山(ウルサン)発言」7以降、国民基礎生活保障法に対する政府の立場は大きく変わることになった8。その後、1999年8月12日に国会で国民基礎生活保障法が満場一致で成立し、2000年10月から新しい公的扶助制度として「国民基礎生活保障制度」が施行された。
 
1 日韓併合に伴って,1910年9月 30日朝鮮統治のために日本政府が設けた最高機関。
2 6大革命公約は次の通りである。(1)反共を国是の第一とし、これまで形式的で、掛け声だけに留まっていた反共体制を再整備・強化する。(2)国連憲章を遵守し、国際協約を充実して履行し、米国をはじめとする自由友邦との紐帯を一層強固にする。(3)国の社会のあらゆる不敗と旧悪を一掃し、頽廃した国民道義と民族正気を立て直すため、清新な気風を振興する(4)絶望と飢餓の線上で喘ぐ民生苦を早急に解決し、国家自主経済建設に傾注する。(5)民族的宿願である国土統一のために、共産主義と対決することの出来る実力の培養に全力を集中する。(6)このような私達の課業が成就すれば、清新で良心的な政治家たちにいつでも政権を移譲し私達は本来の任務に復帰する用意がある。
3 日本の生活保護法の「扶助」という用語は、韓国の生活保護法(1961年12月~2000年9月)では「保護」に、国民基礎生活保護法(2000年10月~)では「給与」に使われている。本文では用語による混沌を避けるために「給付」に統一した。
4 社会福祉専門要員は、生活保護、児童福祉、老人福祉、障害者福祉、母子福祉関連業務を担当していた。
5 韓国では、「最低生計費」という用語が使われているが、用語による混沌を避けるために本稿では日本の「最低生活費」という用語で統一している。
6 金泳三政権時代の1994年9月に発足した韓国における市民運動団体。
7 1991年6月21日に蔚山にて行われた演説で金大中元大統領は、「中産層と低所得者がより安心して生活できる国民生活基本法を制定する」と発言した。
8 1999年の新年詞で金大中元大統領は、「生産的福祉制度」の必要性を強調した。生産的福祉とは、「すべての国民が人間としての尊厳と自衿心が維持できるように、基本的な生活を保障すると同時に、自立的かつ主体的に経済及び社会活動に参加できる機会を拡大し、分配の衡平性を高めることにより、生活の質を向上させ、社会発展を追求する国政理念」として定義されている。つまり、生産的福祉は、再分配の観点からただ国がお金を支給することではなく、働く機会を増やし、仕事を通じて自立できる福祉体制を構築することを目指している考え方だと言える。
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生活研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
労働経済学、社会保障論、日・韓における社会政策や経済の比較分析

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