2016年04月26日

明治から昭和戦前の主力商品-終身保険から養老保険へ

小林 雅史

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4――簡易保険による小口保険の発売

1914年4月に成立した第2次大隈内閣は、社会政策の実行を政策のひとつとして掲げ、その手段として官営小口生命保険の実施の方針を決定した。
非営利、経費の節約などが官営保険実施の理由とされ、民間との競争を避けるためにこうした官営による簡易保険は政府の独占事業とされた。
生命保険協会をはじめとした民間保険会社による反対運動も展開されたが、1916年10月、最高保険金額を当初政府原案の300円から250円に引き下げた上で、当時の逓信省により簡易保険が創設された10
無診査・小口・保険料月払という簡易保険の特色や、全国7000を超える郵便局を通じた販売などにより、販売件数は販売初年度の1916年には半年で26万7千件と、当初想定の2倍を超えた。
販売件数は順調に推移し、1921年には115万8千件と100万件を突破、1925年には250万件と200万件を超え、1926年(昭和元年)以降、昭和はじめの販売件数は毎年200~300万件の水準で推移した。
そして、1937年には簡易保険の加入者は国民の3分の1を超えるに至った。
最高保険金額も1922年9月に350円、1926年5月に450円、1938年10月に700円など、逐次引き上げられた。
販売保険種類は終身保険および養老保険であり、創業当初は終身保険の販売件数が5割を超えていたが、民間生命保険と同様、養老保険へのシフトが進んだ11
 
10  『生命保険協会70年史』110~111ページ、生命保険協会、1978年12月。
11  『創業50周年記念 簡易生命保険郵便年金事業史』43~47ページ、316ページ、322~323ページ、統計第1表年度別新契約状況、第3表新契約保険種類別加入割合(件数)、第5表年度末現在契約状況、簡易保険加入者協会、1966年10月。

5――おわりに

5――おわりに

民間生命保険、官営の簡易保険とも、当初の終身保険中心の販売から、養老保険中心の販売にシフトするという経過をたどったことは興味深い。
民間生命保険は大口(1928年の養老保険の平均保険金額は1734円)で有診査、年払中心、簡易保険は小口(同じく1928年の養老保険、終身保険の平均保険金額は148円)で無診査、月払といった相違はあるものの、養老保険中心の販売にとなったのは、いずれもわが国特有の貯蓄指向によるものと考えられる。
戦後は、定期付養老保険、定期付終身保険の主力商品化を経て、現在の販売保険商品は医療保険、がん保険などの第三分野商品も含め各社各様、多様性に富むが、こうした経緯についても後日紹介することとしたい。
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(2016年04月26日「保険・年金フォーカス」)

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